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第六章 小悪魔か、悪魔か
第一節
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遠州が思った通り、レモンの殺人事件は大きく新聞で取り上げられた。
”あの人気アイドル・ミカンの妹、殺される⁉””凶器はハンマー‼””犯人解明されず””江ノでの悲劇‼””犯人は誰⁉”と書いてある見出しをムムはそこらへんに放り投げた。内容も読む気にはなれない。それよりもムムにはすべきことがあった。遠州に頼んでおいた、その紙を見つめ、ムムは満足そうに頷いた。
*
ムムは辺りを見渡した。ムムの指示通り、遠州が集めてくれた人たち。藍沢モミジ、根岸ツトム、生成アキラ、桔梗シンタロウ、二尾カネツグ、松葉ユウダイ、遠州。呼ばれた意味が分からない者は一人もいない。だからこそ、その場にいた誰もが皆一様に不安な顔を覗かせていた。
「お集まりいただきありがとうございます」
ムムの声がツンと場を張り詰めさせた。彼女の声は低く、聞こえづらいこともあるが、しかし、事件解決の時の彼女の声はいつでも聞き取りやすくなる。聞いてほしいと、そうムムが願っているからかもしれない。
「事件解決の前に、いくつか皆様に知っておいてほしいことがあります」
そう言って、藍沢モミジを手で指す。「こちら、アイドル・ミカンこと、ユズさんの夫である、藍沢モミジさんです」
ムムはにっこり笑うが、周りの反応は違う。当たり前だろう。根岸は前世の恨みであるような顔をし、生成は希望に近いような顔をする。桔梗はモミジのことを知っていたのか、知らなかったのか、反応は薄い。二尾は首をかしげてはいるがその眼差しは重い。ムムは続けた。
「先日、藍沢モミジさんの妻であるユズさんの遺体が発見されました。白骨死体だったので、最低でも三年前には死んだことになります。殺されたのか、自殺したのか。私たちは殺されたという線で調べました」
「殺された……?」
この中で唯一ユズの死について知らなかった二尾が声を漏らした。「そうとは限りませんが、少なくともこの世にはいません」「そうで、すか……」
「二尾さんは、新聞等を見られないんですか?」
「見ないですね。あまり興味がないもので」
二尾の声を遮るように遠州が腕を組んだまま、ムムに聞いた。
「殺されたんじゃないのか? 実際は違うのか?」
「いいえ。事実です。彼女は殺された。誰かによって」
ここでムムは集まった人々の反応を楽しんだ。しかし、彼らから何かを得ることなどできない。それほどまでに彼らが人の死について身近ではないのだ。ムムは少し思い出した。初めて身近で人の死を見たときのことを。ムムにとってそれらは死ではなく、事件としか映ることはなかった。だからこそ、事件を解決することができるのだ。冷静に、死とではなく、人間と向き合うことで、感傷に浸ることなどない。ムムは唇を舐めた。昔の自分を、もう一度思い出したのだ。「さて」ムムは笑った。痛々しいほどだった。
「ここでユズさんの生い立ちを見ていきましょう。彼女は孤児でした。両親の事故死により、妹と二人きりになってしまったユズさんは、最初は絶望したでしょう。この世を恨んだかもしれません。まぁ、どうでもいいですが、つまり、彼女は自身の人生に絶望した。しかし人生は彼女を糸で操り、夢を見させた。二尾さん、貴方の手によって楽しい生活を教えられ、そして良き友にも恵まれた。幸せだったでしょう。アイドルをするまでは」
「アイドルが不幸の始まりだと?」根岸は不快そうに吐き捨てた。
「その通りです」
しかし、ムムは屈しなかった。
「アイドルとして、スカウトされたユズは、ミカンと名乗り、江ノのあちこちでライブを行った。その彼女に惚れた人が果たして何人いたでしょうか。十? 百? 両親を失い、悲劇のヒロインになってしまった彼女には恵まれたことが一つあった。そう、容姿です。容姿がいいと何かと得でしょう。特に女性なら、尚更。しかし人気アイドルというその称号を得た彼女に、また不幸な知らせが届きます。妹の悪行です。ですよね、二尾さん」
「え、えぇ。レモン……ユズの妹の名前ですが、彼女は妹である自分を捨て、突然アイドルになった姉を憎み、恨み、まぁ正確には寂しかっただけのようでしたが、犯罪じみたことまでするようになった」
「放火。盗み。暴行。まぁ、いろいろやったでしょうが、しかしユズさんは姉として、そして大事な家族として、レモンさんの犯罪を止めたかった。そこで頼ったのです。消防士であるモミジさんに。妹の犯罪を未然に止めてくれることと引き換えに、自分の恋人という称号を」
空気が重い。事実とは、そうでなくてはならない時がある。「根岸さん。私が言った通りでしょう? アイドルが不幸の始まりだと」
「は、はは……要するにあれですか? 彼女はアイドルでありながら、妹の犯罪をもみ消してくれる男と付き合い……挙句結婚するために引退したってことですか?」
「まぁ、大体はその通りですね」「僕らファンに対する最大の侮辱だ!」
根岸の視線はモミジに注がれていた。殺意と言ってもいい。しかし、ムムはそれを遮るように、言葉を濁した。
「どうでしょうか」
「お前に! お前なんかに何が分かる!」「分かりませんよ勿論」
しかし、とムムは続けた。
