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第2章3節 勇者パーティー、初の敗北
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第2章3節 勇者パーティー、初の敗北
昼の陽が傾きかけ、森の影が濃くなりはじめた頃だった。
勇者レオンの号令で、四人は岩山の麓にある裂け目へと踏み込む。目標はランクAモンスター《ロックリザード》。岩肌のような外殻と、衝撃波を生む尾が脅威の大型個体だ。かつてなら、彼らにとって“肩慣らし”に等しい獲物だった。
「前衛、押し上げる! ルナ、詠唱は短く刻め! カイン、側面から牽制!」
レオンはいつも通りに指示を飛ばす。だが、声がわずかに上擦っていた。本人は気づかない。呼吸が浅いのも、昨晩よく眠れなかったせいだと、軽く片づける。
岩間から低い唸り声。次の瞬間、空気を裂く尾の一閃。
ドゴォン、と地面が揺れ、砂礫が弾けた。
「ぐっ……! 何でこんなに速い!」
「速くなんてない、あなたが突っ込みすぎなの!」ルナが叫ぶ。
「うるさい、詠唱を合わせろ!」
「合わせてる! けど、手元が——」
ルナの指先の震えは、ただの疲労のはずだった。
カインの矢は標的の喉元から半寸ずれ、硬い外殻に弾かれる。「風、向きが変わったかもな……」と、彼は独りごちる。いつもより足場が悪い、靴底の減りが早い、そういう“よくある誤差”で片づける。
「もう一回、いくぞ——」
レオンが踏み切る。剣が軌道を描く直前、ロックリザードの爪が斜めに切り上げ、火花が散った。
血の味。レオンの脇腹に浅くない裂傷。即座にルナが詠唱するが、回復光は頼りない。
「……出力が乗らない。どうして……」
「気合い入れろ!」レオンは怒鳴る。「今日は湿気がある、魔力が重いんだ!」
ルナは唇を噛みつつ頷いた。魔力が重いのは湿気のせい——その説明は、彼女にも心地よい逃げ道になった。カインもまた、矢筒の位置がしっくりこないと位置を微調整する。こういう日はある、と互いが互いに言い聞かせあう。
ロックリザードが咆哮し、尾が叩きつけられる。衝撃波で視界が砂塵に閉ざされた。
「右だ、カイン!」
「左、だろ!」
「いや、右!」
判断が一瞬ずれる。その一瞬が命取りだった。
カインの足首に直撃した破片がめり込み、骨が嫌な角度で曲がる。「あ、あああっ!」
ルナが駆け寄る。「動くな! 固定——」
「今は攻める! 怯みが出てる!」レオンが単騎で踏み込む。
刹那、巨体が体当たりの姿勢で滑る。レオンの剣は外殻で逸れ、逆に肩口をかすめられる。
鈍い痛みとともに、視界の端が白くはぜた。
「撤退——いったん引くぞ!」
勇者レオンの口から、初めてその言葉が出た。
三人は躊躇う。だが、巨尾が振りかぶられたのを見て、一斉に退く。岩の裂け目から、山道へ。
追撃の衝撃波が背中を押し、転げるように坂を下る。
逃げ切ったと判断したところで、全員が泥の上にへたり込んだ。
「……最悪だ」レオンが吐き捨てる。「なんだ、今日はついてねぇ」
「そうね。月齢と湿気と……たぶん、気圧のせい」ルナは苦笑した。
カインは汗を拭きながら無理に笑う。「俺、寝不足。ほら、弓の手が震える日ってあるだろ」
三人の言い訳が小さな焚き火の火種のように弾けては消える。
“今日は運が悪かっただけ”。
誰も、それ以上深く考えない。
――本当は、見えない“支え”が消えただけだ。
だが、その喪失の名を、彼らは誰も口にしない。
---
ギルドに戻ると、受付カウンター前にはいつもの冒険者の列。
レオンは包帯を肩に巻きつけたまま、報告書を突き出した。
「ロックリザードと交戦、撤収。再編の後に再挑戦する」
受付嬢は事務的に頷き、書類の束を捌く手を止めた。「討伐証明、もしくは交戦記録の魔石は?」
「は? 証明? 間違いなく戦った。俺が言ってるんだ、間違いない」
「ごもっともですが、規則ですので交戦記録用の魔石、もしくは部位の提出をお願いします」
「うるせぇ、俺が勇者だぞ。俺の言葉が——」
「規則です」
冷ややかな二語。
背後で小さな失笑が漏れる。「またかよ」「最近あの勇者様、雑だな」
