【短編集】バレンタイン・ノワール ~ハッピーエンドは売り切れました~

月下花音

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第4章:特殊設定と変化球(スパイスを投入)

#12:二月十五日の私たちは Ep.02

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 26歳の誕生日に彼氏ができた。
 そんな浮かれ気分で出社した翌日、2月15日。
 私の心は晴れやかだった。
 パソコンのキーボードを叩く音も、いつもより軽快なリズムを刻んでいた気がする。
 隣の席の先輩に「なんか今日機嫌いい?」と聞かれて、「えーそうですかー?」なんてニヤけながら答えていた。

 しかし、その幸せはランチタイムにあっけなく崩壊した。

 社員食堂の隅の席。
 友人のマキが、カツカレーを前にして気まずそうな顔をしていた。
 いつもなら「ねー聞いてよー!」とマシンガントークが始まるのに、今日は無言でお茶をすすっている。

「ねえ、昨日涼介くんと付き合ったって本当?」
「うん! 告白したらOKもらえてさ」
 私は頬が緩むのを止められなかった。
「……そっか。おめでとう」

 マキの反応が鈍い。
 声のトーンが低い。
 お葬式みたいだ。
「キャー! やったじゃん! 抜け駆け!」とか言って叩いてくれるのを期待してたのに。

 彼女はスマホを取り出し、画面をスクロールさせた。
 言いづらそうに、でも見せなきゃいけないという使命感のような目で、画面を私に向けた。

「これ、今朝のスクショなんだけど」

 そこには、見慣れた顔があった。
 マッチングアプリの画面。
 涼介のプロフィール写真。
 キメ顔でワイングラスを持ってる、ちょっと痛いけどカッコいい写真。

 そして、名前の横には緑色の丸いランプ。
『オンライン』。

 血の気が引いた。
 食堂のザワザワした音が、遠のいていく。

「え……?」
「今日、私もアプリ見ててさ。涼介くん、まだ『いいね』送ってるみたいなんだよね」

 ログインしているだけじゃない。
 アクティブに活動している。
 昨日、私と付き合うことになったのに?
 2月14日の夜に契約成立したはずなのに?
 15日の朝にはもう、次の物件を探してるの?

「もしかして、消し忘れてるだけかな? 有料会員の期限残ってるとか……」
「だといいけど……プロフ文、『彼女募集中』のまま変わってないよ」

 胃の奥が冷たくなる。
 カツカレーの匂いが鼻について、吐き気がした。
 消し忘れ?
 いや、昨日の今日でログインしてる時点でアウトだろ。
 通知切るとか、アプリ消すとかするでしょ普通。
 それをしないってことは、「現在進行形で探している」ってことだ。

 私という彼女がいるのに、まだ市場で品定めをしている。
 私はなに?
「とりあえず確保した予備」?
「滑り止め」?
 本命が見つかるまでの「つなぎ」?

「……ありがとう、教えてくれて」
 声が震えた。
「どうする? 問い詰める?」
 マキが心配そうに聞いてくる。

 問い詰める?
「なんでアプリやってるの?」って?
 そしたら彼はなんて言うだろう。
「ごめん、忘れてた」と笑うか。
 それとも、「付き合うってみるって言ったけど、束縛するなら別れるわ」と逆ギレするか。
 もし後者だったら、私は即座に振られる。
 たった1日で、彼氏を失う。
「付き合って1日で振られた女」というレッテルが貼られる。

 それは嫌だ。
 プライドが許さない。
 せっかく手に入れた「彼氏」という称号を、手放したくなかった。
 たとえそれが、腐った称号だったとしても。

「……ううん、様子見る。たぶん、消し忘れてるだけだと思うし。涼介くん、そういうとこ抜けてるから」

 私は嘘をついた。
 マキにも、自分にも。
 涼介は抜けてる性格じゃない。仕事では細かいミスも許さない完璧主義者だ。
 意図的にやってるんだ。
 でも、それを認めたくなかった。

 真実を知るのが怖かった。
 私は冷めた味噌汁をすすった。
 味がしなかった。
 ただ、塩っぱい液体が食道を通っていくだけだった。

(つづく)
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