いきなり最終回から始まるラブコメ

月下花音

文字の大きさ
8 / 15

第8話 空白の14日間

しおりを挟む
 違和感の正体が少しずつ見えてきた。
 栞の語る「理想の過去」と、俺の証拠が示す「残念な現実」。
 そのズレが、俺の記憶喪失のトリガーなんじゃないか?
 そう思い始めた矢先だった。

 俺は放課後、一人で心療内科を訪れた。
 自分がなぜ記憶を失ったのか、医学的な見地から知りたかったからだ。
 受付で保険証を出し、問診票に記入する。
 診察室に呼ばれる。

「……解離性健忘、の可能性が高いですね」
 初老の医師は、淡々と言った。
「強いストレスや、精神的な葛藤から逃れるために、脳が一時的に記憶をシャットダウンすることがあります」

「ストレス……ですか?」
「ええ。例えば、理想の自分を演じ続けることに疲れたり、現実とのギャップに耐えられなくなったり……心当たりはありませんか?」

 ありすぎる。
 俺はこの一ヶ月、栞という「高嶺の花」の彼氏として、必死に背伸びをし続けてきた。
 身長を盛り、味覚を偽り、カッコつけて失敗し、怪我を隠し……。
 その蓄積(ストレス)が、俺の脳のキャパシティを超えた。
 
 パンクしたんだ。
 「理想の彼氏」という重圧に潰されて。

「……なるほど。腑に落ちました」
 俺は乾いた笑い声を漏らした。
 ダサい。ダサすぎる。
 彼女を守れなかったショックとか、悲劇的な事故とかじゃない。
 ただの「彼氏失格」の自己防衛本能だなんて。

 病院を出て、カレンダーを見る。
 今日は九月一日。
 俺の記憶が戻っているのは、今日の「屋上」のシーンからだ。
 そして、記憶がないのは八月後半から今日までの約二週間。
 いや、正確には「付き合い始めてからの一ヶ月すべて」が曖昧だが、特にこの「最後の14日間」は、栞の話にも出てきていない。

 栞の話は、第10話(不良事件・八月中旬)までで止まっている。
 第11話と、第12話。
 そして、今日の「最終回」に至るまでの空白。
 
 この14日間に、何があった?
 俺が記憶を消したくなるほどの「決定的な何か」が。

 俺はスマホを取り出し、栞に電話をかけた。
 プルルル、という呼び出し音が長く感じる。

「……もしもし、夏月くん?」
 栞の声。少し驚いているようだ。
「雪野さん。……今から会えないか?」
「えっ、今から? もう遅いよ?」
「大事な話があるんだ。……俺たちの『第11話』の話を」

 電話の向こうで、息を呑む気配がした。
 沈黙。
 そして、消え入りそうな声で返事があった。

「……わかった。いつもの屋上で」

 ✎ܚ

 夜の屋上。
 街の明かりが遠くに見える。
 栞はフェンスに寄りかかって待っていた。
 いつもの笑顔はない。
 どこか覚悟を決めたような、張り詰めた表情だった。

「ごめんね、呼び出して」
「ううん。……いつか、聞かれると思ってた」
 栞は力なく笑う。

「俺、病院に行ってきたよ。診断名は『解離性健忘』。ストレスで記憶が飛んだらしい」
「ストレス……」
「ああ。『理想の彼氏』を演じるのに疲れて、逃げ出したんだ。俺は」

 俺は自嘲する。
「情けないよな。雪野さんは俺のこと、あんなに素敵に語ってくれてるのに。現実は、嘘と見栄で塗り固められたハリボテだったんだ」

「そんなことない!」
 栞が叫ぶ。
「夏月くんは頑張ってた! 私のために、無理してでもカッコよくあろうとしてくれてた! それが嬉しかったの!」

「でも、それは『本当の俺』じゃないだろ!」
 俺も声を荒げる。
「俺は、お前が思うようなヒーローじゃない。卵焼きは甘いよりしょっぱいのが好きだし、ジェットコースターは怖いし、不良には勝てないし、……お前に釣り合うような男じゃないんだよ!」

 言ってしまった。
 ずっと胸につかえていた本音。
 これを言えば、俺たちの関係は終わるかもしれない。
 「理想」が崩れれば、恋も冷めるかもしれない。
 でも、もう嘘のまま進むのは限界だった。

 栞は静かに涙を流していた。
 そして、震える声で言った。

「……知ってるよ」
「え?」
「知ってたよ。夏月くんが無理してること。卵焼きもしょっぱいのが好きなこと……全部、知ってた」

 俺は呆然とした。
 知っていた?
 じゃあ、なんで? なんであんな「理想の物語」を語り聞かせたんだ?

「……どうして」
「怖かったから」
 ポツリと、彼女が呟く。
「夏月くんが『自分がダメだ』って思い詰めて、私の前から消えちゃうのが怖かったから。だから、夏月くんが自信を持てるように、私たちの思い出を『成功した物語』に書き換えたの。……そうすれば、夏月くんも自分のことを好きになってくれると思ったから」

 それは、あまりにも不器用で、歪んだ愛だった。
 俺のために嘘をつき、俺のために事実を捻じ曲げ。
 結果として、それが俺を追い詰め、記憶喪失にまで追い込んでしまった。

「……バカだな、お互いに」
 俺は空を見上げた。
 星が見えない。東京の空は明るすぎる。

 文化祭。
 井上が言っていた「大事件」。
 そして、この空白の14日間。
 そこに、俺たちが決裂し、そして記憶を失うに至った「真相」があるはずだ。

「雪野さん。教えてくれ」
 俺は彼女に向き直った。
「文化祭で、何があった? 第11話と第12話。……『本当の物語』を聞かせてくれ」

 栞は涙を拭い、深く息を吸い込んだ。
 
「……うん。話すね。美化しない、ありのままの私たちの話を」

 こうして、リプレイモードは終了した。
 ここからは、修正の効かない、生々しいドキュメンタリーが始まる。

(つづく)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日7時•19時に更新予定です。

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

処理中です...