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4 ある二月の雪の夜
七 来るらしい
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二月下旬。金曜日。午後八時。
大阪、歓楽街。北新地。
俺は大阪に仕事で来ているという葉子さんと二人で飲んでいた。
個室の居酒屋で、魚と和食と酒。葉子さんに皿を勧める。
「葉子さん、これ美味しいですよ」
「えー、いただくいただく」
「そろそろ来るらしいです、西さん」
携帯電話にメッセージが入っていて、俺はそう言った。と同時に個室の戸が開いて、寒そうに身を震わせながら西さんが入ってくる。
「おつおつ。おー、さっぶ」
「お疲れ様です。お先にいただいています」
「お疲れ、西くーん。仕事大変だった?」
「おー、ちょっと電話で捕まってさ。食うもんあるー?」
「お食べお食べ」
「注文しましょう。飲み物、ビールでいいですか?」
「うん。おおきに、ありがとぉ」
テーブルの上の揚げ出し豆腐や、焼きおにぎり、枝豆、刺身の盛り合わせ、創作和食の皿を西さんの前に寄せていく。
ビールを注文して乾杯をしたあと、西さんはおにぎりを頬張りながら切り出した。
「やっぱ女は難しいわ」
「突然なに、西くん。女性関係だったの?」
「女性が多い職場はひとたびトラブルが起こるとな。ねえ、相田くん」
「そうですね……縄張り意識というか、カーストというか……女性の多い職場に限った話ではないですが、傾向として……」
うまくサポートできたらいいものの、中々思う通りにはいかないのが現状である。
「ま、仕事のことは忘れましょか。プライベートでも女は難しいけどな」
「西くんはしっかり者の奥さんにしがみついてればいいじゃん」
「しっかりしすぎててな。梃子でも動かんわ。動かざること山の如し。顔も信玄公やし」
「あんな美人捕まえてよく言うー」
「化粧は詐欺や。俺は騙されたんや」
西さんの奥さんはやはり元々同じ職場で、しかも西さんの上司だったらしい。
年上の女性で、尻に敷かれているとか。
「そういえば、相田くんは彼女おるんやっけ? こういうのを聞くのってきょうびセクハラなるん?」
「俺は気にしません。そして彼女はいません……」
「誰か紹介しよっか?」
葉子さん、仕事のみならず女の子まで紹介してくれるのかよ。
俺はジョッキのビールを飲みつつ答える。
「……今はいいかなって。仕事楽しいですし」
「えー! 仕事が充実してるんなら次は恋愛じゃない? どっちもガンガンいこうぜ!」
葉子さんは常にボス戦並みの強力攻撃。俺は命大事にタイプ。
西さんがドヤ顔で言う。
「俺も紹介できるで。おかんの友達とかもな。年上の女。五十過ぎの」
ストライクゾーンってあるよね。年齢っていうか年代? 聴いているアーティストが一切かぶらなさそう。
「相田くんって年上と合いそうではあるよね。いくつくらいまでいける?」
「いまて二十四歳やっけ?」
「はい。来月、二十五歳になります」
「わたしはね、二十二歳から上は三十二歳くらいで紹介できるかな」
うっわ、ドストライクゾーン……。
「いえいえ、ほんと。今はいいかなーって。またそのうち。もうちょっと落ち着いたらで。お気持ちだけで」
「男同士でつるんでるのってそんなに楽しいのー?」
「えっ、いいえ……!?」
葉子さんの穿った質問に、動揺してしまう。カズ先輩のこと言ってるのに間違いないだろうし。
別につるんでいるのが楽しいというわけではないけれど。
なんというか。
恋人ごっこ中というか。肉体関係というか。ただならぬ関係というか。
……説明できる言葉が見つからないな。
「なになに? 悪友でもおるん? 何友達?」
「相田くん、和臣と仲良しなんだよねー」
「あ、そういや小野寺に可愛がられてたな」
「いえ、それほどでもないですよ……?」
「いやいや、少なくとも小野寺のほうは可愛がってると思うで」
「和臣が後輩と仲良いなんてね。そういうの意外」
俺は否定するけれど、ふたりとも聞いてない。
西さんは刺身やら揚げ出し豆腐を食べながら、しみじみ言う。
「半年前さあ、面接して相田くん採用するって決まった後、小野寺に連絡したねん。採用するわーって。そしたら、次の日やわ。相田くんのこと頼みますって、大阪まで頭下げに来たもんな、小野寺」
「え……ええええ!?」
あの人、そんなことしたの!?
西さんに俺のことを頼みに、大阪まで?
