政略結婚?いいえ、甘々新婚生活ざまあです

霧島

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第二章:荒野に刻む再起の光

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 ――追放。
 その一言によって、ヴァレリア・ド・カサノヴァの人生は大きく変わってしまった。
 王太子エドワードによる唐突な婚約破棄と国外追放の宣告。いくら無実を主張しても、彼らはまるで耳を貸すつもりなどない様子だった。宮廷の重臣たちの反応も、ヴァレリアにとっては冷酷そのものに見えた。まるで、誰も最初から彼女の声を聞こうとはしなかったのだ――。
 こうして、ヴァレリアは自国を追われる立場となった。荷物は最低限の衣服と、いくつかの私物のみ。カサノヴァ家からの援助もほとんど期待できなかった。父は最後まで「申し訳ない」と繰り返していたものの、結局は彼女の背を押す形で送り出したにすぎない。
 馬車で国境まで送られる道中、ヴァレリアはずっと窓の外を眺めていた。生まれ育った王都リベルタの街並みが、遠ざかるたびに小さくなっていく。美しい石畳、活気に満ちた市場、そして堂々たる大聖堂の尖塔――これらは、もう二度と自分のものにはならないのだろうか。
 燃えるような怒りと、底知れぬ悲しみが胸の奥で混ざり合い、複雑な感情を呼び起こす。しかし、涙を見せるわけにはいかない。護衛兼監視の兵士たちが、馬車の周囲を囲むように騎乗している。彼らの視線には、軽蔑とも憐憫ともつかない色が混じっていた。
 (どうせ、私など“国を追われた悪女”くらいにしか思っていないのでしょう)
 国境付近の関所に着くと、貴族としての身分証やその他の証書を剥奪され、わずかな通行許可証だけを手渡された。まるで「もう二度と帰って来るな」と突きつけられているような扱いだ。そのまま護衛兵たちは踵を返し、あっという間に王国領のほうへ引き返していく。
 ヴァレリアはわずかな手荷物を抱えながら、王都方面に去っていく騎馬兵を見つめていた。
 ――己を陥れた者たちへの憎しみが、改めて燃え上がる。
 エドワードはもちろん、その傍らで勝ち誇った笑みを浮かべていたセシリア。さらに、裏帳簿を捏造したであろう取り巻きたち。彼女の才知を利用しておきながら、邪魔になった途端に切り捨てた宮廷。
 (いつか、必ず後悔させてみせる)
 ヴァレリアはそう決意を飲み下し、国境を越えた先の荒野へと一歩を踏み出した。


