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12 迫り来る火の手

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「これから、東の広場に避難します! 皆、大事なモノは持った?」
 緊迫したセレナの声に、子供達も緊張の面持ちだ。
「「「「「「はい!!!!!」」」」」「「「「「はい!!!!!」」」」」

 今日、孤児院に居る大人は、年老いた院長と住み込みで子供達の世話をしている女性2人、読み書きを教えに来ていた貴族令嬢1人と就業支援の為に来ていた商会の女性従業員が1人、そしてセレナである。よりによって男手のない(院長は一応男性だが)こんな日に火事が起きるなんて――いつもは冷静なセレナも、さすがに焦っていた。最初に火の手が上がったのは、孤児院から随分と離れた繁華街だった。それが強風に煽られ、信じられないスピードで燃え広がっているのだ。まさか此処まで火が迫ってくるとは思ってもみなかった――セレナは自身の見通しの甘さを悔やんだが、とにかく急いで子供達を避難させなければならない。

 セレナは1歳児2人を両手に抱え、先頭を歩いて皆を誘導し、何とか東の広場まで辿り着いた。ところがホッとする間もなく、悲鳴に似た声が上がったのだ。
「テオ!? テオがいない!!」
「「「「「えーっ!!??」」」」」
「テオ! テオ! テオ!」
「「「「「テオー!!」」」」」
「いないぞ!!」
 皆が慌て始める。セレナも急いで辺りを見回すがいない。確かに5歳の男児テオが見当たらないのだ。
「誰か、途中まででもテオの姿を見ていない?!」
「見てない」「私も」「俺も見てない」「僕も」「いつからいなかったんだ?」
 子供達は口々に言う。まさか、まだ孤児院の中に!? セレナは、スッと自身の血の気が引くのを感じた。

 セレナは院長に向かって言った。
「院長。孤児院に戻ってテオを探して来ます。皆をよろしくお願いします」
 セレナの言葉に慌てる院長。
「奥様、おめ下さい! 今から戻るなど危険です!」
「でも、もしかしたらテオが一人で泣いているかもしれません。私は大丈夫ですから」
「奥様!!」
 なおも止めようとする院長を振り切って、セレナは一人、孤児院に向かって走り始めた。

 東の広場や北の広場に向かって避難する人々と反対方向へ進もうとするセレナは、なかなか孤児院に辿り着けない。
「すみません! 通ります! 通してください!」
 セレナは淑女にあるまじき大声を張り上げながら、必死に孤児院へと向かった。

 ようやく辿り着くと、孤児院の屋根には火の粉が降り注いでいた。かなり遠くから火の粉が飛んで来ている。火は並び順に家を焼いている訳ではなかった。強風に飛ばされた火の粉が、遠くの建物まで一気に火をつけていたのだ。
「そんな……あんな距離から火の粉が……」
 孤児院が焼け落ちるのは時間の問題だ。確信したセレナは、急いで中に踏み込んだ。
「テオ! テオ! どこに居るの!? 返事をして! テオー!!」
 あらん限りの大きな声を出し、テオを呼ぶセレナ。けれど返事はない。一部屋ずつ確認して回る。
「テオ! テオ! テオー!!」
 いない、いない、いない、何処にもいない――――全ての部屋を見て回ったが、テオは居なかった。

「ここに居ないという事は、取り敢えず外には逃げているのだわ」
 それならば、避難する途中で逸れた可能性が高い。孤児院の仲間と逸れても、多くの避難する人々と同じ方向に進めば、東の広場か北の広場に着くはずだ。
「大丈夫。テオはきっと大丈夫」
 自分に言い聞かせるセレナ。
 どうやら孤児院の屋根に火がついたようだ。外壁を伝って、瞬く間に炎が降りて来る。部屋の中にも次第に煙が立ち込め始めた。急いでここを出なければ――セレナは出口に向かって走り始めた。ところが、不意に床の段差に足を取られ、転倒してしまった。

「イタッ……」
 右足を挫いてしまったようだ。己の失態に唇を噛むセレナ。だが、右足が動かせなくても、這って行けば何とか出口には辿り着けるだろう。トンデモナクみっともない格好になるが非常事態だ。仕方がない。セレナは両手と左足を使って、ズルズルと這いながら出口に向かった。けれど、足首までを隠す丈のワンピースを着けている身では、思うように前に進まない。そして予想よりもずっと早く、部屋に煙が充満してきた。本能がセレナに命の危険を知らせる。



 ……息が苦しい……

 セレナは前に進むことをめた。死に物狂いで這いずって行けば、或いは外に出られるかもしれない。けれど――――











「……もう……いいかな……」

 そんな言葉が口をついて出た。セレナはその場に座り込んだ。















「……エドガルド様」

 かつて愛した国王ひとの名を呼ぶ。


 国王エドガルドは、いつもセレナに優しかった。けれど、彼が愛していたのは正妃ただ一人。セレナの愛は一方通行だった。それでも自分のついの居場所は後宮だと思っていた。一生、エドガルドの側妃として、彼の近くに居られれば、それで幸せだと思っていたのに――――後宮は廃され、セレナは下賜された。

 ルーベンのもとに嫁いでからは、自分の新たな居場所を築こうと必死だった。ルーベンは、クラーラとの距離が近過ぎること以外は良い夫だった。真面目で優しくて頼りになる夫、ルーベン。けれど、結局ただ一点の懸念であったクラーラとの事が、ずっと夫婦間の火種であり続け、ついにルーベンとの関係は立ちゆかなくなってしまった。夫婦関係だけではない。息子たちとセレナの関係もまた、クラーラが原因で歪んでしまった。

 「女の敵は女」とは、よく言ったものだ。クラーラの厚かましい態度を許していたのはルーベンなのに、そのことはセレナも重々分かっているのに、それでもセレナが憎んでいるのはルーベンではなく、クラーラだった。クラーラさえいなければ、あの女が邪魔さえしなければ、きっとルーベンと仲睦まじい夫婦になれたはずなのに、とセレナは思う。息子たちとの事もそうだ。ルシオやファビオが悪い訳ではない。元凶は全てクラーラなのだ。

 一旦は築いたはずのセレナの新しい居場所は、儚く消えた。いや、もしかしたら最初から幻だったのかもしれない……


「エドガルド様……私の居場所は、もう何処にもありません……」










 煙の充満する部屋の中で、床に横たわり、静かに目を閉じた。息苦しさを堪えて、小さく呟く。

「エドガルド様……ルーベン様……ルシオ、ファビオ……」

 愛したひとの名を呼ぶセレナ。立ち込める煙の所為だろう。閉じている目から涙が零れ落ちる。


「愛してた……愛してる……さようなら……」











 その時、セレナを呼ぶ声がした。

「セレナ! セレナ! どこだ!? 返事をしてくれ! セレナ!!」



 あのひとの声だ――そう気付いたところで、セレナの意識は途絶えた。




 
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