俺は呆然。
西さんは笑いながら続ける。
「知らんかったやろ。内緒にしてくれ言われたし。あんときは、あのプライド振り切れてる小野寺にここまでさすなんて、相田くんってどんな子なんやろって思たもんやわ。ごめん、ごくふつうの真面目な子やった」
あの人、俺には土下座したけれど。
俺の前ではプライドの片鱗も見せないけれど。
そして俺はごくふつうの子で間違いない。手前味噌だけど真面目なほう。それしか取り柄がないし。
「えー、そんな保護者みたいなことしたの!?」
葉子さんも驚愕している。
西さんは頷いた。
「せやでー。奥様にって菓子折り持ってさ。なかなか手に入らんとかいう東京限定の高級スイーツ。うちのおかんバチクソ喜んでたわ。大阪に来る用事でもあったんか思たらトンボ返りやて」
「わかってるなー、和臣。たしかに、ブラック勤めの相田くんを心配してたらしいのね。仕事を紹介するのもずっと考えてたんだって。でも切り出せなかったからって、わたしもお礼されたんだわ。猫缶。最初はさすがに大阪に引っ越しさせるのはって渋ってたけど、西くんとこだったら安心だってわかってるし」
「時々、相田くんの様子を教えてくれって連絡くるでー。心配してんのやろな」
「わたしも訊かれるー。何かあっても俺には遠慮して言わないだろうからってさ。こっそり教えてくれって。あはは! 言っちゃった! 先輩、過保護だねー。遠慮しなくていいんだよ、相田くん。和臣、相田くんのこと大好きみたいだし」
「あいつ人間嫌いやからなー、珍しいな」
……ストーカー健在だわ。
そういう風に、ふたりを使って、情報収集してたのか。はあ。
まあ、いいけどさ。そのくらい。
それにしても、カズ先輩、本当に俺のこと好きなんだな……。誰が見てもわかるくらいに。そこまでするかよって感じだけど。
「こないだの飲みのとき、ちょっとぎくしゃくしてたでしょ。仲直りした?」
「え……あ……はい」
葉子さん、気を遣って、カズ先輩の部屋に泊まらせようとしたのか……。
まあ、結果は変わらなかったな。
俺はあらゆる意味で言葉を失い、葉子さんは楽しそうに大声で宣言。
「よし! せっかくだから和臣呼ぶかー!」
と、葉子さんは携帯電話を取り出す。
「え!? 今からですか!?」
ここ、北新地なんですけど。
彼、東京在住なんですけど。
今、午後九時なんですけど。
「おーい、和臣? 今ひま? 西くんと相田くんと三人で北新地で飲んでるんだけどさ、今からおいでよ!」
つながるし。無茶苦茶だよ。
「OK! じゃあお店の場所送るね!」
来るの!?
唖然としている俺をよそに、葉子さんはぱぱっと操作して、今いる店の位置情報を送りつけていた。
「え、カズ先輩、来るんですか!? どこにいるんですか?」
「いま、自分の家だって。仕事から帰ってきたところだって。でも行くって! まあ、東京大阪間って、のぞみで二時間二十分だし! 新大阪から北新地って十分だし!」
そう、そういう感覚ってあるよね。そうだけどさあ。
さすがに東京大阪は遠くない? 来るほうも来るほうだけど。
「じゃあ、和臣が来たらお祝いしてあげよっ!」
「お。小野寺、昇進でもしたん?」
なんだか知らないけど、お祝いされるほうが二時間半かかる距離を呼びつけられるって斬新。
「まだだと思うけど、海外赴任から戻ってきたら役職つきそうだよねー」
俺は思わず問い返した。
「カズ先輩、海外行くんですか」
海外赴任……そんなの一言も言っていなかった。
いつ決まったんだろう。
「そうそう。聞いてない? たぶん上海かロスのどっちかかな? インドかもだけど」
「……聞いてないです」
「水臭いやつだねー!」
二時間半後、カズ先輩は本当にやってきた。スーツ姿のまま。コートを腕にかけて戸を開けて入ってくる。
だけど西さんは酔っぱらって、カズ先輩が来た途端に「おう、お疲れ! おやすみ!」とか言って帰っちゃったし、葉子さんも手元のグラスだけ飲んだら実家に帰るらしい。実家は芦屋なんだって。近いな。
あっという間に葉子さんは帰ってしまい、残されたのは俺とカズ先輩。結局二人きり。
俺と向かい合って、カズ先輩はメニュー表を開く。二時間半かけて来て、この仕打ちはないね。ちょっと同情してしまう。
「……とりあえず、なにか飲もうかな……」