---

荒れ果てた辺境への道

 王国を出たとはいえ、その先に待つのは名もなき荒野。周囲の地形は険しく、土地はやせ細っている。国境のあたりには、いくつか小集落が点在しているが、貴族の保護がほとんど及ばない地域らしく、治安も芳しくないとの噂だ。
 (ここを通り抜けなければ、隣国へは行けない)
 ヴァレリアは、自分を守る術を何も持ち合わせてはいない。護衛はいないし、金銀財宝を詰め込んだ大きな荷車もない。わずかな路銀と、使い慣れた小さな短剣、そして最低限の生活道具が入った鞄のみだ。
 幸い、彼女は幼い頃から“知識”を吸収することを好み、書物などで辺境の地理や、必要最低限の自衛の心得を頭に入れていた。また、カサノヴァ家は海外との貿易にも力を入れていた時期があるため、外国の通貨や文化にも比較的精通している。
 (私が悪女扱いされたって、活用できる知識は山ほどある。生きてさえいれば、もう一度立ち上がることができるはず)
 自分にそう言い聞かせながら、ヴァレリアは歩を進める。最初に目指すのは、荒野の奥に広がる「オルディア領」という辺境の地方だった。これは、かつて王国内で情報を整理していたとき、地図で目にしていた領地の一つである。正式には王国領の端にある自治領だったが、ほぼ“放置”状態であると噂されていた。
 しかし、その一帯には良質な鉱石や薬草が眠っている可能性があるとも言われている。開発が進まない要因は地理的に険しいことと、王宮の無策。それでも腕に覚えのある冒険者や商人たちは、オルディア領に行けば一攫千金を得られるかもしれない、と目をつけているらしい。
 (私には選択肢が少ない。行くあてもない状態で大国に入るより、まずはこの辺境の領地で足場を作るのが得策かもしれない)
 そう考えたヴァレリアは、オルディア領を目指すことにした。具体的なルートや安全策は十分とは言えないが、ここで立ち止まっていても仕方がない。
 歩いているうちに、夕暮れの空が橙色に染まってきた。食糧が乏しいため、街道沿いの小さな集落で宿を求めるが、そこでも冷たい扱いを受けることが多い。
 「女ひとりで荒野を旅するなんて、正気か?」
 「国を出て行く貴族令嬢だと? 追放された身分なら、助けてもろくなことにならんだろう」
 こんな囁き声が聞こえてくる。皆、余所者には関わりたくないのだ。特に治安の悪い地域では、“自分の身は自分で守る”が鉄則となる。
 しかし、ヴァレリアがこの扱いに慣れてしまうのは時間の問題だった。かつての華やかな生活を思えば悲しくなるが、今は生き延びることを最優先にするしかない。
 それでも、辛うじて投宿できる安宿を見つけると、わずかな金を払い、固いベッドで体を休めた。翌朝はまだ夜明け前の薄暗さが残る中、早々に宿を出発する。道中で野盗に襲われるリスクを考えれば、人の少ない時間帯に移動するほうが返って安全な場合もあるからだ。
 やがて道は次第に険しくなり、雑草や低木が広がる荒涼とした景観が見えてくる。オルディア領はもう近いのだろう。地図によれば、この辺りの奥に小さな城塞都市のようなものが存在し、そこに現領主の館が建っているらしい。
 (本当に人が住んでいるのかしら……)
 地形を見渡しても、作物を育てられそうな肥沃な土地は見当たらない。川沿いの地域もあるにはあるが、流れが急で整備が行き届いていない。そんな状況では、この地を収める領主も苦労しているに違いない。
 (それなら尚更、私の知識や経験を活かせる余地があるはず)
 財務・商業・農業改革――いずれの分野も、ヴァレリアは王都で数多くの事例を学んだ。やりようによっては、この地の潜在的な価値を引き出せるのではないか。そう思うと、不思議な闘志が湧いてくる。


