彼と姫と

蓬屋 月餅

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外伝

幕間「義弟」

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「ねぇ霙、本当に僕がいて大丈夫なのかな」

 霙のかたわらで不安そうに眉をひそめて話す彼。
 霙は彼の背に手を当てながら「大丈夫」とはっきり言う。

「『のぎ』は冴のことを本当の兄のように思っているんだ。だから婚約者に紹介したくてたまらないんだろ」
「う…でも、『のぎちゃん』との関係を聞かれたらなんて答えれば良いの?霙の伴侶だって言ったら変に思われちゃうでしょ、僕は男なんだから」
「どうかな、彼の性格上そうは思わないと思うけど。それよりもっと驚くことがあってそれどころじゃなくなるんじゃないかって気がする」

 霙の落ち着き払ったその言い方に、彼が首を傾げて「なに…『のぎちゃん』の相手のこと、そんなによく知ってるの?」と尋ねると、霙は「知ってる。冴もよく知ってるはずだ」と前を見据えて言った。

 よく晴れた秋のある日。
 彼は霙に連れられて母屋の外の道に立ち、ある人物の到着を待っていた。
 そのある人物とは霙の妹である『のぎ』の婚約者だ。
 
 数日前、のぎは彼に「私の誕生日に彼がここへ来てくれるんだけど、彼に冴兄ちゃんのことも紹介したいの。だから出迎えてくれない?」と言い出した。
 事情が事情なだけに「居候としてならいいよ」と渋る彼だったが、のぎは「だめよ、私の義兄としてじゃなきゃ」といって譲らず、さらに霙にも「お願い、兄ちゃんからも言ってよ」と懇願した。
 結局霙からも押される形で彼は共にのぎとその婚約者を出迎えることになったのだが、2人がそろそろ到着するだろうという頃になっても彼は躊躇っている。
 霙の家族は快く受け入れてくれたが、のぎの婚約者だという人物が彼のことをどう思うかは分からない。
 もし否定的に思われれば霙の家族全員に迷惑をかけることになるから、と緊張して縮こまる彼。
 霙はそんな彼に寄り添って肩を抱く。

「…どうしても嫌なら顔を合わせるのをやめてもいい、のぎには俺が言っておくから。だけど、冴を家族としてきちんと紹介したいっていうあいつのことは分かってやってほしいんだ」

 霙のその言葉に「うん…それは嬉しいけど…でもそれでのぎちゃんや霙や皆に迷惑がかかったらと思うと気が気じゃないんだよ」と胸の内を吐露する彼。
 すると霙は突然彼の髪にちゅっと口づけ、赤面する彼に向かって目を細めた。

「な、何すんの、誰か見てたら…!」
「どうせもうこんなにくっついてるんだし」
「い、いやいや!じゃあ今すぐ離れ…」
「もう遅い、のぎ達が来た」
「えっ!?」

 ぴったりと体を寄せている霙から逃れようとしていた彼は ぱっと道の先に視線を向ける。
 そこには たしかにこちらへ向かってくる1台の荷車があった。
 荷車を引く馬を御しているのはのぎの婚約者らしき男だ。
 荷車の上には積まれた荷物と共にのぎの姿もある。

「霙兄ちゃん!冴兄ちゃん!」

 元気よくこちらに向かって手を振るのぎ
 彼は緊張しながら控えめに手を振り返した。

「ねぇ、霙。本当に大丈夫だよね?」
「あぁ。俺とのぎに任せて」
「…うん」

 ここまで来たら引き下がる訳にはいかない、と腹を括った彼。
 だが、次第に近付いてくる荷車をよく見た彼は「えっ?」と思わず目を疑った。
 荷車でやってきたその男の方も目を丸くしているようだ。

