その杯に葡萄酒を

蓬屋 月餅

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第一章

4「墓碑の丘にて」

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 陸国それぞれの地域には、その地域にゆかりのある人が眠るための『墓碑』がある。
 大きな岩を切り出して作られた、少し横に長い墓碑。
 そのそばに建つ小さな建物の中にはそこに眠る人々の名と生没年が記された記録簿が何冊か納められていて、それらの頁をめくると陸国の歴史さえもが感じられるようになっている。
 墓碑を訪れた人は記録簿に記された故人の名を眺めたり、花束を手向けたり、線香などを供えたりといった各々の弔い方をして故人を偲ぶものだ。
 ほとんど毎日誰かが弔いのために訪れているため、墓碑の前には花などが絶えることはない。
 いつも華やかで、静かで、そしてどこか物悲しい。
 それが陸国の『墓碑』だ。


ーーーーーーー


 まだ肌寒さが少し残る春。
 整備工房での仕事の都合をつけて丸一日休みをとっていたこうは、鉱酪通りにある一軒の花屋で小振りな花束を受け取り、酪農地域にある墓碑の元へと向かっていた。
 彼が弔うのは父親と母親だ。
 2人は夾が幼い頃に事故で亡くなったらしい。
 夾は幼すぎたためなのか、それともあまりにも突然のことで強い衝撃を受けたせいなのか…ほとんど当時の記憶がなかった。
 両親がどんな人だったかということに関しても、兄や祖父母から聞く以外に自分自身で憶えていることといえば『優しく豪胆なところのある両親だった』というくらいだ。
 かろうじて憶えている幼少期の記憶の中には『遠慮ない力加減でがしがしと頭を撫でられた感覚』というのがあるのだが、それはおそらく両親の手によるものだったのだろう。
 夾にとって両親に関する記憶とは そうしたいくつかのことだけだった。
 しかし夾よりもずっと長く両親と共に過ごしていた夾の7歳上の兄には両親との記憶や思い出が語り尽くせないほど沢山残っている。
 夾が産まれたときのこともよく覚えているという兄。
 家族のことを心から愛していた兄がある日突然大切な両親を失い、 まだ幼い弟の夾と2人でこれから先も生きていかなければならないという状況になったのだ。1人でどれだけ寂しい思いをしたのかについては想像に難くない。
 兄はそんな寂しさを『弟を、この子を守れるのは自分しかいない』という強い心に変え、自分達兄弟を引き取って育ててくれた祖父母と共に夾をことのほか大切にしていた。
 毎年両親の命日近くになると兄は夾を連れて酪農地域にある墓碑へ赴き、夾がどれほど立派に育っているかを報告しては悲しげに微笑んでいる。
 そんな兄の姿を見る度に、夾は兄がどれだけの苦労を重ねて自らを育ててくれたことだろうかと、ありがたい思いでいっぱいになるのだった。

 工芸地域の家から酪農地域の墓碑までは結構な距離があり、行き来すること自体は大したこともないのだが、落ち着いて墓碑に手を合わせに行くにはどうしても少し慌ただしくなってしまう。
 そのため毎年墓碑へ行くときは今夾が住んでいる家に一泊してからゆっくりと向かうのが常だったのだが、今年は命日当日に兄弟2人の予定が合わず、少し早めに揃って墓碑を訪れていた。
 そして命日当日には酪農地域住まいの夾が1人で墓碑を訪れることにしたのだ。

 陸国では墓碑に供える花束には手向ける相手の名などを記しておくのが一般的であり、夾が持っている花束にも花々をくくっている美しい布帯には夾の手による整った字で『父さんと母さんへ』と記されている。
 夾は花束を手に墓碑への道を歩きながら、両親について考えた。
 祖父母や兄から話を聞いても、やはり『豪胆なところがあった』評されている両親。
 夾が今住んでいる酪農地域の家は両親が結婚したときに改装し、夾達兄弟を含む4人で住んでいた家だ。
 元々その家は酪農地域の者達によって夜間の野生動物の見張をするために建てられたものだったのだが、随分前に別のところへ新たに見張り小屋が建てられたことで使われなくなり、長年空き家となっていたらしい。
 それに目をつけたのが夾の両親だった。
 周囲から「せっかくならどこか鉱酪通り沿いの、生活がしやすいところにしてはどうか」と助言されたのだが、両親は2人揃って「自然の中でのびのびしたいから」とわざわざ鉱酪通りから少し離れたところにあるその家を好んだのだという。
 結局両親はそう何年もその家に住まうことはなかったのだが、両親亡き後は祖父母が時折はるばる工芸地域から泊りがけで来ては家の風通しをし、綺麗な状態を保ってくれていた。
 