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枯れ井戸の襲撃

 オルディア領の境界線を超えたとき、ヴァレリアは空腹と疲労に襲われていた。道中の食料は干し肉や携帯用の硬いパン、少量の水。それらも残り少なくなっている。
 日差しが強く、汗がにじむ。地平線まで続くような荒野を歩き続けていると、時間の感覚さえ曖昧になってくる。
 そんなとき、彼女は遠目に崩れかけた井戸のような設備を見つけた。かつては人々が利用していたのかもしれないが、今は荒れ果てている。
 (水が汲めれば助かるのだけれど……)
 期待半分で近づいてみると、石組みがボロボロになっており、中を覗き込んでもすでに干上がっているようだ。
「……やっぱり、だめね」
 諦めかけたそのとき。
 背後で「ザッ」という砂を踏む音が聞こえた。何かが急激に近づいてくる気配。ヴァレリアは反射的に身構え、腰の短剣に手を伸ばす。
 「お嬢さん、一人でこんなところに来るとは……どうやら運が悪いようだな」
 冷ややかで低い男の声が聞こえる。振り返ると、ボサボサの髪と荒んだ目つきをした男が、二人の仲間らしき者を従えて立っていた。いずれも盗賊か、ならず者に違いない。
 「おい、あんたカバンに何を詰めてるんだ? いいもん持ってるなら、置いていきな」
 言いながら、仲間の一人がニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる。間違いなく彼らは“この辺境で食い扶持を稼ぐならず者”だ。孤立無援の旅人を狙って襲い、物資や金銭を奪う。あるいは、もっとひどい目に遭わせる可能性もある。
 (こんな連中に関わる暇はないけど……逃げる余地もないわね)
 ヴァレリアは短剣を握りしめた。王都で習った護身術とはいえ、本気の盗賊に対処できるかどうかはわからない。しかし、ここでやられるわけにはいかない。
 男たちはゆっくりと距離を詰めてくる。井戸の跡地の背後は崖になっていて、逃げ道はほとんどない。
 (落ち着くのよ、ヴァレリア。今の私にあるものは……知恵と、わずかな体力と、この短剣)
 そのとき、彼女の耳にかすかに蹄の音が届いた。馬が近づいてくる。野盗たちもその音に気づいたのか、さっと警戒の色を浮かべる。
 そして次の瞬間、乾いた空気を切り裂くように、凛とした声が響いた。
 「そこまでだ! 彼女に手を出すな!」
 視線を向けると、栗毛の馬に乗った一人の男性が、弓を引き絞っているのが見えた。精悍な面立ちで、背筋が伸び、その佇まいには武人の気品が漂う。
 「ちっ、オルディア領の領主の息子じゃねえか」
 盗賊の一人が毒づくように唾を吐く。どうやら、彼らには見覚えのある相手らしい。
 男は弓を放った。矢は盗賊の足元すれすれをかすめ、土埃を上げる。もしも狙っていれば一撃で仕留められるような正確さだった。
 「レオネル・オルディアだ。領内での掠奪行為は許さない。今すぐ消え失せろ」
 「くっ……!」
 盗賊たちは互いに目配せをすると、仕方なく逃げ出していく。追いかけて殲滅するには多少の労力がかかるが、どうやら男――レオネルはヴァレリアを守ることを優先しているようだった。
 彼は馬から降りると、ヴァレリアに駆け寄る。
 「大丈夫か? 怪我はない?」
 驚くほど優しい声音に、ヴァレリアはしばし言葉を失った。ここ数日、彼女は冷たい仕打ちばかりを受けてきたため、人の温もりがどういうものかを思い出せなくなっていたのだ。
 しかし、すぐに我に返り、小さく息を吐く。
 「……助けてくれてありがとう。あなたは“オルディア領の領主の息子”と呼ばれていたけれど?」
 「俺はレオネル。オルディア家の長男だ。君は……旅の人かな?」
 そう聞かれ、ヴァレリアは一瞬言葉に詰まる。自分が“追放された公爵令嬢”だと素直に名乗るべきか迷ったからだ。だが、嘘をついてもいずれ露見するかもしれないし、また捏造された悪評が広がる可能性もある。
 (正直に話して、もし逃げられたら……そのときはまた別の方法を考えればいい)
 そう思い、ヴァレリアは意を決して名乗った。
 「私はヴァレリア・ド・カサノヴァ。……といっても、もうカサノヴァ公爵家とは縁を切られたも同然。王都を追放されて、行き場のない身なの」
 「追放……? なるほど、そういう事情か」
 レオネルは驚きつつも、あからさまに警戒したり、軽蔑したりはしない。むしろ、じっとヴァレリアの顔を見つめると、穏やかに微笑んだ。
 「なら、もし良かったらオルディア領まで来ないか? ここは危険も多いし、君のような女性が一人でうろつく場所ではない。俺たちの領地は貧しいけど、一時的に滞在するくらいなら歓迎するよ」
 「それは……助かるわ。だけど、本当にいいの? 私が何者かもわからないのに」
 思わずそう尋ねてしまった。ここまで懐の深い対応をしてくれる人間に会ったのは、王都の一部の知己を除けば久しぶりだ。
 するとレオネルは、少し照れくさそうに鼻をこすりながら言う。
 「井戸の跡地で倒れかけてる人を放っておけないだろう? それに、君は貴族らしい礼儀や物腰がある。カサノヴァ家なんて大貴族の出なら、なおさらだ。いきなり領地を滅ぼすような真似はしないだろうし……それより何か協力を得られるかもしれない、と思ってね」
 (……ふふ、下心がないわけじゃないのね)
 貧しい領地を改善したいと思っているのだろう。そこに、仮にも公爵家出身の女性が現れたとなれば、何かしらの恩恵を得られると考えるのは理にかなっている。
 ヴァレリアは微かに口元をほころばせ、素直に頷いた。
 「わかったわ。お言葉に甘えさせていただくわね。お礼に、私もできることがあれば協力する」
 「そう言ってくれて嬉しいよ。じゃあ、早速行こうか。こっちに馬があるから、乗ってくれ」
 「ええ……ありがとう」
 そうして、ヴァレリアはレオネルに手を引かれ、馬に乗せられる。彼女にとっては、生まれて初めての“逃亡先”となるオルディア領。その名の通り荒れ果てた風景が、眼下に広がっていた。


