酔いどれ右蝶捕物噺

篁千夏

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第参話/三方一両損・序章

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   一

「ウヘヘヘ、藤華ふじのはなしゅんは、ひと味違うねぇ~」
 よだれを流さんばかりの、締まりの無い顔の新八しんぱちである。
 その手には、あられもない男女の姿を描いた春画本が……。
 春画──性風俗を描いた絵画の総称であり、笑い絵や枕絵、秘画、ワ印とも呼ばれた。
 冊子状のものは笑本や艶本、好色本、枕草紙とも呼んだ。
 名画『見返り美人図』で知られる菱川師宣ひしかわもろのぶも、その作品の多くは春画である。いつの時代も、需要がある。

「新八さんってば、いるの?」
 そこへ突然、戸を開け入って来るお葉。
 不意を突かれた新八、脳天から抜けるようなひっくり返った声を上げると、慌てて春画本を懐にしまう。
「ななな、なんだよ、お葉。いくら幼馴染で、兄妹みたいなもんだからって、人様の長屋へ入ってくる時はちゃんと声かけろ、べらぼうめい」
 代わりに、役者絵を広げて誤魔化す。
「かけたじゃないの、何度も。聞こえなかったのぉ?」
「へ? そうだったかな。気づかなかったぜ」

 新八の慌てふためきぶりにお葉、何かを察したように、じっとり疑いの目をして、
「さては急に入ってこられて、困ることでもやってたな? なにやってたのよォ~」
「ば…莫迦ばかぁ言うな! 俺ぁ評判の絵師・ 西洲斎主楽さいしゅうさいしゅらくの役者絵を鑑賞してたんだよォ。ほれ見ろ、この役者絵の見事なこと! この大首絵ってのはなぁ……」
 苦しい誤魔化しをする新八の懐から、春画の端がでているのをお葉、目ざとく気付き、サッと抜き取る。
「ああ~っ! なにこれ新八さん!」
「ちが、違うんだよ、そいつは…」
「このド助平!」
 叫ぶやいなや新八の右頬を春画本でバチン、思いっきり張るお葉だった。


   二

「なにしやがる! それは十年は前の貴重な本で、今じゃおいそれと手に入らねぇんだぞ」
「貴重だろうがなんだろうが、いやらしい艶本じゃないのよ。そんなの昼間っから見るなんて許せないわよ、この助平芸人!」
 と、返す手の甲で新八の左頬を張るお葉。
 途端に鼻からツツーと鼻血が一筋。
 上を向き、うなじを手刀でトントン叩きながら
「う~、だから聞けってばよぉ! 俺がこの本を買ったのは、主楽の正体をつき止めたいからだよ」
「主楽? 正体? なにそれ」
「この役者絵を描いてる西洲斎主楽ってぇのはな、正体不明の絵師なんだよ」
「じゃあ主楽ってのは偽名?」
「絵師なら例え名前変えても、絵の中にそれとなく仕掛けをほどこして、これは手前の作品ですよって、わかるようにするもんなんだが、主楽にはそれもねぇんだよ」
「手がかりって、例えばどんな?」
「役者絵でも、着物の柄に自分の家紋とかこっそり描いたり、指の形で符牒を暗示したりな。まぁ、判じ物みてぇなもんだ」
 新八の説明に、急に興味が湧いたのか、お葉はもう春画を開き見て、絵師が残した手掛かりを探そうとしている。
 こうなると、男よりも女のほうが強い。

「ちょっとお葉、しげしげと見るんじゃねぇよ」
「何よ、新八さんだって、見てたんでしょう。言われてみたらこの絵師、上手いわ~」
「むぐぐ。ちまたじゃ主楽の正体探しで持ち切りなんだよ。世話になってる句会でも話題で、宗匠が正体を判じた野郎には、三両出すと、こうおっしゃる。俺も仲間内で賭けててな。みごと正体を暴いたら、併せて 四両って寸法よ」
「そりゃあ、家賃を半月も溜めてる新八さんには、四両は大きいけど。その手掛かり探しに、こっそりこんないやらしい本、見てたっての?」
 疑いの眼差しで見ているお葉に新八、焦りながら春画本と主楽の役者絵を並べて、説明を始める。
 あからさまな話題逸らしだが、新八にはそうするしかない。
「そ、そのとおり! どうだ、こうやって並べると、いろいろと似てるだろ? おちょぼ口の女の、うなじの感じとかよ」
「あらほんと、この絵なんか女の指の形までそっくり!」
「だろ? だから俺ぁ、この春画も主楽の手になるもんだと睨んで、手掛かりを探してたわけだ。けっしていやらしい本を楽しんでた訳じゃねぇぞ?」
 だが新八の話を聞いていないのか、急に目を細め、思案顔になるお葉であった。


