政略結婚?いいえ、甘々新婚生活ざまあです

霧島

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第三章:揺らぐ大地と芽吹く希望

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 王都を出てから幾度目かの月が過ぎ、オルディア領にも少しずつ季節の移ろいが感じられる頃。
 高い山脈にはまだ雪が残るものの、麓の土地には春の陽気が届きはじめ、僅かに草が芽吹いていた。空気は乾いていたが、日中はときおり柔らかな風が吹き、ヴァレリアの頬を撫でていく。
 オルディア家の館ではこの日、ヴァレリアとレオネルが主導し、領民たちを集めて簡易用水路の工事を始めるべく準備を行っていた。王都での大規模な公共事業と比べれば、小さく地味な取り組みかもしれない。しかし、貧しいこの地で食料を生産し、少しでも安定した生活を送るには、まず水源の確保が急務だ。

 広場に集まった十数名の領民を前に、レオネルは背筋を伸ばし声を張り上げる。
「皆、集まってくれてありがとう! 今日から始まる工事は、俺たちの領地にとって第一歩だ。まだ小さな規模だが、これを成功させればもっと畑を広げられるはず。どうか力を貸してくれ!」
 決して流暢な演説ではないが、その声には熱意と誠実さがこもっている。昔からオルディア領に暮らす男たちや、子供を背負ったまま参加する女性たちは、不安と期待が入り混じった表情で頷いていた。
 一方、ヴァレリアは工事の手順をまとめたメモを片手に、レオネルに続いて領民たちへ呼びかける。
「皆さん、私はヴァレリア・ド・カサノヴァと申します。王都から追放されてやってきましたが、今は皆さんと同じようにオルディア領の一員として暮らしています。この土地には、まだまだ可能性がある。私たちが力を合わせれば、不毛だった場所にも作物が育つはずです。どうか協力してください」
 流れるように言葉を紡ぐヴァレリアは、その所作や佇まいから貴族出身であることを隠しきれない。だが、彼女がこの地に根を下ろして自ら汗を流している姿を見て、領民たちの目にも少しずつ信頼が灯りつつあった。

 「そんじゃ早速、始めるか……レオネル様、どっちの方角から掘ります?」
 「まずは川沿いから少しずつ掘り下げていこう。岩や石が多い場所は迂回して、なるべく水が流れやすいルートを確保するんだ」
 リーダー格の若者が声を上げると、男たちは一斉にシャベルやツルハシを手に動き出した。女たちは食事の準備や子供の世話を担当しながら、時には軽作業も手伝う。まさに総出での共同作業となる。
 ヴァレリアもまた手袋をはめ、慣れない土木作業に汗を流し始めた。王都で育った貴族令嬢としては初めての経験だが、それでも「自分が関わった計画を成功させたい」という思いが彼女の足腰を支える。
 みるみる体が埃まみれになり、腕に疲労が溜まる。けれど、隣にいるレオネルも黙々とシャベルを振るい、泥だらけになりながら笑っているのを見れば、弱音は吐けない。

 やがて、夕暮れが近づくころには、予定していた場所の半分ほどまで掘り下げが進んだ。大勢で一気に作業したおかげで、思ったよりも工程が早い。
 「お嬢さん、こんだけ掘れたら、明日には水を流せるんじゃねえか?」
 「ああ、様子を見て、上手く水が運べるようになれば一安心だな」
 息を切らせながらも、領民たちはどこか活気づいていた。まだ終わりではないが「これならうまく行きそうだ」という手応えが生まれているのだ。
 ヴァレリアは実感する。“小さな成功体験を積む”――その重要さを王都で学んではいたものの、こうして実際に目の当たりにすると、ひときわ感慨深い。
 (誰もが自分の暮らす土地を良くしたいと願っている。しかし、どうすればいいかわからないから動けない。少しの希望を見出せば、こんなにも人は力強く行動できるのだ)