---

オルディア領の現状

 レオネルの馬に揺られながら、ヴァレリアは周囲の光景を目に焼き付けるように観察していた。
 見渡す限り、荒地と岩山が多く、農地として利用できそうな平野は非常に限られている。道は整備されておらず、ところどころ険しい斜面が続く。そんな場所に、小屋のような家々がポツポツと点在していた。
 「ここがオルディア領なの?」
 そう尋ねるヴァレリアに、レオネルは苦笑まじりに応じる。
 「そう、正式にはオルディア公爵領……と呼ばれているけど、もはや名ばかりさ。うちの先祖が王家から封じられた土地で、代々守ってきたんだが、近年は何をやっても上手くいかない。領民は減り続ける一方で、商業も振るわず、流れ者や盗賊が入り込んだりして困っているんだ」
 公爵という爵位こそ持っているが、実態はまったく豊かではない。領内には古びた城塞があるだけで、近隣との交易路も荒れ果てている。この地域の環境改善に乗り出す王族や貴族はいないらしく、政治的にも放置状態だ。
 「私が王宮の文献で読んだときは、“オルディア家は領土が広いが活かしきれていない”という評価だったわ。実際に来てみると、活かせるはずがないように思えるほど厳しい地形ね」
 ヴァレリアがそう言うと、レオネルは疲れたように肩をすくめる。
 「そうなんだ。何度か王都に出向いて要望を出してはいるんだけどな……返ってくるのは“自助努力しろ”とか“もう少し成果を出してから相談しろ”とか、そんな言葉ばかりだよ。援助金を申請しても、まず通らない」
 その背景には、王太子エドワードや取り巻きたちの浪費癖も影響しているだろう。国全体の財政が厳しいのに、華やかな祝典や建造物の修復ばかり優先され、辺境への投資など後回しにされる。その結果、オルディア領のように潜在資源を抱えながらも事実上放置されている地がいくつも生まれていた。
 (私が王都で提案してきた案の一つに、辺境開発のための支援制度もあった。あれは結局、まともに検討されることなく却下されたのよね……)
 ヴァレリアは苦々しい思いを噛みしめる。もし彼女の案が採用されていれば、オルディア領にはもう少しマシな暮らしがもたらされていたかもしれない。それどころか、自身が追放されることもなかったのではないか、と考えてしまう。
 しばらく行くと、小高い丘の上に古びた城塞が見えてきた。周囲に点在する数十軒ほどの家屋と、外壁で囲まれた領主館らしき建物――これがオルディアの“中心地”だ。
 城塞の門には数名の兵士が立っているが、人数は少なく、装備も十分とは言えない。いかにも人手不足で苦労している様子がうかがえる。
 レオネルが合図を送ると、兵士たちは門を開けた。ヴァレリアは馬から下ろしてもらい、徒歩で城内へと進む。そこはかつて戦乱の時代に築かれた要塞の名残で、壁面には亀裂や苔が目立ち、手入れが行き届いていない。しかし、最低限の防衛施設としての役割はなんとか保っているようだ。
 「ここがおれの家……というかオルディア家の館さ。父と母、あと数人の家臣と使用人たちが暮らしている」
 レオネルの案内で館のドアを開ける。中は想像以上に簡素だった。広間には古い家具やタペストリーが置かれているが、豪奢な調度品はまるで見当たらない。王都の華やかな貴族邸とは雲泥の差だ。
 (公爵家とは思えないわね……だけど、だからこそ妙に安心できる気がするわ)
 すると、奥の廊下から女性の声が響いた。
 「レオネル? 今戻ったの?」
 現れたのは、優しげな面差しの中年女性――レオネルの母であり、オルディア家の公爵夫人だろう。彼女はレオネルの隣に立つヴァレリアを見て、少し驚いた様子を見せる。
 「まあ……お客様なの? こんなところに貴族の方が来るなんて珍しいわね」
 そう言って目を細める彼女に、レオネルは状況を簡潔に説明した。盗賊に襲われていたヴァレリアを助けたこと。そして、彼女が“王国を追放された公爵令嬢”であるということを。
 公爵夫人は驚きを隠せないようだったが、しかしすぐに表情を柔らかくしてヴァレリアに微笑んだ。
 「まあ……大変でしたね。辛い思いをされたでしょう。ここは荒れた領地だけれど、ゆっくり体を休めていってくださいな。貴族の令嬢とはいえ、私たちは歓迎しますよ。何せ、若い女性のお客さんなんて久しぶりなんです」
 その温かさに、ヴァレリアは胸が詰まる思いだった。自分は汚名を着せられ、追放された身。そんな自分に、こうして優しく接してくれる人々がまだいる――それだけで心が救われる思いがした。
 (この恩はきっと返したい。そう思える場所に出会えたのは、いまの私にとって大きな救いだわ)
 ヴァレリアは丁寧に頭を下げ、感謝の言葉を述べる。