「おい、なんでここに姫がいるんだよ」

 それはどう考えても見覚えのある姿、そして聞き覚えのある声だ。
 彼は「え…え、嘘、のぎちゃんの婚約者ってあいつ?」と霙に問いかける。

「まさか、本当にあいつがそうなの?」
「そう。ほら、冴も知ってたろ」
「え、本当にほんと?本当なの?」
「そうだよ」
「えーっ!なんだよ!それなら先に言ってくれれば良かったのに!」

 途端に緊張が解け、朗らかに笑いながら霙の肩をバシバシと叩く彼。
 すぐそばに停まった荷車から降りてきた男は、彼が漁業地域の作業場で最も親しくしていたあの元仕事仲間だった。

「なんで?なんで姫がここにいるんだよ、訳分かんないんだけど?」
「あははっ!僕もびっくりしたよ!なんだ、禾ちゃんの婚約者ってしゅうだったのか、あははっ!!」
「な、なんなんだ…?なんで姫が…」

 思いがけない旧友との再会に訳も分からず困惑するのぎの婚約者。
 同じく荷車から降りたのぎは彼の元仕事仲間に「え…なに、しゅうさんは冴兄ちゃんのことを『姫』って呼んでたの?』と眉をひそめる。

「『姫』って……まさか嫌がってるのを無理にそう呼んでたんじゃないよね?冴兄ちゃんはそんな風に呼ばれてても良かったの?」
「え…いやのぎさん、俺は別にそんなことは」
「そうそう!そうだ、そういえば僕のことを初めに『姫』って呼びだしたのはしゅうだったな。しゅうが呼び出したらそれが周りにどんどん広がっていってさ…」
「やだ、それ本当なの?」
「お、おい待てよ!のぎさん、違うんだ、これは、その……っていうより、なんで姫がここにいるんだよ!?」

 気まずくなったのか話題を替えようとする元仕事仲間。
 するとのぎは「しゅうさん、改めて紹介するね」と前に並んで立つ2人を恭しく手のひらで指した。

「こちら、私の兄の霙と冴さんです。ふふ、紹介できて良かった!」
「は…え、え?のぎさんの兄弟って霙1人じゃなかった?姫がのぎさんのお兄さんって…ど、どういう事?霙と姫は兄弟か?たしか姫は俺と同い年のはずだろ、じゃあ霙は姫の弟なのか?」
「いや、違う」

 きっぱりと否定した霙は再び彼の肩を強く抱き寄せると「冴は俺の伴侶だから。兄っていうか、のぎの義兄ってことだ」と言い放つ。
 目を真ん丸に見開き、唖然としている元仕事仲間の表情はなかなかに面白く、それを見ていたずら心をくすぐられた彼は「うん、そういうことなんだよ」と霙に腕を回してさらに身を寄せた。

「僕、霙とはもう夫婦同然っていうかさ、ここで一緒に暮らさせてもらってもいるんだ。…あれ?ってことはさ、しゅうは僕の義弟になるんだね?ははっ、まさかそうだったなんて!霙も意地が悪いよ、早く言ってくれればよかったのに」
「なんだ、皆知り合いだったんだ!ねぇ冴兄ちゃん、無理を言ってごめん…でも出迎えてくれて、紹介させてくれてありがとう!」
「ううん、僕は大丈夫。それより隣の婚約者さんは大丈夫かな、固まっちゃってるみたい」

 未だに衝撃から抜け出せず、微動だにしない元仕事仲間。
 のぎが「ねぇ、大丈夫?しゅうさん?」と目の前で何度も手を振ることでようやく意識を取り直したらしい元仕事仲間は「そ、そうか、へぇ、へぇ……」と身を寄せ合っている2人に視線を向けたまま呟く。

「まぁ、漁業地域で…2人はいつも楽しそうだったもんな、うん……いや、待てよ、知ってるやつが、それも歳下が義兄になるっていうのもなかなかだったのに、今度は同い年の親友までそこに加わって…義兄だと?お、俺はどうなってるんだ、知り合いが2人も……の、のぎさん、まさか他にはないよな?俺を驚かせるのはこれが最後だろ?そうじゃないならもういっそ今ここで全部明らかにしてもらったほうが……」

