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Ep.02
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退社後。
私はデパ地下の雑踏の中にいた。
バレンタイン当日の熱気は凄まじい。
女たちの欲望と焦燥、そして見栄が渦巻いている。
私は冷静に、二つのミッションをこなしていく。
まずはAくん用のチョコ。
条件は「堅実」「重すぎない」「センスが良い」。
選んだのは、創業100年の老舗洋菓子店のトリュフ。2500円。
派手さはないが、品質は確か。
「こういうのを知ってる女性は育ちがいい」と思わせるためのチョイスだ。
紙袋も、落ち着いた紺色。
これを持って少し首を傾げながら「いつもお仕事お疲れ様です」と言えば、彼の持っている「理想の奥さん像」にカチリとハマるはずだ。
次にBさん用のチョコ。
条件は「映える」「高級」「遊び心」。
選んだのは、海外から初上陸したばかりのデザイナーズブランドのショコラ。5000円。
箱自体がアートピースみたいに凝っていて、チョコも宝石のようなカッティングが施されている。
これを渡せば、彼は間違いなくインスタのストーリーに乗せる。
『センスいいの貰った』というコメント付きで。
それは私への最大級の賛辞であり、私の承認欲求を満たすガソリンになる。
二つの紙袋を両手に持ち、私はデパートを出た。
夜の冷たい風が頬を撫でる。
地下鉄の窓に映る私は、仕事のできる女の顔をしていた。
(私、うまくやってるなあ)
二種類のチョコ。
二種類の顔。
それを使い分ける私は、まるで女優みたいだ。
Aくんには家庭的な私を見せ、精神的な安定を得る。
Bさんには刺激的な私を見せ、女としての自信を得る。
どちらも欠けてはならない。
どちらか一つだけでは、私は満たされない。
Aくんとの待ち合わせ場所へ向かう途中、私は今日のセリフを反芻した。
『今は仕事が一番大事だから』
この言葉は魔法だ。
Aくんに対しては、「結婚を焦ってガツガツしていない、自立した女性」として映る。
男は、結婚を迫ってくる女からは逃げたくなるが、仕事を頑張っている女には「支えたい」という庇護欲を抱く。
だから、この言葉は彼をキープするための最強の鎖になる。
一方、Bさんに対しても、同じ言葉が有効だ。
『今は仕事が一番大事だから(=束縛しないでね)』
このニュアンスを含ませることで、「重くない女」「割り切った関係を楽しめる女」として映る。
Bさんのようなモテる男は、本命彼女になることを要求してくる女を面倒臭がる。
だから、この言葉は彼との距離を縮めるための最高のパスポートになる。
なんて効率的なんだろう。
たった一つのテンプレートが、解釈次第で真逆の効力を発揮する。
私は自分の聡明さに酔いしれていた。
嘘をついているわけじゃない。
本当に仕事は大事だし、嘘は言っていない。
ただ、相手が望む形に切り取って提供しているだけだ。
それは「思いやり」であり、「処世術」だ。
待ち合わせ場所のレストランが見えてきた。
Aくんが先に着いて待っているのが見える。
彼は寒そうに手を擦り合わせながら、私の姿を探している。
その姿を見て、私は少しだけ優越感を感じた。
待たせている。
求められている。
その事実が、私の心の隙間を埋めてくれる。
「お待たせ!」
私は小走りで駆け寄り、申し訳なさそうな顔を作った。
「ごめんね、仕事長引いちゃって」
「ううん、全然。俺も今来たところだし」
彼は笑顔でそう言った。
優しい。
安心する。
でも、ときめかない。
私の心は、この後会いに行くBさんのことで一杯だった。
Aくんとの食事は、いわば「前座」だ。
本番のBさんに会うための、ウォーミングアップ。
そんな不純な動機を隠して、私は完璧な「Aくんの理想の彼女」を演じ始めた。
メニューを開き、「わあ、美味しそう」と声を弾ませる。
その声色が、自分が思っている以上に「作り物」じみていることに、私はまだ気づいていなかった。
今日はバレンタイン。
一年で一番、愛が試される日。