---

始まりの一歩――領内視察

 しばらくして、ヴァレリアはオルディア家の館に一室を与えられた。公爵夫人やレオネルの計らいで、寝具や必要最低限の着替えを用意してもらえることになったのだ。こんな厚意を受けたのは、追放されてから初めてだ。
 少し落ち着いた頃、レオネルが部屋を訪れ、声をかけてきた。
 「ヴァレリア、調子はどう? 無理してないか?」
 「ありがとう、だいぶ休めたから平気よ。……それよりも、領内の状況をもっと知りたいわ。実際に見て回ってもいいかしら?」
 そう提案するヴァレリアに、レオネルはどこか嬉しそうに頷いた。
 「もちろん構わない。むしろ俺のほうから案内を頼みたかったんだ。領主代理として何とかしたいんだけど、手詰まりでね……外から来た客観的な視点があれば、何か改善策が見つかるかもしれない」
 実際、王太子エドワードに改革案をことごとく却下されたヴァレリアだが、もともとは彼女なりの内政の知見を王都で培ってきた。たとえオルディア領が荒れ果てていようと、何らかの突破口を見い出せる可能性はある。
 「ええ。私も協力できることがあるなら、惜しみなくやるわ。恩返しのつもりでね」
 ヴァレリアの言葉に、レオネルは感謝の笑みを浮かべた。そして、さっそく翌日から領内視察に出かけることになる。

農地と住民たち

 まず彼らが向かったのは、館から南へ数キロほど行ったところにある、数少ない農地の一帯だった。そこでは麦や豆などが細々と育てられているが、土壌が痩せているせいで収穫量は極めて少ない。農民たちの顔にも疲労と不安が色濃く刻まれていた。
 「これはオルディア家の跡取り様……それに、どちらさまですかい?」
 見回りをしていた壮年の農民が、怪訝そうな顔でヴァレリアを見つめる。
 「こちらは、俺の客人だ。今後、この領地のためにいろいろと知恵を貸してくれるかもしれない方だよ」
 レオネルがそう紹介すると、農民はハンチング帽をとって軽く会釈した。
 「はあ……それはありがたい。ご覧のとおり、この畑はほとんど実りがなくてね。雨が少ないのに、土壌が石混じりで固くて、作物がよう育たんのですわ」
 ヴァレリアは土を手に取り、細かく観察してみた。乾燥が強く、石がゴロゴロ混ざり、深い耕作ができていない。その原因は、おそらく適切な土壌改良と灌漑設備が整っていないからだろう。
 「……もし川を引くことができれば、一部でも灌漑を行って土を柔らかくすることが可能かもしれないわ。土に混ぜる堆肥が足りないなら、家畜の飼育や堆肥場を増やす仕組みが必要になる。今はあまり家畜もいないの?」
 農民は首を振る。
 「ええ、飼ってると盗賊に襲われる可能性もあるし、そもそも飼料にする牧草がない。昔は馬や牛もいたが、今じゃほんの数頭を細々育てるだけですわ」
 彼らの苦労が目に浮かぶようだ。治安が悪ければ家畜も育てられないし、飼料用の牧草を育む土地もほぼない。まさに負の連鎖に陥っているのだ。
 (それでも、何とか打開策を探さなくちゃ)
 ヴァレリアは口元に手を当て、考え込む。この地に適した作物や、比較的育てやすい牧草、あるいは薬草栽培など、何か特産品を作り出せれば商人を呼び込む余地ができる。だが、それらには初期投資が必要だ。
 「今は大規模な改革は難しいかもしれないけど、小さな変化から取り組む余地はある。少なくとも、土壌改良の知識や、盗賊から守る施策があれば……」
 ヴァレリアはひとりごとのように呟き、レオネルに目を向ける。
 「灌漑のための用水路を作るにしても、労働力や費用が要るわね。領民たちが安心して働ける環境が必要だわ」
 「そうだね。盗賊対策も強化しないとな。俺や手勢だけじゃ手が足りない」
 農地を後にし、二人は次に川沿いの地域へ足を運んだ。そこには激しい流れの急流があるのだが、全く整備されておらず、自然のまま放置されている。かつて試みたという堤防の工事も、資金不足や人手不足で途中で頓挫したようだった。