「ですね」
そこに、店員が申し訳なさそうにやってくる。
「ラストオーダーのお時間なんですが……」
大阪、歓楽街。北新地。
俺は大阪に仕事で来ているという葉子さんと二人で飲んでいた。
個室の居酒屋で、魚と和食と酒。葉子さんに皿を勧める。
「葉子さん、これ美味しいですよ」
「えー、いただくいただく」
「そろそろ来るらしいです、西さん」
携帯電話にメッセージが入っていて、俺はそう言った。と同時に個室の戸が開いて、寒そうに身を震わせながら西さんが入ってくる。
「おつおつ。おー、さっぶ」
「お疲れ様です。お先にいただいています」
「お疲れ、西くーん。仕事大変だった?」
「おー、ちょっと電話で捕まってさ。食うもんあるー?」
「お食べお食べ」
「注文しましょう。飲み物、ビールでいいですか?」
「うん。おおきに、ありがとぉ」
テーブルの上の揚げ出し豆腐や、焼きおにぎり、枝豆、刺身の盛り合わせ、創作和食の皿を西さんの前に寄せていく。
ビールを注文して乾杯をしたあと、西さんはおにぎりを頬張りながら切り出した。
「やっぱ女は難しいわ」
「突然なに、西くん。女性関係だったの?」
「女性が多い職場はひとたびトラブルが起こるとな。ねえ、相田くん」
「そうですね……縄張り意識というか、カーストというか……女性の多い職場に限った話ではないですが、傾向として……」
うまくサポートできたらいいものの、中々思う通りにはいかないのが現状である。
「ま、仕事のことは忘れましょか。プライベートでも女は難しいけどな」
「西くんはしっかり者の奥さんにしがみついてればいいじゃん」
「しっかりしすぎててな。梃子でも動かんわ。動かざること山の如し。顔も信玄公やし」
「あんな美人捕まえてよく言うー」
「化粧は詐欺や。俺は騙されたんや」
西さんの奥さんはやはり元々同じ職場で、しかも西さんの上司だったらしい。
年上の女性で、尻に敷かれているとか。
「そういえば、相田くんは彼女おるんやっけ? こういうのを聞くのってきょうびセクハラなるん?」
「俺は気にしません。そして彼女はいません……」
「誰か紹介しよっか?」
葉子さん、仕事のみならず女の子まで紹介してくれるのかよ。
俺はジョッキのビールを飲みつつ答える。
「……今はいいかなって。仕事楽しいですし」
「えー! 仕事が充実してるんなら次は恋愛じゃない? どっちもガンガンいこうぜ!」
葉子さんは常にボス戦並みの強力攻撃。俺は命大事にタイプ。
西さんがドヤ顔で言う。
「俺も紹介できるで。おかんの友達とかもな。年上の女。五十過ぎの」
ストライクゾーンってあるよね。年齢っていうか年代? 聴いているアーティストが一切かぶらなさそう。
「相田くんって年上と合いそうではあるよね。いくつくらいまでいける?」
「いまて二十四歳やっけ?」
「はい。来月、二十五歳になります」
「わたしはね、二十二歳から上は三十二歳くらいで紹介できるかな」
うっわ、ドストライクゾーン……。
「いえいえ、ほんと。今はいいかなーって。またそのうち。もうちょっと落ち着いたらで。お気持ちだけで」
「男同士でつるんでるのってそんなに楽しいのー?」
「えっ、いいえ……!?」
葉子さんの穿った質問に、動揺してしまう。カズ先輩のこと言ってるのに間違いないだろうし。
別につるんでいるのが楽しいというわけではないけれど。
なんというか。
恋人ごっこ中というか。肉体関係というか。ただならぬ関係というか。
……説明できる言葉が見つからないな。
「なになに? 悪友でもおるん? 何友達?」
「相田くん、和臣と仲良しなんだよねー」
「あ、そういや小野寺に可愛がられてたな」
「いえ、それほどでもないですよ……?」
「いやいや、少なくとも小野寺のほうは可愛がってると思うで」
「和臣が後輩と仲良いなんてね。そういうの意外」
俺は否定するけれど、ふたりとも聞いてない。
西さんは刺身やら揚げ出し豆腐を食べながら、しみじみ言う。
「半年前さあ、面接して相田くん採用するって決まった後、小野寺に連絡したねん。採用するわーって。そしたら、次の日やわ。相田くんのこと頼みますって、大阪まで頭下げに来たもんな、小野寺」
「え……ええええ!?」
あの人、そんなことしたの!?
西さんに俺のことを頼みに、大阪まで?
