2 / 5
第2話:完璧なデートと絶対に楽しんではいけない俺
しおりを挟む
日曜日の午前十時。
駅前の時計台広場は、これからデートに向かうカップルたちで溢れかえっていた。
その光景を少し離れた場所から眺めながら、俺は胃の奥に冷たい鉛が沈んでいくような感覚を覚えていた。
デート。
本来なら胸が躍る響きだが、今日の俺にとっては「地雷原の横断」と同義語だ。
「お待たせ、篠崎くん! ごめんね、待った?」
人混みを割って、その少女は現れた。
朝霧澪。
春の日差しを味方につけたかのような、眩しすぎる笑顔。
小走りで駆け寄ってくる彼女の姿に、周囲の男たちの視線が一斉に吸い寄せられるのが分かる。
俺は戦慄した。
彼女の服装を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
オフホワイトのゆるいニットに、膝上が少しだけ揺れるミントグリーンのフレアスカート。
足元はヒールの低いパンプスで、華奢な足首が強調されている。
髪はいつものストレートではなく、緩く巻いてハーフアップにし、パールのようなヘアピンで留めている。
完璧だ。
完璧すぎる。
なぜならその服装は、俺が中学二年生の時にドハマりし、クラスの誰にも理解されずにひっそりと布教していたマイナー深夜アニメ『星空のイリス』のヒロイン、イリス・ベルベットの第8話「休日デート回」の私服と、色使いからシルエットに至るまで完全に一致しているからだ。
偶然? あり得ない。
『星空のイリス』は視聴率低迷で1クール打ち切りになった伝説のクソアニメだ。今どき配信サイトにも残っていない。
俺はこの情報を現在のSNSには一切書いていない。黒歴史として封印したからだ。
唯一あるとすれば、実家の押し入れの奥底に眠っている古いスケッチブック(俺が描いた下手くそな模写)か、あるいは当時の数少ない友人(今はもう連絡を取っていないイマジナリーフレンドに近い存在)に送りつけた熱苦しいメールのログくらいだ。
彼女はそこまで掘ったのだ。
俺というモブを「攻略」するために、俺の過去という地層を掘削し、最も防御力の低い「中二病時代の性癖」という弱点を突き止めた。
そして、その「理想の具現化」を、初デートという勝負所にぶつけてきた。
その執念深さに、恐怖すら覚える。
「……ううん、俺も今来たとこ。すごく、似合ってるよ」
俺は笑顔で賛辞を贈る。
声が少し震えたかもしれないが、それは感動ではなく恐怖のせいだ。
これは「称賛」ではない。「確認」だ。
お前の仕掛けた罠には気付いていないふりをしてやる、という意思表示。
「本当? よかったぁ。篠崎くん、こういうパステルカラー好きかなって思って」
彼女は恥ずかしそうに頬を染めて、モジモジとニットの袖(萌え袖だ、完璧な萌え袖だ)を口元に当てる。
その仕草だけで、校内の男子なら三人くらい即死している破壊力だ。
破壊力が高すぎて、俺の脳内では彼女の背後に冷徹な作戦参謀が見え隠れしていた。
『ターゲットの瞳孔散大を確認。過去データ「イリス神(と俺は呼んでいた)」との照合完了。ドーパミン分泌を確認。依存フェーズへ移行します』
そんな無機質なシステムログが、彼女の笑顔の裏側で高速スクロールしている幻覚が見える。
「行こうか。映画、予約してあるんだろ?」
「うん! 篠崎くんが見たいって言ってた『銀河の果てのレクイエム』、一番いい席取れたの!」
俺たちは映画館へ向かった。
上映中の二時間。
俺はスクリーンではなく、隣の彼女を周辺視野で観察し続けていた。
ちなみにこの映画は、宇宙船の中でゾンビが発生し、最終的にヒロインが爆弾を抱えてゾンビごと自爆するという、B級以下のC級ホラー映画だ。
俺が見たかったのは「いかに酷いか」を確認するためだったのだが、彼女は「感動大作」だと思ってチケットを取ったらしい。
映画の内容は予想通り酷かった。
