3 / 9
3 ニニギ
しおりを挟む
「クシュン」
くしゃみで目を覚ました時、由良は元の姿に戻っていた。
ガバリと勢い良く起き上がろうとしたが、板敷きの上で寝ていたからか、身体が軋む。
「いたたっ。こ、ここは……?」
目に入って来たのは、先ほど逃げて飛び込んだ神社の景色だった。お社の中で横たわっている由良に、茶色の塊がトタトタと向かって来る。
『由良、大丈夫?』
鼻と鼻が触れそうな距離に、可愛らしい小動物がいた。クンクンと心配そうに顔を寄せられ、細やかに揺れる髭がくすぐったい。
「あなたは――確か、檜皮よね?」
『そうだよ。ちゃんと覚えていてくれたんだね。良かった~」
「ねえ、檜皮。ここは何処なの?」
「ファ~ア。――ごめん。安心したら今度は僕が眠たくなっちゃった。少しここで休ませて――』
そのまま檜皮は由良の腕と腹の間に収まって、目を閉じてしまった。
実は、説明逃れをしようとしているだけなのだが、クークーと寝息をたてる檜皮に、庇護欲を全開にされた由良は、素直に狸寝入りを信じてしまう。
「やっぱり可愛い子」
それはそれは大切な宝物を守るように、檜皮をそっと優しく包んであげた。
(夢じゃない……)
春の夜の冷えた空気も、檜皮の温もりも、間違いなく本物だ――
ゆっくり上半身を起こすと、下肢に羽織りがかけられているのに気がついた。紺色のモコモコパジャマから膝から下が出てしまって、同じ素材のルームソックスはベロンと脱げかけていた。
「あの人が羽織っていた着物だ……」
毛の長い三毛猫と、その綺麗な飼い主の記憶も、鮮明に覚えている。
(うーん。あれは、酔いも完璧に醒めるほどの恐怖だった)
もしやと思い、慎重に周囲を見渡すと、角の離れた場所に男と生成が居た。丸まっていた生成の目が鋭く光り、三日月形に細められる。
「うっ」
また襲われるのかと、ゴクリと唾を飲んで相手の出方を待つ。
「よせ、生成」
こちらに背を向け、生成の隣に座っていたあの美しい飼い主が、指先で制止する。興を削がれたのか、生成はすっぽりと頭を後ろ足に挟んでしまった。
(これがアンモニャイト!)
生成が襲ってこないと分かり、羽織りを返そうと居住まいを正して飼い主に向き直った。
「貴方の物ですよね? ありがとうございました」
一瞬だけ振り返った男と目が合う。やはり、心臓がギュウと縮こまりそうな程に綺麗な面差しだ。
「いい。そのまま着ていろ」
それだけ応えられ、また背を向けられる。由良はその場にとどまり、これからどうしたらいいか分からず、途方に暮れた。
厳かな社殿の中に、静寂が充満する。どこからか沈丁花の甘い香りが漂ってきた。
とうとう由良は、今起きている事が現実なのだと、五感全てで理解させられた。
「やっぱり、夢じゃないんだ……」
心細くなって、小さな呟きが口から漏れたが、気を取り直し、勇気を出して男に尋ねた。
「あの、ちょっとお伺いしたいのですが――」
しかし、男の美しい顔は振り向かない。ここにある羽織りは彼の優しさのはずだが、今度は突き放されてしまう。
「「…………」」
長い沈黙だけが、二人の間に存在していた――
重苦しい空気に痺れを切らしたのか、ハアと大きく息を吐いて、男は神楽殿の方に向かって声をあげた。
「覗き見なんて悪趣味だな。ソコにいるんだろ? 女が起きた。早く説明してやれよ」
なんの事かと由良が視線を上げると、ゆったりとした動きで姿を現す人影が見えた。
「やっぱり気がついていましたか。困っている五百枝が可笑しすぎて、出る機を逸してしまいましたよ」
愉快そうに笑いながら歩いて来たのは、由良の記憶にはない少年だった。身につけた水干と括り袴がいとけなさを演出しているが、纏う空気が常人ではない。
「私はニニギと申します。由良さんには申し訳ないことをしました。檜皮の中では、言葉が通じなくて不便でしたよね。これからは気をつけます」