レオンの耳に刺さる。怒りが喉元までこみ上げ、拳が震えた。
「……チッ。次から持ってくる」
「承知しました。本件は“撤退報告”で受理、報酬は出ません」
薄く笑った冒険者の横顔が視界の端に揺れた。悔しさの矛先を見失い、レオンは踵を返す。
---
宿に戻ると、部屋はいつも以上に散らかっていた。
剣帯は床に投げ出され、ポーションの空瓶が転がる。手入れの油は蓋が緩んだまま。
レオンはそれらを一瞥し、溜息をついた。
「……誰か、装備の点検を——」
「私、魔力の循環整えたい。手をつけると集中が切れる」ルナ。
「俺、足首。氷で冷やしてからじゃないと……」カイン。
「そうか。じゃあ、俺がやる」
レオンは鞘を膝にのせ、布で刃を拭く。だが、動きはぎこちない。
刃の脂は薄く、逆に錆を呼ぶ拭き方だ。
ユウマがいつも滑らせていた油布の感触が、指にない。
……誰だ、ユウマって。心の中に浮かぶ名前を、レオン自身が乱暴にかき消す。
「くそ、こういう日もある。明日立て直す」
その言葉に、二人は素直に頷いた。“こういう日もある”。便利な言葉だ。
敗北の理由を、夜へ投げ捨てて眠りにつける。
---
翌朝。
ギルドの掲示板には《荷運び兼補給管理》の短期募集が新たに貼られた。
“報酬:成果連動/食事付き/実績により昇給あり”
紙の端には、誰かが鉛筆で書き足している。“勇者PTでの実務経験者歓迎”
「ちゃんと人手を入れれば回る。昨日は人手不足だっただけだ」
レオンは自分に言い聞かせるように呟く。
ほどなくして、黒い外套の男が名乗り出た。年は二十代半ば、物静かで、目つきはやや伏し目がち。
「荷運びと事務、慣れています。前は商隊で。帳簿もつけられます」
「いいな。即戦力だ。明日から来い」
男は淡々と頷いた。その口元に、ごく小さな笑みが浮かんだのを、誰も見ていない。
---
再挑戦の日。
山道を登る四人+一人。背嚢の中は整理され、ポーションは色別に並ぶ。記録用魔石も袋の口に近い。
「ほらな、回るだろ」レオンは胸を張った。「俺たちは強い。昨日は巡りが悪かっただけだ」
裂け目の前で、レオンは深呼吸を一度。
「行くぞ、今度は決める」
突入。
だが、広間に踏み入った瞬間、足裏に嫌な弾み。砂利の偏り、わずかな段差。
体重移動が遅れ、初手の踏み込みが浅くなる。剣筋が半寸分、甘い。
ロックリザードの瞳が光り、二撃目の尾が風を裂く。
「右っ!」
「左だって!」
声が重なる。
回避方向が噛み合わず、肩と腕がぶつかった。「痛っ——」
そこへ衝撃波。レオンは受け身を取り、歯を食いしばる。
“また、ついていない”。
男手が増えたことに満足していた分、戦闘のズレはより鮮明に感じられた。
補給は整っている。道具もある。
それでも、剣が軽くならない。足が前へ出ない。魔法の発動がわずかに遅れる。
“たまに調子の悪い日”は、二日目になり、三日目になり、理由のわからない霞を彼らの視界に広げ続ける。
ルナの回復光は痛みを和らげるが、疲労を流し切らない。
カインの矢は要所で逸れ、狙撃の自信が削られる。
レオンは吠える。「押し切れ!」
ロックリザードは嗤うかのように尾で円を描く。三人はまた退いた。
二度目の撤退。
山風が四人の汗を冷やす。肩で息をしながら、レオンは天を仰いだ。
「……なんでだ。何が足りねぇ」
答えは、どこにも見当たらない。
足りないのは“見えない支え”。だが、その語は彼らの辞書にはない。
代わりにページの余白へ、今日も書き足される。
“湿気”“足場”“寝不足”“気圧”“女神の機嫌”。
---
その夜、宿の窓から月が覗いていた。
レオンは包帯を巻き直し、きつく結ぶ。結び目が荒く、皮膚に食い込んだ。
(明日こそ)
彼は目を閉じ、胸の奥のざわめきを“闘志”だと自分に言い聞かせる。
本当は不安の名をしたさざ波。だが、名づけなければ、不安は不在になる。
隣のベッドでカインが寝返りを打つ。
「なぁ、リーダー……俺たち、どっかで歯車、狂ってねぇか」
「たまたまだ。こんな時期はある」
短い返事。
それで会話は終わる。
灯りが消え、部屋は闇に沈む。
闇は、答えを教えてはくれない。
“運が悪い日”は、明日には明後日になり、そして——
敗北の影は、音もなく、しかし確かに彼らの背後へと広がっていくのだった。