臓物が飛び散り、役者の演技は棒読みで、ラストシーンなんてヒロインが爆発しながら「愛してるわ!」と叫ぶカオスな展開だった。
だが、隣の彼女に目を向けると、信じられない光景があった。
ツーッ。
彼女の大きな瞳から、一粒の涙が頬を伝ったのだ。
タイミング、量、スクリーンからの反射光を拾う角度。
すべてが芸術的なまでに計算されていた。
ゾンビが爆散しているシーンで、彼女は「愛の別れ」に涙している可憐な少女を演じきっていた。
鼻水をすすることもなく、ヒックと過剰に嗚咽することもなく、ただ静かに、美しく泣く。
隣にいる男に「なんて感受性が豊かなんだ」「守ってあげたい」と思わせるためだけの、ダイヤモンドのような涙。
たとえスクリーンの中でゾンビの内臓が飛び散っていても、俺の目には彼女の涙しか入らないように計算されている。
俺がハンカチを差し出すと、彼女は濡れた瞳で見上げてくる。
「ありがとう……ごめんね、なんか感動しちゃって」
「……どの辺が?」
「え? うーん、やっぱり最後の、自己犠牲のところかな。愛する人のために命を懸けるって、素敵だなって」
嘘をつけ。
あれはただの無駄死にだ。爆発しなくても隔壁閉めれば助かってたぞ。
その手は震えていた。
演技でここまで指先を震わせることができるのなら、彼女は大女優になれるだろう。まあ、この映画の主演女優よりは間違いなく演技力がある。
だが残念ながら、俺はその震えが「獲物がかかるのを待つ蜘蛛の興奮」に見えて仕方がない。
彼女は今、俺が自分の涙にどう反応するか、心拍数をモニタリングしているはずだ。
映画の後は、路地裏にある隠れ家風のカフェでのランチ。
ここでも彼女の攻撃(アタック)は止まらない。
注文したのは、一つのデザートプレートを二人でシェアするセット。
狭いソファ席。身体が触れ合う距離。
「あーん」イベントの強制発生装置だ。
「ねえ、篠崎くん。さっきの映画の主人公みたいに、昔何かあったりした?」
スプーンを咥えたまま、彼女が唐突に切り出してきた。
来た。
メインディッシュだ。
「え?」
「なんかね、篠崎くんの目を見てると、たまにすごく寂しそうに見える時があって……。私が勘違いしてるだけかもしれないけど、もし辛いことがあったなら、私には話してほしいなって」
「トラウマの共有」。
他人に言えない秘密や傷を共有することで、一気に心理的距離を詰め、相手を「唯一の理解者」という檻に閉じ込める、カルト宗教やデート商法の常套手段だ。
前の席だった佐藤も、これでやられた。
「部活のプレッシャー」を彼女だけに打ち明け、結果として「澪以外に俺を分かってくれる奴はいない」と信じ込まされ、友人たちからのアドバイスを遮断して孤立していった。
彼女はテーブルの上の俺の手に、自分の手をやさしくそしてそっと重ねてきた。
体温が高い。
母性本能を刺激するような、包み込むような眼差し。
「私は貴方の全てを受け入れるよ」という聖母の微笑み。
普通の高校生なら、ここで落ちる。
「実は……」と語り出し、彼女の胸で泣き、首輪をつけられる。
だが、俺は違う。
俺の最大のトラウマは「今ここにいるお前」だ。
「……実はさ」
俺は深刻そうな顔を作って、俯いた。
彼女の目が、獲物を捉えた猛禽類のように細められる一瞬を見逃さない。
食いついた。
「昔、飼ってたハムスターが逃げちゃってさ。名前はハム造っていうんだけど」
「……え?」
「俺、ハム造のこと家族だと思ってたんだ。でも、ある満月の夜、忽然と消えた。ケージの鍵は閉まってたのに。今でも夢に見るんだ。回し車の上で、月を見上げて何かを訴えるような、あの虚無な瞳を。出口のない場所で走り続ける彼の姿が、まるで管理社会で踊らされる俺たち自身のメタファーなんじゃないかって……」
俺は適当な哲学(ポエム)を捏造して語った。
もちろんハムスターなんて飼ったことはない。動物アレルギーだ。