そして、一年で一番、嘘が暴かれやすい日でもあることを、私は知らなかった。
私はデパ地下の雑踏の中にいた。
バレンタイン当日の熱気は凄まじい。
女たちの欲望と焦燥、そして見栄が渦巻いている。
私は冷静に、二つのミッションをこなしていく。
まずはAくん用のチョコ。
条件は「堅実」「重すぎない」「センスが良い」。
選んだのは、創業100年の老舗洋菓子店のトリュフ。2500円。
派手さはないが、品質は確か。
「こういうのを知ってる女性は育ちがいい」と思わせるためのチョイスだ。
紙袋も、落ち着いた紺色。
これを持って少し首を傾げながら「いつもお仕事お疲れ様です」と言えば、彼の持っている「理想の奥さん像」にカチリとハマるはずだ。
次にBさん用のチョコ。
条件は「映える」「高級」「遊び心」。
選んだのは、海外から初上陸したばかりのデザイナーズブランドのショコラ。5000円。
箱自体がアートピースみたいに凝っていて、チョコも宝石のようなカッティングが施されている。
これを渡せば、彼は間違いなくインスタのストーリーに乗せる。
『センスいいの貰った』というコメント付きで。
それは私への最大級の賛辞であり、私の承認欲求を満たすガソリンになる。
二つの紙袋を両手に持ち、私はデパートを出た。
夜の冷たい風が頬を撫でる。
地下鉄の窓に映る私は、仕事のできる女の顔をしていた。
(私、うまくやってるなあ)
二種類のチョコ。
二種類の顔。
それを使い分ける私は、まるで女優みたいだ。
Aくんには家庭的な私を見せ、精神的な安定を得る。
Bさんには刺激的な私を見せ、女としての自信を得る。
どちらも欠けてはならない。
どちらか一つだけでは、私は満たされない。
Aくんとの待ち合わせ場所へ向かう途中、私は今日のセリフを反芻した。
『今は仕事が一番大事だから』
この言葉は魔法だ。
Aくんに対しては、「結婚を焦ってガツガツしていない、自立した女性」として映る。
男は、結婚を迫ってくる女からは逃げたくなるが、仕事を頑張っている女には「支えたい」という庇護欲を抱く。
だから、この言葉は彼をキープするための最強の鎖になる。
一方、Bさんに対しても、同じ言葉が有効だ。
『今は仕事が一番大事だから(=束縛しないでね)』
このニュアンスを含ませることで、「重くない女」「割り切った関係を楽しめる女」として映る。
Bさんのようなモテる男は、本命彼女になることを要求してくる女を面倒臭がる。
だから、この言葉は彼との距離を縮めるための最高のパスポートになる。
なんて効率的なんだろう。
たった一つのテンプレートが、解釈次第で真逆の効力を発揮する。
私は自分の聡明さに酔いしれていた。
嘘をついているわけじゃない。
本当に仕事は大事だし、嘘は言っていない。
ただ、相手が望む形に切り取って提供しているだけだ。
それは「思いやり」であり、「処世術」だ。
待ち合わせ場所のレストランが見えてきた。
Aくんが先に着いて待っているのが見える。
彼は寒そうに手を擦り合わせながら、私の姿を探している。
その姿を見て、私は少しだけ優越感を感じた。
待たせている。
求められている。
その事実が、私の心の隙間を埋めてくれる。
「お待たせ!」
私は小走りで駆け寄り、申し訳なさそうな顔を作った。
「ごめんね、仕事長引いちゃって」
「ううん、全然。俺も今来たところだし」
彼は笑顔でそう言った。
優しい。
安心する。
でも、ときめかない。
私の心は、この後会いに行くBさんのことで一杯だった。
Aくんとの食事は、いわば「前座」だ。
本番のBさんに会うための、ウォーミングアップ。
そんな不純な動機を隠して、私は完璧な「Aくんの理想の彼女」を演じ始めた。
メニューを開き、「わあ、美味しそう」と声を弾ませる。
その声色が、自分が思っている以上に「作り物」じみていることに、私はまだ気づいていなかった。
今日はバレンタイン。
一年で一番、愛が試される日。
そして、一年で一番、嘘が暴かれやすい日でもあることを、私は知らなかった。
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