(父さんと母さんが遺したあの家…他との行き来はしづらいけど、すごく好きな家だ)

 1人暮らしにはだいぶ贅沢な広さ、立派さであるその家が彼はとても好きになっていた。
 たしかに家の周囲には多くの人気ひとけがあるわけではない。
 しかしそばを流れる川やその上に架かる橋はとても美しく、夜には酪農地域の見張りの者によって野生動物を防ぐための灯火が広い地域を取り囲むようににぐるりと灯されており、適度に他の人々の生活感を感じながらゆったりと過ごせるという他にはない点がなんとも彼好みだったのだ。
 きっと両親がその家を選んだ理由の『自然の中でのびのびしたいから』という思いは、彼自身にもよく受け継がれているということなのだろう。
 祖父母や兄の話を聞く限り夾は自分と両親は(自分とはまったく似てないな、性格が)と思っていたのだが、やはりこういうところでは感性などが一致しているようだ。


 酪農地域の中心へと繋がる道を行き、少し上り坂になっている横道を上がっていくと、その先に墓碑のある丘へとたどり着くことができる。
 小さい頃に祖父母や兄と共に工芸地域から泊りがけでここへ来ていたときはこの坂が果てしなく続くように思えていたものだが、今はすっかり難なく歩けるようになっていた。

(あれ…あれはもしかして…)

 道を登りきった先に見える立派な墓碑。
 だが、その前には人影がある。
 そしてどうやらその人影は…

せん、さん……?)

 夾にはそれが【觜宿の杯】の主の璇だということがすぐに分かった。
 遠くからの後ろ姿でもはっきりその人だと分かる、というのは少し妙なようだが、実際夾はたったそれだけでも璇だと分かるほどに普段からその姿を見てきていたのだ。
 陽射しを受けて輝く璇の髪は赤銅のように美しく艶やかで、ふとしたかぜに靡くと眩しいほどに思える。
 どうしてこんなにも璇のことが気になってしまうのかは夾にも本当に、まったく説明がつかない。
 ただ『気になる』『目がいく』、そして『美しい、素敵だ、素晴らしいと思ってしまう』ということなのだ。
 月明かりの下や灯火の下では目にしたことがあっても、日中の太陽光の下ではまたそれとは違った姿の見え方をするものであり、夾は思わずその後姿に魅入ってしまっていた。
 【觜宿の杯】で主人然としている時とは違う服装、つまり楽な普段着姿だったことも物珍しく思えて夾の気を引いていたのだろう。

 しばらくして弔いを終えたらしい璇が動きを見せたのに気付き、夾は慌ててそばの木立に身を隠す。
 跡をつけてきていたというわけでもないのに。
 なにも身を隠す必要はなかったはずなのに。
 やましいことがあったわけではないというのに…(いや、後姿をじっと見てはいたのだが)。
 なにか咄嗟のことがあると反射的に身を隠してしまうというのは、きっと彼のなのだろう。
 そうして隠れてじっとしていると、璇はまったく夾に気付くそぶりもなくその横を通り過ぎて丘を下って行った。
 辺りから1人の人影もなくなった墓碑。
 鬱蒼と茂る木立の中から爽やかな風が吹く墓碑の前へと出ていった夾は、持ってきた花束を供えて手を合わせると、そっと目を閉じて想いを込める。
 改めて自らの近況などを両親へと報告するように、心の中で語りかけながら。
 きっと両親にも彼の想いが届いていることだろう。
 偶然墓碑の元へ降り立った2羽のつがいの鳥は、なんだか両親が会いに来てくれたかのようだった。

(いつ来てもここは本当に…良い香りがする)