波乱の予感:不穏な盗賊の噂

 こうして順調に進んでいるかに思われた用水路工事だったが、その裏で不穏な報せが少しずつ耳に届きはじめる。
 「どうやら、西の峠を越えたあたりに大きな盗賊団が集まっているらしい」
 館の一室で、レオネルが地図を広げながらヴァレリアに告げた。彼の顔は深刻そのものだった。
 「大きな盗賊団……これまでも、小規模の略奪者なら何度か出没していたわよね。今回は違うの?」
 「うん。最近オルディア領の北部や西部で、奴らが一度に複数の集落を襲っているみたいなんだ。しかも、もしかすると王都から流れ込んできた元兵士が混じっている可能性があるって噂まである」
 元兵士――つまり軍の訓練を受けた人間が盗賊化しているとすれば、戦闘力は侮れない。領内の僅かな兵力では対抗が難しく、一方的に蹂躙されかねない危険を孕んでいる。
 「どうして元兵士が盗賊に……? いま王国は何をやっているのかしら」
 ヴァレリアは苛立ちを覚えながらも、その理由に思い当たる節があった。財政が悪化し、軍の給料が滞るなどすれば、兵士たちが職を失って荒野に流れる――そんな事態は、彼女が王都で財政案を練っていた頃に懸念していたことの一つだ。
 (あのとき私の提言を聞き入れていれば、多少はマシだったかもしれないのに……)
 悔しさを飲み込み、ヴァレリアはレオネルに向かって問いかける。
 「それで、この領地は大丈夫なの? 用水路工事や鉱山開発を進めても、盗賊に襲われたら元も子もないわ」
 「そこなんだよね。今、俺たちの兵士は三十名程度しかいない。しかも装備は古いし、訓練も充分とは言えない。もし本格的な盗賊団が襲ってきたら、正直、防衛は難しいかもしれない」
 その言葉に、ヴァレリアも黙り込む。力を尽くして領地を再生しようとしている最中に、略奪や破壊を受ければ、すべてが水の泡だ。
 同時に、彼女には別の疑念も生まれた。
 (どうして急に大きな盗賊団があちこちで活動を始めたのかしら。自然発生的にまとまったとは考えにくい。誰かが裏で糸を引いている可能性はない?)
 この辺境の地に来てから、ヴァレリアは嫌でも学んだ。権力や金を巡る陰謀は何も王都だけの話ではない。辺境には辺境なりの覇権争いが存在し、商人や領主が裏で手を組んでいることだってあり得るのだ。
 しかし今はまだ確証がない。まずは目の前の対策を考えるしかないだろう。
 「レオネル、私にできることがあるなら言ってちょうだい。用心のため、工事現場にも見張りを増やしたほうがいいでしょうし、資金が必要なら私の手持ちも使って構わないわ」
 ヴァレリアは自分の鞄にしまいこんでいる貴金属の一部――王都から追放される前に隠し持っていた指輪や宝石を思い浮かべる。大した量ではないが、当座の兵糧を買い足したり、装備を強化したりするくらいの資金にはなるかもしれない。
 レオネルは申し訳なさそうに目を伏せる。
 「ヴァレリア、そこまでしなくても……君は追放者でありながら、ここまで俺たちを助けてくれてるんだ。これ以上、君に負担をかけたくはないんだけど」
 「いいの。私が好きでやっていることだもの。それに、ここで頑張ることが私自身の未来のためでもあるわ。もしオルディア領が発展してくれれば、私が“追放された貴族令嬢”なんて呼ばれることも、いずれは過去の笑い話にできるかもしれないでしょう?」
 柔らかな口調ながら、ヴァレリアの瞳には強い決意が宿る。それを見て、レオネルは目を見開き、やがて穏やかな微笑を浮かべた。
 「……ありがとう。とりあえず、兵士たちには装備の修理と巡回強化を命じる。それから、万が一の時に備えて避難場所を確保しないと。古い砦跡があるから、そこを一時的なシェルターに使えないか調べてみるよ」