鉱山の可能性

 さらには、オルディア領の北側に小高い山脈が連なっている。ここには古い鉱山跡があるらしく、わずかに採掘が続けられているものの、効率の良い開発は行われていない。
 ヴァレリアは興味深げに、鉱山の入り口を眺めた。鉄や銅が採れると聞いていたが、場所によっては魔石の原石や希少金属も出るかもしれない。
 「こういう鉱山開発は……本来なら王都からの出資や技術者の派遣が欠かせないのよね」
 「昔は少しだけ援助があったらしいんだが、先代の頃には止まってしまってね。今は領民たちが小規模にやってるだけさ。危険もあるから、大規模にはできないんだ」
 それでも、もし豊富な鉱脈が見つかれば、オルディア領を支える一大産業になる可能性がある。実際、鉱石の取引は需要が高く、武器や道具の材料として各国が求めているのが現状だ。
 (ここまでの視察で分かったのは、やはり“資源はあるのに活かせていない”という点。まるで王都の政策が滞り、真面目に取り組んでいない図そのものだわ)
 ヴァレリアはレオネルに向き直り、きっぱりと言った。
 「見れば見るほど、伸びしろがあるわね。時間や労力はかかるでしょうけど、必ず再生できると私は思う」
 「……そうか? 正直、俺はここがこんな状態だから、ずっと暗い気持ちだった。何をやっても無駄なんじゃないかって。でも、そう言ってもらえるなら、まだ諦めなくてもいいのかな」
 レオネルはどこか安堵したように笑う。その様子を見て、ヴァレリアもつられて微笑んだ。
 「ただ、問題は山積みよ。人手不足、資金不足、治安の悪さ、そして王都からの援助も見込めない。……けれど、私にできることがあるなら、全力で協力したいわ」
 ヴァレリアの言葉には力がこもっていた。彼女自身、追放された身でありながらも、まだ“諦めない心”を失ったわけではない。むしろ、この困窮した領地を盛り立てることが、自分の新たな生きがいになるかもしれないと思い始めている。


