【短編集】バレンタイン・ノワール ~ハッピーエンドは売り切れました~

月下花音

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第1章:大人の苦味(働く女性のリアル)

#3:チョコレートは溶けても、想いは残る Ep.01

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 デパ地下の特設会場は、甘い匂いよりも、女たちの殺気と香水の匂いで充満していた。
 酸素が薄い。
 これ、絶対に換気システムが追いついてない。
 マスクの下で「ふぅ」と息を吐くと、自分のミントガムの匂いが跳ね返ってきて少し気持ち悪くなった。

「こちら、今年の新作でーす! ご試食いかがですかー!」

 金切り声みたいな売り子の声が、三半規管にガンガン響く。
 私は人混みの中、誰かのカバンが脇腹に当たった痛みを無視して、ショーケースの前に張り付いていた。
 隣にいる女子高生二人組が「これヤバくない?」「えー、高っ! マジ無理」とかキャッキャ言ってるのが鼓膜に障る。
 若いっていいですね。
「マジ無理」で済ませられる財布事情も、悩みも、全部が軽量級で。

「これ、ください」

 指差したのは、4粒で3800円のボンボンショコラ。
 牛丼何杯分だよ、と脳内の私が冷静にツッコむけど、財布を開く手は止まらない。
 たかだか砂糖とカカオの塊に、私の残業代が溶けていく。
 3800円あれば、スーパーでいい肉が買える。
 マッサージだって60分行ける。
 それなのに、なんで私はこんな小さな箱にお金を払っているんだろう。

 バレンタインなんて、滅びればいいのに。

 毎年そう思う。
 思うくせに、こうして戦場に立っている自分が一番気持ち悪い。
 私、32歳。
 彼への片想い歴、10年。
 干支が一周しちゃったよ。馬鹿じゃないの。
 小学校に入学した子が、高校生になるまでの時間だよ?
 その間、私は何をしてた?
 何もしてない。ただ、彼を好きでいて、勝手に傷ついていただけ。

 相手は大学時代のサークルOBで、今は商社に勤める先輩。
 まあ、いわゆる「腐れ縁」だ。
 年に数回飲みに行って、私の愚痴を聞いてくれて、頭をポンポンとして帰っていく。
 それだけの関係。
 それだけの関係に、私は10年も縋り付いている。

「お会計、3800円になります」

 レシートを受け取りながら、ポケットの中でスマホが震えた。
 脊髄反射で画面を見る自分が惨めだ。
 通知を見るまでの0.5秒、心拍数が跳ね上がる。
 どうせメルマガか、母からの「元気?」みたいなLINEだろうと思っているのに。

『明日だけど、19時にいつもの店でいいか?』

 先輩からのLINE。
 たった一行。スタンプもなし。
 それなのに、胃のあたりがキュッとなる。
 脈拍が120くらいまで一気に上がる。
 手汗がすごい。
 スマホを落としそうになる。

「……はあ」

 深いため息が出た。
 周りの幸せそうなキラキラ女子たちとは違う、澱んだ二酸化炭素みたいな息。

 明日は2月14日。
 先輩から誘ってくれた。
 これは、期待してもいいんだろうか。
 普通、バレンタイン当日に異性を誘うってことは、そういうことだよね?
 いや、ダメだ。落ち着け。
 期待は裏切られるためにある。過去9回がそうだった。
 去年は「暇なら飲む?」だったし、一昨年は「チケット余ったから映画行かない?」だった。
 色気も何もない。

『了解です。楽しみにしてます』

 無難な返信を打つ指が震えている。
「楽しみにしてます」なんて、可愛げのある言葉、本当は使いたくない。
「別に暇だから行くだけだし」みたいな顔をしたい。
 でも、できない。
 だって、声が聞けるだけで嬉しいんだもん。
 会えるだけで、明日着ていく服を考えるだけで、世界が少しだけピンク色に見えるんだもん。
 最悪だ、このメンタル。
 30過ぎて、中学生みたいな恋愛してる自分が痛々しい。

 買ってきたばかりの高級チョコの紙袋を、満員電車の網棚に置く。
 揺れるたびに、赤いリボンが揺れる。
 まるで、私の不安定な心臓みたいに。
 隣のおじさんの整髪料の匂いがキツくて、また胃がムカムカしてきた。

 電車の窓に映った私は、疲れ切った顔をしていた。
 目の下のクマ、コンシーラーで隠しきれてない。
 法令線も、夕方の蛍光灯の下だと目立つなあ。
 明日はパックしなきゃ。
 高いやつ、奮発して買っておけばよかった。
 服、何着て行こう。
 気合い入れすぎると引かれるし、手抜きだと思われるのも嫌だし。
 新しいリップ、今日のうちに買っておくべきだったかな。
 あー、美容院も行きたかった。プリンになってないかな。

 グルグルと思考が空回りする。
 明日の今頃、私は笑っているだろうか。
 それとも、この高いチョコを自分でヤケ食いして泣いているだろうか。

 確率で言えば、後者が90%。
 でも、残りの10%に人生を賭けてしまうのが、恋という名の精神疾患なのだ。
 電車が揺れて、私は少しよろけた。
 誰も支えてくれないから、自分でつり革を強く握りしめた。

(つづく)
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