俺が飼っていたのはザリガニだが、共食いして全滅したので良い思い出はない。
彼女の表情が、一瞬だけフリーズした。
まさに「404 Not Found」の顔だ。
想定していた「重い過去(親との不和、いじめ、孤独、将来への不安)」というデータセットの中に、「ハムスターの脱走と実存的不安」という変数が存在しなかったのだろう。
処理落ち(ラグ)。
その瞬間、彼女の完璧な仮面の下から、「は? 何こいつ、面倒くさ」という素の苛立ちが滲み出たのを、俺は見逃さなかった。
美しい顔が一瞬だけ、能面のように白けた。
「そ、そうなんだ……。辛かったね、よしよし」
すぐに再起動した彼女は、俺の頭を撫でてきた。
だが、その手つきはさっきよりも雑だった。
「とりあえず撫でとけば落ちるだろ」という作業感が透けて見える。
明らかに「ハム造」への共感度が低い。
よし、微細なダメージを確認。
俺は心の中でガッツポーズをする。
「ごめん、変な話しちゃって」
「ううん! 話してくれて嬉しい。篠崎くんのそういう繊細なところ、私好きだよ」
嘘つけ。
お前の目は「こいつのデータ更新しなきゃ、コスパ悪いな」って言ってるぞ。
デートの帰り道。
夕日が長く影を伸ばす駅の改札口で、彼女は名残惜しそうに俺の袖を掴んだ。
「ミラーリング」のテクニックだ。
俺が呼吸をするタイミング、歩くリズムに合わせて、彼女も同調する。
無意識レベルで親近感を抱かせる高等技術。
だから俺は、戦った。
歩幅を不規則に変える。
三歩進んで、半歩下がる。
急に立ち止まって、空を見上げるふりをする。
わざと吃音を混ぜて話す。
徹底的にシンクロを妨害し続けた。
彼女が困惑して、俺に合わせようと必死に足踏みをする姿は、悪いが少し滑稽だった。
「今日は楽しかった。ありがとう、朝霧さん」
「うん、私も! ……ねえ、次はいつ会える?」
上目遣い。
今日だけで二百回は見た角度。
ここでの正解は「すぐにでも」か「来週末」だ。彼女は左手にスマホを持ち、カレンダーアプリを開く準備をしている。
「部活の試合スケジュール確認してから連絡するよ。顧問が気まぐれでさ」
「そっか……。待ってるね。絶対に連絡してね? 既読無視したら、泣いちゃうからね?」
最後の最後に、小さな釘を刺してきた。
「泣く」というワードによる罪悪感の植え付け。
俺は笑顔で頷き、改札を抜けた。
彼女は最後まで笑顔で手を振っていた。
だが、俺が背を向けて改札を通る瞬間。
彼女がスマホを取り出し、画面をタップする指の動きが、恐ろしいほどの速さで何かを打ち込んでいるのが見えた。
『ターゲットの反応、想定より鈍い。トラウマデータ「ハムスター」の深層心理への影響を解析中。次のプランBへの移行を推奨。承認欲求の刺激レベルを1段階上げます』
そんなログを残しているのだろう。
俺は大きく息を吐いた。
疲労感がどっと押し寄せてくる。
たった半日のデートで、フルマラソンを完走したような消耗だ。
こめかみがズキズキと痛む。
だが、生還した。
俺は今日一日、彼女に「心」を許さなかった。
「楽しかった」と口では言ったが、一度も心からは笑わなかった。
「可愛い」と思った瞬間もあったが、そのたびに脳内の警報(ハム造の遺影)を思い出して感情を冷却した。
これが、俺の戦いだ。
彼女が俺を攻略する(=俺を依存させて壊す)のを防ぐには、俺が彼女のコントロール外に立ち続けるしかない。
彼女が俺を「世界一の彼氏」に育て上げようとするなら、俺は「世界一期待外れな彼氏」でい続けなければならない。
俺はスマホを取り出し、カレンダーアプリを開く。
『朝霧澪とのデート:クリア』
その文字をタップして、完了済みに変更する。
次は何を仕掛けてくる?
嫉妬作戦か? それとも身体的な接触(スキンシップ)の強化か?
あるいは、俺の周囲の人間を巻き込んでの外堀埋めか?