---

新しい仲間――ミレイユとの出会い

 領内をひと通り視察した後、ヴァレリアとレオネルは館に戻り、簡単な夕食をとった。オルディア領の食卓は質素だが、採れたての野菜や豆スープは素朴な味わいで、旅の疲れを癒してくれる。
 食事を終え、館の中庭で一息ついていると、どこからか慌ただしい足音が聞こえてきた。
 「レオネル様! 帰っていらしたのですね!」
 駆け寄ってきたのは、灰色の髪を三つ編みにした若い女性。襟元の飾りを見るに、館付きのメイドか使用人の一人だろう。彼女は小柄だが機敏そうな動きをしており、大きな籠を抱えている。
 「おお、ミレイユ。戻ったよ。どうかしたのか?」
 「あの、街道沿いにまた盗賊が出没しているらしいんです。被害はまだ出ていないようですが、領民の間では不安が広がっていて……」
 ミレイユと呼ばれた少女は顔を曇らせている。オルディア領では盗賊の出没は日常茶飯事だが、彼らが頻繁に姿を見せるようになると、今以上に経済活動が停滞してしまうのだろう。
 「わかった。明日にでも兵を出して見回りを強化するよ。……それと、こちらはヴァレリア。しばらくここに滞在してもらうから、何かと助けてやってほしい」
 レオネルがヴァレリアを紹介すると、ミレイユはぱっと表情を明るくし、深々とお辞儀をした。
 「初めまして、ヴァレリア様。私はミレイユといいます。オルディア家に仕えてもう三年目ですが、まだまだ慣れないことばかりで……何かありましたら、何でもお申し付けくださいませ」
 「こちらこそ、よろしくね。私もオルディア領のことをもっと勉強したいから、いろいろ教えてちょうだい」
 ミレイユは「はい!」と元気よく答える。素朴だが人懐っこい笑顔に、ヴァレリアの胸も少しだけ温かくなる。
 (私一人では何もできない。新しく出会う人々と力を合わせてこそ、道は切り開けるはず)
 王都にいた頃とは違う、人と人との素朴な結びつき。ヴァレリアはそれを大切にしたいと思った。


---

一筋の光――小さな提案

 翌日、ヴァレリアは早く目を覚まし、館の書斎で簡単なメモを取りながら、オルディア領でできそうな施策を考え始めた。
 たとえば――

領内巡回の兵数を増やす:盗賊対策。だが、人手不足と装備不足が課題。

土壌改良の実験:麦や豆以外の作物、特に乾燥に強い植物や薬草の栽培。必要なら肥料の供給方法を工夫する。

川沿いの整備:簡易的な灌漑を行い、畑を増やす。堤防までは難しくても、水路を掘ることで飲み水や農業用水を確保する。

鉱山の安全対策:危険個所を補強し、少しずつ採掘量を増やす。売却ルートを開拓すれば収益になるかもしれない。

商人の呼び込み:治安が良くなり、資源や特産品が揃えば、商人がやって来る。そうなれば交易が活性化し、オルディア領自体が豊かになる。


 もちろん、実行には資金と時間が必要だ。一朝一夕には進まない。だが、王都のように派手な催しを打たなくても、地道な努力で前に進める手段はある。
 (私にできることは、まずは“どこに優先的に投資し、どうやって小さな成功を積み上げていくか”を設計することね)
 王都で得た知識や、財務の分析力は今でもヴァレリアの武器だ。公爵家時代に学んだ農業改革の実例や、商会との交渉術を思い出しながら、少しずつ考えをまとめる。
 そこへ、ノックの音がした。
 「ヴァレリア、起きてるか?」
 声の主はレオネルだ。ヴァレリアが「どうぞ」と答えると、彼は遠慮がちに書斎へ入ってきた。
 「少し話があるんだけど……君に相談したいことがあって」
 「いいわよ。ちょうど私も、オルディア領の改良案をまとめていたところなの。何か聞かせて」
 ヴァレリアはペンを置き、レオネルの目を見つめる。彼は少しだけ恥ずかしそうに視線をそらしながら言った。
 「その……実は、領地の兵士や領民が最近、モチベーションを失ってるように感じるんだ。荒野と盗賊に疲れているし、将来がまるで見えないからだと思う。俺も何とかして“希望”を示したいんだけど、どうすればいいかわからなくて……」
 レオネルの言葉には切実さが滲む。確かに、ただでさえ厳しい環境で、必死に生き延びている人々に、さらに盗賊や干ばつなどの脅威が重なれば、気力を失うのも無理はない。
 「そうね……。一度に大きなことをやるのは難しいけど、小さくても成功体験を作るのが大事だと思うわ。誰でも“ああ、やればできるんだ”と実感できれば、少しずつやる気が出るものよ」
 「小さな成功……たとえば?」
 ヴァレリアは自分のメモを見ながら提案した。
 「まずは川沿いの地域に、簡単な用水路を作ってみるのはどうかしら。大規模な農業は無理でも、畑を少し広げるだけで収穫量が増える可能性がある。そうなれば、“やれば成果が出る”とわかって、皆も協力してくれるんじゃない?」
 レオネルは目を輝かせる。
 「なるほど……簡単な水路なら、領内の男手を集めればどうにか作れるかもしれない。素材も、岩や石を使えば大きな出費は抑えられる。ただ、盗賊対策はどうする?」
 「少数でもいいから、兵士を定期的に巡回させるの。領民に見せることで安心感を与えられるでしょう? 実際に盗賊と戦う場面があるかもしれないけど、相手は大規模な組織じゃない。守りを固めればそうそう大きな被害にはならないと思う」
 その提案に、レオネルは深く頷き、笑みを浮かべた。
 「わかった。早速、父上にも相談してみるよ。ありがとう、ヴァレリア。君がいてくれるだけで、なんだか前向きになれそうだ」
 そう言われると、ヴァレリアは少し照れくさくなりながらも、嬉しさを覚える。自分がこの地で役に立てるという実感は、彼女にとって新たな生きがいを与えてくれる。
 (王都を出て、すべてを失ったと思っていたけど……私にはまだ、できることがあるのね)
 ヴァレリアはまぶたを閉じ、亡き祖母から貰った指輪の感触を思い出す。公爵家にいた頃は“家名”と“婚約者”という重荷に押しつぶされかけていた。それでも、祖母はいつも「あなたには人を導く力がある」と励ましてくれたものだ。
 (祖母の言葉を証明するように、私はもう一度、歩き出さなきゃ)


