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4・白虎の宣言
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祖母との話し合いを終え、部屋を出て一人静かな廊下に立ったその瞬間、環は胸の奥で何かが音を立てて壊れるのを感じた。
「わかりました」
そう言った自分の声が、遠くに聞こえる。
祖母の言葉に頷きながらも、手のひらにはまだ悠人に握られた熱が、あの接吻の熱が、そして幼い日の温もりが消えずに残っていた。
もう二度と、あの熱に触れることはできないのだ。
そう思うだけで、呼吸が浅くなる。
(これで良かったのだ)
乾いた唇で、そう呟いてみる。
(私のような者が、あの方の隣にいること自体が間違いだった。祖母の言う通り、これが現実なのだ)
そう自分に言い聞かせれば聞かせるほど、涙はとめどなく勝手にあふれてくる。こんな顔を誰かに見られるわけにはいかない。
環は着物の裾が乱れるのも構わず、自室へと走った。
部屋に駆け込み、障子を閉めた途端、その場に崩れ落ちる。
嗚咽が漏れる。
彼を裏切った罪悪感に、胸が張り裂けそうだった。
(でも、どうしようもなく、彼に会いたい)
このまま、何も告げずに消えることなどできない。
彼に会わなければ。この結婚が現実になる前に、自分の口から「さようなら」を言わなければ。
そして、もし許されるなら、最後に一度だけ。あの熱い腕の中で、いつものように全てを忘れさせてほしい。
環は、涙で濡れた顔を上げた。胸の奥が痛む。
けれど、もう迷いはなかった。
外は静まり返り、窓の外に夜の闇が広がっている。
今夜、彼が来る。
いつものように、人目のつかない寂れた裏庭で、彼は自分を待っているはずだ。それが、本当に最後の逢瀬になる。
環は、息を潜めて裏庭へと向かった。心臓の音が、闇に響いてしまいそうなほど大きい。
いつもの場所に、彼はいた。
白虎を思わせる白い髪が、月明かりに淡く光っている。彼は音もなく振り返り、環の姿を認めると、穏やかに微笑んだ。
「今夜は、少し遅かったね」
「……」
環は何も言えず、ただ彼を見つめた。
悠人は、環のただならぬ様子に気づきながらも、あえていつものように続けた。
「どうしたんだい? そんなに思い詰めた顔をして」
「……悠人、さま」
環は、震える声で絞り出した。
「私、決めました。もう、ここへは来ません」
「……うん?」
「今日が、本当に、最後です」
悠人の瞳から、穏やかな光がすっと消えた。
しかし、その表情はまだ笑みを保っている。
「……どうして?」
その静かな問いが、環の心を抉る。
「わたくし……遠方の、祖母が決めた方の元へ、嫁ぐことになりました」
真実を告げた瞬間、空気が凍った。
悠人の顔から、笑みが完全に消え失せる。
琥珀色の瞳が、底知れないほど冷たく、環を射抜いた。
彼は、ゆっくりと、一歩環に近づく。
「……誰と?」
声は、静かだった。
だが、地を這うような低く、冷たい響きに、環は全身の血が逆流するのを感じた。
「どこの、誰が、君を僕から奪うんだい?」
環が恐怖に息を呑み、答えられず、悠人は瞬く間に距離を詰め、その両肩を強く掴んだ。
骨が軋むほどの力だった。
「答えて、環」
「ひっ……!」
「君は、僕以外の男のものになるって言うの?」
彼の顔が、すぐそこにある。燃えるような怒りと、狂おしいほどの独占欲が、その瞳の中で渦巻いていた。
「僕が、許すとでも?」
「離し……!」
「嫌だ」
環が身を捩るより早く、悠人はその身体を力任せに抱きしめた。それは逃れることの出来ない絶対的な束縛。
「君が僕以外の誰かに嫁ぐ事など認めると思う?そんなもの僕が許すはずがないだろう」
「っ……!」
「君は僕のものだ」
悠人の囁きが、耳元で熱く響く。
「僕は、僕以外の男が触れた君なんて、許容出来ない。……そんな汚れた君は、見たくない」
「だからね、環」
