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第1話:告白されたら「ご愁傷様」と言われた
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「好きです。私と付き合ってください」
放課後の教室。
学園の至宝・朝霧澪(あさぎり・みお)は、この教室にいる全員の人生を狂わせるだけの完成度で、静かに頬を染めていた。
夕日を背負い、髪の一本一本が光の輪郭を帯びている。
誰もが羨む、映画のワンシーンのような告白。
俺──篠崎拓海は、掃除当番で最後まで残っていただけだった。
黒板を拭いていた手が止まる。
チョークの粉が舞い散る中、時が止まったような静寂。
普通なら、こんな状況で告白されたら舞い上がるはずだ。
朝霧澪といえば、この学園で知らない者はいない。
成績優秀、容姿端麗、性格も完璧。
まさに「高嶺の花」の代名詞のような存在。
だが、俺の耳に届いたのは、その甘い言葉の続き(ノイズ)だった。
「……よかった。昨日の夜、シャンプー変えたんだね。ミントのやつ。すごくいい匂い」
俺は息を呑んだ。
背筋に、氷柱を突き刺されたような悪寒が走る。
シャンプーを変えたのは、昨日の深夜だ。
コンビニで夜食を買いに行った帰り、ふと思い立って薬局に寄った。
いつものシャンプーが切れていたから、適当に手に取ったミント系のやつ。
レシートの時刻は午後11時47分。
家族以外、誰も知らないはずだ。
いや、家族だって知らない。
母親は既に寝ていたし、父親は出張中。
妹は自分の部屋にこもっていた。
ましてや、彼女とは今まで一度も話したことがない。
同じクラスになって半年、挨拶すらしたことがないのだ。
なぜ知っている?
どうやって知った?
俺の脳裏に、嫌な想像が浮かんだ。
まさか、俺の行動を……?
いや、そんなはずはない。
考えすぎだ。
きっと偶然だ。
だが、彼女の次の言葉が、その希望的観測を粉々に砕いた。
俺が硬直している間に、彼女は小首を傾げて微笑んだ。
その笑顔には、一点の曇りもない。
まるで天使のような、純粋で無垢な表情。
だが、その純粋さこそが恐ろしかった。
「あなたのことなら何でも知っているの」という、無邪気で、全能で、グロテスクな善意。
彼女にとって、これは愛の証明なのだろう。
相手のことを知り尽くすことが、愛だと信じている。
だが、俺にはそれが「監視」にしか見えなかった。
この笑顔を見て、俺は直感した。
これは「愛の告白」じゃない。
「捕獲宣言」だ。
教室の空気が、異常だった。
普通なら、S級美少女の告白を目撃したら、野次や冷やかし、あるいは嫉妬の悲鳴が上がるはずだ。
「うわー、篠崎の野郎!」
「朝霧さんに告白されるとか、どんな主人公補正だよ!」
「リア充爆発しろ!」
そんな声が聞こえてくるはずなのに、教室は静まり返っている。
まるで葬式のような、重苦しい沈黙。
やがて、誰かがポツリと漏らした。
「……あーあ」
それに続いて、さざ波のように小声が広がる。
「次は篠崎か」
「いい奴だったのにな」
「ドンマイ」
「南無阿弥陀仏……」
クラスメイトたちの視線にあるのは「羨望」ではない。
明らかな「同情」だ。
まるで、末期がんの宣告を受けた患者を見るような目。
彼らは知っているのだ。
この完璧な笑顔の裏にある、底なしの承認欲求(ブラックホール)を。
そして、その重力に捕らわれた者の末路を。
半年前、俺の前の席に座っていた佐藤のことを思い出した。
佐藤健太──サッカー部の次期キャプテン候補で、明るい人気者だった。
いつも笑顔で、誰とでも気さくに話す、典型的な「陽キャ」。
女子からの人気も高く、告白されることも珍しくなかった。
そんな彼が、朝霧澪と付き合い始めた当初、彼は世界で一番幸せそうだった。
「俺、朝霧さんと付き合うことになったんだ!」
