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第1章 女たちのホワイトデー
第3話:胃もたれする愛の結末
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放課後。
私たちは学校近くの公園にいた。
「奢ってやる」と言ったあいつが向かったのは、おしゃれなカフェでもファミレスでもなく、コンビニだった。
そして今、私の手にあるのは、もらったばかりの『肉まん』だ。
ホワイトデーに肉まん。
色気もムードもあったもんじゃない。
「……なんで肉まん?」
ベンチに座り、湯気の立つ白い塊を睨みつけながら私が訊くと、あいつは隣で『ピザまん』を頬張りながら答えた。
「寒かったし。チョコよりこっちのがうまくね?」
「……まあ、美味しいけど」
悔しいが、美味しい。
放課後の空腹に、肉汁とふかふかの生地が染み渡る。
あいつは、私がハフハフと言いながら食べているのを、横目で見てニヤニヤしている。
「お前、食う時すげー顔してるぞ」
「うるさい。熱いんだから仕方ないでしょ」
風が吹いて、少し肌寒い。
夕日が落ちかけていて、空が紫色になり始めている。
公園には、小学生が走り回る声と、遠くの道路の車の音が響いている。
どこにでもある、ありふれた放課後の風景。
でも、私にとっては、心臓が爆発しそうな戦場だった。
肉まんを食べ終えたら。
この包み紙を捨てたら。
それが、合図だ。
鞄の中のタッパーが、私の太ももにゴツゴツと当たって主張している。
『早く出せ』と急かしている。
あいつが、ピザまんを食べ終えて、包み紙を丸めた。
「……で?」
あいつが言った。
「これで満足した? ジャイアン」
今だ。
私は、最後の肉まんを無理やり飲み込んだ。
喉が詰まりそうになるのを、気合で押し通す。
そして、鞄のチャックを開けた。
「……してない」
「あ?」
「肉まんごときで、満足するわけないでしょ」
私は、タッパーを取り出した。
無骨な、プラスチックの容器。
中には、茶色い泥団子が転がっている。
おしゃれなリボンも、可愛いメッセージカードもない。
ただの、質量のある物体。
それを、あいつの目の前に突き出した。
「……これ、食え」
「は?」
あいつが目を丸くした。
「何これ? 爆弾?」
「違う! チョコ! ……の、失敗作みたいなやつ!」
「失敗作かよ」
「うるさい! 毒味だよ! あんたがバレンタインに何もくれなかったから、その罰ゲーム!」
支離滅裂だ。
「くれてないけどお返しを要求した」数時間前の私と、「何もくれなかったから罰ゲーム」と言う今の私。
論理が破綻している。
でも、もうどうでもよかった。
理屈なんて、感情の前では紙切れ同然だ。
あいつは、タッパーをまじまじと見た。
そして、プッと吹き出した。
「マジで泥団子じゃん」
「……帰る」
恥ずかしさで顔が沸騰しそうになり、タッパーを引っ込めようとした。
その時。
あいつの手が、私の手首を掴んだ。
熱くて、大きくて、少し乾燥した手。
「嘘だよ。食うよ」
あいつはタッパーを奪い取ると、蓋をパカリと開けた。
甘ったるいカカオの香りが、肉まんの匂いを上書きする。
あいつは、泥団子の一つを指で摘み上げた。
「……でけえな」
「文句言わない」
「いただきます」
パクッ、とあいつがそれを口に入れた。
咀嚼する音。
私の心臓が、あいつのあごの動きに合わせて収縮する。
不味かったらどうしよう。
甘すぎたらどうしよう。
下剤の話をした姉の顔が過る。
「……うん」
あいつが飲み込んだ。
「甘っ」
「……だよね」
「すげー甘い。喉焼けるかと思った」
「ごめ……」
「でも、うまいわ」
あいつは、ニカっと笑った。
夕日に照らされたその顔が、ずるいくらいに綺麗に見えて、私は息が止まった。
「コンビニのチョコより、全然うまい」
あいつは、もう一つを摘み上げた。
「これ、俺のために作ったんだろ?」
「……ちがっ、余っ……」
「へー、余り物でこんな大量に作るんだ」
タッパーには、まだ10個以上の泥団子が詰まっている。
明らかに『余り』の量ではない。
あいつはそれを見て、からかうように、でもどこか優しげな目で私を見た。
「サンキュ。……お返し、肉まんで悪かったな」
「……別に」
「来年は、ちゃんとしたやつ用意するわ」
来年。
その言葉の響きに、私は目を見開いた。
来年があるの?
