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第3話:バス帰り密着
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帰りのバスは、行きの倍以上の静けさに包まれていた。
はしゃぎ疲れた生徒たちは、泥のように眠っている。
車内の照明は消され、琥珀色のフットライトだけがぼんやりと通路を照らしていた。
私はまた窓際。
加藤は通路側。
行きの時と同じ配置。
でも、空気の重さが違う。
暖房が効きすぎているせいだ。
空気が乾燥して、喉が張り付く。
加藤はさっきから、時々小さく身じろぎしている。
座り心地が悪いのか、それとも私が窓の方に詰めすぎて狭いのか。
「……寝ねえの?」
小声で加藤が聞いてきた。
暗闇の中で、彼の目が白く光って見える。
「寝る」
「そ。俺も」
そっけない会話。
加藤は腕組みをして、座席の背もたれに深く体を預けた。
すぐに、規則正しい寝息が聞こえ始めた。
早っ。
こいつの神経、どうなってんの。
隣に女子がいるのに、こんな無防備に寝られる神経が信じられない。
私は窓ガラスに頭を預けてみた。
ゴツゴツして痛い。
バスが揺れるたびに、頭蓋骨に振動が響く。
冷たいし、硬い。
居心地最悪だ。
ふと、視線を右に向ける。
加藤の頭が、カクン、カクンと揺れている。
今にも通路側に倒れそうだ。
口が半開きになっている。
アホ面だ。
スマホの画面の光で見た時の無精髭が、また気になる。
……触りたい。
あのジョリジョリした感触を、指先で確かめたい。
いや、何なら、頬をひっぱたいて起こしたい。
「私を置いて寝るな」って。
でも、私は何もしない。
ただ、少しずつ、ミリ単位で、自分の体の重心を右にずらしていく。
バスが大きく左にカーブした。
その遠心力を利用して、私は自然を装い、倒れた。
コトン。
私の頭が、加藤の左肩に乗る。
硬い。
思ったより骨ばっている。
でも、窓ガラスとは違う。
温かい。
制服の生地越しに、筋肉の弾力と、確かな体温が伝わってくる。
じっとりと汗ばんだ彼のシャツが、私のブラウスに張り付く感覚。生乾きの洗濯物みたいな、雑巾みたいな湿気が、私の左肩を侵食していく。
加藤は起きなかった。
驚いて身を引くことも、嫌がって払いのけることもない。
ただの「物」として、私を受け止めている。
その事実が、たまらなく惨めで、同時に震えるほど嬉しかった。
彼の肩の匂いを吸い込む。
バスの埃っぽいシートの匂いに混ざって、微かに制汗スプレーの残骸と、汗の匂いがする。
これだ。
この匂いが、私にとっての精神安定剤(ドラッグ)だ。
肺の奥まで満たされると、ザワザワしていた神経が嘘みたいに静まっていく。
私は安心しきって、本当に目を閉じた。
もし今、彼が目を覚まして「重い」と言ったら。
私は冗談めかして「ごめん、寝てた」と誤魔化すだろう。
いつものように、可愛くない態度で。
でも、もし彼が、私の頭を撫でたりしたら。
……ないな。
加藤に限って、そんな少女漫画みたいな展開はない。
こいつはただの鈍感な「家具」だ。
私のための、暖房機能付き抱き枕。
バスがまた揺れた。
私の頭が少し滑る。
すると、無意識なのか、加藤の頭が私の方に傾いてきた。
彼の頭が、私の頭の上にコツンと乗る。
重い。
男の頭って、こんなに重いんだ。
漬物石みたいだ。
首が痛い。
でも、私は微動だにできなかった。
この重みこそが、彼がここにいる証明だから。
私たちが今、パズルのピースみたいに、互いの隙間を埋め合っている証明だから。
肩でしか寄りかかれない。
言葉で「好き」とも言えないし、「こっち見て」とも言えない。
ただ、寝たふりをして、体温を盗むことしかできない。
私は静かな寄生虫だ。
宿主(かれ)が気づかないうちに、養分(たいおん)を吸い取って生きている。
……一生、このバスが目的地に着かなければいいのに。
そうすれば、私はずっと「寝ているふり」を続けていられる。
この不潔で、鈍感で、愛おしい肩を、独り占めしていられる。
目を開けると、前の座席の隙間から、フットライトの光が見えた。