「私には貴方がモミジさんとユズさんを責める権利があるようには見えません。根岸さんが欲しいのは、古参の自分の立場は上であるという、ただのプライドに過ぎない。応援していたというなら、ミカンさんのどこが好きだったのですか? アイドル・ミカンという嘘偽りしかない存在の、果たしてどこに惹かれていたのです? 根岸さんが好きだったのはアイドル・ミカンではありません。権利、もしくは自慢ができるその居場所です。もし、仮にもし、本当にアイドル・ミカンが好きというのであれば、貴方は死人を追い続けているに過ぎない。そう、アイドル引退を宣言した時点で、彼女は死んだのです。アイドル・ミカンという存在はね」
根岸はうすぼんやりとした感覚の中で、ミカンがアイドル引退宣言をした日を思い出していた。彼女はあの時に死んでいたのか。思い出だと言っていたクッキーも、本当に彼女は好きだったんだろうか。分からない。死人に口などないからだ。
「そうですよ! クッキー星人さんは自己中なんです。ミカンたそは、私たちの理想を押し付けられたいわけではなかったんですよ! 苦痛だったと思います!」
「そして、真似され、見下されることも苦痛だったでしょうね」ムムは生成を見つめた。
「見下す……? 私が……?」
「生成さんは非常に分かりやすい。ミカンさんが好きと言いながら、貴女が好きなのは自分。ミカンさんが好きな自分が好きなだけだ。そしてミカンさん引退後、その人気を利用してちやほやされる居場所を見つけた。……あぁ。そういう意味では根岸さんと似たようなところがありますね。そして、先ほど」
ムムはわざとにっこり笑顔で生成を見た。
「モミジさんを見て、貴女は何を思いました? 結婚したミカンさんをどう思いましたか?」
生成は黙った。心にある黒い何かを暴露されること、それを恐れたのだ。
「”負け組に堕ちた”、いや、正確に言いましょう。”ミカンたそに私は勝った”」
「そんな、そんな言い方……」
ミカンの結婚相手を見たときの生成の顔。どう映ったかは分からなくても、嬉しそうだったことだけは遠州や松葉にも分かった。しかしその先は分からない。何で嬉しそうだったのだろう。全てが分かっていそうなムムの言い分はあまりにも飾り気がなく、故に鋭い刃のようだった。そしてムムはそれを十分に理解して、言葉のナイフを生成に突き立てた。
「生成さんは、結婚したミカンさんに比べ、自分は勝っているとそう思ったのでしょう? 結婚相手が変わればまた違ってくるのかもしれませんが、しかし、普通の一般人との結婚。モミジさんには失礼ですが……顔もそんなに良いとは言えない。片や、結婚しておらずミカンさんの代わりとはいえ男性にちやほやされる日々。どちらが幸せかなど、人それぞれなのかもしれませんが、生成さんはご自身の方に勝ちを確信した」
「ま、待ってください。そんなこと……」
「いいですよ。別に、それを罪だとは言いません。貴女を見た目で判断し、蔑む人のこともまた、私は差別しません。私が罪とするのは、殺人だけです」
生成は唇をぐっと噛んだ。しかし、それ以上は何もしようとはしない。「他にもあります」
ムムの目線は、生成から外れ、桔梗と二尾に向けられた。
「お二方も他人事ではありませんよ。桔梗さんは引退した後のアイドル・ミカン、改めユズさんのことを知っていた。写真まで撮って。モミジさんを紹介した時の動揺のなさからして、もしかして、モミジさんのこともご存じだったんじゃないでしょうか? ストーカーまがいといえば、丁度いいかもしれません」
桔梗は顔を青ざめさせた。そして、髪をワサワサと振るわせながら必死に喉を使おうとする。しかし、それを許さないようにムムが言った。「ずるい人間です」
ムムは更に確信に近いような口ぶりで桔梗を揺さぶった。
「根岸さんと生成さんに、レモンさんが経営している店を伝えたのも桔梗さんでしょう? さすがにミカンさんの家や現状は自分だけの秘密にしていたようですが……遠州さんがミカンさんの写真を求めたとき、話したそうにしていたところを見るに、誰かに話したくてしょうがなかったようですね」
「そ、それは……」
「遠州さんがユズさんの隠し撮りされた写真を見ただけで、レモンさんがユズさんの妹であると気づきました。レモンさんとユズさんはよく似ていたのでしょうか? いいえ。桔梗さんが見せたのはユズさんの写真ではなかった。彼は間違えたのです。レモンさんとユズさんの盗撮写真を」
シンと静まり返った部屋で、遠州は怒りが溜まるのを感じた。
「貴女は知っていた。ユズさんのことも、レモンさんのことも。ストーカーという非情な行動によるものですが。そしてそれの一部を”ビタミン中毒”仲間である根岸さんや生成さんに自慢した。だからお二方もレモンさんの経営する”きんかん”に足を運んだ。その証拠もありました。それが貴方のことをずるい人間と言った理由です」
桔梗は大きく息を吐いた。開き直ったと言ってもいい。ともかく、桔梗は思いのたけをぶちまけた。
「しょ、しょうが、ないでしょう? そ、そもそも、変装なんかせず子供を連れて歩く、方が悪い! ついて来いと、そう言っているようなもんじゃないか! 彼女にこんな不愛想な男は見合わない! そ、そう思って彼女に言ってやったよ! ”ミカンの夫の写真をネットにばらまいてやる”って! それからミカンは僕を恐れて外に出なくなったから頭が冷えてもうやめたけど……」
瞬間、モミジが桔梗を掴んだ。ギリギリと歯を鳴らし、桔梗を見る。モミジにはそれが、ぐじゃぐじゃになった生ゴミに見えた。「やめてください、モミジさん。それ以上は犯罪です」
「遠州さん……あなたには分からないでしょう」「分かりませんね」
遠州は桔梗から目線をそらさず言った。「こんな奴のために手を汚す気持ちなんて」
「これでまた一つ、事実が明らかになったわけだ。ミカンさんは外に出なくなった。桔梗さんというストーカーが怖くなったことで、外がどういう状況かも分からなくなったのです。家庭のことはマミちゃんに任せるようになったのもそのためでしょう」