俺は呆然。
西さんは笑いながら続ける。
「知らんかったやろ。内緒にしてくれ言われたし。あんときは、あのプライド振り切れてる小野寺にここまでさすなんて、相田くんってどんな子なんやろって思たもんやわ。ごめん、ごくふつうの真面目な子やった」
あの人、俺には土下座したけれど。
俺の前ではプライドの片鱗も見せないけれど。
そして俺はごくふつうの子で間違いない。手前味噌だけど真面目なほう。それしか取り柄がないし。
「えー、そんな保護者みたいなことしたの!?」
葉子さんも驚愕している。
西さんは頷いた。
「せやでー。奥様にって菓子折り持ってさ。なかなか手に入らんとかいう東京限定の高級スイーツ。うちのおかんバチクソ喜んでたわ。大阪に来る用事でもあったんか思たらトンボ返りやて」
「わかってるなー、和臣。たしかに、ブラック勤めの相田くんを心配してたらしいのね。仕事を紹介するのもずっと考えてたんだって。でも切り出せなかったからって、わたしもお礼されたんだわ。猫缶。最初はさすがに大阪に引っ越しさせるのはって渋ってたけど、西くんとこだったら安心だってわかってるし」
「時々、相田くんの様子を教えてくれって連絡くるでー。心配してんのやろな」
「わたしも訊かれるー。何かあっても俺には遠慮して言わないだろうからってさ。こっそり教えてくれって。あはは! 言っちゃった! 先輩、過保護だねー。遠慮しなくていいんだよ、相田くん。和臣、相田くんのこと大好きみたいだし」
「あいつ人間嫌いやからなー、珍しいな」
……ストーカー健在だわ。
そういう風に、ふたりを使って、情報収集してたのか。はあ。
まあ、いいけどさ。そのくらい。
それにしても、カズ先輩、本当に俺のこと好きなんだな……。誰が見てもわかるくらいに。そこまでするかよって感じだけど。
「こないだの飲みのとき、ちょっとぎくしゃくしてたでしょ。仲直りした?」
「え……あ……はい」
葉子さん、気を遣って、カズ先輩の部屋に泊まらせようとしたのか……。
まあ、結果は変わらなかったな。
俺はあらゆる意味で言葉を失い、葉子さんは楽しそうに大声で宣言。
「よし! せっかくだから和臣呼ぶかー!」
と、葉子さんは携帯電話を取り出す。
「え!? 今からですか!?」
ここ、北新地なんですけど。
彼、東京在住なんですけど。
今、午後九時なんですけど。
「おーい、和臣? 今ひま? 西くんと相田くんと三人で北新地で飲んでるんだけどさ、今からおいでよ!」
つながるし。無茶苦茶だよ。
「OK! じゃあお店の場所送るね!」
来るの!?
唖然としている俺をよそに、葉子さんはぱぱっと操作して、今いる店の位置情報を送りつけていた。
「え、カズ先輩、来るんですか!? どこにいるんですか?」
「いま、自分の家だって。仕事から帰ってきたところだって。でも行くって! まあ、東京大阪間って、のぞみで二時間二十分だし! 新大阪から北新地って十分だし!」
そう、そういう感覚ってあるよね。そうだけどさあ。
さすがに東京大阪は遠くない? 来るほうも来るほうだけど。
「じゃあ、和臣が来たらお祝いしてあげよっ!」
「お。小野寺、昇進でもしたん?」
なんだか知らないけど、お祝いされるほうが二時間半かかる距離を呼びつけられるって斬新。
「まだだと思うけど、海外赴任から戻ってきたら役職つきそうだよねー」
俺は思わず問い返した。
「カズ先輩、海外行くんですか」
海外赴任……そんなの一言も言っていなかった。
いつ決まったんだろう。
「そうそう。聞いてない? たぶん上海かロスのどっちかかな? インドかもだけど」
「……聞いてないです」
「水臭いやつだねー!」
二時間半後、カズ先輩は本当にやってきた。スーツ姿のまま。コートを腕にかけて戸を開けて入ってくる。
だけど西さんは酔っぱらって、カズ先輩が来た途端に「おう、お疲れ! おやすみ!」とか言って帰っちゃったし、葉子さんも手元のグラスだけ飲んだら実家に帰るらしい。実家は芦屋なんだって。近いな。
あっという間に葉子さんは帰ってしまい、残されたのは俺とカズ先輩。結局二人きり。
俺と向かい合って、カズ先輩はメニュー表を開く。二時間半かけて来て、この仕打ちはないね。ちょっと同情してしまう。
「……とりあえず、なにか飲もうかな……」
「ですね」
そこに、店員が申し訳なさそうにやってくる。
「ラストオーダーのお時間なんですが……」
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