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4 ある夏のふたり
四 花壇
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花壇を見に行ったら、理事長先生がいた。
作業着を着て、花壇に入って、土いじりかな。
「こんにちは」
と声を掛けると、理事長先生はにこにこしてる。
あ、和臣さんと顔が似てる。中性的で優しそうな甘い顔立ち。親戚だもんな。
少しだけ、胸がぎゅっとなる。
「こんにちは」
声も似てる。
俺の在学当時の理事長ではなくて、その息子先生で、教員として働いていたけれど、授業も学年も持ってもらっていなかったから、顔しか知らない。
俺が在学中に新卒で先生になったばかりだったはずだから、四十歳前か。
「すみません、卒業生です。花壇が散水スプリンクラーになったそうで」
実は俺が二年生に進学した年に導入したらしい。二年生は体育委員だったから、知らなかったな。三年生ではボランティア委員だったし。
「そうなんだよ。一昨日、野球部の硬球が見事に命中して、壊れちゃってねぇ。元栓を締めて、応急処置してるんだ」
「見ていてもいいですか?」
「いいよ」
花壇の中央にシャワーヘッドみたいな機械が埋まっている。あれかぁ。
何をしているのかさっぱりだったけれど、手際よく解体して部品を外していって、中を見て、ため息をついてまた部品を組んでいく、一連の様子がなんだか精巧で、見惚れていた。
職人さん、料理人、システムエンジニア、いろんなひととあってきたけれど、やっぱり技術的な人ってかっこいいな。手に職。
「業者さん呼んで新しいのに交換しないと……夏休み中につかまるかな」
「おーい、森下ー」
と、背後から呼ばれて、振り返る。
神崎先生だ。
俺、何か忘れ物でもしたかな。
「はぁい」
「よかった、まだいた。これ、うちの系列の大学の学校案内。渡しとくわ。通信あるの忘れてた」
「あ、ありがとうございます」
パンフレットを受け取って、鞄に入れる。家に帰って見てみよう。
「森下くん、大学に行くの? 勉強したいことが見つかったのかな?」
理事長先生に訊かれて、俺はつい俯いてしまう。
勉強したいことや、やりたいことがあるわけじゃない。
「何もないんです。流されるままに生きてきたから、今更でも何か見つけたくて」
「モラトリアムもいいんじゃない?」
先生たちは先生やってるから、先生になりたかったんだろうな。若いうちになりたいものが見つかるっていいことだな。
でもよく考えると、そんなひとたちばかりじゃないし、何もなかったとしても、納得していたらいいんだと思う。もしくは気づかなければ。
だけど、気づいてしまったんだ。納得していた自分を変えたいことに。
神崎先生は伸びをしながら言った。
「今となっては、平穏無事に教員生活が終わるのを待つばかりだわ。でも、こうやってむかしの生徒の姿を見たり、聞いたりするとさ、歴史に名を残す偉人じゃなくても、特別なことなんてなんにもなくても、送り出した子たちが幸せそうにしていてくれたら、あー、よかったなーって」
「はい」
「こみあげるものがあるのよ」
理事長先生も頷いて言う。
「やりたいことだったかはすっかり忘れちゃったけど、積み重ねてきたことなんだよねぇ」
「積み重ねてきたこと……」
「やらなかったら後悔してたと思うから、やらなくて後悔しそうなことは、いまのうちにやっといたほうがいいですよね、理事長」
「そうだね」
後悔するほどやらなかったこともない。俺ってほんとになにもないな。
「考えてみます」
「俺は、生徒にがんばれって言うの、実は好きじゃないんだよ。みんな、すでにがんばってるから。おまえもがんばってるよ。驚くほど真っ当に」
「もっとがんばりたいです」
「じゃあもっとがんばれ。がんばり方は小野寺にでも聞け」
と神崎先生が言ったので、理事長先生は俺を見た。
「ああ、森下くんって、『タキくん』か」
「あ、はい」
「和臣がお世話になったね。ありがとうね」
「いえ……」
「あの問題児の和臣を手懐けてるんだから、森下くんなら大丈夫だよ。ふふ」
理事長先生、含みがある気がする……。どこまで知られてるんだろ。
さすがに、声や口調が似ているせいで、和臣さんを思い出すなんて、気づかないだろうけど。
後ろめたい……。
作業着を着て、花壇に入って、土いじりかな。
「こんにちは」
と声を掛けると、理事長先生はにこにこしてる。
あ、和臣さんと顔が似てる。中性的で優しそうな甘い顔立ち。親戚だもんな。
少しだけ、胸がぎゅっとなる。
「こんにちは」
声も似てる。
俺の在学当時の理事長ではなくて、その息子先生で、教員として働いていたけれど、授業も学年も持ってもらっていなかったから、顔しか知らない。
俺が在学中に新卒で先生になったばかりだったはずだから、四十歳前か。
「すみません、卒業生です。花壇が散水スプリンクラーになったそうで」
実は俺が二年生に進学した年に導入したらしい。二年生は体育委員だったから、知らなかったな。三年生ではボランティア委員だったし。
「そうなんだよ。一昨日、野球部の硬球が見事に命中して、壊れちゃってねぇ。元栓を締めて、応急処置してるんだ」
「見ていてもいいですか?」
「いいよ」
花壇の中央にシャワーヘッドみたいな機械が埋まっている。あれかぁ。
何をしているのかさっぱりだったけれど、手際よく解体して部品を外していって、中を見て、ため息をついてまた部品を組んでいく、一連の様子がなんだか精巧で、見惚れていた。
職人さん、料理人、システムエンジニア、いろんなひととあってきたけれど、やっぱり技術的な人ってかっこいいな。手に職。
「業者さん呼んで新しいのに交換しないと……夏休み中につかまるかな」
「おーい、森下ー」
と、背後から呼ばれて、振り返る。
神崎先生だ。
俺、何か忘れ物でもしたかな。
「はぁい」
「よかった、まだいた。これ、うちの系列の大学の学校案内。渡しとくわ。通信あるの忘れてた」
「あ、ありがとうございます」
パンフレットを受け取って、鞄に入れる。家に帰って見てみよう。
「森下くん、大学に行くの? 勉強したいことが見つかったのかな?」
理事長先生に訊かれて、俺はつい俯いてしまう。
勉強したいことや、やりたいことがあるわけじゃない。
「何もないんです。流されるままに生きてきたから、今更でも何か見つけたくて」
「モラトリアムもいいんじゃない?」
先生たちは先生やってるから、先生になりたかったんだろうな。若いうちになりたいものが見つかるっていいことだな。
でもよく考えると、そんなひとたちばかりじゃないし、何もなかったとしても、納得していたらいいんだと思う。もしくは気づかなければ。
だけど、気づいてしまったんだ。納得していた自分を変えたいことに。
神崎先生は伸びをしながら言った。
「今となっては、平穏無事に教員生活が終わるのを待つばかりだわ。でも、こうやってむかしの生徒の姿を見たり、聞いたりするとさ、歴史に名を残す偉人じゃなくても、特別なことなんてなんにもなくても、送り出した子たちが幸せそうにしていてくれたら、あー、よかったなーって」
「はい」
「こみあげるものがあるのよ」
理事長先生も頷いて言う。
「やりたいことだったかはすっかり忘れちゃったけど、積み重ねてきたことなんだよねぇ」
「積み重ねてきたこと……」
「やらなかったら後悔してたと思うから、やらなくて後悔しそうなことは、いまのうちにやっといたほうがいいですよね、理事長」
「そうだね」
後悔するほどやらなかったこともない。俺ってほんとになにもないな。
「考えてみます」
「俺は、生徒にがんばれって言うの、実は好きじゃないんだよ。みんな、すでにがんばってるから。おまえもがんばってるよ。驚くほど真っ当に」
「もっとがんばりたいです」
「じゃあもっとがんばれ。がんばり方は小野寺にでも聞け」
と神崎先生が言ったので、理事長先生は俺を見た。
「ああ、森下くんって、『タキくん』か」
「あ、はい」
「和臣がお世話になったね。ありがとうね」
「いえ……」
「あの問題児の和臣を手懐けてるんだから、森下くんなら大丈夫だよ。ふふ」
理事長先生、含みがある気がする……。どこまで知られてるんだろ。
さすがに、声や口調が似ているせいで、和臣さんを思い出すなんて、気づかないだろうけど。
後ろめたい……。
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