---

決意――新たな道を見つけるために

 こうして、ヴァレリアはオルディア領での新しい生活を始めた。追放者としての烙印を押された彼女だが、この地では“それまでの過去”を深く詮索されることは少ない。何より、領主一家が彼女を受け入れ、一定の信用を置いてくれている。
 もちろん、最初からすべてが順調に運ぶわけではない。盗賊の動向や、領民たちの不信感を解くためには時間がかかる。レオネルの母、すなわち公爵夫人も「本当に大丈夫かしら……」と不安そうに漏らすときもある。
 それでも、ヴァレリアは動じなかった。むしろ、彼女が王都で経験した“権力争いの理不尽さ”に比べれば、今の苦労は“目的がハッキリしている”ぶんだけまだマシだと思える。
 朝早くから地図とにらめっこし、領民の話を聞き、兵士たちと治安維持の計画を立てる。そんな日々を送りながら、彼女は少しずつオルディア領を理解し、再生への糸口を探っていく。
 時折、王太子やセシリアの裏切りを思い出すときもあるが、悔しさや怒りを原動力に変え、前へ進もうと決心する。
 (絶対に見返してやる。私を捨てたあの国に、私の本当の価値を思い知らせる日がきっと来る)
 そのためには、オルディア領が豊かになり、彼女自身が実績を積むことが必要だ。そうすれば、王宮で彼女を陥れた者たちは、必ず“あのとき追放したのは間違いだった”と後悔するだろう。
 夜、館の小さな書斎のランプの下で、ヴァレリアは自分用のメモに目を走らせる。そこには、オルディア領の開発計画が箇条書きで並んでいた。小さなことから始めると決めた対策の案が、ページをめくるごとに増えていく。
 (ここからが勝負。まだまだ始まったばかり。諦めなければ、どんな道だって切り開ける)
 自分に言い聞かせるように、ヴァレリアはペンを置いた。追放者の汚名を抱えていても、失ったものばかりを嘆くわけにはいかない。今ある資源と人々を活かし、わずかずつでも前へ進む――それが、今のヴァレリアの“生きる道”だ。

 このとき、まだ彼女は知らなかった。
 遠く王都では、エドワードの浪費とセシリアの専横がますます激化し、国が不穏な空気に包まれ始めていることを。
 そして、オルディア領でも更なる試練が待ち受けていることを――。
 だが、どんな未来が待っていようと、ヴァレリアはもう立ち止まるつもりはなかった。
 新たな仲間と出会い、少しずつ知恵と行動力を発揮していく彼女の物語は、今まさに踏み出したばかりなのだ。








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