今度は二尾の方を向き直る。「貴女も隠していることがありますよね」
「はて……分かりません」
「正確に言えば、言っていないこと、でしょうか。あの養護施設はずいぶんお金がないそうですね。存続の危機と言えるほどだそうで。何故教えてくれなかったのです?」
「……それが何のお役に立つのでしょう。そもそも私はレモンの住民票の話しか聞かされておりませんでした」
二尾の言葉に、ムムはハッとしてそれからにっこりと笑った。
「いけませんね。話が逸れすぎた。私はここにいる遠州さん、松葉医師、モミジさんを除くすべての人に動機があるとそう言いたいだけなのです。ユズさんと、それからレモンさん殺害の」
レモンさん殺害。ムムの嘘偽りない言葉は、周りを更に冷たいものへと変えた。
「レモン? レモンも死んだのですか?」「いいえ、殺されたのですよ」
言い直すムムに、二尾は大きく目を見開いた。「それが関係ありますか?」
「貴女には関係あると思いますよ、二尾さん」
ムムが言った。その時、二尾は初めてムムの瞳をちゃんと見た。赤く染まった瞳だ。何故気づかなかったのだろう。彼女の瞳は狂気じみていた。
「順を追って説明しましょう。そう、始まりはごく普通のことでした。養護施設を経営する二尾さんは経営難に陥っていました。そして考えた。このままでは家族がそろって共倒れしてしまう。それは避けなければならない。ではどうすればいい? 悩んだ末に一人の娘に連絡をした。アイドルとして活躍し、二尾が求める”資金”を持ったユズに。最初は父親として恩がある二尾さんの頼みです。断ることもなく、ユズさんはそのお金を惜しむことなく二尾さんに渡していた。しかし、そんなユズさんが、援助を拒みだしたか、或いは二尾さんとの間に何かトラブルがあったのか、なんにしても、施設への寄付を怠るようになった。それでは養護施設は存続ができなくなってしまう。それを恐れた二尾さんは賭けに出た。レモンさんが素行の悪い友人とつながってしまったと嘘をついて」
「ユズさんが言っていた、妹の悪行は嘘?」「そうなりますね」
「そんなわけないじゃないですか」
「そうでしょうか? レモンさんの家に行ったとき、彼女の人柄を見て取ることができました。まさか姉が勝手にいなくなったからと言って駄々をこねるような、そんな人ではないということはすぐに分かります。それから、貴方の言い分には大きな矛盾がある」
「矛盾?」
「貴方は私に言いました。”レモンは二十歳の誕生会を迎えることなく、家出をした”と。では、施設で見たレモンさんが誕生日ケーキを持つ写真はどうやって撮ったのです?」
「そりゃ、他の歳の誕生会だったのでしょう。……なんにしても、矛盾はどこにもない」
「いえ、矛盾だらけですよ。二尾さん。レモンさんが持つケーキには二本のろうそくが刺さっていました。これが意味するものとは、そう、そのケーキが祝われる主の歳は二十歳であるということです」
二尾は息が詰まる思いだった。
「レモンさんが二十歳の誕生会を行う前に家出をしたなんて、どうしてそんな嘘をついたのでしょう。ユズさんに印象付けたかったのです。”お前の妹のせいでこんなに苦労をしている”と。そんなユズさんにさりげなく、施設の資金繰りが良くないことを伝えれば、彼女はまたお金を差し出す。現に、アイドル・ミカンさんの寄付はビタミン中毒の皆さんの間でも有名でしたよね」
「しかし……、いや仮にそうだとすれば、じゃあなぜミカンは殺されたのです?」
「事実がユズさんに伝わった」
松葉がそう呟いた。「その通り」
ムムははっきりと口に出した。「幸か不幸か、他の施設の子供たちと同じように独り立ちしたレモンさんは、たまたまユズさんと会ったのです。そしてユズさんは知った。二尾さんに騙されていたということを。施設という偽りの家族と、モミジさんたちという本当の家族。ユズさんはその二つを天秤にかけ、そして本物を選んだ。二尾さんにもう寄付はしないことを言いに行ったその日、二尾さんに殺意があったのかどうか知りません。とにかく、ユズさんは殺された。そして二尾さんはそれを隠そうと地面に埋めた。誰にも気づかれないようにと願いを込めて」
「結果的に見つからなかった。何年も経った後に、見つかったわけだが」
遠州の言葉にムムは頷いた。「そしてそれがレモンさんに耳にも入った。彼女に事実を迫られ、そして二人目の犠牲者が出てしまったというわけですね」
二尾は黙ったまま何も言わない。ムムは二尾を決して逃さないという風に続けた。
「ユズさんの殺人は、故意か故意じゃないか分かりかねますが、しかし、レモンさんの方は完全な殺意がありました。殺すと思っていなければ持ってこないでしょう? ハンマーなんて」
「決定的だな」遠州は苦々しく言った。
「本当にそうでしょうか」二尾は笑った。遠州は気味が悪いと思うほどの、穏やかな笑顔だった。
「まず探偵さんが言うことは想像の範疇を出ていません。レモンの家出が嘘? そんな証拠があるのでしょうか。そもそもユズの援助だって、彼女が自身で進んで決めたことです。それに。私ばかりに目をやるようにとそう意識しているだけのように見えますが、彼らはどうなのです? ユズが行っていたミカンというアイドルに対して執着していたのは明白であるし、彼らにもユズ、そしてレモンを殺す動機があるように見えますよ」
「おっしゃる通りです」ムムは当たり前だと頷いた。
「しかし、彼らに犯行はできません」「何故?」
「アリバイがあります。しかも三人とも」