 弔いをひとしきり終えた夾は改めて墓碑の周りに目を向ける。
 様々な人が連日訪れるここはいつもたくさんの花束が置かれている上、周辺にも四季折々に咲く花などが植えられており、誰かが供えていった線香などの香りも相まって何とも言えない安らかな良い香りが一帯を包み込んでいるのだ。
 他では味わえない独特な雰囲気が好きで、夾はなんとなく横に長い墓碑の前を端から端までゆっくりと歩く。
 すると数ある花束の中でもひと際瑞々しいものがあるのに気付いた。
 たった今夾が供えたものと同じくらいの瑞々しさのそれは…明らかに璇が先ほど供えていったものだ。
 詮索しようというつもりは一切なかったのだが、夾は花を束ねている目立った明るい橙色の布帯に記された名を目にしてしまった。
 …当然見たことも聞いたこともない名だ。
 だが璇がしばらくの間墓碑に向かい合っていたところをみると、が璇にとってよほど大切な人だったのだろうということが分かる。
 誰にでも偲ぶ人がいるものだ。
 夾は璇の弔いがに届いていることを祈り、もう一度自身の両親へと挨拶をしてから家へと帰ることにした。
 自らが供えた花束の前で手を合わせていると、ふと近くに人の気配がする。
 誰か他の人が故人を弔いに来たらしい。
 両親への弔いを終えて立ち上がった夾は新たに墓碑を訪れた30代半ばほどの男と会釈を交わしたのだが…その拍子に男が隣に置いたばかりの新たな花束に記されていた名が目に飛び込んできた。

(…同じ名前の、人?)

 そう、その花束の宛先は璇が置いて行った花束と同じ名の人だったのだ。
 同じ人か、もしくは偶然同じ名前の人、ということだろう。
 思わず足を止めて見てしまっていたため、花束を置いた男は「どうかなさいましたか?」と夾に声をかけてきた。

「なにか気になることでも…」

 男があまりにも穏やかな様子で接してくるので なんとなく緊張してしまった夾は「すみません、不躾でしたよね」と詫びてその場を立ち去ろうとする。
 しかし、なんと男は「あっ、待ってください!」と夾を呼び止めた。

「あの、もし人違いでしたら申し訳ないんですが、あなたは…工芸地域での結婚式にいらっしゃいませんでしたか?2年か3年前くらいの、結婚式です」
「えっ」
「新郎側のご家族…弟さんではありませんか?」

 話しているうちに確信を持っていったらしく「やっぱり!そうですよね?」と言う男。
 どうやら夾の義姉(兄の妻)の親戚筋の人だったようだ。
 工芸地域での夾の兄と義姉の結婚式にも招待されていたらしく、そこで新郎の弟として挨拶などをしていた夾のことを見かけていたらしい。
 夾は当時沢山の人に会いながら動き回っていたために列席していたという男の姿にはまったく覚えがなかったのだが…申し訳なさそうにする夾に男は「いえいえ、招待客はとても多かったでしょう?覚えていなくて当然ですよ」と笑って応えた。
 男と夾は互いにきちんと名乗り合い、そこで少しの立ち話をする。
 男は自身の呼び名を『りゅう』だと言った。

「まさか酪農地域で会うとは、不思議なこともあるものですね。夾さんはここへはどなたのお弔いに?」
「あ…両親です。兄は工芸地域住まいなのでここまで来るのには泊りがけでなければならないのですが、今年は少し都合がつかなくて。私だけでも命日の今日にと」
「そうでしたか…。私は弟に会いに来たんです、同じく命日でしてね」

 毎年 夾は兄と共に午前中の早い時間にここへ来ていたのだが、今年は1人で午後にゆっくりと来たため、ちょうど墓碑で顔を合わせることになったらしい。
 偶然のことに驚くものの、夾がそれ以上に気になっていたのはりゅうの弔い相手が璇の弔い相手と同じ名前、しかも弟だということだ。

