【短編】「愛の大きさは、カロリーの高さよ」……姉が焼く凶器のようなクッキーの横で、私が作ったのは泥団子?だった

月下花音

文字の大きさ
2 / 6
第1章 女たちのホワイトデー

第2話:3月14日の喧騒とノイズ

しおりを挟む
 3月14日の教室は、独特の浮ついた匂いがした。
 チョークの粉の匂いと、制服の繊維の匂いに混じって、安っぽいお菓子の甘い香料の匂いが漂っている。
 誰かが袋を開けるたびに、カサカサという音がして、私の神経を逆撫でする。

「あ、これサンキュー。マジでくれんの?」
「義理だよ、義理! 勘違いしないでよね」
「うわ、マシュマロかよー。俺クッキー派なんだけど」

 あちこちで繰り広げられる、テンプレのような会話。
 教室の空気が、ピンク色に染まっているようで吐き気がする。
 私は自分の席で、鞄の中に入れたタッパーの硬い感触を確かめながら、死んだ魚のような目で黒板を見つめていた。

 タッパーの中身は、昨日深夜までかかって作った、あの泥団子トリュフだ。
 冷蔵庫で冷やされたそれは、今は凶器のように固くなっているはずだ。

「……はあ」

 ため息をつくと、前の席の男子が「うわ、暗っ」と小声で言ったのが聞こえた。
 死ねばいいのに、と思った。

 2時間目の休み時間。
 あいつが、廊下で女子に呼び出されているのを見た。
 心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
「ドクン」なんて可愛い音じゃない。「グチャッ」と内臓が握りつぶされるような感覚。

 呼び出しているのは、隣のクラスの高木さんだ。
 あざといことで有名な、ゆるふわウェーブの髪をした女子。
 彼女はバレンタインに、手作りのブラウニーを配り歩いていたらしい。
 当然、あいつにも渡したのだろう。

 私は廊下の角に隠れて、その様子を覗き見した。
 完全にストーカーだ。自分でも引く。でも、足が動かない。

「〇〇くん、これ。バレンタインのお返し……期待していいかな?」
 高木さんが、上目遣いで言う。
 あいつは、困ったように頭をかいている。
 その手には、コンビニの袋が握られていた。

「あー、わり。俺、そういうの全然マメじゃなくてさ。これ、購買で買ったチョコなんだけど……」
「えー! 購買のやつ? ひどーい!」
 高木さんは頬を膨らませて怒ったふりをしたが、すぐに「嘘嘘。もらえるだけで嬉しい! ありがと!」と、その袋をひったくるように受け取った。

 ……なんだ、あれ。
 なんだ、あの茶番は。
 購買のチョコ?
 あいつ、まともな準備すらしてないのか。
 高木さん相手にそれなら、私なんかには当然、何も用意していないだろう。

 安堵と、絶望が同時に押し寄せてくる。
「ライバルはいなかった」という安堵と、「私にもお返しなんてない」という現実。

 いや、待て。
 私は「お返し」が欲しいんじゃない。
「逆チョコ」を叩きつけに来たのだ。
 あいつが何も用意していないなら、むしろ好都合だ。
「あんたは何も用意してないけど、私は用意したわよ。この格差を噛み締めなさい」とマウントを取れる。

 でも。
 あいつが高木さんと笑い合っている姿が、どうしても脳裏に焼き付いて離れない。
 あいつは、あんな風に誰とでも笑う。
 私といる時と同じような顔で。
 それが、死ぬほど悔しい。

 昼休み。
 私は昼食を食べる気にもなれず、中庭のベンチでぼんやりしていた。
 鞄の中のタッパーが、重しのように膝に乗っている。

「……何やってんだろ、私」

 昨日の夜、姉とあんなに盛り上がった勢いはどこへ行ったのか。
 学校という「日常」の場に来た途端、昨夜の「深夜のテンション」が急速に冷めていくのを感じる。
『重い女』になるんじゃなかったのか。
 トラウマを残すんじゃなかったのか。

「お前、こんなとこで何してんの?」

 不意に、上から声が降ってきた。
 心臓が口から飛び出しそうになった。
 見上げると、あいつが立っている。
 手には焼きそばパンと、いちごオレ。
 ……いちごオレって。似合わなすぎてイラつく。