昼の陽が傾きかけ、森の影が濃くなりはじめた頃だった。
勇者レオンの号令で、四人は岩山の麓にある裂け目へと踏み込む。目標はランクAモンスター《ロックリザード》。岩肌のような外殻と、衝撃波を生む尾が脅威の大型個体だ。かつてなら、彼らにとって“肩慣らし”に等しい獲物だった。
「前衛、押し上げる! ルナ、詠唱は短く刻め! カイン、側面から牽制!」
レオンはいつも通りに指示を飛ばす。だが、声がわずかに上擦っていた。本人は気づかない。呼吸が浅いのも、昨晩よく眠れなかったせいだと、軽く片づける。
岩間から低い唸り声。次の瞬間、空気を裂く尾の一閃。
ドゴォン、と地面が揺れ、砂礫が弾けた。
「ぐっ……! 何でこんなに速い!」
「速くなんてない、あなたが突っ込みすぎなの!」ルナが叫ぶ。
「うるさい、詠唱を合わせろ!」
「合わせてる! けど、手元が——」
ルナの指先の震えは、ただの疲労のはずだった。
カインの矢は標的の喉元から半寸ずれ、硬い外殻に弾かれる。「風、向きが変わったかもな……」と、彼は独りごちる。いつもより足場が悪い、靴底の減りが早い、そういう“よくある誤差”で片づける。
「もう一回、いくぞ——」
レオンが踏み切る。剣が軌道を描く直前、ロックリザードの爪が斜めに切り上げ、火花が散った。
血の味。レオンの脇腹に浅くない裂傷。即座にルナが詠唱するが、回復光は頼りない。
「……出力が乗らない。どうして……」
「気合い入れろ!」レオンは怒鳴る。「今日は湿気がある、魔力が重いんだ!」
ルナは唇を噛みつつ頷いた。魔力が重いのは湿気のせい——その説明は、彼女にも心地よい逃げ道になった。カインもまた、矢筒の位置がしっくりこないと位置を微調整する。こういう日はある、と互いが互いに言い聞かせあう。
ロックリザードが咆哮し、尾が叩きつけられる。衝撃波で視界が砂塵に閉ざされた。
「右だ、カイン!」
「左、だろ!」
「いや、右!」
判断が一瞬ずれる。その一瞬が命取りだった。
カインの足首に直撃した破片がめり込み、骨が嫌な角度で曲がる。「あ、あああっ!」
ルナが駆け寄る。「動くな! 固定——」
「今は攻める! 怯みが出てる!」レオンが単騎で踏み込む。
刹那、巨体が体当たりの姿勢で滑る。レオンの剣は外殻で逸れ、逆に肩口をかすめられる。
鈍い痛みとともに、視界の端が白くはぜた。
「撤退——いったん引くぞ!」
勇者レオンの口から、初めてその言葉が出た。
三人は躊躇う。だが、巨尾が振りかぶられたのを見て、一斉に退く。岩の裂け目から、山道へ。
追撃の衝撃波が背中を押し、転げるように坂を下る。
逃げ切ったと判断したところで、全員が泥の上にへたり込んだ。
「……最悪だ」レオンが吐き捨てる。「なんだ、今日はついてねぇ」
「そうね。月齢と湿気と……たぶん、気圧のせい」ルナは苦笑した。
カインは汗を拭きながら無理に笑う。「俺、寝不足。ほら、弓の手が震える日ってあるだろ」
三人の言い訳が小さな焚き火の火種のように弾けては消える。
“今日は運が悪かっただけ”。
誰も、それ以上深く考えない。
――本当は、見えない“支え”が消えただけだ。
だが、その喪失の名を、彼らは誰も口にしない。
---
ギルドに戻ると、受付カウンター前にはいつもの冒険者の列。
レオンは包帯を肩に巻きつけたまま、報告書を突き出した。
「ロックリザードと交戦、撤収。再編の後に再挑戦する」
受付嬢は事務的に頷き、書類の束を捌く手を止めた。「討伐証明、もしくは交戦記録の魔石は?」
「は? 証明? 間違いなく戦った。俺が言ってるんだ、間違いない」
「ごもっともですが、規則ですので交戦記録用の魔石、もしくは部位の提出をお願いします」
「うるせぇ、俺が勇者だぞ。俺の言葉が——」
「規則です」
冷ややかな二語。
背後で小さな失笑が漏れる。「またかよ」「最近あの勇者様、雑だな」
レオンの耳に刺さる。怒りが喉元までこみ上げ、拳が震えた。
「……チッ。次から持ってくる」
「承知しました。本件は“撤退報告”で受理、報酬は出ません」
薄く笑った冒険者の横顔が視界の端に揺れた。悔しさの矛先を見失い、レオンは踵を返す。
---
宿に戻ると、部屋はいつも以上に散らかっていた。