「弟、さん…」

 夾が呟くと、りゅうは「といっても血の繋がりはないんですけどね」と肩をすくめる。

「夾さんは私の弟をご存じなんですか?」
「いえ、知っているというわけではないんですが…」
「?」

 璇が弔っている相手、とは…。
 なんとなく視線を璇が供えていった花束に向けてしまっていた夾。
 するとそんな夾の視線の先のものに気づいたらしいりゅうは「…もしよかったら、僕の弟のことをお話させていただけませんか」とにこやかに言った。

「こうして会ったのも何かの縁ですし。聞いていただけたらきっとそれも供養になると思うんです」

 「もしよかったら、ですけどね」と言うりゅうに、夾は小さく頷いて応えた。


ーーーーーーー


「弟は『れい』と呼ばれていました。僕の家の養子になったのは10歳の時です、元々彼は僕の父親の親友の子だったんですよ」

 墓碑の前に広がる青々とした草地に腰を下ろし、丘の下から遠くまで続く牧草地や点々とある家畜達の姿を眺めながら話すりゅう

「父親同士の仲が良かったので、僕とれいは小さい頃から面識があったんです。それこそよく一緒に遊びもしていました。家が近かったですし、彼も僕も一人っ子だったので互いに兄弟というような関係性に憧れていましたから。うちの養子になる前かられいは僕のことを兄と慕って後をついて回ったりして…僕もそんな彼が実の弟のようでとても可愛かった」

「…れいが10歳になった頃、彼の実父が重い病に罹りましてね。少し遠くにある療養地へと移り住むことになったんです。でも彼の実母は看病の方で手が一杯ですでに随分と疲れていましたし、なにより10歳の子が過ごすにはあまりにも静かすぎるところだということで、僕の父親が彼を引き取って育てることを提案しました。それから僕とれいは血の繋がりこそないけれど、本当の兄弟として暮らすようになったんです。毎日がとっても賑やかでしたよ。れいは明るく利発で、少しいたずらっ子というか…人をからかったりもするんですが、どんなにそれに困らされても最後には笑って許せてしまうような愛嬌がありましたから。人の気持ちや行動の些細な変化にも鋭く気が付いて、落ちこんでいれば励まし…『励まそうとしている』ということをまったく感じさせず、自然にそばにいて相手に寄り添うことができる。彼はそんな子でした」

「でもそうして何年か過ぎた時、れいは体調を崩したんです。初めは大丈夫だと言い張っていたんですが、やはり辛そうにすることが増えていって…医師に診せたところ、彼の病は実父と同じものだということでした。まさかと思いましたよ。でも医師が診察をするずっと前から症状は出ていたようで…彼はそれを隠し続けていたんです。若いと症状が悪化するのも早いらしく、結局れいは実父が亡くなった数か月後に旅立ちました。もう今から10年前のことです」

 きっとそのれいという人はりゅうの中によほどいい記憶を残していたのだろう。
 語られた内容の重さとは対照的に、りゅうはなんとも優しい笑みを浮かべて「今でも鮮明に思い出せますよ。彼の笑い声をね」と懐かしそうに言うのだ。

「弟さん…とても素敵な方なんですね」

 夾が言うとりゅうは「えぇ、我が弟ながら」と深く頷き、小さく笑みを浮かべる。
 そして夾のことを気遣うような素振りを見せながら、少しの間の後でさらに口を開いた。

「…れいは誰からも人気があるような子でした。なのでもちろんもいたんです、やっぱり兄弟のような感じで。よく一緒にいるのを見かけましたよ」

「でもれいは生前、そのに対して『あまり自分のことを思い出してほしくない』、というか『引きずってほしくない』というようなことを言っていたんです。『いつまでも想われるのは重すぎる』とも。だけど どうやらその子は…まだれいのことを忘れられずにいるみたいですね」

「もう10年も経っているのに、まだ前を向くことができていないのかもしれません。まるで過去に縛られているかのように」

 りゅうは困り顔になりながら「その子は僕にとっても もう1人の弟のような子なんですよ。そろそろ前を向いて、幸せになってほしいのですが」とも付け加える。

 同じ名が記された花束。
 長い弔い。
 そして…りゅうの『僕にとっても もう1人の弟のような子』という言葉。

「そう、でしたか…」

 そよ風が吹く中、夾は目を伏せて呟いていた。
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