   三

「でもおかしくなぁい? 御禁制の春画に自分が描いた証拠を仕掛けしとくって…捕まったら百叩きとか手鎖の刑とか、御上の仕置きがあるんでしょ?」
「そこはそれ、職人の意地ってもんよ。掏摸すりだって、それとわかる格好してるだろ? アレと同じだよ」
「なるほど、それは一理あるわね。同心の黒川くろかわ様とか、掏摸から事前に懐中の品をいただくと宣言されてから、見事に掏られたって聞くし」

 江戸時代の掏摸は、服装も髷の結い方も一定の様式を踏襲しており、一目で掏摸だとわかる格好をしていた。
 正体を明かしながら、それでも掏ってみせるところに、技術を持つ職人のような、意地を見せていたのである。
 掏摸の服装は、秩父絹裏の布子──木綿の綿入れに、紺の筒長の足袋たび、晒し木綿の手拭い、雪駄せったなどがそれであった。
 さらにまげ元結もっといを、細い紐で縛っていたので、町人はそれで一目瞭然である。
 むしろ、素人と同じ格好をしていては、掏摸仲間からモグリとして制裁を受けたりもしたのである。
 その制裁も陰惨で、商売道具の指の骨を一本一本、折ってしまうという苛烈さであったという。

「それで新八さん、肝心の手掛かりは見つかったの?」
「それがさっぱり」
「だらしないわねぇ。やっぱり裸に、見とれてたんじゃないのォ~?」
 お葉、再び疑いの眼差しでジトォ~ッと新八を見つめる。
 新八は新八で、視線をそらしつつ言い訳三昧。
「ば、莫迦ぁ言うなっ。俺ぁまじめにだな、謎の絵師の正体とその来歴を当てるってぇ、文人墨客ぶんじんぼっきゃくの嗜みを忘れないようにだなぁ……」
「あら、武士の身分は捨てたって言ってるくせに、いっぱしの文人気取り? だいたい新八さんは、直心影流島田道場じゃ、五本の指に数えられる武辺者じゃないの。似合わないわよ」
 物心ついたときには、いっしょに遊んでいた幼馴染みである。
 新八の付け焼き刃の文化人気取りも、お葉には見透かされていた。
 学問所で四書五経を素読するより、木刀を素振りしていた方が、性に合ってるのだ。
「うるせぇうるせぇ、噺家ってのは元が僧侶の説法や、太閤秀吉の御伽衆が大本でい。俺も遅ればせながら、文人の末席にだなぁ…」
「じゃああたしも、その賭けのった!」
「はぁ?」

 ポカンとする新八にお葉は元気よく、まくしたてる。
「主楽探しを手伝ってあげるって言ってんの! 分け前は半分ね」
「ちょっと待てよ、おまえなに勝手なことを。半分も持って行くとは、高利貸しか」
「だめって言うんなら、おはな姉ちゃんに言ってやろ~。誰かさんがいやらし~い春画本を昼間っから見てたって。しかも御禁制の春画本。同心の新七郎しんしちろう義兄にいさんの耳にでも入ったら…」
 新七郎は新八の実兄で、八丁堀同心である。新八より干支が一回り上で、兄と言うより父親代わりの面がある。お葉の姉のお花と、所帯を持っている。
 部屋住みの次男坊であった新八は家を飛び出して、萬葉亭蛾蝶の元に弟子入りし、勘当された身である。二つ歳上のお花に、思慕の情を抱えていたためである。
 兄夫婦は、新八にとっては触れられたくない瑕疵かしなのである。
「あの堅物の耳に入ったら、矢場やばだっての!」
「だったらいいわね? 分け前は折半で」
 ふふんと鼻の穴を広げるお葉に、抗えない。
 溜め息まじりにつぶやく新八であった。
「はぁ~…なんで毎度毎度、こうなっちゃうんだよぉ」

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