まるで、お人形さんの様に完成された見目形をした子どもが、由良に向かって柔和に微笑んでいる。子ども扱いすべきでないと、頭の中で警告音が鳴っていた。
「初めましてニニギさん。羽織りを貸してくれたのがイオエさんですね? どうして檜皮が家にやって来て、私がここに居るのかを、ニニギさんはご存知ですか?」
「私が檜皮に御使いを頼みました。ここは隠の地と呼ばれる場所です。由良さんにお願いしたい事がありまして、お招きしたのです。私の話を聞いていただけますか?」
穏やかな微笑みを崩さないニニギに手を差し出され、由良は警戒しながらも握手を交わした。
五百枝は由良が起きるまで待っていてくれたのだろう。生成の飼い主としての責任感からかもしれないが、ぶっきらぼうなだけで悪人ではない。
(続きを聞くしか、選択肢はなさそうね)
その五百枝の知り合いのようだし、由良はこのままニニギの話を聞いた方がいいと判断した。
「じゃ、俺は帰る」
「待ちなさい、五百枝」
清んだ少年の声なのに、逆らえない威圧感があった。立ち上がりかけた五百枝は、眉間に盛大に皺を寄せながらも、大人しく座り直した。
五百枝が残ってくれたことに安堵し、由良は覚悟を決める。
「それではニニギさん、聞かせてください」
「わかりました」
由良は、薄目を開け様子を伺っていた檜皮を膝の上に置き、ニニギに向かって板敷きの上に正座した。遠慮なく五百枝の羽織りを借りて暖をとる。
帰ると言ったのに留め置かれた五百枝と生成は、渋々といった体でニニギと由良を見ている。
心なしか、生成が大きくなり、その長い毛で夜明け前の空気から主を守っているようだった――
くしゃみで目を覚ました時、由良は元の姿に戻っていた。
ガバリと勢い良く起き上がろうとしたが、板敷きの上で寝ていたからか、身体が軋む。
「いたたっ。こ、ここは……?」
目に入って来たのは、先ほど逃げて飛び込んだ神社の景色だった。お社の中で横たわっている由良に、茶色の塊がトタトタと向かって来る。
『由良、大丈夫?』
鼻と鼻が触れそうな距離に、可愛らしい小動物がいた。クンクンと心配そうに顔を寄せられ、細やかに揺れる髭がくすぐったい。
「あなたは――確か、檜皮よね?」
『そうだよ。ちゃんと覚えていてくれたんだね。良かった~」
「ねえ、檜皮。ここは何処なの?」
「ファ~ア。――ごめん。安心したら今度は僕が眠たくなっちゃった。少しここで休ませて――』
そのまま檜皮は由良の腕と腹の間に収まって、目を閉じてしまった。
実は、説明逃れをしようとしているだけなのだが、クークーと寝息をたてる檜皮に、庇護欲を全開にされた由良は、素直に狸寝入りを信じてしまう。
「やっぱり可愛い子」
それはそれは大切な宝物を守るように、檜皮をそっと優しく包んであげた。
(夢じゃない……)
春の夜の冷えた空気も、檜皮の温もりも、間違いなく本物だ――
ゆっくり上半身を起こすと、下肢に羽織りがかけられているのに気がついた。紺色のモコモコパジャマから膝から下が出てしまって、同じ素材のルームソックスはベロンと脱げかけていた。
「あの人が羽織っていた着物だ……」
毛の長い三毛猫と、その綺麗な飼い主の記憶も、鮮明に覚えている。
(うーん。あれは、酔いも完璧に醒めるほどの恐怖だった)
もしやと思い、慎重に周囲を見渡すと、角の離れた場所に男と生成が居た。丸まっていた生成の目が鋭く光り、三日月形に細められる。
「うっ」
また襲われるのかと、ゴクリと唾を飲んで相手の出方を待つ。
「よせ、生成」
こちらに背を向け、生成の隣に座っていたあの美しい飼い主が、指先で制止する。興を削がれたのか、生成はすっぽりと頭を後ろ足に挟んでしまった。
(これがアンモニャイト!)