休み時間のたびに、彼は嬉しそうに報告してくれた。
俺たちも「すげーじゃん!」と祝福した。
最初の一週間は、確かに幸せそうだった。
朝霧さんは完璧な彼女だった。
弁当を作ってくれる、部活の応援に来てくれる、勉強も教えてくれる。
まさに理想の恋人関係。
一ヶ月後、彼は部活を辞めた。『澪が待ってるから』と言って。
「サッカーより澪の方が大事なんだ」
そう言う彼の目は、既に少し虚ろだった。
二ヶ月後、彼は友人からの連絡をすべて無視するようになった。『澪以外はノイズだから』と言って。
「澪が言うんだ。友達と遊ぶ時間があるなら、もっと一緒にいたいって」
彼の声には、もう迷いがなかった。
まるで洗脳されたかのように。
そして三ヶ月後。
……いや、やめよう。
三ヶ月目に彼がどうなったか、その詳細を語りたがる奴はクラスに一人もいない。
ただ一つ言えるのは、彼はもうこの学校にはいないし、誰も彼の名前を出そうとしないということだ。
転校したという話もある。
精神的に参ってしまったという噂もある。
真相は誰も知らない。
いや、知りたがらない。
彼女は彼を振ったわけではない。
ただ、致死量の愛を与え続けただけだ。
「甘やかし」という名の猛毒で、彼の自我を溶かし、彼女なしでは生きられない軟体動物に変えてしまったのだ。
そして、彼が完全に「彼女の所有物」になった時、彼女は飽きた。
新しいおもちゃを探し始めた。
佐藤の前には、確か田中がいた。
田中の前には、山田がいた。
みんな、同じ道を辿った。
朝霧澪は、人を愛しているのではない。
人を「飼う」ことに快感を覚えているのだ。
「……あの、篠崎くん?」
返事がない俺を気遣って、彼女が一歩近づいてくる。
その一歩が、逃げ場のない檻への一歩に見えた。
ここで断ればどうなるか?
彼女は泣くだろう。「どうして? 私の何がいけないの?」と。
そうすれば、彼女の信者たちが黙っていない。
「朝霧さんを泣かせた男」として、俺の学校生活は終わる。
外堀も、内堀も、とっくに埋められている。
そういえば、原因は分かっている。
一週間前の「ハンカチ落とし」を、俺がスルーしたからだ。
あの日、彼女は俺の机の前でハンカチを落とした。
普通なら拾って渡すところだが、俺は気づかないふりをした。
なぜなら、それが「罠」だと直感したからだ。
案の定、別の男子が拾って渡した。
彼女は「ありがとう」と微笑んだが、その視線は俺に向けられていた。
『あなたは拾わなかったのね』
そんなメッセージが込められた視線。
あの時、俺は彼女の「想定」から外れた。
彼女の計算に、小さなエラーが生じた。
朝霧澪にとって、それは許せないことだったのだろう。
自分の魅力に反応しない男など、この世に存在してはいけない。
だから、俺を「修正」することにしたのだ。
彼女は何も思っていないはずだ。ただ、善意で動いているだけ。
『この子は私の愛を理解していない。だから教えてあげなくちゃ』
そんな、歪んだ使命感。
それが一番、厄介だった。
悪意があるなら対処のしようもある。
だが、善意の暴走ほど始末に負えないものはない。
俺が“想定外の反応をしない存在”だった。
それだけで、彼女の世界に小さなノイズが生まれた。
そのノイズを消したくなった──
たぶん、それだけの話だ。
「……分かった。よろしく、朝霧さん」
俺は震える声で、肯定の言葉を絞り出した。
断る権利なんて、最初からなかったのだ。
心の中で、俺は自分に言い聞かせた。
これは戦略的撤退だ。
時間を稼いで、彼女の弱点を見つける。
そして、この狂った状況から脱出する方法を探すのだ。
だが、その決意とは裏腹に、俺の声は震えていた。
「本当? 嬉しい! これからよろしくね、私の彼氏さん」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