剣帯は床に投げ出され、ポーションの空瓶が転がる。手入れの油は蓋が緩んだまま。
レオンはそれらを一瞥し、溜息をついた。
「……誰か、装備の点検を——」
「私、魔力の循環整えたい。手をつけると集中が切れる」ルナ。
「俺、足首。氷で冷やしてからじゃないと……」カイン。
「そうか。じゃあ、俺がやる」
レオンは鞘を膝にのせ、布で刃を拭く。だが、動きはぎこちない。
刃の脂は薄く、逆に錆を呼ぶ拭き方だ。
ユウマがいつも滑らせていた油布の感触が、指にない。
……誰だ、ユウマって。心の中に浮かぶ名前を、レオン自身が乱暴にかき消す。
「くそ、こういう日もある。明日立て直す」
その言葉に、二人は素直に頷いた。“こういう日もある”。便利な言葉だ。
敗北の理由を、夜へ投げ捨てて眠りにつける。
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翌朝。
ギルドの掲示板には《荷運び兼補給管理》の短期募集が新たに貼られた。
“報酬:成果連動/食事付き/実績により昇給あり”
紙の端には、誰かが鉛筆で書き足している。“勇者PTでの実務経験者歓迎”
「ちゃんと人手を入れれば回る。昨日は人手不足だっただけだ」
レオンは自分に言い聞かせるように呟く。
ほどなくして、黒い外套の男が名乗り出た。年は二十代半ば、物静かで、目つきはやや伏し目がち。
「荷運びと事務、慣れています。前は商隊で。帳簿もつけられます」
「いいな。即戦力だ。明日から来い」
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「ほらな、回るだろ」レオンは胸を張った。「俺たちは強い。昨日は巡りが悪かっただけだ」
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「行くぞ、今度は決める」
突入。
だが、広間に踏み入った瞬間、足裏に嫌な弾み。砂利の偏り、わずかな段差。
体重移動が遅れ、初手の踏み込みが浅くなる。剣筋が半寸分、甘い。
ロックリザードの瞳が光り、二撃目の尾が風を裂く。
「右っ!」
「左だって!」
声が重なる。
回避方向が噛み合わず、肩と腕がぶつかった。「痛っ——」
そこへ衝撃波。レオンは受け身を取り、歯を食いしばる。
“また、ついていない”。
男手が増えたことに満足していた分、戦闘のズレはより鮮明に感じられた。
補給は整っている。道具もある。
それでも、剣が軽くならない。足が前へ出ない。魔法の発動がわずかに遅れる。
“たまに調子の悪い日”は、二日目になり、三日目になり、理由のわからない霞を彼らの視界に広げ続ける。
ルナの回復光は痛みを和らげるが、疲労を流し切らない。
カインの矢は要所で逸れ、狙撃の自信が削られる。
レオンは吠える。「押し切れ!」
ロックリザードは嗤うかのように尾で円を描く。三人はまた退いた。
二度目の撤退。
山風が四人の汗を冷やす。肩で息をしながら、レオンは天を仰いだ。
「……なんでだ。何が足りねぇ」
答えは、どこにも見当たらない。
足りないのは“見えない支え”。だが、その語は彼らの辞書にはない。
代わりにページの余白へ、今日も書き足される。
“湿気”“足場”“寝不足”“気圧”“女神の機嫌”。
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その夜、宿の窓から月が覗いていた。
レオンは包帯を巻き直し、きつく結ぶ。結び目が荒く、皮膚に食い込んだ。
(明日こそ)
彼は目を閉じ、胸の奥のざわめきを“闘志”だと自分に言い聞かせる。
本当は不安の名をしたさざ波。だが、名づけなければ、不安は不在になる。
隣のベッドでカインが寝返りを打つ。
「なぁ、リーダー……俺たち、どっかで歯車、狂ってねぇか」
「たまたまだ。こんな時期はある」
短い返事。
それで会話は終わる。
灯りが消え、部屋は闇に沈む。
闇は、答えを教えてはくれない。
“運が悪い日”は、明日には明後日になり、そして——
敗北の影は、音もなく、しかし確かに彼らの背後へと広がっていくのだった。
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