どっちでも来い。
お前の「完璧なシナリオ」が崩れるその瞬間まで、俺はこのクソみたいな恋愛ごっこに付き合ってやるよ。
(つづく)
駅前の時計台広場は、これからデートに向かうカップルたちで溢れかえっていた。
その光景を少し離れた場所から眺めながら、俺は胃の奥に冷たい鉛が沈んでいくような感覚を覚えていた。
デート。
本来なら胸が躍る響きだが、今日の俺にとっては「地雷原の横断」と同義語だ。
「お待たせ、篠崎くん! ごめんね、待った?」
人混みを割って、その少女は現れた。
朝霧澪。
春の日差しを味方につけたかのような、眩しすぎる笑顔。
小走りで駆け寄ってくる彼女の姿に、周囲の男たちの視線が一斉に吸い寄せられるのが分かる。
俺は戦慄した。
彼女の服装を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
オフホワイトのゆるいニットに、膝上が少しだけ揺れるミントグリーンのフレアスカート。
足元はヒールの低いパンプスで、華奢な足首が強調されている。
髪はいつものストレートではなく、緩く巻いてハーフアップにし、パールのようなヘアピンで留めている。
完璧だ。
完璧すぎる。
なぜならその服装は、俺が中学二年生の時にドハマりし、クラスの誰にも理解されずにひっそりと布教していたマイナー深夜アニメ『星空のイリス』のヒロイン、イリス・ベルベットの第8話「休日デート回」の私服と、色使いからシルエットに至るまで完全に一致しているからだ。
偶然? あり得ない。
『星空のイリス』は視聴率低迷で1クール打ち切りになった伝説のクソアニメだ。今どき配信サイトにも残っていない。
俺はこの情報を現在のSNSには一切書いていない。黒歴史として封印したからだ。
唯一あるとすれば、実家の押し入れの奥底に眠っている古いスケッチブック(俺が描いた下手くそな模写)か、あるいは当時の数少ない友人(今はもう連絡を取っていないイマジナリーフレンドに近い存在)に送りつけた熱苦しいメールのログくらいだ。
彼女はそこまで掘ったのだ。
俺というモブを「攻略」するために、俺の過去という地層を掘削し、最も防御力の低い「中二病時代の性癖」という弱点を突き止めた。
そして、その「理想の具現化」を、初デートという勝負所にぶつけてきた。
その執念深さに、恐怖すら覚える。
「……ううん、俺も今来たとこ。すごく、似合ってるよ」
俺は笑顔で賛辞を贈る。
声が少し震えたかもしれないが、それは感動ではなく恐怖のせいだ。
これは「称賛」ではない。「確認」だ。
お前の仕掛けた罠には気付いていないふりをしてやる、という意思表示。
「本当? よかったぁ。篠崎くん、こういうパステルカラー好きかなって思って」
彼女は恥ずかしそうに頬を染めて、モジモジとニットの袖(萌え袖だ、完璧な萌え袖だ)を口元に当てる。
その仕草だけで、校内の男子なら三人くらい即死している破壊力だ。
破壊力が高すぎて、俺の脳内では彼女の背後に冷徹な作戦参謀が見え隠れしていた。
『ターゲットの瞳孔散大を確認。過去データ「イリス神(と俺は呼んでいた)」との照合完了。ドーパミン分泌を確認。依存フェーズへ移行します』
そんな無機質なシステムログが、彼女の笑顔の裏側で高速スクロールしている幻覚が見える。
「行こうか。映画、予約してあるんだろ?」
「うん! 篠崎くんが見たいって言ってた『銀河の果てのレクイエム』、一番いい席取れたの!」
俺たちは映画館へ向かった。
上映中の二時間。
俺はスクリーンではなく、隣の彼女を周辺視野で観察し続けていた。
ちなみにこの映画は、宇宙船の中でゾンビが発生し、最終的にヒロインが爆弾を抱えてゾンビごと自爆するという、B級以下のC級ホラー映画だ。
俺が見たかったのは「いかに酷いか」を確認するためだったのだが、彼女は「感動大作」だと思ってチケットを取ったらしい。
映画の内容は予想通り酷かった。
臓物が飛び散り、役者の演技は棒読みで、ラストシーンなんてヒロインが爆発しながら「愛してるわ!」と叫ぶカオスな展開だった。
だが、隣の彼女に目を向けると、信じられない光景があった。
ツーッ。
彼女の大きな瞳から、一粒の涙が頬を伝ったのだ。
タイミング、量、スクリーンからの反射光を拾う角度。
すべてが芸術的なまでに計算されていた。
ゾンビが爆散しているシーンで、彼女は「愛の別れ」に涙している可憐な少女を演じきっていた。