生成が襲ってこないと分かり、羽織りを返そうと居住まいを正して飼い主に向き直った。
「貴方の物ですよね? ありがとうございました」
一瞬だけ振り返った男と目が合う。やはり、心臓がギュウと縮こまりそうな程に綺麗な面差しだ。
「いい。そのまま着ていろ」
それだけ応えられ、また背を向けられる。由良はその場にとどまり、これからどうしたらいいか分からず、途方に暮れた。
厳かな社殿の中に、静寂が充満する。どこからか沈丁花の甘い香りが漂ってきた。
とうとう由良は、今起きている事が現実なのだと、五感全てで理解させられた。
「やっぱり、夢じゃないんだ……」
心細くなって、小さな呟きが口から漏れたが、気を取り直し、勇気を出して男に尋ねた。
「あの、ちょっとお伺いしたいのですが――」
しかし、男の美しい顔は振り向かない。ここにある羽織りは彼の優しさのはずだが、今度は突き放されてしまう。
「「…………」」
長い沈黙だけが、二人の間に存在していた――
重苦しい空気に痺れを切らしたのか、ハアと大きく息を吐いて、男は神楽殿の方に向かって声をあげた。
「覗き見なんて悪趣味だな。ソコにいるんだろ? 女が起きた。早く説明してやれよ」
なんの事かと由良が視線を上げると、ゆったりとした動きで姿を現す人影が見えた。
「やっぱり気がついていましたか。困っている五百枝が可笑しすぎて、出る機を逸してしまいましたよ」
愉快そうに笑いながら歩いて来たのは、由良の記憶にはない少年だった。身につけた水干と括り袴がいとけなさを演出しているが、纏う空気が常人ではない。
「私はニニギと申します。由良さんには申し訳ないことをしました。檜皮の中では、言葉が通じなくて不便でしたよね。これからは気をつけます」
まるで、お人形さんの様に完成された見目形をした子どもが、由良に向かって柔和に微笑んでいる。子ども扱いすべきでないと、頭の中で警告音が鳴っていた。
「初めましてニニギさん。羽織りを貸してくれたのがイオエさんですね? どうして檜皮が家にやって来て、私がここに居るのかを、ニニギさんはご存知ですか?」
「私が檜皮に御使いを頼みました。ここは隠の地と呼ばれる場所です。由良さんにお願いしたい事がありまして、お招きしたのです。私の話を聞いていただけますか?」
穏やかな微笑みを崩さないニニギに手を差し出され、由良は警戒しながらも握手を交わした。
五百枝は由良が起きるまで待っていてくれたのだろう。生成の飼い主としての責任感からかもしれないが、ぶっきらぼうなだけで悪人ではない。
(続きを聞くしか、選択肢はなさそうね)
その五百枝の知り合いのようだし、由良はこのままニニギの話を聞いた方がいいと判断した。
「じゃ、俺は帰る」
「待ちなさい、五百枝」
清んだ少年の声なのに、逆らえない威圧感があった。立ち上がりかけた五百枝は、眉間に盛大に皺を寄せながらも、大人しく座り直した。
五百枝が残ってくれたことに安堵し、由良は覚悟を決める。
「それではニニギさん、聞かせてください」
「わかりました」
由良は、薄目を開け様子を伺っていた檜皮を膝の上に置き、ニニギに向かって板敷きの上に正座した。遠慮なく五百枝の羽織りを借りて暖をとる。
帰ると言ったのに留め置かれた五百枝と生成は、渋々といった体でニニギと由良を見ている。
心なしか、生成が大きくなり、その長い毛で夜明け前の空気から主を守っているようだった――
0
あなたにおすすめの小説
幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない
ラム猫
恋愛
幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。
その後、十年以上彼と再会することはなかった。
三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。
しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
猫なので、もう働きません。
具なっしー
恋愛
不老不死が実現した日本。600歳まで社畜として働き続けた私、佐々木ひまり。
やっと安楽死できると思ったら――普通に苦しいし、目が覚めたら猫になっていた!?
しかもここは女性が極端に少ない世界。
イケオジ貴族に拾われ、猫幼女として溺愛される日々が始まる。
「もう頑張らない」って決めたのに、また頑張っちゃう私……。
これは、社畜上がりの猫幼女が“だらだらしながら溺愛される”物語。
※表紙はAI画像です
脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。
石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。
ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。
そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。
真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる