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3章. 4人の標的
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~東京目黒区~
豪勢なマンションや要人の邸宅が立ち並ぶ街。
その中心にある私立帝山高校。
「じゃあ、菅原さん解いてみて下さい」
教室のざわつきがピタリと止《や》む。
そして、直ぐにヒソヒソ声が始まる。
「先生、どうして私なのですか?」
意外な反抗にヒソヒソがピタリと止む。
「ど…どうしてって…別に」
「そんなに父が怖いんですか?それとも、皆んなが噂してる様に、父からお金をもらってるからですか?」
「ば、バカなこと言うんじゃない!」
あからさまに動揺が見てとれる。
「ふっ」
軽く鼻で笑い、自分のタブレット画面を教室のモニターへ映し、数学問題をサラサラっと解き、採点アイコンをクリックする。
もちろん、正解と出る。
「満足してもらえましたか?」
「あ、ああ。君ならできると思ってたが、やはりさすが…だな」
いつもながらの速さと正確さに、「おぉ」と小さなどよめき。
(くだらない…)
軽蔑の目で一瞥《いちべつ》し、やりかけの難解なパズルに戻る。
経済学や数学の博士号を持つ父、菅原義光は、帝都銀行代表取締役となり、今や大きな権力をも持つ存在となっていた。
母の珠世《たまよ》も、数学や理工科学の博士号を持ち、その1人娘の梨香に至っては、幼少期から、稀に見る天才的頭脳を現していた。
幼稚園から小・中学まで、個人的な英才教育が多く、孤立した生活を送って来たのである。
その裏には常に父義光の力と金が動いていた。
幼少期からそれを知り、それから逃げる様に生きて来た。
親しい友達も作れず。
学術の世界のみが、安堵する空間であった。
ただ一つ。
梨香には、確かな生きる目的があった。
僅か5才で生まれた暗い光。
それはある日を境に、更なる変化を遂げたのであった。
「パタン」
一限目の始業と同時に始めた難解なパズル。
大学生でも解ける者は少ない。
それを僅か30分足らずで解き、タブレットPCを閉じた。
空気が固まる。
振り向く者もいない。
その空間を、心地良いと感じた。
「帰ります」
ワイヤレスイヤホンを着け、携帯とPCのみを持ち、教室を出る。
誰も、先生ですら引き止めはしなかった。
いや、できなかった…の表現が相応《ふさわ》しい。
そんな父の創り上げた世界。
どこにいても付き纏う嫌悪感。
(くだらない…)
その瞳は、16歳の少女のものでは…無かった。
~新宿~
9:30。
「そろそろ起きなさ~い」
(咲さん?頭痛ぇ~……)「んっ?」
目の前に、咲の顔があった。
…超近い💦
「うわぁ!咲さん、ダメっすよ💦」
思わず両肩に手を当てて押し離す。
が、その反動で、もたれていたソファと一緒にひっくり返った。
「いててて」
ふと絨毯に転がったまま、横を向く淳一。
そこに咲の寝顔。
かなり近い💦
「うわぁ!また出た❗️」
「な~にが出たよ!だいたい私は美ィ~夜!」
…しばし記憶を辿っている淳一。
「私も飲み過ぎちゃったわ。しかし、あんた達いったい何しに来たのよ」
「咲さん、今何時ですか?」
「だからぁ、私は美夜だって、はい携帯」
美夜が淳一の携帯を渡す。
恐る恐る見る…
「良かった~」(ホッ)
紗夜の怒りのLINEが怖かった淳一。
「まさか、ホッとしてんじゃないわよね?私は休みにしたけど、あんた達今大変なんじゃないの?ほら」
美夜がテレビをつけた。
「あれ?紗…夜?」
昨夜の爆破現場の映像が流れていた。
紗夜が着いた時には、既に報道陣が詰めかけており、それを必死で押し退ける紗夜。
「可哀そうに、女性が1人亡くなったそうよ」
(紗夜…)
「エェェぇええエ~⁉️」
突然の咲の叫びに、ビクッとする2人。
「いきなり脅かさないでよね!咲」
「あら?美夜、何で淳がいんのよ?」
「あんたを運んできたんじゃないの❗️」
「あちゃ~やっちまった~💦」
「あ、さっき富士本って人から咲に電話あったから、適当に言い訳しといたわ。もうすぐ会議始まるわよ」
9:45…💧
「淳!急いで行くわよ。美夜、服借りるわね」
「はいはい、ご自由に。蔵ちゃんの手下が、あんたの車運んでくれたから」
「蔵ちゃん?誰それ?…まぁ、いっか」
「本当に、相変わらずね。はい鍵」
「サンキュ!助かるわ。淳、早く早く❗️」
慌てて支度を済ませ、外へ出る。
「咲、ほれ!」
「パシ」
マウスウォッシュを受け取る。
「酒臭いわよ、2人共。気をつけてね~」
とにかく、署へ向かった。
~警視庁対策本部~
「では最初に紗夜、昨夜の事件を頼む」
(はぁ…全く、変わらんなぁ咲は)
空席にため息をつき、ふと出会った時のことを思い出す富士本。
「昨夜、目黒区を運行中のバスが、バス停で停まった途端に爆発。そのバス停で降りるはずであった、宮崎美穂 33歳が直撃を受け死亡。自宅マンションはすぐ側で、採取した毛髪から本人と特定しました」
悲惨な写真が映る。
「酷いな…」
「使用された爆弾は、やはり液体爆薬で携帯を利用した起爆装置、速度メーター。前の2件と同じものです。それから…あ、咲警部!」
鑑識班の武藤が、奥のドアから入って来た咲と淳一に気付いた。
「浜田智久のアパートで採取した毛髪から、先の1人は特定。加藤吾郎については、住所不定だったけど、彼の面倒を見てた蔵島組の組長に慰留品を確認してもらい、間違いないってことよ」
(あ~気持ちわる…)
(やっぱり…そうなったのね、全く)
淳一を睨む紗夜。
目を合わさない淳一。
「それから、咲さんが浜田の部屋で見つけたこの写真ですが…」
昴が4人一緒の写真を映し出す。
「両端が、浜田と加藤。女性は昨夜の宮崎。あと1人は久米山勝 33歳で、住所は宮崎美保と同じで、恋人同士の様です」
「4人は知り合いか…しかもこの写真の様子じゃ、かなり親しかった様だな。それで、久米山は保護したのか?」
「その必要はありません、富士本課長」
会議室前方。
ステージを挟んだ扉の前に、黒服の男が1人。
「突然にすみません。警視庁公安部の戸澤公紀《こざわきみのり》です」
「公安部だって!」
(あっダメ、吐きそ…)
普段なら喰ってかかるシーンである💧
「はい。てこずってる様なので、上から協力を命じられました」
(昴…)
(はい紗夜さん、読めません)
警視庁公安部。
国家をも脅《おびや》かす事態に対処する組織。
活動内容は秘匿《ひとく》で、実態は知られていない。
機密性と高度な情報収集能力が要求されるため、警察組織の中でも相当上位の者となる。
会場の空気が一変した。
「続けても?」
「あ…ああ、よろしく頼む」
あの富士本でさえ、対応に困惑している。
戸澤がメモリーをPCに差し込み、久米山の資料を表示させた。
「彼は今、府中刑務所に服役中です」
「刑務所?何をやったのだ?」
「誘拐ですよ。もっとも、直ぐに捕まりましたけどね。余罪もあり、懲役に。だから今は安全です」
(全く心が乱れていない)
(嘘じゃなさそうね)
昴と紗夜は、戸澤の心理に集中していた。
「但し。彼は明日で刑期を終え、出所することになります。」
「何だって!」
公安と聞いただけで気に入らない咲。
「ご安心ください。彼は我々公安部が責任持って護衛しますので。これ以上犯人の好きにさせたら、警察の面子《めんつ》は地に落ちますからね」
「何だと、偉そうに❗️」
「咲、やめなさい!」
富士本が一喝して止める。
「戸澤さん、どうして彼が狙われると分かったんですか?」
「ほぅ…君は確か心理捜査官の紗夜刑事…でしたね。活躍の噂は耳にしています。我々は公安部ですよ。それが答えです」
(試されてる…)
「ちゃんと答えてください」
昴もそれには気付いていた。
「昴、無駄だ。こいつらは必要のないことは、絶対に漏らさねぇ」
淳一に向かって、軽く会釈する戸澤。
「では、私はこれで失礼します。くれぐれも我々の邪魔はしない様に、お願いしますね、富士本課長」
(嫌な笑み…)
紗夜は、僅かな違和感を感じていた。
彼が唯一見せた感情である。
メモリーを抜き、部屋を出て行く戸澤。
引き止めても意味はない。
「鑑識班、あの写真はまだ?」
「はい、あります」
「指紋を採取してください」
「紗夜、どうして……! あなたまさか?」
「咲さん、あの写真で4人の関係が分かりました。できすぎだと思いませんか?」
「公安部が仕組んだ…と言いたいのか紗夜?」
「それは分かりません。そうする意図が見えませんから。でも、不自然な気がするんです」
「紗夜、公安もこの事件を最初から追っていたのかもな。もし奴らが仕込んだとしても、指紋を残したりはしねぇぜ」
「公安じゃなく…犯人かも知れない…ってことね、紗夜」
「はい。昴、戸澤さんを調べてみて。富士本さん、警視庁に確認できませんか?」
「誰の指示か、ってことか?聞くだけ無駄だ。公安の情報は秘匿《ひとく》特権で守られている。下手に探ると危険だ。昴も気をつけるんだぞ」
「私は、府中刑務所へ行って来ます」
「淳一、一緒に…おい…どこへ行った?」
「と、トイレだと思います💦」
近くにいた1人が答えた。
「全く…💧」(富士本&紗夜)
思わぬ人物の介入で、進展仕掛けた捜査が、さらに撹乱されたのであった。
~東京帝都銀行本店ビル~
最上階の社長室で、妻からの電話に苛立つ義光。
「そんなことで、手間を取らせるな。夕方になれば帰ってくるだろう。アイツがムダと判断したなら、帝山高校など行く必要はない」
「あなた、娘をアイツだなんて…」
「私にはもう、アイツが何を考えているか分からん。海外の有名な大学にでも留学させろ。その程度楽勝だろう。必要なら金で何とかすれば良い」
そこへ秘書の土屋香織が、ノックをして入って来た。
要人の秘書を数人経て、ふとした会議の場で義光の目に留まり、引き抜かれた有能な人材である。
「とにかく、帰って来たら話してみろ。帝山高校へは連絡しておく。もうあそこへの融資は止めだ」
携帯を切る。
「お取り込み中のところをすみません」
「いやいや、恥ずかしいところを見せたな。最近の若いやつは親への敬意がなくて、手に負えんよ」
「まぁ、義光様の手を煩《わずら》わせるなんて、お噂通り賢い娘さんでございますね」
柔らかな物言いだが、表情は変わらない。
「相沢湊人《あいざわみなと》様と時任亮介《ときとうりょうすけ》様がお見えです」
「相沢と時任が?2人揃って何の用だ。分かった、通せ。茶は要らぬ、誰も入れない様に頼む」
「畏《かしこ》まりました」
深礼をして下がる土屋。
少しして、2人を案内して来た。
「お待たせ致しました」
招き入れて、静かにドアを閉める。
呼びに戻った時、口論しているのが聞こえた。
2人の表情に、焦りの色を読みとる土屋。
「なんだ、真っ昼間から2人揃いおって。同窓会じゃあるまいし。周りから変な詮索でもされるのは御免だぞ」
警視庁公安部、相沢参事官。
国土交通省、時任執務長。
機密組織と交通災害を束ねる黒幕である。
もっとも、3人は同期であり、菅原の裏からの手回しが築いた地位であった。
「知ってるだろうが…明日あいつが出て来る」
2人の顔を見て、暫し考える。
(はぁ…小さいやつだな相変わらず)
「それがどうした。出所祝いでもやるか?」
「ふざけるな、知らないのか?今起きている連続爆破事件を」
気にも留めていなかった菅原の目が細まる。
笑顔が消えた。
「関係あるってのか?」
「部下に調べさせたが、死んだ3人はあいつの仲間だ。それに、1人は彼女らしい」
戸澤からの情報である。
「ほう。誰かが邪魔なハエを片付けてくれてるってわけか」
「それみろ、こいつはお前が殺ってると思っていたんだ」
相沢が呆れた様に告げる。
「馬鹿な、金は使うが殺しはやらん。何の得もないからな」
「ではいったいだれが?」
「それを調べるのが相沢、おまえら公安の仕事だろうが。とにかく、まずはあいつを確保し、殺人鬼を…殺れ。公認でできるのはお前だけだからな」
ノックの音。
「何だ」
土屋がドアを開き、頭を上げずに告げる。
「菅原社長、官邸へ出掛ける時間です」
「おお、もうそんな時間か。相沢、時任、手放したのを後悔しているんじゃないか?彼女は本当に頼りになる」
「ありがとうございます」
土屋は、この2人にも就いた経歴を持つ。
この3人を知り尽くしている、と言っても過言ではない。
「さあ、あとは相沢、任せたぞ」
菅原が先に出て、後に2人が続いた。
「行ってらっしゃいませ」
深礼する土屋。
その口元は、微かな笑みを浮かべていた。
~東京 府中刑務所~
法務省東京矯正管区に属す日本最大の刑務所。
通称「府刑」。
現在、2800名もの囚人が収監されている。
「まさか、またここに関わるとはな」
「堺…清治…」
シリアルキラーに翻弄された東京。
二度と忘れる事はない地獄であった。
受付に向かう淳一を紗夜が止める。
「…酒臭いでしょ❗️車にいて」
(全く、もう)
「警視庁刑事課です」
手帳のバッジを見せる。
「ご苦労様です」
「久米山勝に面会をお願いします」
(えっ?)
「ついさっき、保釈金が振り込まれて、迎えが連れて行きましたよ。明日出所だと言うのに待てないのかね~」
「誰が?車は?」
(ダメか…)
「刑事さん、ここのルールはご存知でしょう」
「そうですか。失礼しました」
直ぐに車へと戻る紗夜。
「おいおい、そんな簡単に諦めるのか?」
「黒のBMで、スーツの男性2人。かなり若くて…銀行…?久米山に警戒した気配はなし」
彼の頭に残っていた残像を読んだ。
「どういうことだ?少なくとも公安がBMは使わねぇし、保釈金払うはずはないな」
「戸澤のヤロウを出し抜くとはな」
「とにかく、まだ10キロ圏内にはいるはず。昴に周りの監視カメラで捜索して貰いましょう」
「富士本さん、誰かに先をこされてしまいました。久米山はもういません」
「まさか!出所は明日では?」
「とにかく彼が危険です。黒のBMWを府刑から10キロ内の監視カメラで探してください」
「分かった。昴と、情報システム部門にも応援を頼んでみる」
「よろしくお願いします」
結局足跡は見つからず、久米山の居場所も、連れ去った者の正体も目的も、全く掴むことはできなかったのである。
~警視庁公安部~
「何だと❗️」
相沢の怒鳴り声が響く。
「まさか、出所を明日に控え、今更誰が高い保釈金を払ってまで…」
「私達の動きが読まれているとしか…」
戸澤が悔し気にデスクに手をつき俯《うつむ》く。
「仕方ない、裏で指名手配をかけろ!」
「しかし、それでは…」
裏の指名手配。
公安が標的に対して、虚偽の罪を乗せ、あらゆる裏の情報網を使い、密かに指名手配する手段であり、標的は確保より、見つけ次第に抹殺の命となる。
言わば、死人に口なしである。
賞金をかけ、ヤクザや賞金稼ぎなど、裏社会へも指示を出す最終手段であり、当然闇に葬られることになる。
「500万もあれば十分だろう」
「そこまでする理由は?」
「ヤツは危険人物だ。それに、これ以上あの爆破魔に殺らせる訳にはいかん」
相沢参事官の焦りが、それだけではないことを感じる戸澤。
「分かりました。特殊部隊を投入します」
部屋を出てドアを閉める。
相沢が誰かに電話をしている声が聞こえた。
(フッ、おもしろい)
無表情な中に微かな笑みが浮かぶ。
~警視庁対策本部 刑事課~
昴はまだ監視カメラと格闘している。
紗夜と淳一が戻って来た。
「ダメですか富士本さん?」
「ああ、どこにも映っていない様だ」
「府刑の周りの監視カメラは、全て確認しました。映っていないはずはないのですが…」
昴の疑念が紗夜に伝わる。
(おかしい…)
「あら、課長あれは?」
窓から外を見ていた咲が、眼下を見下ろす。
「お、やっと届いたか。TERRAコーポレーションからの贈り物だよ」
「ラブさんから?」
皆んなが新しい警察車両を見る。
「車からあらゆる監視カメラや、ここのデータベースへ衛星を通じてアクセスできる。完全防弾仕様で、幾つかの武器も搭載している様だ」
「凄いわね」
「君達には、今後あれを使ってもらう」
3台の車両が下ろされた。
(しまった!)
「どうしました、紗夜さん?」
紗夜の動揺が聞こえた昴。
「BMは、きっと待機していたトラックに積み込まれ、運ばれたんだわ」
「確かに…公安部を出し抜くくらいだから、監視カメラくらい想定済みよね」
「しかし、いったい誰でしょう、今更保釈金800万も払って久米山を?」
「800万だって⁉️」
淳一が驚きの声を上げる。
「昴、久米山の罪状は分かった?」
「はい、未解決事件特捜部の方にも協力してもらい、何とか見つけました」
「刑期は10年だろ?結構な事件のはずだ。なぜそれを見つけるのに苦労したんだ?」
「ええ、なぜかほとんど記録が無くて…」
「捜査官と検察の怠慢か?」
昴がモニターに写真と資料を映す。
「久米山勝、当時21歳。事件当日、宮崎美穂、
加藤吾郎、浜田智久と4人で、都内の清和幼稚園に通う6歳の少女を誘拐。車で逃走を図るも、少女を送っていた運転手の車が追いついて、敢えなく失敗。駆けつけた警察官達に現行犯逮捕された」
「…それだけ?」
「この事件はこれで終わってますが、被害者側は重刑を要求。窃盗や、諸々の余罪もあっての判決です」
普通に考えても不自然な実刑である。
「よほど反省の色が無かったとか、態度が悪かったとかじゃねぇか?」
「それなら、法廷侮辱罪がつくわ」
「他の3人は?」
「それが…余罪はなく、強要されたという事で、保釈金が払われて釈放されています」
「今回といい、いったい誰が保釈金を?」
「その記録はありません」
紗夜にはもう一つ気になることがあった。
「バスで亡くなった、宮崎美穂だけど…。コンビニのバイトの帰りでしたよね」
「そうよ、あんな遅くまで危ないわよね」
「昴さん、もう一度最初の資料を」
事件の内容が書かれた、殺風景な資料。
「久米山と同棲していたってことだけど、調べたら彼女があの目黒の高級マンションに越したのは、この日付けの直ぐ後なんです」
「マジか!おかしいとは思ったんだよな、この2人じゃ、宝くじでも当たらなきゃ、とても買えない物件だぜ」
「まさか、一括購入なの?」
「ええ、確かに新築ではなく、不動産業界も苦しいから、億はいかないと思うけど…」
「物件の業者に確認した方がよさそうね」
「確か…ハッピー不動産だとかで、今は大手の岩崎建設に吸収されてます」
「えっ💦紗夜…今ハッピーって言った?」
「はい、面白い名前ですよね(笑)」
(マヂか❗️(笑)じゃないし💧)
「あ、後で行ってみます💦」
咲の異常な動揺を感じた紗夜が焦る。
(な…なにかしら?マズイこと言ったかな?)
そこへ、未解決事件特捜部の捜査員が駆け込んで来た。
「昴さん、見つけました!」
テーブルに古い新聞を広げる。
「一社だけ、載せていました。ここですここ」
新聞の表紙の左角を指さす。
「ちっちゃ❗️」
『幼児誘拐犯、現行犯で逮捕』
「東京新聞か、これは…多分消し忘れだな」
富士本があっさり指摘する。
「小さな新聞社で、今はもう無くなったが、良くあったんだよ。大きな事件が起きて、慌てて原稿を組み直すんだろうが、埋まらなかった隙間がそのまま残っただけだ」
彼には悪いが、皆んなの関心は違っていた。
『品川駅で山手線衝突❗️』
一面を飾っている大惨事であった。
「そう言えば、そんなことがあった様な…」
当時から東京にいた、富士本、淳一、紗夜は思い出していた。
「こんな事故があったなんて、さすが東京ね」
感心することではない💧
この頃の紗夜の記憶は曖昧であった。
ただ、富士本は現場にも行き、覚えていた。
「まさか❗️」
慌てて記事を読み始める。
そして、なぞる指が止まった。
(そんなこと!)
富士本の心に紗夜が反応する。
「なになに、最後尾の車両に乗車していた清和幼稚園の園児19名の内、15名が死亡⁉️」
さすがの咲も驚いた。
「清和幼稚園って確か…」
「誘拐された子供が通っていた幼稚園です❗️」
紗夜に被せて、昴が告げた。
『停車していた車両は、同幼稚園が園外授業で貸し切っていたもので、警察は衝突した電車運転士、山岸裕司 42歳を業務上過失致死の罪で逮捕した…』
「山岸がどうしたって?」
「豊川さん❗️」
紗夜が読み上げていたところに、休暇返上で調べていた鑑識・科捜部の部長、豊川勝政が帰り着いた。
「大変でしたね豊川さん」
「紗夜、そんなことより、その10年前の事故がどうしたってんだ?」
「豊川さん、覚えてるんですか?」
「当たり前ぇだ、俺も検視官として、現場に行ったからな。ひでぇ有り様だった。あんな小さな子供達が、全員死んだんだからな」
「えっ⁉️死亡は15名だと…」
「その時はな。結局、後の4人と、引率の若い先生も、病院で亡くなっちまった」
その事実に、ショックが倍増する。
紗夜の頭の中で空《す》いた車内を散り舞う子供達の姿がイメージされた。
「しかし…なんてタイミングなんだ」
豊川が思い出しながら、歯を噛み締めるのが分かった。
「その…運転士だが、逮捕後に信号の故障だったことが分かってな。無罪放免…てほど楽な事故じゃねぇよな」
昴が水を持って来た。
「おお、サンキュー。ふぅ…運転士、山岸の妻は無罪が決まる前に自殺してな。彼は地方へ左遷された」
静かに、悲惨な事件の全様に耳を傾ける。
「死んだよ」
「えっ?」
誰が?いつの話?
皆理解できなかった。
「俺の目の前でな。今朝、最終の検死報告書を提出して来たところだ」
「まさか、豊川さんが巻き込まれた電車事故って…」
「俺達の乗った電車に、正面から衝突して来た電車。その運転士が、山岸裕司 52歳。潰れた車両の中で、形もない程悲惨な姿でな…」
(ひ…ひどすぎる…)
「紗夜!」
ふらっと倒れかける紗夜を淳一が支える。
「ばか、見るんじゃねぇ、紗夜」
豊川が慌てて思考を変える。
「で、何でそんなもん出してんだ?まさか、また起きたのか?」
今はとても現場に行く気力は無い。
偶然にしては出来過ぎた事故。
「いや、そうじゃあないんだか…」
富士本も説明に困惑する。
「この事故のせいで、誘拐事件は角《すみ》に追いやられ、恐らく調査もろくにされなかったんじゃないないかしら」
不可解な事件の輪郭が、少しずつその姿を現し始めようとしていた。
豪勢なマンションや要人の邸宅が立ち並ぶ街。
その中心にある私立帝山高校。
「じゃあ、菅原さん解いてみて下さい」
教室のざわつきがピタリと止《や》む。
そして、直ぐにヒソヒソ声が始まる。
「先生、どうして私なのですか?」
意外な反抗にヒソヒソがピタリと止む。
「ど…どうしてって…別に」
「そんなに父が怖いんですか?それとも、皆んなが噂してる様に、父からお金をもらってるからですか?」
「ば、バカなこと言うんじゃない!」
あからさまに動揺が見てとれる。
「ふっ」
軽く鼻で笑い、自分のタブレット画面を教室のモニターへ映し、数学問題をサラサラっと解き、採点アイコンをクリックする。
もちろん、正解と出る。
「満足してもらえましたか?」
「あ、ああ。君ならできると思ってたが、やはりさすが…だな」
いつもながらの速さと正確さに、「おぉ」と小さなどよめき。
(くだらない…)
軽蔑の目で一瞥《いちべつ》し、やりかけの難解なパズルに戻る。
経済学や数学の博士号を持つ父、菅原義光は、帝都銀行代表取締役となり、今や大きな権力をも持つ存在となっていた。
母の珠世《たまよ》も、数学や理工科学の博士号を持ち、その1人娘の梨香に至っては、幼少期から、稀に見る天才的頭脳を現していた。
幼稚園から小・中学まで、個人的な英才教育が多く、孤立した生活を送って来たのである。
その裏には常に父義光の力と金が動いていた。
幼少期からそれを知り、それから逃げる様に生きて来た。
親しい友達も作れず。
学術の世界のみが、安堵する空間であった。
ただ一つ。
梨香には、確かな生きる目的があった。
僅か5才で生まれた暗い光。
それはある日を境に、更なる変化を遂げたのであった。
「パタン」
一限目の始業と同時に始めた難解なパズル。
大学生でも解ける者は少ない。
それを僅か30分足らずで解き、タブレットPCを閉じた。
空気が固まる。
振り向く者もいない。
その空間を、心地良いと感じた。
「帰ります」
ワイヤレスイヤホンを着け、携帯とPCのみを持ち、教室を出る。
誰も、先生ですら引き止めはしなかった。
いや、できなかった…の表現が相応《ふさわ》しい。
そんな父の創り上げた世界。
どこにいても付き纏う嫌悪感。
(くだらない…)
その瞳は、16歳の少女のものでは…無かった。
~新宿~
9:30。
「そろそろ起きなさ~い」
(咲さん?頭痛ぇ~……)「んっ?」
目の前に、咲の顔があった。
…超近い💦
「うわぁ!咲さん、ダメっすよ💦」
思わず両肩に手を当てて押し離す。
が、その反動で、もたれていたソファと一緒にひっくり返った。
「いててて」
ふと絨毯に転がったまま、横を向く淳一。
そこに咲の寝顔。
かなり近い💦
「うわぁ!また出た❗️」
「な~にが出たよ!だいたい私は美ィ~夜!」
…しばし記憶を辿っている淳一。
「私も飲み過ぎちゃったわ。しかし、あんた達いったい何しに来たのよ」
「咲さん、今何時ですか?」
「だからぁ、私は美夜だって、はい携帯」
美夜が淳一の携帯を渡す。
恐る恐る見る…
「良かった~」(ホッ)
紗夜の怒りのLINEが怖かった淳一。
「まさか、ホッとしてんじゃないわよね?私は休みにしたけど、あんた達今大変なんじゃないの?ほら」
美夜がテレビをつけた。
「あれ?紗…夜?」
昨夜の爆破現場の映像が流れていた。
紗夜が着いた時には、既に報道陣が詰めかけており、それを必死で押し退ける紗夜。
「可哀そうに、女性が1人亡くなったそうよ」
(紗夜…)
「エェェぇええエ~⁉️」
突然の咲の叫びに、ビクッとする2人。
「いきなり脅かさないでよね!咲」
「あら?美夜、何で淳がいんのよ?」
「あんたを運んできたんじゃないの❗️」
「あちゃ~やっちまった~💦」
「あ、さっき富士本って人から咲に電話あったから、適当に言い訳しといたわ。もうすぐ会議始まるわよ」
9:45…💧
「淳!急いで行くわよ。美夜、服借りるわね」
「はいはい、ご自由に。蔵ちゃんの手下が、あんたの車運んでくれたから」
「蔵ちゃん?誰それ?…まぁ、いっか」
「本当に、相変わらずね。はい鍵」
「サンキュ!助かるわ。淳、早く早く❗️」
慌てて支度を済ませ、外へ出る。
「咲、ほれ!」
「パシ」
マウスウォッシュを受け取る。
「酒臭いわよ、2人共。気をつけてね~」
とにかく、署へ向かった。
~警視庁対策本部~
「では最初に紗夜、昨夜の事件を頼む」
(はぁ…全く、変わらんなぁ咲は)
空席にため息をつき、ふと出会った時のことを思い出す富士本。
「昨夜、目黒区を運行中のバスが、バス停で停まった途端に爆発。そのバス停で降りるはずであった、宮崎美穂 33歳が直撃を受け死亡。自宅マンションはすぐ側で、採取した毛髪から本人と特定しました」