「アリバイ? まさか、ユズの事件のアリバイがあるとでも? 荒れは何年も前のことだと、先ほどそういったじゃないですか」
「レモンさんの方ですよ、二尾さん」
二尾は表情を崩した。どうやって呼吸していたのか忘れるほどに、息が詰まる。ムムは二尾の目を見て、そして冷ややかに言った。二尾にはそれが、ユズと瓜二つの瞳だと思った。
「レモンさんの事件が起こったのは、昨夜の午前二時そんな時間にはアリバイがないのが普通なのですが……しかし彼らにはアリバイがある。根岸さんは使えない部下のせいで朝方まで仕事を残業してらっしゃいましたし、生成さんはバイト先の仕込みをしていた。桔梗さんだってそうです。昨日はゲームで一日をつぶされたと、そう聞いています。だから残念なことに貴方だけなのです。昨夜午前二時、レモンさんの仕事帰りに家に寄り、殺害が可能だったのは」
二尾はようやく深呼吸をした。それを見たムムは目を細めた。「そして、レモンさんが家出していないという物的証拠も存在します」
「物的証拠?」
ムムは二尾に何枚かの紙を差し出した。それらはレモンの居酒屋”きんかん”に貼られていた絵だった。それらを見た途端、二尾は苦しそうに顔を歪ませる。
「貴方はレモンさんが二十歳の誕生会を迎えることなく家出をしてしまい、もう連絡を取っていないと言いました。しかし、それではレモンさんの店に飾ってあった子供たちの絵はどうやってレモンさんの元にたどり着くのでしょう。度々施設に行っては、子供たちが描いた絵を貰っていたんでしょう。レモンさんは信じていた。二尾さんもまた、本物の家族であると。しかし、そうではないとレモンさんは知った。だから二尾さんに訴えようとしたのです。何故姉を殺したのだと」
そう言い切った後、ムムは笑った。
「貴方が取りこぼした証拠を集め、そこにいる遠州さんに提出すれば、遠州さんは法的な手続きをとるでしょう。貴方の養護施設だけではない。モミジさんが協力してくれれば、ユズさんの生前の日記など見つかるかもしれません。そうなってしまえば、決定的です。貴方からお金をせびられていた、なんて書かれていてもおかしくはないでしょうし。……もう言い逃れはできませんよ」
モミジは知っていた。そんな日記など残っているわけがないと。そしてそれは、ムムも当然周知の事実だろう。ムムの探偵としての能力は低いが、しかしここまでの堂々とした虚勢と、場の雰囲気が、彼女に隠し事などできないと、そう思わせるのだとモミジは気づいた。それに気づいたとして、果たして自分は嘘を隠し通せるだろうか。モミジにはすぐに結論が出た。出来ない。嘘をつくという才能が自分にはないのだ。
二尾は目を閉じた。もう終わったと、自分の人生に別れを告げたのだ。そうして、置き土産という風に、周りにいたものに向き直ると、表情を歪めて、言った。「ユズは悪魔でした。彼女は孤児という身でありながら、私を決して親とは認めなかった。施設にお金がないというと、彼女は笑って私に言いました。”それが、私に関係あるの?”と。そればかりか、施設を”くだらない場所”と罵った。”こんな場所、早く潰れてしまえばいい”その言葉が、私にはそれが許せなかった……。しかしユズという成功した悪魔にへりくだらなければ金を貰えないのも事実です。だからどうにか頭を下げ、援助をしてもらっていました。しかし想定外のことが起きた。そう、悪魔は気まぐれだったのです」
二尾の話すユズの像は、これまで聞いたどの話とも違い、ユズへの悪意に満ちていた。「急に支援をやめると、そう言い渡されました。私には原因が一切分からなかった。しかしユズは私の話などまったく聞こうとはしない。だから……賭けに出ました。彼女の唯一大事にしていた妹、レモンを使うことで彼女を操ろうとしたのです。それからはとても順調でした。ユズはアイドルをやめても尚、寄付を続けてくれましたし、レモンは誕生会をしてすぐに自立しましたからここにはもういません。ウソがばれることもない。私はそう確信しました」
「しかしそうではなかった。レモンさんとユズさんは出会って、そして事実を知ってしまったのですね」
「ええ。すぐに私の元に電話が来ました。ユズから。”どうしてそんな嘘をついたのか。私には子供も、夫もいる。それを犠牲にしてまで寄付をしていたのに、これではあんまりじゃないか”彼女の言い分には、私たちが家族であったということは一ミリも触れてはいませんでした。そればかりか憎しみすら込められていたように思います。私は……恩を仇で返すあの悪魔が許せなかった。そこからは、もう、自分でも覚えていません。五年以上前のことです。彼女と江ノ墓地に待ち合わせをして、そして、殺しました。待ち合わせを墓地にしたのは、死体を死体で隠したかったからというのが本音です。そうして悪魔の埋葬が終わり、約五年という年月を経て、バレた。しかも今度はレモンにもばれてしまいました。施設の資金繰りの悪さはユズから聞いていたようで、呼び出され、家に入って開閉一番に自首を進められてしまいましたよ。悪魔の妹はやはり、悪魔でした」
ムムも、それからその場にいた全員が黙って二尾の話に耳を傾けていた。彼の遺書ともいえるその言葉には、彼の苦労、苦痛、そして憎しみであふれかえっていた。「あとは探偵さんの言う通りです」
「……行きましょうか」遠州がそっと誘導する中、二尾は、根岸、生成、桔梗、そしてモミジの方を見て言った。
「モミジさん、とおっしゃいましたね。彼女はきっと、貴方のことを夫だなどと思ってはいなかったでしょう。彼女にとって、自分以外はすべて道具なのです。彼女は悪魔でした。よく、お忘れないように」
”彼女は悪魔だった”それが二尾の感情を一番表している言葉なのだろう。ムムは無表情のまま、しかし何も言うことはせず、その背中を見守った。
