小悪魔からの手紙

はな夜見

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第一章 失くした鍵

第九節

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「……そうですか。ありがとうございました」


 電話を片手にムムが呟いた。その表情からお目当ての情報が手に入らなかったことは一目瞭然だ。遠州はムムの表情を見ながら、また椅子に腰かけた。そして持っていた手紙を手短な机の上に置き、そのまま煙草を吸おうとした手を止め、ムムを見た。凛として立っているムムは遠州のことなど眼中に入っていないようで。その表情は出口のない迷路で迷子になっているアリスの挿絵にそっくりだった。

「江ノにあるホテルは一つしかない。そこにいなかったってことは江ノには来てないんじゃないのか? 手紙だって本人から来たものかさえわからない。筆跡だってありはしないうえに、手紙自体は切り取られた文字で書かれたもの。これ以上彼女の消息を追うのは不可能だろう」

「そうか? 私はそうは思わないね」

 ムムの言葉に、遠州は極めて慎重に足を組んだ後、ムムの顔色を確かめた。そこにはアリスはもういなかった。

「仮にモミジさんが大富豪で、金目的なら話は変わってくるよ、偽りの手紙という可能性もあるだろう。でも、そうじゃない。彼にはお金はないし、そもそも江ノに身内のいないユズさんの口癖を真似できる人間がどこにいる? いない。そしてさらに重要なのは動機。何のためにユズさんを装う必要がある? 答えは、そう、どちらもないんだよ。つまりこれはユズさんからの手紙とみて、ほぼ間違いはない。じゃあユズさんはどこにいる? 身内がいない人間がホテル以外で泊まれる場所なんてあるか? 江ノなんて小さい場所で、見知らぬ人がいたなら噂になる。でもそんな噂聞いたことない」

「……共犯者がいるってことか?」「間違いないよ」
 言葉を濁すようにした遠州をムムは断定へと変えた。

「それだけじゃない。多分、ユズさんは詐欺師だったと思うよ。恋愛詐欺師」
「これまた変な妄想が出てきたな」
「女性はね、自分の武器を最大限に使う術を知っている。生まれながら全員、そうだ」
「お前もか?」「当たり前でしょ」

 ムムは笑った。自覚があるといった感じだ。

「ユズさんの経歴はおかしなものばかりだ。こんな短期間のアルバイトで一人暮らしができていたはずがない。そしてそれは誰かとの繋がりを指している。遠州さんの覚えていたユズさんの特徴は“自分の魅力に分かっている人間”のそれにしか見えない。援助してくれる人はたくさんいそうだし」

「だからって詐欺師っていうのはあまりにも突飛すぎるんじゃないか?」

「突飛かな? 過程を省略する気もないから早々と説明するけど……第一子が生まれたときには子供のためのものを買わなかった母親が第二子が生まれた途端、必要以上に買いだした。それに長女は、親からの愛を受け取っていたと感じたことはなかったと言っていたし、望まれた出産という言葉に違和感を覚えていたみたいだった。……ん? あぁ、子供の言うことなんて信じるなって? 大人も子供も大した違いはないよ。母親としては、第二子より第一子の方が慎重になったりするだろう? 第二子が第一子のおさがりをもらうなんて珍しくもないはずだ、でも、そうじゃない。子供のためと買っていた家具に彫られていた名前は、二人のものしかなかった。妙じゃないか? 普通、第一子の名前だけのものも存在しているはずだ、でしょ? 第二子のおさがりを第一子がもらっているという変な環境。それは母親の愛情が第一子の頃にはなかったことを指している。何でそうなってしまったのか。まぁ、母親の方が出産を望んでなかったから、というのが一番筋が通った結論だろうね」

 ムムの言葉には、同情や軽蔑といった、事実を伝える上では不要な感情たちは、一切入ってなかった。それゆえに非情な言葉となって、遠州の胸を貫いた。
 ふと、遠州は考える。その子供、特に第一子の方は事実を知ってしまったらどういう反応をするのだろう。悲しいのだろうか? 納得するのだろうか? なんにしても傷ができるのは確かだ。そしてそれは、一生消えない傷になってしまうだろう。

「妊娠してからの結婚というのはこれだから太刀が悪い。望まない結婚を強いられた彼女は、最初は不服だっただろうね。でも結婚生活はとても楽しいものだった。その証拠に彼女はたくさんの愛を育んでいる」
「それがどうして出ていくことになったんだ? 失踪事件になんて大きなものになった理由はなんだ?」

「問題はそこだ」

 ナイフのように尖ったムムの言葉が遠州を刺した。そしてムムはまた自ら迷路に入り込む。

「マミちゃんの話では、あるときを境にユズさんから余裕がなくなったと言っていた。その手掛かりはなんだ? 彼女が脅えていたものとは何なのか? 一番可能性があるのは……?」

 遠州は小窓から外を見た。今日は快晴。見る人が見れば輝かしいまでの気持ちになるのだろう。自分はそうではないが。窓から見える人々は、みな様々な面向きではあるが、そこに悲しみを抱いている人など見当たらない。いや、もしかしたらいるのかもしれないが、しかし、そうは見えないのだ。自分がそうであるからなのか、反比例するように彼らの表情には喜びが浮かんでいるように映り、それがどうしても妬ましく思えてしまう。

「あとは……ユズさんがどこにいるかだけだね」



 勝手に来て、勝手に帰る。そんな自分勝手なムムの背中を見ながら遠州は自身の幼少期を思い出した。
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