悲惨な写真が映る。
「酷いな…」
「使用された爆弾は、やはり液体爆薬で携帯を利用した起爆装置、速度メーター。前の2件と同じものです。それから…あ、咲警部!」
鑑識班の武藤が、奥のドアから入って来た咲と淳一に気付いた。
「浜田智久のアパートで採取した毛髪から、先の1人は特定。加藤吾郎については、住所不定だったけど、彼の面倒を見てた蔵島組の組長に慰留品を確認してもらい、間違いないってことよ」
(あ~気持ちわる…)
(やっぱり…そうなったのね、全く)
淳一を睨む紗夜。
目を合わさない淳一。
「それから、咲さんが浜田の部屋で見つけたこの写真ですが…」
昴が4人一緒の写真を映し出す。
「両端が、浜田と加藤。女性は昨夜の宮崎。あと1人は久米山勝 33歳で、住所は宮崎美保と同じで、恋人同士の様です」
「4人は知り合いか…しかもこの写真の様子じゃ、かなり親しかった様だな。それで、久米山は保護したのか?」
「その必要はありません、富士本課長」
会議室前方。
ステージを挟んだ扉の前に、黒服の男が1人。
「突然にすみません。警視庁公安部の戸澤公紀《こざわきみのり》です」
「公安部だって!」
(あっダメ、吐きそ…)
普段なら喰ってかかるシーンである💧
「はい。てこずってる様なので、上から協力を命じられました」
(昴…)
(はい紗夜さん、読めません)
警視庁公安部。
国家をも脅《おびや》かす事態に対処する組織。
活動内容は秘匿《ひとく》で、実態は知られていない。
機密性と高度な情報収集能力が要求されるため、警察組織の中でも相当上位の者となる。
会場の空気が一変した。
「続けても?」
「あ…ああ、よろしく頼む」
あの富士本でさえ、対応に困惑している。
戸澤がメモリーをPCに差し込み、久米山の資料を表示させた。
「彼は今、府中刑務所に服役中です」
「刑務所?何をやったのだ?」
「誘拐ですよ。もっとも、直ぐに捕まりましたけどね。余罪もあり、懲役に。だから今は安全です」
(全く心が乱れていない)
(嘘じゃなさそうね)
昴と紗夜は、戸澤の心理に集中していた。
「但し。彼は明日で刑期を終え、出所することになります。」
「何だって!」
公安と聞いただけで気に入らない咲。
「ご安心ください。彼は我々公安部が責任持って護衛しますので。これ以上犯人の好きにさせたら、警察の面子《めんつ》は地に落ちますからね」
「何だと、偉そうに❗️」
「咲、やめなさい!」
富士本が一喝して止める。
「戸澤さん、どうして彼が狙われると分かったんですか?」
「ほぅ…君は確か心理捜査官の紗夜刑事…でしたね。活躍の噂は耳にしています。我々は公安部ですよ。それが答えです」
(試されてる…)
「ちゃんと答えてください」
昴もそれには気付いていた。
「昴、無駄だ。こいつらは必要のないことは、絶対に漏らさねぇ」
淳一に向かって、軽く会釈する戸澤。
「では、私はこれで失礼します。くれぐれも我々の邪魔はしない様に、お願いしますね、富士本課長」
(嫌な笑み…)
紗夜は、僅かな違和感を感じていた。
彼が唯一見せた感情である。
メモリーを抜き、部屋を出て行く戸澤。
引き止めても意味はない。
「鑑識班、あの写真はまだ?」
「はい、あります」
「指紋を採取してください」
「紗夜、どうして……! あなたまさか?」
「咲さん、あの写真で4人の関係が分かりました。できすぎだと思いませんか?」
「公安部が仕組んだ…と言いたいのか紗夜?」
「それは分かりません。そうする意図が見えませんから。でも、不自然な気がするんです」
「紗夜、公安もこの事件を最初から追っていたのかもな。もし奴らが仕込んだとしても、指紋を残したりはしねぇぜ」
「公安じゃなく…犯人かも知れない…ってことね、紗夜」
「はい。昴、戸澤さんを調べてみて。富士本さん、警視庁に確認できませんか?」
「誰の指示か、ってことか?聞くだけ無駄だ。公安の情報は秘匿《ひとく》特権で守られている。下手に探ると危険だ。昴も気をつけるんだぞ」
「私は、府中刑務所へ行って来ます」
「淳一、一緒に…おい…どこへ行った?」
「と、トイレだと思います💦」
近くにいた1人が答えた。
「全く…💧」(富士本&紗夜)
思わぬ人物の介入で、進展仕掛けた捜査が、さらに撹乱されたのであった。
~東京帝都銀行本店ビル~
最上階の社長室で、妻からの電話に苛立つ義光。
「そんなことで、手間を取らせるな。夕方になれば帰ってくるだろう。アイツがムダと判断したなら、帝山高校など行く必要はない」
「あなた、娘をアイツだなんて…」
「私にはもう、アイツが何を考えているか分からん。海外の有名な大学にでも留学させろ。その程度楽勝だろう。必要なら金で何とかすれば良い」
そこへ秘書の土屋香織が、ノックをして入って来た。
要人の秘書を数人経て、ふとした会議の場で義光の目に留まり、引き抜かれた有能な人材である。
「とにかく、帰って来たら話してみろ。帝山高校へは連絡しておく。もうあそこへの融資は止めだ」
携帯を切る。
「お取り込み中のところをすみません」
「いやいや、恥ずかしいところを見せたな。最近の若いやつは親への敬意がなくて、手に負えんよ」
「まぁ、義光様の手を煩《わずら》わせるなんて、お噂通り賢い娘さんでございますね」
柔らかな物言いだが、表情は変わらない。
「相沢湊人《あいざわみなと》様と時任亮介《ときとうりょうすけ》様がお見えです」
「相沢と時任が?2人揃って何の用だ。分かった、通せ。茶は要らぬ、誰も入れない様に頼む」
「畏《かしこ》まりました」