 狼狽えながらそう言う婚約者にのぎは「大丈夫、これで全部よ」と満面の笑みを見せる。

「私の家族はこれでもう全員紹介したし、他に驚かせることはもうないから大丈夫!ねぇしゅうさん、2人が義兄になるからってそんなに緊張しなくてもいいと思うわ。霙兄ちゃんと冴兄さんとはお友達だったんでしょ?変に気を遣って距離ができるより、今まで通り仲良くしたほうが良いじゃない。私はただ大切な家族を紹介したかっただけなの、気を遣わせたいわけじゃないんだから…ね?」
「う、うん…」

 そんな若い婚約者同士の姿に思わず顔を見合わせて微笑む彼と霙。
 するとのぎは「兄ちゃん達、ここぞとばかりにイチャイチャを見せつけてくるね?」とくすくす笑った。

「もう分かったから、そんなに見せつけないでよ!しゅうさんの顔が真っ赤になってる、見てよほら!今にも火がつきそうでしょ」
「ははっ!そうだね、ごめん!霙、ほら…」
「あぁ」

 彼の髪にちゅっと口づけてからようやく身を離した霙は、やけに満足そうだ。
 きっと彼を改めて自身の伴侶だと宣言できたことが嬉しいのだろう。
 彼は眩いほどの笑顔を見せながら「なぁしゅう」と元仕事仲間に呼びかける。

のぎちゃんをお嫁にもらうんだから、絶対に幸せにしなくちゃだめだよ。こんなに良い子を泣かせたりしたら僕と霙が許さないからね、分かった?」
「お、おい姫!のぎさんをちゃん付けで呼ぶなんて!俺だってまだなのに、お前が先に…っ!」
しゅうさん、『姫』じゃなくて『冴義兄さん』ね」

 のぎからの鋭い指摘にビクッとする元仕事仲間。
 のぎはさらに続けて言う。

「緊張しなくていいとは言ったけど、冴さんは私の義兄だもん。その呼び方はどうかと思うの、さすがに」
「そうだな。名前で呼ぶか、それじゃなかったら『義兄さん』がいいんじゃないか」
「う……えぇ……?」

 霙とのぎとに詰め寄られて怯む元仕事仲間は、逃げ場を失い、その場でただ立ち尽くしている。
 結局 元仕事仲間はしばらく…いや、随分と躊躇った後で意を決したように口を開いた。

「さ…さえ…冴義兄…さん…」

 小さく呟くようなその声。
 それは今まで散々話をし、結婚で仕事を辞めると聞かされた時にも(もう会えなくなるのか…)と寂しい思いをするほど親しくしていた友の新しく見る姿だ。
 これからも長い付き合いになりそうだという予感に胸をくすぐられ、彼は笑いを必死に堪えながら答える。

「うん、よろしくな義弟くん!」
「うわ…なんだよそれ…まさかそんな風に呼ばれることになるなんて……知り合いが義兄になるって、そんなのアリかよ……」
「はははっ!あるでしょ、それくらい!」
「そうだぞ、結婚相手が友人の妹だっただなんて ありきたり過ぎる話だ」
「そう、そうか…そうだな…そう…い、いやいや!?」

 いつの間にか漁業地域で共に働いていた時とまったく同じように賑やかに話をする3人。
 そのあまりにも賑やかな様子を聞きつけた霙の母親は母屋の戸を開け放つと「まぁ、来てたのね!」と手を布巾で拭いながら言った。

「もうご飯ができてるわよ!ほら、立ち話ばかりしていないで中へいらっしゃい!…ふふっ、まったく賑やかな子達ですこと!」

ーーーーーーーーー

 荷車に積まれていたのぎやその家族への贈り物を母屋へと運ぶ、仲の良い男3人。
 人が少なく、いつも静かなこの辺りには愉快な話し声と笑い声が満ちていた。
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