灌漑工事の完成と予期せぬ豪雨

 盗賊の噂が広がる中でも、領民たちは怯んでばかりはいられない。用水路工事は毎日のように続けられ、計画からおよそ半月が経つ頃には、ある程度の水路が形を成していた。
 「わあ……水が流れてる! 本当に畑のほうへ水が引けたんだ!」
 農民たちは大喜びで、わずかだが流れ込む水を見つめる。その喜びはヴァレリアやレオネルにも伝わり、一同が笑顔を交わす。
 「これなら、畑をもう少し広げられる。雑草や石を取り除いて、堆肥を入れれば、作物もきっと育つわ」
 「そうだな。上手く行けば、秋には収穫できるかもしれない」
 こうして、領地再生の小さな一歩が確かな形をとった。住民たちの士気も高まり、皆が少しずつ未来を信じ始める。
 しかし、その喜びも束の間だった。

 ある日の深夜、突如として激しい雷鳴と豪雨がオルディア領を襲ったのだ。
 ゴロゴロ……バリバリ……!
 あたりは闇夜に包まれ、稲光が不気味に地表を照らす。ここ数カ月、雨らしい雨が降っていなかったため、乾ききった土壌は一気に水を吸い込みきれず、あちこちで土砂や泥が流れ出す。
 「まずい、地盤が緩んで土砂崩れが起こるかもしれない!」
 レオネルは館に駆け込むと、即座に兵士たちを呼び出した。ヴァレリアも飛び起きて衣服を整え、同じく書斎へと向かう。
 「この豪雨のせいで、せっかく作った用水路が氾濫する可能性があるわ。畑のほうは大丈夫?」
 「わからない。今から兵士を派遣して確認するが、夜の豪雨じゃ視界も悪い。危険だけど、ほっとくわけにはいかないし……」
 こうして、慌ただしく夜間巡回が始まった。ヴァレリアも自ら外に出て、レインコートのような簡易の雨具に身を包む。雨は冷たく肌を打ち、風は吹き荒れる。
 夜の闇と轟音に包まれながら、彼女は懸命に足元に注意を払いつつ進む。やがて、工事したばかりの用水路の地点にたどり着くと――案の定、土の部分が崩れ、ひどい濁流と化していた。
 「うわっ……!」
 水路の溝がどんどん拡大され、水が勢いよく溢れ返っている。これでは作物が水浸しになり、土壌が流されてしまう恐れがある。
 兵士たちも必死に土嚢を積もうとするが、雨足が強すぎて追いつかない。むしろ、無理をして近づけば流れに足を取られる危険もある。
 「どうにかならないの?」
 ヴァレリアが声を張り上げても、ザアザアと降りしきる雨音にかき消されそうだ。レオネルは地形を見回しながら叫ぶ。
 「やれるだけのことはやってみるが、今夜は下手に動いて被害を広げるより、自然に治まるのを待つほうがいいかもしれない……」
 無念ではあるが、闇夜の豪雨の中で大規模な対処は不可能に近い。下手をすれば人的被害が出てしまう。そう判断したレオネルは、領民たちに付近の高台へ避難するよう指示し、夜が明けるのを待ってから復旧作業に取りかかることにした。

 翌朝、雨は嘘のように止み、雲間からはうっすらと太陽が差し込み始めた。
 しかし、その光景は領民たちにとって過酷な現実を突きつける。あちこちの畑が水浸しになり、一部は土砂崩れによって流失していた。さらに、工事したばかりの用水路の一部も崩落し、元の姿がわからなくなっている。
 「これは……かなりの被害ね」
 ヴァレリアは胸を痛めながら、沈痛な面持ちで状況を見つめる。せっかくの努力が、水の奔流によって無残に破壊されてしまったのだ。
 「でも、どうにかやり直すしかない。被害を最小限に食い止められただけでも幸いと思うしか……」
 そう語るレオネルの言葉には重みがある。領民たちの中には肩を落とす者もいれば、「またやり直そう」と前を向く者もいる。泣き出す人々を励ましながら、ヴァレリアは改めて“自然の脅威”と“地形の難しさ”を痛感するのだった。