深礼をして下がる土屋。
少しして、2人を案内して来た。
「お待たせ致しました」
招き入れて、静かにドアを閉める。
呼びに戻った時、口論しているのが聞こえた。
2人の表情に、焦りの色を読みとる土屋。
「なんだ、真っ昼間から2人揃いおって。同窓会じゃあるまいし。周りから変な詮索でもされるのは御免だぞ」
警視庁公安部、相沢参事官。
国土交通省、時任執務長。
機密組織と交通災害を束ねる黒幕である。
もっとも、3人は同期であり、菅原の裏からの手回しが築いた地位であった。
「知ってるだろうが…明日あいつが出て来る」
2人の顔を見て、暫し考える。
(はぁ…小さいやつだな相変わらず)
「それがどうした。出所祝いでもやるか?」
「ふざけるな、知らないのか?今起きている連続爆破事件を」
気にも留めていなかった菅原の目が細まる。
笑顔が消えた。
「関係あるってのか?」
「部下に調べさせたが、死んだ3人はあいつの仲間だ。それに、1人は彼女らしい」
戸澤からの情報である。
「ほう。誰かが邪魔なハエを片付けてくれてるってわけか」
「それみろ、こいつはお前が殺ってると思っていたんだ」
相沢が呆れた様に告げる。
「馬鹿な、金は使うが殺しはやらん。何の得もないからな」
「ではいったいだれが?」
「それを調べるのが相沢、おまえら公安の仕事だろうが。とにかく、まずはあいつを確保し、殺人鬼を…殺れ。公認でできるのはお前だけだからな」
ノックの音。
「何だ」
土屋がドアを開き、頭を上げずに告げる。
「菅原社長、官邸へ出掛ける時間です」
「おお、もうそんな時間か。相沢、時任、手放したのを後悔しているんじゃないか?彼女は本当に頼りになる」
「ありがとうございます」
土屋は、この2人にも就いた経歴を持つ。
この3人を知り尽くしている、と言っても過言ではない。
「さあ、あとは相沢、任せたぞ」
菅原が先に出て、後に2人が続いた。
「行ってらっしゃいませ」
深礼する土屋。
その口元は、微かな笑みを浮かべていた。
~東京 府中刑務所~
法務省東京矯正管区に属す日本最大の刑務所。
通称「府刑」。
現在、2800名もの囚人が収監されている。
「まさか、またここに関わるとはな」
「堺…清治…」
シリアルキラーに翻弄された東京。
二度と忘れる事はない地獄であった。
受付に向かう淳一を紗夜が止める。
「…酒臭いでしょ❗️車にいて」
(全く、もう)
「警視庁刑事課です」
手帳のバッジを見せる。
「ご苦労様です」
「久米山勝に面会をお願いします」
(えっ?)
「ついさっき、保釈金が振り込まれて、迎えが連れて行きましたよ。明日出所だと言うのに待てないのかね~」
「誰が?車は?」
(ダメか…)
「刑事さん、ここのルールはご存知でしょう」
「そうですか。失礼しました」
直ぐに車へと戻る紗夜。
「おいおい、そんな簡単に諦めるのか?」
「黒のBMで、スーツの男性2人。かなり若くて…銀行…?久米山に警戒した気配はなし」
彼の頭に残っていた残像を読んだ。
「どういうことだ?少なくとも公安がBMは使わねぇし、保釈金払うはずはないな」
「戸澤のヤロウを出し抜くとはな」
「とにかく、まだ10キロ圏内にはいるはず。昴に周りの監視カメラで捜索して貰いましょう」
「富士本さん、誰かに先をこされてしまいました。久米山はもういません」
「まさか!出所は明日では?」
「とにかく彼が危険です。黒のBMWを府刑から10キロ内の監視カメラで探してください」
「分かった。昴と、情報システム部門にも応援を頼んでみる」
「よろしくお願いします」
結局足跡は見つからず、久米山の居場所も、連れ去った者の正体も目的も、全く掴むことはできなかったのである。
~警視庁公安部~
「何だと❗️」
相沢の怒鳴り声が響く。
「まさか、出所を明日に控え、今更誰が高い保釈金を払ってまで…」
「私達の動きが読まれているとしか…」
戸澤が悔し気にデスクに手をつき俯《うつむ》く。
「仕方ない、裏で指名手配をかけろ!」
「しかし、それでは…」
裏の指名手配。
公安が標的に対して、虚偽の罪を乗せ、あらゆる裏の情報網を使い、密かに指名手配する手段であり、標的は確保より、見つけ次第に抹殺の命となる。
言わば、死人に口なしである。
賞金をかけ、ヤクザや賞金稼ぎなど、裏社会へも指示を出す最終手段であり、当然闇に葬られることになる。
「500万もあれば十分だろう」
「そこまでする理由は?」
「ヤツは危険人物だ。それに、これ以上あの爆破魔に殺らせる訳にはいかん」
相沢参事官の焦りが、それだけではないことを感じる戸澤。
「分かりました。特殊部隊を投入します」
部屋を出てドアを閉める。
相沢が誰かに電話をしている声が聞こえた。
(フッ、おもしろい)
無表情な中に微かな笑みが浮かぶ。
~警視庁対策本部 刑事課~
昴はまだ監視カメラと格闘している。
紗夜と淳一が戻って来た。
「ダメですか富士本さん?」
「ああ、どこにも映っていない様だ」
「府刑の周りの監視カメラは、全て確認しました。映っていないはずはないのですが…」
昴の疑念が紗夜に伝わる。
(おかしい…)
「あら、課長あれは?」
窓から外を見ていた咲が、眼下を見下ろす。
「お、やっと届いたか。TERRAコーポレーションからの贈り物だよ」
「ラブさんから?」
皆んなが新しい警察車両を見る。
「車からあらゆる監視カメラや、ここのデータベースへ衛星を通じてアクセスできる。完全防弾仕様で、幾つかの武器も搭載している様だ」
「凄いわね」
「君達には、今後あれを使ってもらう」
3台の車両が下ろされた。
(しまった!)