だが、その瞳の奥が一瞬だけ、冷たい光を帯びたのを俺は見た。
まるで、新しい実験動物を手に入れた研究者のような目。
『捕獲完了。これより飼育フェーズへ移行します』
そんなログが見えるようだ。
彼女の手が、俺の頬に触れる。
その指先は驚くほど冷たかった。
「篠崎くん、顔が青いよ? 大丈夫?」
心配そうな表情を浮かべているが、その目だけは笑っていない。
俺の動揺を楽しんでいるのだ。
「じゃあ、これから一緒に帰れる? もっと篠崎くんのこと、知りたいな」
「ああ……いいよ」
「よかった! あ、篠崎くん、本屋寄りたいんでしょ? 新刊出てるもんね」
まただ。
俺はまだ何も言っていない。
彼女はもう、俺の生活パターンの全てを把握している。
「どうして知ってるんだ?」
思わず口に出してしまった。
彼女は首を傾げて、無邪気に微笑む。
「え? だって、篠崎くんはいつも火曜日に本屋に寄るでしょ? 今日は火曜日だもん」
確かに、俺は火曜日に本屋に寄ることが多い。
だが、それを知っているということは……
「もしかして、俺のこと……」
「見てるよ? ずっと」
彼女はあっけらかんと答えた。
まるで、それが当然のことのように。
背筋に冷たいものが走る。
これは愛ではない。
ストーキングだ。
背筋に冷たい汗が流れる。
彼女の華奢な手が、俺の腕に絡みつく。
その体温は温かいはずなのに、俺には冷たい手錠のように感じられた。
教室を出る時、俺は振り返った。
クラスメイトたちが、まるで葬式の参列者のような顔で俺を見送っている。
その中の一人──親友の田村が、小さく口を動かした。
『頑張れ』
そう言っているようだった。
だが、その目には諦めの色が浮かんでいる。
まるで、もう二度と会えない友人への別れの挨拶のように。
今日から、俺の「飼育」が始まる。
廊下を歩きながら、俺は心の中で誓った。
絶対に、佐藤たちと同じ道は辿らない。
必ず、この状況から抜け出してみせる。
だが、彼女の手の温もりが、じわじわと俺の腕に浸透してくる。
その温もりが、なぜか心地よく感じられるのが恐ろしかった。
これが、「飼育」の第一段階なのかもしれない。
相手を安心させ、警戒心を解く。
そして、気づいた時には逃げられなくなっている。
俺は唇を噛んだ。
絶対に、彼女の思い通りにはさせない。
(つづく)
放課後の教室。
学園の至宝・朝霧澪(あさぎり・みお)は、この教室にいる全員の人生を狂わせるだけの完成度で、静かに頬を染めていた。
夕日を背負い、髪の一本一本が光の輪郭を帯びている。
誰もが羨む、映画のワンシーンのような告白。
俺──篠崎拓海は、掃除当番で最後まで残っていただけだった。
黒板を拭いていた手が止まる。
チョークの粉が舞い散る中、時が止まったような静寂。
普通なら、こんな状況で告白されたら舞い上がるはずだ。
朝霧澪といえば、この学園で知らない者はいない。
成績優秀、容姿端麗、性格も完璧。
まさに「高嶺の花」の代名詞のような存在。
だが、俺の耳に届いたのは、その甘い言葉の続き(ノイズ)だった。
「……よかった。昨日の夜、シャンプー変えたんだね。ミントのやつ。すごくいい匂い」
俺は息を呑んだ。
背筋に、氷柱を突き刺されたような悪寒が走る。
シャンプーを変えたのは、昨日の深夜だ。
コンビニで夜食を買いに行った帰り、ふと思い立って薬局に寄った。
いつものシャンプーが切れていたから、適当に手に取ったミント系のやつ。
レシートの時刻は午後11時47分。
家族以外、誰も知らないはずだ。
いや、家族だって知らない。
母親は既に寝ていたし、父親は出張中。
妹は自分の部屋にこもっていた。
ましてや、彼女とは今まで一度も話したことがない。
同じクラスになって半年、挨拶すらしたことがないのだ。
なぜ知っている?
どうやって知った?
俺の脳裏に、嫌な想像が浮かんだ。
まさか、俺の行動を……?