彼は、絶望に目を見開く環の耳元で、恍惚と、そして絶対的な自信を持って、こう宣言した。
「その結婚、僕が『無かったこと』にしてあげる」
「わかりました」
そう言った自分の声が、遠くに聞こえる。
祖母の言葉に頷きながらも、手のひらにはまだ悠人に握られた熱が、あの接吻の熱が、そして幼い日の温もりが消えずに残っていた。
もう二度と、あの熱に触れることはできないのだ。
そう思うだけで、呼吸が浅くなる。
(これで良かったのだ)
乾いた唇で、そう呟いてみる。
(私のような者が、あの方の隣にいること自体が間違いだった。祖母の言う通り、これが現実なのだ)
そう自分に言い聞かせれば聞かせるほど、涙はとめどなく勝手にあふれてくる。こんな顔を誰かに見られるわけにはいかない。
環は着物の裾が乱れるのも構わず、自室へと走った。
部屋に駆け込み、障子を閉めた途端、その場に崩れ落ちる。
嗚咽が漏れる。
彼を裏切った罪悪感に、胸が張り裂けそうだった。
(でも、どうしようもなく、彼に会いたい)
このまま、何も告げずに消えることなどできない。
彼に会わなければ。この結婚が現実になる前に、自分の口から「さようなら」を言わなければ。
そして、もし許されるなら、最後に一度だけ。あの熱い腕の中で、いつものように全てを忘れさせてほしい。
環は、涙で濡れた顔を上げた。胸の奥が痛む。
けれど、もう迷いはなかった。
外は静まり返り、窓の外に夜の闇が広がっている。
今夜、彼が来る。
いつものように、人目のつかない寂れた裏庭で、彼は自分を待っているはずだ。それが、本当に最後の逢瀬になる。
環は、息を潜めて裏庭へと向かった。心臓の音が、闇に響いてしまいそうなほど大きい。
いつもの場所に、彼はいた。
白虎を思わせる白い髪が、月明かりに淡く光っている。彼は音もなく振り返り、環の姿を認めると、穏やかに微笑んだ。
「今夜は、少し遅かったね」
「……」
環は何も言えず、ただ彼を見つめた。
悠人は、環のただならぬ様子に気づきながらも、あえていつものように続けた。
「どうしたんだい? そんなに思い詰めた顔をして」
「……悠人、さま」
環は、震える声で絞り出した。
「私、決めました。もう、ここへは来ません」
「……うん?」
「今日が、本当に、最後です」
悠人の瞳から、穏やかな光がすっと消えた。
しかし、その表情はまだ笑みを保っている。
「……どうして?」
その静かな問いが、環の心を抉る。
「わたくし……遠方の、祖母が決めた方の元へ、嫁ぐことになりました」
真実を告げた瞬間、空気が凍った。
悠人の顔から、笑みが完全に消え失せる。
琥珀色の瞳が、底知れないほど冷たく、環を射抜いた。
彼は、ゆっくりと、一歩環に近づく。
「……誰と?」
声は、静かだった。
だが、地を這うような低く、冷たい響きに、環は全身の血が逆流するのを感じた。
「どこの、誰が、君を僕から奪うんだい?」
環が恐怖に息を呑み、答えられず、悠人は瞬く間に距離を詰め、その両肩を強く掴んだ。
骨が軋むほどの力だった。
「答えて、環」
「ひっ……!」
「君は、僕以外の男のものになるって言うの?」
彼の顔が、すぐそこにある。燃えるような怒りと、狂おしいほどの独占欲が、その瞳の中で渦巻いていた。
「僕が、許すとでも?」
「離し……!」
「嫌だ」
環が身を捩るより早く、悠人はその身体を力任せに抱きしめた。それは逃れることの出来ない絶対的な束縛。
「君が僕以外の誰かに嫁ぐ事など認めると思う?そんなもの僕が許すはずがないだろう」
「っ……!」
「君は僕のものだ」
悠人の囁きが、耳元で熱く響く。
「僕は、僕以外の男が触れた君なんて、許容出来ない。……そんな汚れた君は、見たくない」
「だからね、環」
彼は、絶望に目を見開く環の耳元で、恍惚と、そして絶対的な自信を持って、こう宣言した。
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