「どうしました、紗夜さん?」
紗夜の動揺が聞こえた昴。
「BMは、きっと待機していたトラックに積み込まれ、運ばれたんだわ」
「確かに…公安部を出し抜くくらいだから、監視カメラくらい想定済みよね」
「しかし、いったい誰でしょう、今更保釈金800万も払って久米山を?」
「800万だって⁉️」
淳一が驚きの声を上げる。
「昴、久米山の罪状は分かった?」
「はい、未解決事件特捜部の方にも協力してもらい、何とか見つけました」
「刑期は10年だろ?結構な事件のはずだ。なぜそれを見つけるのに苦労したんだ?」
「ええ、なぜかほとんど記録が無くて…」
「捜査官と検察の怠慢か?」
昴がモニターに写真と資料を映す。
「久米山勝、当時21歳。事件当日、宮崎美穂、
加藤吾郎、浜田智久と4人で、都内の清和幼稚園に通う6歳の少女を誘拐。車で逃走を図るも、少女を送っていた運転手の車が追いついて、敢えなく失敗。駆けつけた警察官達に現行犯逮捕された」
「…それだけ?」
「この事件はこれで終わってますが、被害者側は重刑を要求。窃盗や、諸々の余罪もあっての判決です」
普通に考えても不自然な実刑である。
「よほど反省の色が無かったとか、態度が悪かったとかじゃねぇか?」
「それなら、法廷侮辱罪がつくわ」
「他の3人は?」
「それが…余罪はなく、強要されたという事で、保釈金が払われて釈放されています」
「今回といい、いったい誰が保釈金を?」
「その記録はありません」
紗夜にはもう一つ気になることがあった。
「バスで亡くなった、宮崎美穂だけど…。コンビニのバイトの帰りでしたよね」
「そうよ、あんな遅くまで危ないわよね」
「昴さん、もう一度最初の資料を」
事件の内容が書かれた、殺風景な資料。
「久米山と同棲していたってことだけど、調べたら彼女があの目黒の高級マンションに越したのは、この日付けの直ぐ後なんです」
「マジか!おかしいとは思ったんだよな、この2人じゃ、宝くじでも当たらなきゃ、とても買えない物件だぜ」
「まさか、一括購入なの?」
「ええ、確かに新築ではなく、不動産業界も苦しいから、億はいかないと思うけど…」
「物件の業者に確認した方がよさそうね」
「確か…ハッピー不動産だとかで、今は大手の岩崎建設に吸収されてます」
「えっ💦紗夜…今ハッピーって言った?」
「はい、面白い名前ですよね(笑)」
(マヂか❗️(笑)じゃないし💧)
「あ、後で行ってみます💦」
咲の異常な動揺を感じた紗夜が焦る。
(な…なにかしら?マズイこと言ったかな?)
そこへ、未解決事件特捜部の捜査員が駆け込んで来た。
「昴さん、見つけました!」
テーブルに古い新聞を広げる。
「一社だけ、載せていました。ここですここ」
新聞の表紙の左角を指さす。
「ちっちゃ❗️」
『幼児誘拐犯、現行犯で逮捕』
「東京新聞か、これは…多分消し忘れだな」
富士本があっさり指摘する。
「小さな新聞社で、今はもう無くなったが、良くあったんだよ。大きな事件が起きて、慌てて原稿を組み直すんだろうが、埋まらなかった隙間がそのまま残っただけだ」
彼には悪いが、皆んなの関心は違っていた。
『品川駅で山手線衝突❗️』
一面を飾っている大惨事であった。
「そう言えば、そんなことがあった様な…」
当時から東京にいた、富士本、淳一、紗夜は思い出していた。
「こんな事故があったなんて、さすが東京ね」
感心することではない💧
この頃の紗夜の記憶は曖昧であった。
ただ、富士本は現場にも行き、覚えていた。
「まさか❗️」
慌てて記事を読み始める。
そして、なぞる指が止まった。
(そんなこと!)
富士本の心に紗夜が反応する。
「なになに、最後尾の車両に乗車していた清和幼稚園の園児19名の内、15名が死亡⁉️」
さすがの咲も驚いた。
「清和幼稚園って確か…」
「誘拐された子供が通っていた幼稚園です❗️」
紗夜に被せて、昴が告げた。
『停車していた車両は、同幼稚園が園外授業で貸し切っていたもので、警察は衝突した電車運転士、山岸裕司 42歳を業務上過失致死の罪で逮捕した…』
「山岸がどうしたって?」
「豊川さん❗️」
紗夜が読み上げていたところに、休暇返上で調べていた鑑識・科捜部の部長、豊川勝政が帰り着いた。
「大変でしたね豊川さん」
「紗夜、そんなことより、その10年前の事故がどうしたってんだ?」
「豊川さん、覚えてるんですか?」
「当たり前ぇだ、俺も検視官として、現場に行ったからな。ひでぇ有り様だった。あんな小さな子供達が、全員死んだんだからな」
「えっ⁉️死亡は15名だと…」
「その時はな。結局、後の4人と、引率の若い先生も、病院で亡くなっちまった」
その事実に、ショックが倍増する。
紗夜の頭の中で空《す》いた車内を散り舞う子供達の姿がイメージされた。
「しかし…なんてタイミングなんだ」
豊川が思い出しながら、歯を噛み締めるのが分かった。
「その…運転士だが、逮捕後に信号の故障だったことが分かってな。無罪放免…てほど楽な事故じゃねぇよな」
昴が水を持って来た。
「おお、サンキュー。ふぅ…運転士、山岸の妻は無罪が決まる前に自殺してな。彼は地方へ左遷された」
静かに、悲惨な事件の全様に耳を傾ける。
「死んだよ」
「えっ?」
誰が?いつの話?
皆理解できなかった。
「俺の目の前でな。今朝、最終の検死報告書を提出して来たところだ」
「まさか、豊川さんが巻き込まれた電車事故って…」
「俺達の乗った電車に、正面から衝突して来た電車。その運転士が、山岸裕司 52歳。潰れた車両の中で、形もない程悲惨な姿でな…」
(ひ…ひどすぎる…)
「紗夜!」
ふらっと倒れかける紗夜を淳一が支える。
「ばか、見るんじゃねぇ、紗夜」
豊川が慌てて思考を変える。
「で、何でそんなもん出してんだ?まさか、また起きたのか?」
今はとても現場に行く気力は無い。
偶然にしては出来過ぎた事故。
「いや、そうじゃあないんだか…」
富士本も説明に困惑する。
「この事故のせいで、誘拐事件は角《すみ》に追いやられ、恐らく調査もろくにされなかったんじゃないないかしら」
不可解な事件の輪郭が、少しずつその姿を現し始めようとしていた。
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