「……別に。光合成」
「植物かよ」
 あいつは私の隣に、当然のように座った。
 ベンチが少し沈む。
 制服のズボンが触れそうな距離。
 汗と、柔軟剤と、焼きそばパンのソースの匂いが混ざった、あいつの匂いがする。
 これが、好きな人の匂いだなんて認めたくない。もっといい匂いがしてほしい。

「お前さ、今日なんか機嫌悪くね?」
 あいつが焼きそばパンを頬張りながら言う。
 パン屑が口の端についている。取ってあげたい衝動と、デコピンしたい衝動がせめぎ合う。

「悪くないし」
「嘘つけ。朝からずっと般若みたいな顔してたぞ」
「……見てたの?」
「そりゃ見るだろ。前の席の奴が『後ろから殺気感じる』ってビビってたから」

 あいつは、いちごオレのストローを噛みながら、ニシシと笑った。
 その無防備な笑顔が、今の私には猛毒だ。

「……あんたさ」
「ん?」
「今日、いろんな人にお返ししてんの?」

 聞いてしまった。
 一番聞きたくないことを、自分から。

 あいつは「あー」と面倒くさそうに空を見上げた。
「なんか、義理チョコくれた奴にはな。めんどくせーけど、返さないと後で何言われるか分かんねーし」
「……ふーん」
「ま、コンビニで買ったやつだけどな」

 コンビニチョコ。
 義務感。
 面倒くさい行事。
 あいつにとって、ホワイトデーはその程度のものだ。

「……私には?」
 言葉が、勝手に滑り落ちた。

 あいつが固まった。
 ストローを噛む口が止まる。
「え?」
「私には、ないの? お返し」

 言ってしまった。
 私はバレンタインに、何もあげていないのに。
 これは完全に言いがかりだ。当たり屋だ。
 でも、止まらなかった。

 あいつは目を丸くして、それから少し困ったように眉を下げた。
「お前……バレンタイン、俺にくれたっけ?」

 正論だ。
 ぐうの音も出ない正論が、私の胸に突き刺さる。
 そうだ、あげてない。
 だから、お返しなんてあるわけがない。
 そんなの分かってる。
 分かってるけど。

「……くれてないけど」
 私は、鞄を強く握りしめた。
 指の関節が白くなるくらい。

「くれてないけど、お返しは欲しいの。文句ある?」

 理不尽すぎる。
 自分でも何言ってるか分からない。
 でも、今の私は、論理的な思考なんてできる状態じゃなかった。
 ただ、高木さんや他の女子があいつから貰っていた「お返し」という名の繋がりが、羨ましくて、妬ましくて、許せなかっただけだ。

 あいつは呆気に取られた顔で私を見つめ、それから――

「……ははっ」

 笑った。
 バカにするように、でもどこか楽しそうに。

「お前、マジでジャイアンだな」
「うるさい」
「分かったよ。……じゃあ、放課後な」
「え」
「放課後、ちょっと付き合えよ。なんか奢ってやるから」

 あいつは焼きそばパンの最後の一口を放り込み、立ち上がった。
「じゃーな。サボんなよ」
 そう言って、校舎の方へ歩いていく。

 私は、ポカンとその後ろ姿を見送った。
 放課後。
 奢ってやる。
 それって、デートじゃないの?

 カカカ、と頭の中で何かが回転する音がした。
 チャンスだ。
 これは、千載一遇のチャンスだ。
 あいつが「お返し」を用意してないなら、私が「逆チョコ」を渡して、さらにこの理不尽な要求を押し通せば、完全に私のペースだ。

 鞄の中のタッパーが、熱を持っているような気がした。
 私の泥団子。
 姉の言う通り、これで殴りかかるしかない。

 放課後まで、あと3時間。
 胃が痛い。
 でも、もう逃げない。
 私は、重たい女として、あいつの人生に割り込んでやる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる

九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。 ※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。

10年ぶりに現れた正ヒロインが強すぎて、10年来のダメ系幼馴染型ヒロインが敗北しそうな件について。

神崎あら
青春
 10年ぶりに再会した彼女はまさに正ヒロインと呼ぶにふさわしい容姿、性格、人望を手にしていた。  それに対して10年間一緒にいた幼馴染は、堕落し酒に溺れ、泰平の世話なしには生きられないペットのような生き物になっている。  そんな対照的な2人のヒロインが戦う(一方的にダメ幼馴染が社会的にボコられる)物語が今始まる!!

女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です

くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」 身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。 期間は卒業まで。 彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

処理中です...