”あの人気アイドル・ミカンの妹、殺される⁉””凶器はハンマー‼””犯人解明されず””江ノでの悲劇‼””犯人は誰⁉”と書いてある見出しをムムはそこらへんに放り投げた。内容も読む気にはなれない。それよりもムムにはすべきことがあった。遠州に頼んでおいた、その紙を見つめ、ムムは満足そうに頷いた。
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ムムは辺りを見渡した。ムムの指示通り、遠州が集めてくれた人たち。藍沢モミジ、根岸ツトム、生成アキラ、桔梗シンタロウ、二尾カネツグ、松葉ユウダイ、遠州。呼ばれた意味が分からない者は一人もいない。だからこそ、その場にいた誰もが皆一様に不安な顔を覗かせていた。
「お集まりいただきありがとうございます」
ムムの声がツンと場を張り詰めさせた。彼女の声は低く、聞こえづらいこともあるが、しかし、事件解決の時の彼女の声はいつでも聞き取りやすくなる。聞いてほしいと、そうムムが願っているからかもしれない。
「事件解決の前に、いくつか皆様に知っておいてほしいことがあります」
そう言って、藍沢モミジを手で指す。「こちら、アイドル・ミカンこと、ユズさんの夫である、藍沢モミジさんです」
ムムはにっこり笑うが、周りの反応は違う。当たり前だろう。根岸は前世の恨みであるような顔をし、生成は希望に近いような顔をする。桔梗はモミジのことを知っていたのか、知らなかったのか、反応は薄い。二尾は首をかしげてはいるがその眼差しは重い。ムムは続けた。
「先日、藍沢モミジさんの妻であるユズさんの遺体が発見されました。白骨死体だったので、最低でも三年前には死んだことになります。殺されたのか、自殺したのか。私たちは殺されたという線で調べました」
「殺された……?」
この中で唯一ユズの死について知らなかった二尾が声を漏らした。「そうとは限りませんが、少なくともこの世にはいません」「そうで、すか……」
「二尾さんは、新聞等を見られないんですか?」
「見ないですね。あまり興味がないもので」
二尾の声を遮るように遠州が腕を組んだまま、ムムに聞いた。
「殺されたんじゃないのか? 実際は違うのか?」
「いいえ。事実です。彼女は殺された。誰かによって」
ここでムムは集まった人々の反応を楽しんだ。しかし、彼らから何かを得ることなどできない。それほどまでに彼らが人の死について身近ではないのだ。ムムは少し思い出した。初めて身近で人の死を見たときのことを。ムムにとってそれらは死ではなく、事件としか映ることはなかった。だからこそ、事件を解決することができるのだ。冷静に、死とではなく、人間と向き合うことで、感傷に浸ることなどない。ムムは唇を舐めた。昔の自分を、もう一度思い出したのだ。「さて」ムムは笑った。痛々しいほどだった。
「ここでユズさんの生い立ちを見ていきましょう。彼女は孤児でした。両親の事故死により、妹と二人きりになってしまったユズさんは、最初は絶望したでしょう。この世を恨んだかもしれません。まぁ、どうでもいいですが、つまり、彼女は自身の人生に絶望した。しかし人生は彼女を糸で操り、夢を見させた。二尾さん、貴方の手によって楽しい生活を教えられ、そして良き友にも恵まれた。幸せだったでしょう。アイドルをするまでは」
「アイドルが不幸の始まりだと?」根岸は不快そうに吐き捨てた。
「その通りです」
しかし、ムムは屈しなかった。
「アイドルとして、スカウトされたユズは、ミカンと名乗り、江ノのあちこちでライブを行った。その彼女に惚れた人が果たして何人いたでしょうか。十? 百? 両親を失い、悲劇のヒロインになってしまった彼女には恵まれたことが一つあった。そう、容姿です。容姿がいいと何かと得でしょう。特に女性なら、尚更。しかし人気アイドルというその称号を得た彼女に、また不幸な知らせが届きます。妹の悪行です。ですよね、二尾さん」
「え、えぇ。レモン……ユズの妹の名前ですが、彼女は妹である自分を捨て、突然アイドルになった姉を憎み、恨み、まぁ正確には寂しかっただけのようでしたが、犯罪じみたことまでするようになった」
「放火。盗み。暴行。まぁ、いろいろやったでしょうが、しかしユズさんは姉として、そして大事な家族として、レモンさんの犯罪を止めたかった。そこで頼ったのです。消防士であるモミジさんに。妹の犯罪を未然に止めてくれることと引き換えに、自分の恋人という称号を」
空気が重い。事実とは、そうでなくてはならない時がある。「根岸さん。私が言った通りでしょう? アイドルが不幸の始まりだと」
「は、はは……要するにあれですか? 彼女はアイドルでありながら、妹の犯罪をもみ消してくれる男と付き合い……挙句結婚するために引退したってことですか?」
「まぁ、大体はその通りですね」「僕らファンに対する最大の侮辱だ!」
根岸の視線はモミジに注がれていた。殺意と言ってもいい。しかし、ムムはそれを遮るように、言葉を濁した。
「どうでしょうか」
「お前に! お前なんかに何が分かる!」「分かりませんよ勿論」
しかし、とムムは続けた。
「私には貴方がモミジさんとユズさんを責める権利があるようには見えません。根岸さんが欲しいのは、古参の自分の立場は上であるという、ただのプライドに過ぎない。応援していたというなら、ミカンさんのどこが好きだったのですか? アイドル・ミカンという嘘偽りしかない存在の、果たしてどこに惹かれていたのです? 根岸さんが好きだったのはアイドル・ミカンではありません。権利、もしくは自慢ができるその居場所です。もし、仮にもし、本当にアイドル・ミカンが好きというのであれば、貴方は死人を追い続けているに過ぎない。そう、アイドル引退を宣言した時点で、彼女は死んだのです。アイドル・ミカンという存在はね」