訪れる新たな脅威――謎の魔物騎士

 豪雨の被害から数日後、領民たちは何とか復旧に向けて動き出していた。泥や土砂をかき出し、少しずつ用水路を補修し、家屋の修繕を進める。
 そんな折、“魔物騎士” と呼ばれる集団が近隣に現れたという情報がオルディア領に飛び込んでくる。
 「魔物騎士……? 盗賊とは違うの?」
 ヴァレリアは耳慣れない呼び名に首をかしげる。報告にやってきた兵士たちが口々に説明する。
 「はい。黒ずくめの鎧を纏い、魔物のような不気味な獣を操っている集団だそうです。人里に現れては略奪を繰り返し、抵抗する者を容赦なく斬り捨てるとか……」
 「正体不明で、どこの国の軍隊でもないらしい。最近、辺境各地に散発的に出没してるとのことです」
 その話を聞いたレオネルの表情はさらに険しくなる。
 「まるで国が乱れている時に便乗するかのように、次から次へと問題が起きるな……。何か繋がりがありそうだけど、今のところは断定できない」
 ヴァレリアの頭にも不安がよぎる。もしかすると、王都が混乱している影響で、国境付近の治安がどんどん崩壊しているのではないか? 盗賊にせよ魔物騎士にせよ、複数の勢力が入り乱れれば、オルディア領に波及するのは時間の問題だ。

 事態を重く見たレオネルとヴァレリアは、兵士の訓練を急遽強化することにした。これまでは巡回や小競り合いに対応できる最低限のレベルだったが、元兵士と思われる盗賊や謎の魔物騎士と戦うには不十分すぎる。
 「皆、これからしばらくキツイ訓練になるが、頑張ってくれ!」
 レオネルが演習場で声を張り上げると、集まった兵士たちも真剣な表情で返事をする。彼らにとっては死活問題でもあるのだ。
 ヴァレリアは傍らでその様子を見守りながら、さらにもう一つの案を思いつく。
 (周辺の領地と協力関係を結べれば、多少は集団的な防衛が可能じゃないかしら? 単独のオルディア領だけで守り抜くのは厳しい。隣接する小領主たちと同盟を結べないか、交渉してみる価値はありそう)
 しかし、それは簡単ではない。貧しい辺境の地では、どこも余裕がなく、互いに牽制し合っているのが現状だ。けれど、ヴァレリアは交渉力に関しては多少の自信がある。王都で培った知識と、カサノヴァ家出身としての名声――今や追放者ではあるが、“一応は公爵令嬢”という肩書が完全に消えたわけではないのだ。
 (私には、まだできることがあるはず。ここで怯んでいたら、追放されてきた意味すら失ってしまう)
 そう自分を鼓舞しながら、彼女はレオネルに持ちかける。
 「盗賊団や魔物騎士への対抗策として、周辺領地との協力関係を模索しない? 私が使者として出向いてもいいわ。もちろん危険はあるけれど、そのまま黙っていてはここが襲われるのを待つだけになる」
 「周辺領地か……確かに、何もしないよりはいいかもしれないな。俺もある程度の交渉はしてきたけれど、“貧乏領主と組んでもメリットがない”と言われてきたんだ」
 「ならば、オルディア領が“これから発展する可能性”を示すしかないわ。鉱山や用水路の話を具体的に示せば、将来の利益を期待して動く領主もいるかもしれない。私が話をすれば、少しは興味を持ってくれる人もいるんじゃない?」
 王都の貴族社会で、ヴァレリアは多くの政治家や商人と顔を合わせてきた。彼らが何を重視し、どういう条件なら乗ってくるか、多少のツボは知っているつもりだ。辺境の小領主たちも同じような思考をする可能性は高い――“自国の利益を最大化できるかどうか”が鍵になるのだ。
 レオネルはしばし考え込んだ末、真剣な面持ちでうなずく。
 「わかった。じゃあ、君と一緒に回ってみよう。知り合いの領地もいくつかあるから、最初はそこから当たってみてもいいだろう。だが……危険は承知の上だぞ?」
 「ええ。ありがとう、レオネル。私も本気でやってみるわ」