鼻水をすすることもなく、ヒックと過剰に嗚咽することもなく、ただ静かに、美しく泣く。
隣にいる男に「なんて感受性が豊かなんだ」「守ってあげたい」と思わせるためだけの、ダイヤモンドのような涙。
たとえスクリーンの中でゾンビの内臓が飛び散っていても、俺の目には彼女の涙しか入らないように計算されている。
俺がハンカチを差し出すと、彼女は濡れた瞳で見上げてくる。
「ありがとう……ごめんね、なんか感動しちゃって」
「……どの辺が?」
「え? うーん、やっぱり最後の、自己犠牲のところかな。愛する人のために命を懸けるって、素敵だなって」
嘘をつけ。
あれはただの無駄死にだ。爆発しなくても隔壁閉めれば助かってたぞ。
その手は震えていた。
演技でここまで指先を震わせることができるのなら、彼女は大女優になれるだろう。まあ、この映画の主演女優よりは間違いなく演技力がある。
だが残念ながら、俺はその震えが「獲物がかかるのを待つ蜘蛛の興奮」に見えて仕方がない。
彼女は今、俺が自分の涙にどう反応するか、心拍数をモニタリングしているはずだ。
映画の後は、路地裏にある隠れ家風のカフェでのランチ。
ここでも彼女の攻撃(アタック)は止まらない。
注文したのは、一つのデザートプレートを二人でシェアするセット。
狭いソファ席。身体が触れ合う距離。
「あーん」イベントの強制発生装置だ。
「ねえ、篠崎くん。さっきの映画の主人公みたいに、昔何かあったりした?」
スプーンを咥えたまま、彼女が唐突に切り出してきた。
来た。
メインディッシュだ。
「え?」
「なんかね、篠崎くんの目を見てると、たまにすごく寂しそうに見える時があって……。私が勘違いしてるだけかもしれないけど、もし辛いことがあったなら、私には話してほしいなって」
「トラウマの共有」。
他人に言えない秘密や傷を共有することで、一気に心理的距離を詰め、相手を「唯一の理解者」という檻に閉じ込める、カルト宗教やデート商法の常套手段だ。
前の席だった佐藤も、これでやられた。
「部活のプレッシャー」を彼女だけに打ち明け、結果として「澪以外に俺を分かってくれる奴はいない」と信じ込まされ、友人たちからのアドバイスを遮断して孤立していった。
彼女はテーブルの上の俺の手に、自分の手をやさしくそしてそっと重ねてきた。
体温が高い。
母性本能を刺激するような、包み込むような眼差し。
「私は貴方の全てを受け入れるよ」という聖母の微笑み。
普通の高校生なら、ここで落ちる。
「実は……」と語り出し、彼女の胸で泣き、首輪をつけられる。
だが、俺は違う。
俺の最大のトラウマは「今ここにいるお前」だ。
「……実はさ」
俺は深刻そうな顔を作って、俯いた。
彼女の目が、獲物を捉えた猛禽類のように細められる一瞬を見逃さない。
食いついた。
「昔、飼ってたハムスターが逃げちゃってさ。名前はハム造っていうんだけど」
「……え?」
「俺、ハム造のこと家族だと思ってたんだ。でも、ある満月の夜、忽然と消えた。ケージの鍵は閉まってたのに。今でも夢に見るんだ。回し車の上で、月を見上げて何かを訴えるような、あの虚無な瞳を。出口のない場所で走り続ける彼の姿が、まるで管理社会で踊らされる俺たち自身のメタファーなんじゃないかって……」
俺は適当な哲学(ポエム)を捏造して語った。
もちろんハムスターなんて飼ったことはない。動物アレルギーだ。
俺が飼っていたのはザリガニだが、共食いして全滅したので良い思い出はない。
彼女の表情が、一瞬だけフリーズした。
まさに「404 Not Found」の顔だ。
想定していた「重い過去(親との不和、いじめ、孤独、将来への不安)」というデータセットの中に、「ハムスターの脱走と実存的不安」という変数が存在しなかったのだろう。
処理落ち(ラグ)。
その瞬間、彼女の完璧な仮面の下から、「は? 何こいつ、面倒くさ」という素の苛立ちが滲み出たのを、俺は見逃さなかった。
美しい顔が一瞬だけ、能面のように白けた。
「そ、そうなんだ……。辛かったね、よしよし」
すぐに再起動した彼女は、俺の頭を撫でてきた。
だが、その手つきはさっきよりも雑だった。
「とりあえず撫でとけば落ちるだろ」という作業感が透けて見える。
明らかに「ハム造」への共感度が低い。
よし、微細なダメージを確認。
俺は心の中でガッツポーズをする。
「ごめん、変な話しちゃって」