根岸はうすぼんやりとした感覚の中で、ミカンがアイドル引退宣言をした日を思い出していた。彼女はあの時に死んでいたのか。思い出だと言っていたクッキーも、本当に彼女は好きだったんだろうか。分からない。死人に口などないからだ。
「そうですよ! クッキー星人さんは自己中なんです。ミカンたそは、私たちの理想を押し付けられたいわけではなかったんですよ! 苦痛だったと思います!」
「そして、真似され、見下されることも苦痛だったでしょうね」ムムは生成を見つめた。
「見下す……? 私が……?」
「生成さんは非常に分かりやすい。ミカンさんが好きと言いながら、貴女が好きなのは自分。ミカンさんが好きな自分が好きなだけだ。そしてミカンさん引退後、その人気を利用してちやほやされる居場所を見つけた。……あぁ。そういう意味では根岸さんと似たようなところがありますね。そして、先ほど」
ムムはわざとにっこり笑顔で生成を見た。
「モミジさんを見て、貴女は何を思いました? 結婚したミカンさんをどう思いましたか?」
生成は黙った。心にある黒い何かを暴露されること、それを恐れたのだ。
「”負け組に堕ちた”、いや、正確に言いましょう。”ミカンたそに私は勝った”」
「そんな、そんな言い方……」
ミカンの結婚相手を見たときの生成の顔。どう映ったかは分からなくても、嬉しそうだったことだけは遠州や松葉にも分かった。しかしその先は分からない。何で嬉しそうだったのだろう。全てが分かっていそうなムムの言い分はあまりにも飾り気がなく、故に鋭い刃のようだった。そしてムムはそれを十分に理解して、言葉のナイフを生成に突き立てた。
「生成さんは、結婚したミカンさんに比べ、自分は勝っているとそう思ったのでしょう? 結婚相手が変わればまた違ってくるのかもしれませんが、しかし、普通の一般人との結婚。モミジさんには失礼ですが……顔もそんなに良いとは言えない。片や、結婚しておらずミカンさんの代わりとはいえ男性にちやほやされる日々。どちらが幸せかなど、人それぞれなのかもしれませんが、生成さんはご自身の方に勝ちを確信した」
「ま、待ってください。そんなこと……」
「いいですよ。別に、それを罪だとは言いません。貴女を見た目で判断し、蔑む人のこともまた、私は差別しません。私が罪とするのは、殺人だけです」
生成は唇をぐっと噛んだ。しかし、それ以上は何もしようとはしない。「他にもあります」
ムムの目線は、生成から外れ、桔梗と二尾に向けられた。
「お二方も他人事ではありませんよ。桔梗さんは引退した後のアイドル・ミカン、改めユズさんのことを知っていた。写真まで撮って。モミジさんを紹介した時の動揺のなさからして、もしかして、モミジさんのこともご存じだったんじゃないでしょうか? ストーカーまがいといえば、丁度いいかもしれません」
桔梗は顔を青ざめさせた。そして、髪をワサワサと振るわせながら必死に喉を使おうとする。しかし、それを許さないようにムムが言った。「ずるい人間です」
ムムは更に確信に近いような口ぶりで桔梗を揺さぶった。
「根岸さんと生成さんに、レモンさんが経営している店を伝えたのも桔梗さんでしょう? さすがにミカンさんの家や現状は自分だけの秘密にしていたようですが……遠州さんがミカンさんの写真を求めたとき、話したそうにしていたところを見るに、誰かに話したくてしょうがなかったようですね」
「そ、それは……」
「遠州さんがユズさんの隠し撮りされた写真を見ただけで、レモンさんがユズさんの妹であると気づきました。レモンさんとユズさんはよく似ていたのでしょうか? いいえ。桔梗さんが見せたのはユズさんの写真ではなかった。彼は間違えたのです。レモンさんとユズさんの盗撮写真を」
シンと静まり返った部屋で、遠州は怒りが溜まるのを感じた。
「貴女は知っていた。ユズさんのことも、レモンさんのことも。ストーカーという非情な行動によるものですが。そしてそれの一部を”ビタミン中毒”仲間である根岸さんや生成さんに自慢した。だからお二方もレモンさんの経営する”きんかん”に足を運んだ。その証拠もありました。それが貴方のことをずるい人間と言った理由です」
桔梗は大きく息を吐いた。開き直ったと言ってもいい。ともかく、桔梗は思いのたけをぶちまけた。
「しょ、しょうが、ないでしょう? そ、そもそも、変装なんかせず子供を連れて歩く、方が悪い! ついて来いと、そう言っているようなもんじゃないか! 彼女にこんな不愛想な男は見合わない! そ、そう思って彼女に言ってやったよ! ”ミカンの夫の写真をネットにばらまいてやる”って! それからミカンは僕を恐れて外に出なくなったから頭が冷えてもうやめたけど……」
瞬間、モミジが桔梗を掴んだ。ギリギリと歯を鳴らし、桔梗を見る。モミジにはそれが、ぐじゃぐじゃになった生ゴミに見えた。「やめてください、モミジさん。それ以上は犯罪です」
「遠州さん……あなたには分からないでしょう」「分かりませんね」
遠州は桔梗から目線をそらさず言った。「こんな奴のために手を汚す気持ちなんて」
「これでまた一つ、事実が明らかになったわけだ。ミカンさんは外に出なくなった。桔梗さんというストーカーが怖くなったことで、外がどういう状況かも分からなくなったのです。家庭のことはマミちゃんに任せるようになったのもそのためでしょう」
今度は二尾の方を向き直る。「貴女も隠していることがありますよね」