いや、そんなはずはない。
考えすぎだ。
きっと偶然だ。
だが、彼女の次の言葉が、その希望的観測を粉々に砕いた。
俺が硬直している間に、彼女は小首を傾げて微笑んだ。
その笑顔には、一点の曇りもない。
まるで天使のような、純粋で無垢な表情。
だが、その純粋さこそが恐ろしかった。
「あなたのことなら何でも知っているの」という、無邪気で、全能で、グロテスクな善意。
彼女にとって、これは愛の証明なのだろう。
相手のことを知り尽くすことが、愛だと信じている。
だが、俺にはそれが「監視」にしか見えなかった。
この笑顔を見て、俺は直感した。
これは「愛の告白」じゃない。
「捕獲宣言」だ。
教室の空気が、異常だった。
普通なら、S級美少女の告白を目撃したら、野次や冷やかし、あるいは嫉妬の悲鳴が上がるはずだ。
「うわー、篠崎の野郎!」
「朝霧さんに告白されるとか、どんな主人公補正だよ!」
「リア充爆発しろ!」
そんな声が聞こえてくるはずなのに、教室は静まり返っている。
まるで葬式のような、重苦しい沈黙。
やがて、誰かがポツリと漏らした。
「……あーあ」
それに続いて、さざ波のように小声が広がる。
「次は篠崎か」
「いい奴だったのにな」
「ドンマイ」
「南無阿弥陀仏……」
クラスメイトたちの視線にあるのは「羨望」ではない。
明らかな「同情」だ。
まるで、末期がんの宣告を受けた患者を見るような目。
彼らは知っているのだ。
この完璧な笑顔の裏にある、底なしの承認欲求(ブラックホール)を。
そして、その重力に捕らわれた者の末路を。
半年前、俺の前の席に座っていた佐藤のことを思い出した。
佐藤健太──サッカー部の次期キャプテン候補で、明るい人気者だった。
いつも笑顔で、誰とでも気さくに話す、典型的な「陽キャ」。
女子からの人気も高く、告白されることも珍しくなかった。
そんな彼が、朝霧澪と付き合い始めた当初、彼は世界で一番幸せそうだった。
「俺、朝霧さんと付き合うことになったんだ!」
休み時間のたびに、彼は嬉しそうに報告してくれた。
俺たちも「すげーじゃん!」と祝福した。
最初の一週間は、確かに幸せそうだった。
朝霧さんは完璧な彼女だった。
弁当を作ってくれる、部活の応援に来てくれる、勉強も教えてくれる。
まさに理想の恋人関係。
一ヶ月後、彼は部活を辞めた。『澪が待ってるから』と言って。
「サッカーより澪の方が大事なんだ」
そう言う彼の目は、既に少し虚ろだった。
二ヶ月後、彼は友人からの連絡をすべて無視するようになった。『澪以外はノイズだから』と言って。
「澪が言うんだ。友達と遊ぶ時間があるなら、もっと一緒にいたいって」
彼の声には、もう迷いがなかった。
まるで洗脳されたかのように。
そして三ヶ月後。
……いや、やめよう。
三ヶ月目に彼がどうなったか、その詳細を語りたがる奴はクラスに一人もいない。
ただ一つ言えるのは、彼はもうこの学校にはいないし、誰も彼の名前を出そうとしないということだ。
転校したという話もある。
精神的に参ってしまったという噂もある。
真相は誰も知らない。
いや、知りたがらない。
彼女は彼を振ったわけではない。
ただ、致死量の愛を与え続けただけだ。
「甘やかし」という名の猛毒で、彼の自我を溶かし、彼女なしでは生きられない軟体動物に変えてしまったのだ。
そして、彼が完全に「彼女の所有物」になった時、彼女は飽きた。
新しいおもちゃを探し始めた。
佐藤の前には、確か田中がいた。
田中の前には、山田がいた。
みんな、同じ道を辿った。
朝霧澪は、人を愛しているのではない。
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「……あの、篠崎くん?」
返事がない俺を気遣って、彼女が一歩近づいてくる。
その一歩が、逃げ場のない檻への一歩に見えた。
ここで断ればどうなるか?