王都の暗雲――高まるエドワードとセシリアへの不満

 その頃、王都リベルタは一見するといつも通りの華やかな雰囲気に包まれていた。大通りには商人や旅人が行き交い、貴族たちは優雅な馬車で宮廷へ赴いている。しかし、その内情は徐々に怪しい空気を帯び始めていた。
 王太子エドワードが即位を控えた“摂政”の立場となり、財政面や外交面の権限を大幅に握っているのだが、彼の浪費と愛妾セシリアの贅沢があまりにも度を越しているという噂が絶えない。
 例えば――王宮の庭園を改装するために莫大な費用を投じたり、セシリアのために豪奢な宝石やドレスを買い漁ったり。さらには彼女の親族や取り巻きたちが各官職に就き、賄賂や汚職まがいの行為が横行しているとも囁かれる。
 王都に住む庶民たちも、増税や物資不足で苦しい生活を強いられ始めていた。彼らの不満は日に日に高まっているが、貴族社会や軍部はまだエドワードに逆らいづらい立場だ。
 「……こんなご時世じゃ、兵士だって給料がまともに支払われていないらしいぞ」
 「遠征帰りの兵たちが盗賊に落ちたって話を聞いたが、本当だったのか」
 酒場や市場ではそんな噂話が飛び交い、民は先行きに不安を抱き始める。だが、王太子エドワードとセシリアの耳には、都合の悪い声が届きにくいようになっていた。
 そんな中、ある貴族の屋敷で、小規模な集会が開かれていた。集まったのはエドワードやセシリアに不満を抱く一部の貴族や官僚たちだ。
 「このまま王太子殿下が全権を握るようになれば、国はどうなるかわからん。セシリアという女の専横ぶりは目に余る」
 「しかし、殿下に歯向かえば我が家の地位も危うい。どうにか内情を改善する術は……」
 誰もが口々に愚痴をこぼすばかりで、具体的な行動に踏み切れずにいる。王太子を直接批判すれば、粛清を受けるリスクが高いのだ。
 そのとき、一人の男が重々しい声で呟いた。
 「……カサノヴァ家の令嬢が追放されてから、財政の混乱がますます露骨になった気がするな。あのヴァレリア嬢がいれば、少しは歯止めになったかもしれんというのに」
 「あれは殿下の愛妾セシリアの策略で陥れられたらしいが……もう国外追放。今さら戻っては来ないだろう」
 誰もがそう言って肩をすくめる。あの才女はすでに国を捨て去り、二度と戻らない――それが彼らの認識だった。
 しかし、もし彼女がまだ生きていて、辺境の地で力を蓄えているとしたら……将来的に何らかの形で“ざまあ”を突きつける展開が待っているなど、この時点で思い至る者はいなかった。

