【短編】27歳OLの義理チョコ配布業務。3000円の投資で職場の平和を買い、能面のような笑顔で「感情の死」を遂行する一日

月下花音

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Ep.02

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 退社後。
 私はデパ地下の雑踏の中にいた。
 バレンタイン当日の熱気は凄まじい。
 女たちの欲望と焦燥、そして見栄が渦巻いている。

 私は冷静に、二つのミッションをこなしていく。

 まずはAくん用のチョコ。
 条件は「堅実」「重すぎない」「センスが良い」。
 選んだのは、創業100年の老舗洋菓子店のトリュフ。2500円。
 派手さはないが、品質は確か。
「こういうのを知ってる女性は育ちがいい」と思わせるためのチョイスだ。
 紙袋も、落ち着いた紺色。
 これを持って少し首を傾げながら「いつもお仕事お疲れ様です」と言えば、彼の持っている「理想の奥さん像」にカチリとハマるはずだ。

 次にBさん用のチョコ。
 条件は「映える」「高級」「遊び心」。
 選んだのは、海外から初上陸したばかりのデザイナーズブランドのショコラ。5000円。
 箱自体がアートピースみたいに凝っていて、チョコも宝石のようなカッティングが施されている。
 これを渡せば、彼は間違いなくインスタのストーリーに乗せる。
『センスいいの貰った』というコメント付きで。
 それは私への最大級の賛辞であり、私の承認欲求を満たすガソリンになる。

 二つの紙袋を両手に持ち、私はデパートを出た。
 夜の冷たい風が頬を撫でる。
 地下鉄の窓に映る私は、仕事のできる女の顔をしていた。

(私、うまくやってるなあ)

 二種類のチョコ。
 二種類の顔。
 それを使い分ける私は、まるで女優みたいだ。
 Aくんには家庭的な私を見せ、精神的な安定を得る。
 Bさんには刺激的な私を見せ、女としての自信を得る。
 どちらも欠けてはならない。
 どちらか一つだけでは、私は満たされない。

 Aくんとの待ち合わせ場所へ向かう途中、私は今日のセリフを反芻した。
『今は仕事が一番大事だから』
 この言葉は魔法だ。
 Aくんに対しては、「結婚を焦ってガツガツしていない、自立した女性」として映る。
 男は、結婚を迫ってくる女からは逃げたくなるが、仕事を頑張っている女には「支えたい」という庇護欲を抱く。
 だから、この言葉は彼をキープするための最強の鎖になる。

 一方、Bさんに対しても、同じ言葉が有効だ。
『今は仕事が一番大事だから(=束縛しないでね)』
 このニュアンスを含ませることで、「重くない女」「割り切った関係を楽しめる女」として映る。
 Bさんのようなモテる男は、本命彼女になることを要求してくる女を面倒臭がる。
 だから、この言葉は彼との距離を縮めるための最高のパスポートになる。

 なんて効率的なんだろう。
 たった一つのテンプレートが、解釈次第で真逆の効力を発揮する。
 私は自分の聡明さに酔いしれていた。
 嘘をついているわけじゃない。
 本当に仕事は大事だし、嘘は言っていない。
 ただ、相手が望む形に切り取って提供しているだけだ。
 それは「思いやり」であり、「処世術」だ。

 待ち合わせ場所のレストランが見えてきた。
 Aくんが先に着いて待っているのが見える。
 彼は寒そうに手を擦り合わせながら、私の姿を探している。
 その姿を見て、私は少しだけ優越感を感じた。
 待たせている。
 求められている。
 その事実が、私の心の隙間を埋めてくれる。

「お待たせ!」
 私は小走りで駆け寄り、申し訳なさそうな顔を作った。
「ごめんね、仕事長引いちゃって」
「ううん、全然。俺も今来たところだし」

 彼は笑顔でそう言った。
 優しい。
 安心する。
 でも、ときめかない。
 私の心は、この後会いに行くBさんのことで一杯だった。
 Aくんとの食事は、いわば「前座」だ。
 本番のBさんに会うための、ウォーミングアップ。
 そんな不純な動機を隠して、私は完璧な「Aくんの理想の彼女」を演じ始めた。
 メニューを開き、「わあ、美味しそう」と声を弾ませる。
 その声色が、自分が思っている以上に「作り物」じみていることに、私はまだ気づいていなかった。
 今日はバレンタイン。
 一年で一番、愛が試される日。
 そして、一年で一番、嘘が暴かれやすい日でもあることを、私は知らなかった。
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