彼女は泣くだろう。「どうして? 私の何がいけないの?」と。
そうすれば、彼女の信者たちが黙っていない。
「朝霧さんを泣かせた男」として、俺の学校生活は終わる。
外堀も、内堀も、とっくに埋められている。
そういえば、原因は分かっている。
一週間前の「ハンカチ落とし」を、俺がスルーしたからだ。
あの日、彼女は俺の机の前でハンカチを落とした。
普通なら拾って渡すところだが、俺は気づかないふりをした。
なぜなら、それが「罠」だと直感したからだ。
案の定、別の男子が拾って渡した。
彼女は「ありがとう」と微笑んだが、その視線は俺に向けられていた。
『あなたは拾わなかったのね』
そんなメッセージが込められた視線。
あの時、俺は彼女の「想定」から外れた。
彼女の計算に、小さなエラーが生じた。
朝霧澪にとって、それは許せないことだったのだろう。
自分の魅力に反応しない男など、この世に存在してはいけない。
だから、俺を「修正」することにしたのだ。
彼女は何も思っていないはずだ。ただ、善意で動いているだけ。
『この子は私の愛を理解していない。だから教えてあげなくちゃ』
そんな、歪んだ使命感。
それが一番、厄介だった。
悪意があるなら対処のしようもある。
だが、善意の暴走ほど始末に負えないものはない。
俺が“想定外の反応をしない存在”だった。
それだけで、彼女の世界に小さなノイズが生まれた。
そのノイズを消したくなった──
たぶん、それだけの話だ。
「……分かった。よろしく、朝霧さん」
俺は震える声で、肯定の言葉を絞り出した。
断る権利なんて、最初からなかったのだ。
心の中で、俺は自分に言い聞かせた。
これは戦略的撤退だ。
時間を稼いで、彼女の弱点を見つける。
そして、この狂った状況から脱出する方法を探すのだ。
だが、その決意とは裏腹に、俺の声は震えていた。
「本当? 嬉しい! これからよろしくね、私の彼氏さん」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
だが、その瞳の奥が一瞬だけ、冷たい光を帯びたのを俺は見た。
まるで、新しい実験動物を手に入れた研究者のような目。
『捕獲完了。これより飼育フェーズへ移行します』
そんなログが見えるようだ。
彼女の手が、俺の頬に触れる。
その指先は驚くほど冷たかった。
「篠崎くん、顔が青いよ? 大丈夫?」
心配そうな表情を浮かべているが、その目だけは笑っていない。
俺の動揺を楽しんでいるのだ。
「じゃあ、これから一緒に帰れる? もっと篠崎くんのこと、知りたいな」
「ああ……いいよ」
「よかった! あ、篠崎くん、本屋寄りたいんでしょ? 新刊出てるもんね」
まただ。
俺はまだ何も言っていない。
彼女はもう、俺の生活パターンの全てを把握している。
「どうして知ってるんだ?」
思わず口に出してしまった。
彼女は首を傾げて、無邪気に微笑む。
「え? だって、篠崎くんはいつも火曜日に本屋に寄るでしょ? 今日は火曜日だもん」
確かに、俺は火曜日に本屋に寄ることが多い。
だが、それを知っているということは……
「もしかして、俺のこと……」
「見てるよ? ずっと」
彼女はあっけらかんと答えた。
まるで、それが当然のことのように。
背筋に冷たいものが走る。
これは愛ではない。
ストーキングだ。
背筋に冷たい汗が流れる。
彼女の華奢な手が、俺の腕に絡みつく。
その体温は温かいはずなのに、俺には冷たい手錠のように感じられた。
教室を出る時、俺は振り返った。
クラスメイトたちが、まるで葬式の参列者のような顔で俺を見送っている。
その中の一人──親友の田村が、小さく口を動かした。
『頑張れ』
そう言っているようだった。
だが、その目には諦めの色が浮かんでいる。
まるで、もう二度と会えない友人への別れの挨拶のように。
今日から、俺の「飼育」が始まる。
廊下を歩きながら、俺は心の中で誓った。
絶対に、佐藤たちと同じ道は辿らない。
必ず、この状況から抜け出してみせる。
だが、彼女の手の温もりが、じわじわと俺の腕に浸透してくる。
その温もりが、なぜか心地よく感じられるのが恐ろしかった。
これが、「飼育」の第一段階なのかもしれない。
相手を安心させ、警戒心を解く。
そして、気づいた時には逃げられなくなっている。
俺は唇を噛んだ。
絶対に、彼女の思い通りにはさせない。
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