交渉の旅立ちと揺れる思い

 一方、オルディア領では、ヴァレリアとレオネルが周辺領地との交渉に向け、準備を進めていた。作成した地図や開発計画の簡単な書類、そして少しばかりの土産物――この辺境で採れた鉱石のサンプルや、試しに収穫できた野菜などを持参する。
 「領地を空けるのは不安だが、母上と家臣たちに任せよう。ミレイユや兵士たちもできるだけ警戒を強めてくれるはずだ」
 出発前夜、レオネルは館の中庭で星空を仰ぎながら呟いた。隣にはヴァレリアがいて、彼女も夜風に吹かれながら遠くを見つめている。
 「もし、盗賊や魔物騎士が襲ってきたら……私たちはすぐ戻らなくちゃいけないわね。それまで何事もなければいいけど」
 「そうだな。けど、動かないでいれば何も変わらない。今の状況を打開するには、こうするしかない」
 レオネルの言葉に、ヴァレリアは深く頷く。追放された身でありながら、今や彼女はオルディア領の一員として、領地の未来を案じていた。
 (ここで得るものが、私にとっても第二の人生となるのかもしれない。そう思うと、失ったものの大きさに負けないくらいの希望が湧いてくる)
 そう考えたとき、ふとレオネルの横顔が目に入る。厳しい環境で育ったせいか、彼の表情や仕草には気品よりも実直さと逞しさが滲み出ている。王都で知り合った貴公子たちとはまるで違い、荒削りなところもあるが、今のヴァレリアにはその素朴さが心地よかった。
 「……レオネルには、本当に感謝してるわ。あのまま荒野で野盗に襲われていたら、どうなっていたかわからないもの」
 ヴァレリアが改めて礼を言うと、レオネルは照れくさそうに笑う。
 「助けたのは偶然だよ。オルディア領を守るために巡回していただけだし、君が貴族令嬢だなんてそのときは知らなかった。でも……今はこうして一緒にいる。だから、こっちこそ感謝してる。君がいなければ、用水路工事や領地の開発なんて思いつかなかったし、まさか周辺領地と交渉しようなんて踏み出せなかったから」
 お互いが支え合い、助け合っている――そのことを実感する夜だった。
 やがて、レオネルは少し言葉を飲み込むようにして、ヴァレリアの瞳を見つめる。
 「……もしも、君が本当に王都に恨みがあるなら、いつか復讐したいと思ってるなら、俺はそれを止めない。けど、覚えておいてほしい。君には、もう新しい場所がある。少なくとも、オルディア領の人たちにとって君は“追放者”じゃなく、“これからの未来を一緒に作る仲間”だって……」
 ヴァレリアの胸に、じんわりと暖かいものが広がる。王都への怒りや恨みは消えたわけではないが、同時に新たな居場所を守り抜きたいと思う気持ちも強くなりつつある。
 「ありがとう、レオネル。私……絶対に諦めない。王都に復讐するときも、ここで未来を築くときも、きっと両方手に入れてみせるわ。欲張りかしら?」
 最後は冗談めかして言ったつもりだったが、レオネルはまっすぐ頷いた。
 「欲張りでいいさ。君がそうやって前に進む限り、俺は手を貸すから」
 その言葉は揺るぎない誓いのようで、ヴァレリアの心を強く後押しした。

旅立ちの朝と小さな別れ

 翌朝、ヴァレリアとレオネルは数名の兵士を連れ、館の門を出発する。用意した馬車には交渉資料と土産物、それから身の回りの必需品が積み込まれている。
 館の前では、公爵夫人やミレイユ、そして他の使用人や兵士たちが見送りに来ていた。
 「レオネル、ヴァレリア様。どうかご無事で。何かあれば早めに戻ってきてくださいね」
 ミレイユは少し寂しげな表情を浮かべながら頭を下げる。公爵夫人も「気をつけるのですよ」と微笑み、その背後には他の者たちも手を振っている。オルディア領にとって、“領主代理”と“新参の救世主”が同時に留守にするのは大事だが、それでも彼らはこの旅が成功することを願ってくれていた。
 「任せて。ここが盗賊や魔物騎士に襲われたりしないよう、祈っていてちょうだい」
 馬車に乗り込む直前、ヴァレリアはそう言って微笑む。とはいえ、内心では不安も隠せなかった。自分たちが不在の間に領地が襲撃されれば、すべてが瓦解する危険がある。だが、動かなければ何も変わらないことも事実だ。
 「行くぞ、ヴァレリア。周辺領地で成果を出して、ここをもっと強くしよう」
 御者台で手綱を握るレオネルの背中を見つめながら、彼女は強い決意を新たにする。
 (必ず、私たちの手でオルディア領を豊かにしてみせる。そのときこそ、あの王都で私を追放した連中にざまあみろと言ってやるわ――)

 こうして、険しい山道と荒野を越えていく交渉の旅が始まった。
 だが、その道のりにはまたしても思わぬ罠や、過酷な試練が待ち受けているとは、今はまだ知る由もない。
 そして、王都リベルタでは財政の破綻が一歩一歩迫っており、やがて国全体を揺るがす大きな動乱へと繋がっていく……。
 運命の歯車が軋むように回り始めたなか、ヴァレリアの心は揺るぎなく前を向く。
 “自分を守り、一度失った夢をもう一度取り戻すために。

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