「はて……分かりません」
「正確に言えば、言っていないこと、でしょうか。あの養護施設はずいぶんお金がないそうですね。存続の危機と言えるほどだそうで。何故教えてくれなかったのです?」
「……それが何のお役に立つのでしょう。そもそも私はレモンの住民票の話しか聞かされておりませんでした」
二尾の言葉に、ムムはハッとしてそれからにっこりと笑った。
「いけませんね。話が逸れすぎた。私はここにいる遠州さん、松葉医師、モミジさんを除くすべての人に動機があるとそう言いたいだけなのです。ユズさんと、それからレモンさん殺害の」
レモンさん殺害。ムムの嘘偽りない言葉は、周りを更に冷たいものへと変えた。
「レモン? レモンも死んだのですか?」「いいえ、殺されたのですよ」
言い直すムムに、二尾は大きく目を見開いた。「それが関係ありますか?」
「貴女には関係あると思いますよ、二尾さん」
ムムが言った。その時、二尾は初めてムムの瞳をちゃんと見た。赤く染まった瞳だ。何故気づかなかったのだろう。彼女の瞳は狂気じみていた。
「順を追って説明しましょう。そう、始まりはごく普通のことでした。養護施設を経営する二尾さんは経営難に陥っていました。そして考えた。このままでは家族がそろって共倒れしてしまう。それは避けなければならない。ではどうすればいい? 悩んだ末に一人の娘に連絡をした。アイドルとして活躍し、二尾が求める”資金”を持ったユズに。最初は父親として恩がある二尾さんの頼みです。断ることもなく、ユズさんはそのお金を惜しむことなく二尾さんに渡していた。しかし、そんなユズさんが、援助を拒みだしたか、或いは二尾さんとの間に何かトラブルがあったのか、なんにしても、施設への寄付を怠るようになった。それでは養護施設は存続ができなくなってしまう。それを恐れた二尾さんは賭けに出た。レモンさんが素行の悪い友人とつながってしまったと嘘をついて」
「ユズさんが言っていた、妹の悪行は嘘?」「そうなりますね」
「そんなわけないじゃないですか」
「そうでしょうか? レモンさんの家に行ったとき、彼女の人柄を見て取ることができました。まさか姉が勝手にいなくなったからと言って駄々をこねるような、そんな人ではないということはすぐに分かります。それから、貴方の言い分には大きな矛盾がある」
「矛盾?」
「貴方は私に言いました。”レモンは二十歳の誕生会を迎えることなく、家出をした”と。では、施設で見たレモンさんが誕生日ケーキを持つ写真はどうやって撮ったのです?」
「そりゃ、他の歳の誕生会だったのでしょう。……なんにしても、矛盾はどこにもない」
「いえ、矛盾だらけですよ。二尾さん。レモンさんが持つケーキには二本のろうそくが刺さっていました。これが意味するものとは、そう、そのケーキが祝われる主の歳は二十歳であるということです」
二尾は息が詰まる思いだった。
「レモンさんが二十歳の誕生会を行う前に家出をしたなんて、どうしてそんな嘘をついたのでしょう。ユズさんに印象付けたかったのです。”お前の妹のせいでこんなに苦労をしている”と。そんなユズさんにさりげなく、施設の資金繰りが良くないことを伝えれば、彼女はまたお金を差し出す。現に、アイドル・ミカンさんの寄付はビタミン中毒の皆さんの間でも有名でしたよね」
「しかし……、いや仮にそうだとすれば、じゃあなぜミカンは殺されたのです?」
「事実がユズさんに伝わった」
松葉がそう呟いた。「その通り」
ムムははっきりと口に出した。「幸か不幸か、他の施設の子供たちと同じように独り立ちしたレモンさんは、たまたまユズさんと会ったのです。そしてユズさんは知った。二尾さんに騙されていたということを。施設という偽りの家族と、モミジさんたちという本当の家族。ユズさんはその二つを天秤にかけ、そして本物を選んだ。二尾さんにもう寄付はしないことを言いに行ったその日、二尾さんに殺意があったのかどうか知りません。とにかく、ユズさんは殺された。そして二尾さんはそれを隠そうと地面に埋めた。誰にも気づかれないようにと願いを込めて」
「結果的に見つからなかった。何年も経った後に、見つかったわけだが」
遠州の言葉にムムは頷いた。「そしてそれがレモンさんに耳にも入った。彼女に事実を迫られ、そして二人目の犠牲者が出てしまったというわけですね」
二尾は黙ったまま何も言わない。ムムは二尾を決して逃さないという風に続けた。
「ユズさんの殺人は、故意か故意じゃないか分かりかねますが、しかし、レモンさんの方は完全な殺意がありました。殺すと思っていなければ持ってこないでしょう? ハンマーなんて」
「決定的だな」遠州は苦々しく言った。
「本当にそうでしょうか」二尾は笑った。遠州は気味が悪いと思うほどの、穏やかな笑顔だった。
「まず探偵さんが言うことは想像の範疇を出ていません。レモンの家出が嘘? そんな証拠があるのでしょうか。そもそもユズの援助だって、彼女が自身で進んで決めたことです。それに。私ばかりに目をやるようにとそう意識しているだけのように見えますが、彼らはどうなのです? ユズが行っていたミカンというアイドルに対して執着していたのは明白であるし、彼らにもユズ、そしてレモンを殺す動機があるように見えますよ」
「おっしゃる通りです」ムムは当たり前だと頷いた。
「しかし、彼らに犯行はできません」「何故?」
「アリバイがあります。しかも三人とも」
「アリバイ? まさか、ユズの事件のアリバイがあるとでも? 荒れは何年も前のことだと、先ほどそういったじゃないですか」
「レモンさんの方ですよ、二尾さん」