来年も、私にあげるつもりがあるの?
それって、つまり。
「……言っとくけど」
私は、震える声を必死に抑えて、精一杯の強がりを言った。
「来年は、もっと高いやつじゃないと許さないから」
「うわ、がめつい」
あいつは笑って、私の頭をポンと叩いた。
「分かったよ。倍返ししてやる」
倍返し。
その言葉が、なんだかプロポーズみたいに聞こえて、私は顔が熱くなるのを止められなかった。
あいつは、残りの泥団子をバクバクと食べ始めた。
「甘ぇー」とか「これ歯にくっつく」とか文句を言いながら、それでも全部食べてくれそうな勢いだ。
私は、その横顔を見つめながら、小さく息を吐いた。
胃のあたりにあった重たい塊が、少しだけ溶けていく気がした。
家に帰ったら、姉に報告しなきゃいけない。
『玉砕しなかったよ』と。
『むしろ、毒を盛ることに成功したよ』と。
あいつの胃袋の中には今、私の重たい愛が詰まっている。
消化されるまで、数時間はかかるだろう。
その間、あいつはずっと、私の重さに胃もたれすればいい。
「……飲み物買ってくる」
「あ、俺コーラ」
「自分で買いなよ」
「お前のおごりで」
「はあ!? ジャイアンどっちよ!」
文句を言いながら、私は自販機に向かう。
足取りが、少しだけ軽い。
夕暮れの風が、火照った頬に心地よかった。
これが、私のホワイトデー。
甘くて、苦くて、全然ロマンチックじゃなくて。
でも、最高に『私たちらしい』一日だった。
(了)
私たちは学校近くの公園にいた。
「奢ってやる」と言ったあいつが向かったのは、おしゃれなカフェでもファミレスでもなく、コンビニだった。
そして今、私の手にあるのは、もらったばかりの『肉まん』だ。
ホワイトデーに肉まん。
色気もムードもあったもんじゃない。
「……なんで肉まん?」
ベンチに座り、湯気の立つ白い塊を睨みつけながら私が訊くと、あいつは隣で『ピザまん』を頬張りながら答えた。
「寒かったし。チョコよりこっちのがうまくね?」
「……まあ、美味しいけど」
悔しいが、美味しい。
放課後の空腹に、肉汁とふかふかの生地が染み渡る。
あいつは、私がハフハフと言いながら食べているのを、横目で見てニヤニヤしている。
「お前、食う時すげー顔してるぞ」
「うるさい。熱いんだから仕方ないでしょ」
風が吹いて、少し肌寒い。
夕日が落ちかけていて、空が紫色になり始めている。
公園には、小学生が走り回る声と、遠くの道路の車の音が響いている。
どこにでもある、ありふれた放課後の風景。
でも、私にとっては、心臓が爆発しそうな戦場だった。
肉まんを食べ終えたら。
この包み紙を捨てたら。
それが、合図だ。
鞄の中のタッパーが、私の太ももにゴツゴツと当たって主張している。
『早く出せ』と急かしている。
あいつが、ピザまんを食べ終えて、包み紙を丸めた。
「……で?」
あいつが言った。
「これで満足した? ジャイアン」
今だ。
私は、最後の肉まんを無理やり飲み込んだ。
喉が詰まりそうになるのを、気合で押し通す。
そして、鞄のチャックを開けた。
「……してない」
「あ?」
「肉まんごときで、満足するわけないでしょ」
私は、タッパーを取り出した。
無骨な、プラスチックの容器。
中には、茶色い泥団子が転がっている。
おしゃれなリボンも、可愛いメッセージカードもない。
ただの、質量のある物体。
それを、あいつの目の前に突き出した。
「……これ、食え」
「は?」
あいつが目を丸くした。
「何これ? 爆弾?」
「違う! チョコ! ……の、失敗作みたいなやつ!」
「失敗作かよ」
