隣の席の予約

月下花音

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第2話:イルミ無言隣立ち

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「うわ、すっげ。マジきれいじゃん」
「こっちこっち! 写真撮ろ!」

 バスを降りた瞬間、冷気と一緒に周囲の嬌声が押し寄せてきた。
 イルミネーション会場である広大な公園は、無数のLEDライトで青一色に染まっていた。
 まるで深海みたいだ、と思った。
 息苦しくて、冷たくて、出口がない場所。

 クラスメイトたちは、蜘蛛の子を散らすようにグループに分かれて散っていく。
 女子グループ、男子グループ、そして抜け駆けしたカップルたち。
 私は、その喧騒から一歩引いた場所で、マフラーに顔を埋めていた。

「……寒いな」

 当然のように、横から声がした。
 加藤だ。
 彼もまた、誰ともつるまず、当たり前のように私の隣に立っていた。

「……マフラー、巻き直せば」
「いや、これ短くてさ。うまく負けないんだよ」

 加藤は安っぽいチェック柄のマフラーを、不器用に首に巻き付けている。
 毛玉だらけだ。
 去年の冬も、同じものを着けていた気がする。
 生活感の塊みたいなその布切れから、微かに洗剤の匂いが漂ってくる。実家の母親が洗ったような、安らぐけれど、どこか所帯じみた匂い。

 私たちは無言で歩き出した。
 「一緒に行こう」なんて言葉は一言もない。
 ただ、彼が歩き出したから私も歩く。私が止まれば彼も止まる。
 それだけの関係。
 磁石みたいで気持ち悪い。

 光のトンネルの中は、人で溢れかえっていた。
 楽しそうな恋人たちが、互いの体温を分け合うように密着している。
 私たちは、微妙な距離を保ったまま並んで歩く。
 手は繋がない。
 肩も、ここではぶつからないように気をつけている。
 それが余計に意識しているみたいで、胃がキリキリする。

「あ、加藤くんじゃん!」

 不意に、前方から黄色い声が飛んできた。
 クラスの派手な女子グループだ。
 反射的に、私の体が強張る。

「うっす」
「えー、何してんの? 一人?」
「いや、まあ」

 加藤が曖昧に笑って、言葉を濁す。
 私の存在は?
 私のことは言わないの?
 まあ、言われたら言われたで「何それ、付き合ってんの?」と面倒なことになるのは目に見えているけれど。

 でも、無視されるのは腹が立つ。
 透明人間扱いかよ。

「ねえねえ、ちょっと写真撮ってよー」
「え、俺? 下手だよ?」
「いーからいーから!」

 女子たちが加藤の腕を引く。
 加藤は「マジかよ」と苦笑いしながらも、まんざらでもなさそうだ。
 鼻の下が伸びている。
 キモい。
 普段、私の前では鼻炎でズルズル言わせてるくせに、こういう時だけ格好つけるな。

 彼が女子たちにスマホを向けられ、数歩離れていく。
 その背中を見ていると、急に足元の地面が揺らぐような感覚に襲われた。
 光の海の中で、私だけが黒い染みになったみたいだ。

 このまま、彼があっちのグループに取り込まれてしまったら。
 私は一人ぼっちになる。
 いや、一人は平気だ。慣れている。
 怖いのは、彼が「私がいなくても平気」だと気づいてしまうことだ。

 気づくな。
 お前は私の隣にいないと、何もできない凡人でいろ。

 撮影が終わったらしい。
 キャーキャーとお礼を言われて、加藤がデレデレしながら戻ってくる。

「……わり。お待たせ」

 私の方を見て、彼はいつもの気の抜けた顔に戻った。
 その瞬間、安堵よりも先に、どす黒い怒りが湧き上がった。

「……何」
「え?」
「ニヤニヤしてんじゃねーよ。キモい」

 小声で吐き捨てると、加藤はキョトンとした。

「怒ってんの?」
「別に」

 私はプイと顔を背けて、歩幅を広げた。
 早足で進む。
 人混みを縫うように、彼を置いていくように。
 どうせついてくる。
 私の後ろを、金魚のフンみたいに。

 案の定、すぐに背後から足音が聞こえた。
 でも、追い越そうとはしない。
 ただ、一定の距離を保ってついてくる。

 その距離感が、また癇に障る。
 もっと強引に来いよ。腕くらい掴めよ。
 いや、掴まれたら殴るけど。

 広場に出た。
 巨大なクリスマスツリーが鎮座していて、周りは撮影待ちの列ができている。
 私はベンチの端、暗がりになっている場所に立った。
 加藤も隣に来て、立つ。

 会話はない。
 ただ、白い息だけが二つ、並んで空に消えていく。
 ズズッ、と彼が鼻をすする音が静寂を破る。奥に詰まった鼻水がのどに落ちるような、粘着質な音。ロマンチックな空気が一瞬で死んだ。

 寒い。
 足先が冷えて感覚がない。
 加藤がポケットから手を出して、またマフラーをいじっている。
 その手が、赤く悴んでいるのが見えた。

 ……触りたい。
 その冷たそうな手を握って、「バカじゃないの」と罵りながら、自分のポケットに入れてしまいたい。
 そんな衝動が走って、私は自分の太ももをつねった。
 痛い。
 正気に戻れ。

 でも、体はいうことを聞かなかった。
 私は無言のまま、右手を伸ばした。
 手は握れない。
 チキンだから。

 代わりに、彼のダッフルコートの袖口を、親指と人差指だけで摘んだ。
 ほんの数ミリ。
 誰にも気づかれない程度の、小さな接触。

「……ん?」

 加藤が気づいて、私を見る。
 私はツリーを見上げたまま、動かない。
 目は合わせない。
 ただ、指先に力を込めて、その粗いウールの感触を確かめる。

 逃がさない。
 お前はここで、私と二人で凍えてろ。

「……なんか、食う?」

 加藤が空気を読まないことを言った。
 私は袖を掴んだまま、小さく首を横に振った。

「じゃあ、このままいるか」
「……ん」

 彼は私の手を振り払わなかった。
 受け入れたのか、それとも単に気にしていないのか。
 どちらでもいい。
 今、彼がここに固定されているという事実があれば。

 風が吹いて、ツリーの飾りが揺れた。
 キラキラと目障りな光が、私の網膜を焼く。
 
 隣にいる加藤から、またあの匂いがした。
 生活臭と、汗と、冬の空気が混ざった匂い。
 思わず深呼吸したくなる自分が、どうしようもなく惨めで、愛おしかった。

 こんな袖掴みだけで独占した気になっている私。
 限界すぎる。
 でも、離せない。

(第2話 終わり)
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