その光が滲んで見えるのは、コンタクトが乾いているせいだ。
絶対に、泣いているわけじゃない。
(第3話 終わり)
はしゃぎ疲れた生徒たちは、泥のように眠っている。
車内の照明は消され、琥珀色のフットライトだけがぼんやりと通路を照らしていた。
私はまた窓際。
加藤は通路側。
行きの時と同じ配置。
でも、空気の重さが違う。
暖房が効きすぎているせいだ。
空気が乾燥して、喉が張り付く。
加藤はさっきから、時々小さく身じろぎしている。
座り心地が悪いのか、それとも私が窓の方に詰めすぎて狭いのか。
「……寝ねえの?」
小声で加藤が聞いてきた。
暗闇の中で、彼の目が白く光って見える。
「寝る」
「そ。俺も」
そっけない会話。
加藤は腕組みをして、座席の背もたれに深く体を預けた。
すぐに、規則正しい寝息が聞こえ始めた。
早っ。
こいつの神経、どうなってんの。
隣に女子がいるのに、こんな無防備に寝られる神経が信じられない。
私は窓ガラスに頭を預けてみた。
ゴツゴツして痛い。
バスが揺れるたびに、頭蓋骨に振動が響く。
冷たいし、硬い。
居心地最悪だ。
ふと、視線を右に向ける。
加藤の頭が、カクン、カクンと揺れている。
今にも通路側に倒れそうだ。
口が半開きになっている。
アホ面だ。
スマホの画面の光で見た時の無精髭が、また気になる。
……触りたい。
あのジョリジョリした感触を、指先で確かめたい。
いや、何なら、頬をひっぱたいて起こしたい。
「私を置いて寝るな」って。
でも、私は何もしない。
ただ、少しずつ、ミリ単位で、自分の体の重心を右にずらしていく。
バスが大きく左にカーブした。
その遠心力を利用して、私は自然を装い、倒れた。
コトン。
私の頭が、加藤の左肩に乗る。
硬い。
思ったより骨ばっている。
でも、窓ガラスとは違う。
温かい。
制服の生地越しに、筋肉の弾力と、確かな体温が伝わってくる。
じっとりと汗ばんだ彼のシャツが、私のブラウスに張り付く感覚。生乾きの洗濯物みたいな、雑巾みたいな湿気が、私の左肩を侵食していく。
加藤は起きなかった。
驚いて身を引くことも、嫌がって払いのけることもない。
ただの「物」として、私を受け止めている。
その事実が、たまらなく惨めで、同時に震えるほど嬉しかった。
彼の肩の匂いを吸い込む。
バスの埃っぽいシートの匂いに混ざって、微かに制汗スプレーの残骸と、汗の匂いがする。
これだ。
この匂いが、私にとっての精神安定剤(ドラッグ)だ。
肺の奥まで満たされると、ザワザワしていた神経が嘘みたいに静まっていく。
私は安心しきって、本当に目を閉じた。
もし今、彼が目を覚まして「重い」と言ったら。
私は冗談めかして「ごめん、寝てた」と誤魔化すだろう。
いつものように、可愛くない態度で。
でも、もし彼が、私の頭を撫でたりしたら。
……ないな。
加藤に限って、そんな少女漫画みたいな展開はない。
こいつはただの鈍感な「家具」だ。
私のための、暖房機能付き抱き枕。
バスがまた揺れた。
私の頭が少し滑る。
すると、無意識なのか、加藤の頭が私の方に傾いてきた。
彼の頭が、私の頭の上にコツンと乗る。
重い。
男の頭って、こんなに重いんだ。
漬物石みたいだ。
首が痛い。
でも、私は微動だにできなかった。
この重みこそが、彼がここにいる証明だから。
私たちが今、パズルのピースみたいに、互いの隙間を埋め合っている証明だから。
肩でしか寄りかかれない。
言葉で「好き」とも言えないし、「こっち見て」とも言えない。
ただ、寝たふりをして、体温を盗むことしかできない。
私は静かな寄生虫だ。
宿主(かれ)が気づかないうちに、養分(たいおん)を吸い取って生きている。
……一生、このバスが目的地に着かなければいいのに。
そうすれば、私はずっと「寝ているふり」を続けていられる。
この不潔で、鈍感で、愛おしい肩を、独り占めしていられる。
目を開けると、前の座席の隙間から、フットライトの光が見えた。
その光が滲んで見えるのは、コンタクトが乾いているせいだ。
絶対に、泣いているわけじゃない。
(第3話 終わり)
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