「うるさい! 毒味だよ! あんたがバレンタインに何もくれなかったから、その罰ゲーム!」
支離滅裂だ。
「くれてないけどお返しを要求した」数時間前の私と、「何もくれなかったから罰ゲーム」と言う今の私。
論理が破綻している。
でも、もうどうでもよかった。
理屈なんて、感情の前では紙切れ同然だ。
あいつは、タッパーをまじまじと見た。
そして、プッと吹き出した。
「マジで泥団子じゃん」
「……帰る」
恥ずかしさで顔が沸騰しそうになり、タッパーを引っ込めようとした。
その時。
あいつの手が、私の手首を掴んだ。
熱くて、大きくて、少し乾燥した手。
「嘘だよ。食うよ」
あいつはタッパーを奪い取ると、蓋をパカリと開けた。
甘ったるいカカオの香りが、肉まんの匂いを上書きする。
あいつは、泥団子の一つを指で摘み上げた。
「……でけえな」
「文句言わない」
「いただきます」
パクッ、とあいつがそれを口に入れた。
咀嚼する音。
私の心臓が、あいつのあごの動きに合わせて収縮する。
不味かったらどうしよう。
甘すぎたらどうしよう。
下剤の話をした姉の顔が過る。
「……うん」
あいつが飲み込んだ。
「甘っ」
「……だよね」
「すげー甘い。喉焼けるかと思った」
「ごめ……」
「でも、うまいわ」
あいつは、ニカっと笑った。
夕日に照らされたその顔が、ずるいくらいに綺麗に見えて、私は息が止まった。
「コンビニのチョコより、全然うまい」
あいつは、もう一つを摘み上げた。
「これ、俺のために作ったんだろ?」
「……ちがっ、余っ……」
「へー、余り物でこんな大量に作るんだ」
タッパーには、まだ10個以上の泥団子が詰まっている。
明らかに『余り』の量ではない。
あいつはそれを見て、からかうように、でもどこか優しげな目で私を見た。
「サンキュ。……お返し、肉まんで悪かったな」
「……別に」
「来年は、ちゃんとしたやつ用意するわ」
来年。
その言葉の響きに、私は目を見開いた。
来年があるの?
来年も、私にあげるつもりがあるの?
それって、つまり。
「……言っとくけど」
私は、震える声を必死に抑えて、精一杯の強がりを言った。
「来年は、もっと高いやつじゃないと許さないから」
「うわ、がめつい」
あいつは笑って、私の頭をポンと叩いた。
「分かったよ。倍返ししてやる」
倍返し。
その言葉が、なんだかプロポーズみたいに聞こえて、私は顔が熱くなるのを止められなかった。
あいつは、残りの泥団子をバクバクと食べ始めた。
「甘ぇー」とか「これ歯にくっつく」とか文句を言いながら、それでも全部食べてくれそうな勢いだ。
私は、その横顔を見つめながら、小さく息を吐いた。
胃のあたりにあった重たい塊が、少しだけ溶けていく気がした。
家に帰ったら、姉に報告しなきゃいけない。
『玉砕しなかったよ』と。
『むしろ、毒を盛ることに成功したよ』と。
あいつの胃袋の中には今、私の重たい愛が詰まっている。
消化されるまで、数時間はかかるだろう。
その間、あいつはずっと、私の重さに胃もたれすればいい。
「……飲み物買ってくる」
「あ、俺コーラ」
「自分で買いなよ」
「お前のおごりで」
「はあ!? ジャイアンどっちよ!」
文句を言いながら、私は自販機に向かう。
足取りが、少しだけ軽い。
夕暮れの風が、火照った頬に心地よかった。
これが、私のホワイトデー。
甘くて、苦くて、全然ロマンチックじゃなくて。
でも、最高に『私たちらしい』一日だった。
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