「ううん! 話してくれて嬉しい。篠崎くんのそういう繊細なところ、私好きだよ」
嘘つけ。
お前の目は「こいつのデータ更新しなきゃ、コスパ悪いな」って言ってるぞ。
デートの帰り道。
夕日が長く影を伸ばす駅の改札口で、彼女は名残惜しそうに俺の袖を掴んだ。
「ミラーリング」のテクニックだ。
俺が呼吸をするタイミング、歩くリズムに合わせて、彼女も同調する。
無意識レベルで親近感を抱かせる高等技術。
だから俺は、戦った。
歩幅を不規則に変える。
三歩進んで、半歩下がる。
急に立ち止まって、空を見上げるふりをする。
わざと吃音を混ぜて話す。
徹底的にシンクロを妨害し続けた。
彼女が困惑して、俺に合わせようと必死に足踏みをする姿は、悪いが少し滑稽だった。
「今日は楽しかった。ありがとう、朝霧さん」
「うん、私も! ……ねえ、次はいつ会える?」
上目遣い。
今日だけで二百回は見た角度。
ここでの正解は「すぐにでも」か「来週末」だ。彼女は左手にスマホを持ち、カレンダーアプリを開く準備をしている。
「部活の試合スケジュール確認してから連絡するよ。顧問が気まぐれでさ」
「そっか……。待ってるね。絶対に連絡してね? 既読無視したら、泣いちゃうからね?」
最後の最後に、小さな釘を刺してきた。
「泣く」というワードによる罪悪感の植え付け。
俺は笑顔で頷き、改札を抜けた。
彼女は最後まで笑顔で手を振っていた。
だが、俺が背を向けて改札を通る瞬間。
彼女がスマホを取り出し、画面をタップする指の動きが、恐ろしいほどの速さで何かを打ち込んでいるのが見えた。
『ターゲットの反応、想定より鈍い。トラウマデータ「ハムスター」の深層心理への影響を解析中。次のプランBへの移行を推奨。承認欲求の刺激レベルを1段階上げます』
そんなログを残しているのだろう。
俺は大きく息を吐いた。
疲労感がどっと押し寄せてくる。
たった半日のデートで、フルマラソンを完走したような消耗だ。
こめかみがズキズキと痛む。
だが、生還した。
俺は今日一日、彼女に「心」を許さなかった。
「楽しかった」と口では言ったが、一度も心からは笑わなかった。
「可愛い」と思った瞬間もあったが、そのたびに脳内の警報(ハム造の遺影)を思い出して感情を冷却した。
これが、俺の戦いだ。
彼女が俺を攻略する(=俺を依存させて壊す)のを防ぐには、俺が彼女のコントロール外に立ち続けるしかない。
彼女が俺を「世界一の彼氏」に育て上げようとするなら、俺は「世界一期待外れな彼氏」でい続けなければならない。
俺はスマホを取り出し、カレンダーアプリを開く。
『朝霧澪とのデート:クリア』
その文字をタップして、完了済みに変更する。
次は何を仕掛けてくる?
嫉妬作戦か? それとも身体的な接触(スキンシップ)の強化か?
あるいは、俺の周囲の人間を巻き込んでの外堀埋めか?
どっちでも来い。
お前の「完璧なシナリオ」が崩れるその瞬間まで、俺はこのクソみたいな恋愛ごっこに付き合ってやるよ。
(つづく)
0
あなたにおすすめの小説
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結】たぶん私本物の聖女じゃないと思うので王子もこの座もお任せしますね聖女様!
貝瀬汀
恋愛
ここ最近。教会に毎日のようにやってくる公爵令嬢に、いちゃもんをつけられて参っている聖女、フレイ・シャハレル。ついに彼女の我慢は限界に達し、それならばと一計を案じる……。ショートショート。※題名を少し変更いたしました。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
ホストな彼と別れようとしたお話
下菊みこと
恋愛
ヤンデレ男子に捕まるお話です。
あるいは最終的にお互いに溺れていくお話です。
御都合主義のハッピーエンドのSSです。
小説家になろう様でも投稿しています。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
【ご報告】
2月28日より、第五章の連載を再開いたします。毎週金・土・日の20時に更新予定です。
また、誤字脱字の修正および一部表現の見直しを行いました。ただし、記載内容の趣旨に大きな変更はございません。
引き続きよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる