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第4話:計算外の放課後
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期末テスト一週間前。
学習強化週間に入り、放課後の図書室は生徒で溢れかえっていた。
私はいつもの席(一番奥の窓際、特等席)を確保し、優雅に英字新聞を読んでいた。
そこへ、相良がやってきた。
手には数学の参考書。顔には苦渋の色。
「……九条さん、ちょっといいか?」
彼が小声で話しかけてくる。珍しい。
自分から私に接近してくるなんて。
「何? 降参の報告なら受け付けるわよ」
「ちげーよ! ……その、ここ。この微分の応用問題がわかんねーんだよ」
彼がノートを差し出す。
赤ペンで何度もバツがつけられた跡。
「……はぁ。こんな基本問題も解けないの?」
私は溜息をつきつつ、心の中ではガッツポーズしていた。
チャンスだ。
ここで圧倒的な知性の差を見せつけつつ、的確な指導を行うことで、彼に「私がいなければ成長できない」という刷り込みを行うことができる。
「貸して。……いい? ここの導関数はね……」
私は身を乗り出す。
彼との距離が縮まる。
彼の制服から、微かに洗剤の匂いがした。
あの日、雨の中で嗅いだ匂いとは違う、生活感のある温かい匂い。
少しドキリとする。
やめなさい九条玲奈。これは業務よ。
「樹くーん! ここいたんだ!」
その甘ったるい声が、私の集中力を粉砕した。
朝比奈美優だ。
彼女は私の存在など見えていないかのように、相良の隣(私の反対側)の椅子に座り込んだ。
「勉強? 私も混ぜてよー。樹くん、数学苦手だもんね。私が教えてあげる!」
美優が相良の腕に密着する。
豊満な胸が彼の二の腕に当たっている。
相良が顔を赤くして身を縮める。
(……痴女か)
品性の欠片もない。
教育的指導が必要ね。
「あら朝比奈さん。あなたの前回の数学の偏差値、52だったわよね? 人に教えられるレベルなのかしら?」
私は冷ややかに指摘する。
もちろん全生徒の成績データは暗記済みだ。
「うっ……。で、でも! 樹くんの教え方は私が一番わかってるし!」
美優が反論する。
「樹くんはね、計算式とかより直感で教えたほうが伸びるタイプなの! 九条さんみたいに理屈っぽくチクチク言っても逆効果なんだから!」
「理屈? 数学は論理(ロジック)よ。感覚で解こうとするからいつまで経っても応用が利かないの」
「樹くんには私がついてるからいいの!」
バチバチという音が聞こえそうだ。
相良は完全に萎縮している。
「あ、あの……二人とも……静かに……図書室だし……」
「どっちがいいの、樹くん!?」
「どっちが有益か、考えるまでもないわよね?」
私と美優が同時に彼を見る。
彼は冷や汗をダラダラ流しながら、視線を泳がせた。
「……えっと、今日は自分で頑張るわ!」
彼は参考書を抱えて逃げ出した。
賢明な判断だ。もしどちらかを選んでいたら、選ばれなかった方が図書室を焦土に変えていただろうから。
残された私と美優。
重苦しい沈黙。
「……九条さんってさ」
美優が低い声で言った。さっきまでの猫なで声が嘘のようだ。
「樹くんのこと、オモチャにしてるでしょ?」
ドキリとした。
オモチャ? 違う。作品だ。
でも、本質的には同じことか?
「……何が言いたいの?」
「見てればわかるよ。樹くんを試したり、挑発したり。……そういうの、ムカつくんだよね」
美優の瞳が黒く濁る。
「樹くんは私のものよ。ずっと昔から。ポッと出のあんたなんかに渡さない」
「あなたのもの?」
私は鼻で笑う。
「彼はモノじゃないわ。それに、あなたが何年彼を見てきたか知らないけど……彼の可能性を引き出せていない時点で、あなたの『所有権』なんて無効よ」
私は席を立った。
これ以上話しても時間の無駄だ。
でも、背中越しに美優の呟きが聞こえた。
「……後悔するよ、絶対」
その言葉は、呪いのように私の耳にこびりついた。
図書室を出て、トイレに駆け込む。
個室に入り、鍵をかける。
手が震えていた。
恐怖? いや、違う。これは興奮だ。
面白い。
私のシナリオに、明確な「悪役(ヴィラン)」が登場した。
朝比奈美優。彼女を叩き潰すことが、相良樹の成長にも繋がる。
私は鏡の中の自分に向かって笑いかけた。
ひきつった、醜い笑顔だった。
(負けない。私は九条玲奈。勝利以外は許されない女なんだから)
胃がまた痛み出した。
この痛みだけが、私の生の実感だった。
(つづく)
学習強化週間に入り、放課後の図書室は生徒で溢れかえっていた。
私はいつもの席(一番奥の窓際、特等席)を確保し、優雅に英字新聞を読んでいた。
そこへ、相良がやってきた。
手には数学の参考書。顔には苦渋の色。
「……九条さん、ちょっといいか?」
彼が小声で話しかけてくる。珍しい。
自分から私に接近してくるなんて。
「何? 降参の報告なら受け付けるわよ」
「ちげーよ! ……その、ここ。この微分の応用問題がわかんねーんだよ」
彼がノートを差し出す。
赤ペンで何度もバツがつけられた跡。
「……はぁ。こんな基本問題も解けないの?」
私は溜息をつきつつ、心の中ではガッツポーズしていた。
チャンスだ。
ここで圧倒的な知性の差を見せつけつつ、的確な指導を行うことで、彼に「私がいなければ成長できない」という刷り込みを行うことができる。
「貸して。……いい? ここの導関数はね……」
私は身を乗り出す。
彼との距離が縮まる。
彼の制服から、微かに洗剤の匂いがした。
あの日、雨の中で嗅いだ匂いとは違う、生活感のある温かい匂い。
少しドキリとする。
やめなさい九条玲奈。これは業務よ。
「樹くーん! ここいたんだ!」
その甘ったるい声が、私の集中力を粉砕した。
朝比奈美優だ。
彼女は私の存在など見えていないかのように、相良の隣(私の反対側)の椅子に座り込んだ。
「勉強? 私も混ぜてよー。樹くん、数学苦手だもんね。私が教えてあげる!」
美優が相良の腕に密着する。
豊満な胸が彼の二の腕に当たっている。
相良が顔を赤くして身を縮める。
(……痴女か)
品性の欠片もない。
教育的指導が必要ね。
「あら朝比奈さん。あなたの前回の数学の偏差値、52だったわよね? 人に教えられるレベルなのかしら?」
私は冷ややかに指摘する。
もちろん全生徒の成績データは暗記済みだ。
「うっ……。で、でも! 樹くんの教え方は私が一番わかってるし!」
美優が反論する。
「樹くんはね、計算式とかより直感で教えたほうが伸びるタイプなの! 九条さんみたいに理屈っぽくチクチク言っても逆効果なんだから!」
「理屈? 数学は論理(ロジック)よ。感覚で解こうとするからいつまで経っても応用が利かないの」
「樹くんには私がついてるからいいの!」
バチバチという音が聞こえそうだ。
相良は完全に萎縮している。
「あ、あの……二人とも……静かに……図書室だし……」
「どっちがいいの、樹くん!?」
「どっちが有益か、考えるまでもないわよね?」
私と美優が同時に彼を見る。
彼は冷や汗をダラダラ流しながら、視線を泳がせた。
「……えっと、今日は自分で頑張るわ!」
彼は参考書を抱えて逃げ出した。
賢明な判断だ。もしどちらかを選んでいたら、選ばれなかった方が図書室を焦土に変えていただろうから。
残された私と美優。
重苦しい沈黙。
「……九条さんってさ」
美優が低い声で言った。さっきまでの猫なで声が嘘のようだ。
「樹くんのこと、オモチャにしてるでしょ?」
ドキリとした。
オモチャ? 違う。作品だ。
でも、本質的には同じことか?
「……何が言いたいの?」
「見てればわかるよ。樹くんを試したり、挑発したり。……そういうの、ムカつくんだよね」
美優の瞳が黒く濁る。
「樹くんは私のものよ。ずっと昔から。ポッと出のあんたなんかに渡さない」
「あなたのもの?」
私は鼻で笑う。
「彼はモノじゃないわ。それに、あなたが何年彼を見てきたか知らないけど……彼の可能性を引き出せていない時点で、あなたの『所有権』なんて無効よ」
私は席を立った。
これ以上話しても時間の無駄だ。
でも、背中越しに美優の呟きが聞こえた。
「……後悔するよ、絶対」
その言葉は、呪いのように私の耳にこびりついた。
図書室を出て、トイレに駆け込む。
個室に入り、鍵をかける。
手が震えていた。
恐怖? いや、違う。これは興奮だ。
面白い。
私のシナリオに、明確な「悪役(ヴィラン)」が登場した。
朝比奈美優。彼女を叩き潰すことが、相良樹の成長にも繋がる。
私は鏡の中の自分に向かって笑いかけた。
ひきつった、醜い笑顔だった。
(負けない。私は九条玲奈。勝利以外は許されない女なんだから)
胃がまた痛み出した。
この痛みだけが、私の生の実感だった。
(つづく)
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