二尾は表情を崩した。どうやって呼吸していたのか忘れるほどに、息が詰まる。ムムは二尾の目を見て、そして冷ややかに言った。二尾にはそれが、ユズと瓜二つの瞳だと思った。
「レモンさんの事件が起こったのは、昨夜の午前二時そんな時間にはアリバイがないのが普通なのですが……しかし彼らにはアリバイがある。根岸さんは使えない部下のせいで朝方まで仕事を残業してらっしゃいましたし、生成さんはバイト先の仕込みをしていた。桔梗さんだってそうです。昨日はゲームで一日をつぶされたと、そう聞いています。だから残念なことに貴方だけなのです。昨夜午前二時、レモンさんの仕事帰りに家に寄り、殺害が可能だったのは」
二尾はようやく深呼吸をした。それを見たムムは目を細めた。「そして、レモンさんが家出していないという物的証拠も存在します」
「物的証拠?」
ムムは二尾に何枚かの紙を差し出した。それらはレモンの居酒屋”きんかん”に貼られていた絵だった。それらを見た途端、二尾は苦しそうに顔を歪ませる。
「貴方はレモンさんが二十歳の誕生会を迎えることなく家出をしてしまい、もう連絡を取っていないと言いました。しかし、それではレモンさんの店に飾ってあった子供たちの絵はどうやってレモンさんの元にたどり着くのでしょう。度々施設に行っては、子供たちが描いた絵を貰っていたんでしょう。レモンさんは信じていた。二尾さんもまた、本物の家族であると。しかし、そうではないとレモンさんは知った。だから二尾さんに訴えようとしたのです。何故姉を殺したのだと」
そう言い切った後、ムムは笑った。
「貴方が取りこぼした証拠を集め、そこにいる遠州さんに提出すれば、遠州さんは法的な手続きをとるでしょう。貴方の養護施設だけではない。モミジさんが協力してくれれば、ユズさんの生前の日記など見つかるかもしれません。そうなってしまえば、決定的です。貴方からお金をせびられていた、なんて書かれていてもおかしくはないでしょうし。……もう言い逃れはできませんよ」
モミジは知っていた。そんな日記など残っているわけがないと。そしてそれは、ムムも当然周知の事実だろう。ムムの探偵としての能力は低いが、しかしここまでの堂々とした虚勢と、場の雰囲気が、彼女に隠し事などできないと、そう思わせるのだとモミジは気づいた。それに気づいたとして、果たして自分は嘘を隠し通せるだろうか。モミジにはすぐに結論が出た。出来ない。嘘をつくという才能が自分にはないのだ。
二尾は目を閉じた。もう終わったと、自分の人生に別れを告げたのだ。そうして、置き土産という風に、周りにいたものに向き直ると、表情を歪めて、言った。「ユズは悪魔でした。彼女は孤児という身でありながら、私を決して親とは認めなかった。施設にお金がないというと、彼女は笑って私に言いました。”それが、私に関係あるの?”と。そればかりか、施設を”くだらない場所”と罵った。”こんな場所、早く潰れてしまえばいい”その言葉が、私にはそれが許せなかった……。しかしユズという成功した悪魔にへりくだらなければ金を貰えないのも事実です。だからどうにか頭を下げ、援助をしてもらっていました。しかし想定外のことが起きた。そう、悪魔は気まぐれだったのです」
二尾の話すユズの像は、これまで聞いたどの話とも違い、ユズへの悪意に満ちていた。「急に支援をやめると、そう言い渡されました。私には原因が一切分からなかった。しかしユズは私の話などまったく聞こうとはしない。だから……賭けに出ました。彼女の唯一大事にしていた妹、レモンを使うことで彼女を操ろうとしたのです。それからはとても順調でした。ユズはアイドルをやめても尚、寄付を続けてくれましたし、レモンは誕生会をしてすぐに自立しましたからここにはもういません。ウソがばれることもない。私はそう確信しました」
「しかしそうではなかった。レモンさんとユズさんは出会って、そして事実を知ってしまったのですね」
「ええ。すぐに私の元に電話が来ました。ユズから。”どうしてそんな嘘をついたのか。私には子供も、夫もいる。それを犠牲にしてまで寄付をしていたのに、これではあんまりじゃないか”彼女の言い分には、私たちが家族であったということは一ミリも触れてはいませんでした。そればかりか憎しみすら込められていたように思います。私は……恩を仇で返すあの悪魔が許せなかった。そこからは、もう、自分でも覚えていません。五年以上前のことです。彼女と江ノ墓地に待ち合わせをして、そして、殺しました。待ち合わせを墓地にしたのは、死体を死体で隠したかったからというのが本音です。そうして悪魔の埋葬が終わり、約五年という年月を経て、バレた。しかも今度はレモンにもばれてしまいました。施設の資金繰りの悪さはユズから聞いていたようで、呼び出され、家に入って開閉一番に自首を進められてしまいましたよ。悪魔の妹はやはり、悪魔でした」
ムムも、それからその場にいた全員が黙って二尾の話に耳を傾けていた。彼の遺書ともいえるその言葉には、彼の苦労、苦痛、そして憎しみであふれかえっていた。「あとは探偵さんの言う通りです」
「……行きましょうか」遠州がそっと誘導する中、二尾は、根岸、生成、桔梗、そしてモミジの方を見て言った。
「モミジさん、とおっしゃいましたね。彼女はきっと、貴方のことを夫だなどと思ってはいなかったでしょう。彼女にとって、自分以外はすべて道具なのです。彼女は悪魔でした。よく、お忘れないように」
”彼女は悪魔だった”それが二尾の感情を一番表している言葉なのだろう。ムムは無表情のまま、しかし何も言うことはせず、その背中を見守った。
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