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第6章『鉄の暴風作戦』

第17話 ダロノワ・フィルソヴァ大佐の日記

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 これは、かつて高位の貴族であったにも関わらず皇帝の粛清によって山脈より西に送られ、ジトゥーミラの戦いで捕虜となった妖魔軍北方戦線司令官、ダロノワ・フィルソヴァ大佐の日記の一部である。


 10オクトの月4日(晴れ)
 以前から日記を付けていた日記帳と筆記具をアカツキ准将から返してもらえたので再びつけて見ようと思い、こうしてまた筆を取ってみました。今の所、することもありませんから。
 さて、わたくしが捕虜になって三日が経ちました。我が帝国では幼い頃から人間は野蛮であると教えられてきましたが、とんでもありません。少なくとも、私が捕まった連合王国軍は末端まで規律が行き届いています。魔力封じの首輪を付けて無抵抗に等しいわたくし達に決して手を上げるなんてしません。反乱鎮圧等の際に市民から略奪したりあまつさえ強姦を働く妖魔帝国軍の兵士とは大違いです。
 食事は驚くことに朝昼晩と三度出ます。質素なものではありますが、お腹が減ることはありません。同様に捕虜となったモロドフ大佐も、兵達までも驚いていました。下手をすれば粛清されて以降よりいいご飯が食べられているのですから。
 だから、たったの三日でわたくし達の心境は大いに変わっています。自分達が抱いていた人間像が崩れ始めていました。

 6の日(雨)
 この日は雨でした。捕虜になって五日。やはり特にすることはなく、わたくしはこうして日記を書いています。兵士達は一日何もしていないのに、ご飯が出るのはおかしいのではないかと少し恐れていました。どっと後で元を取るのではないかと。
 そんな時に、連合王国軍の監視員の長をしている人間の男性士官がやってきました。彼はおずおずとながら、こう言います。
 何か不足しているものはないか。例えば娯楽の品とか、文字が書けるものは暇潰しに日記でも付けるなりする紙とか。などと。
 わたしく達はとんでもない。と思いました。捕虜になったのに、三食のご飯にあり付けるのです。しかも昨日からは労務代わりにとベッドを皆で組み立てて、暖かい毛布で寝られているのです。虜囚の身でありながら、これ以上の贅沢はありません。
 口々に皆が言うと、人間の士官は。

「アカツキ准将閣下は捕虜の取り扱いをアルヴィン中将にかけあって必要最低限にはさせるようにとかけあって下さっている。アルヴィン中将閣下も許可なさった。だからこうして自分は聞きに来ている。だが、現状でそんなに喜ばれてるとは思わなかった」

 と、本音でしょうね。そう言いました。
 すると、モロドフ大佐の部隊の中尉がぽつり、ぽつりと自分達の受けてきた処遇を話します。男性士官は信じられない、と愕然としていました。粛清とはそんなに恐ろしく非道なものなのかと。優しい人間なのでしょう。わたくし達に同情していたのです。
 話を聞き終わると、その人間は。

「敵に言うのもおかしな話だが、大変だったんだな……。ここでは暴力は振るわれない。アカツキ准将閣下が厳命しているからな。だから、命の危険は無いぞ」

 伏せた顔を上げて、悲しそうに言いました。
 兵士達からは自分達はどうなるのかと質問がされました。
 人間の士官は、自分は一介の士官だから分からない。ただ、当面の生活だけは保障出来る。と言いました。
 周りは安堵しますが、わたくしも含めて不安も襲います。
 わたくし達はどうなってしまうんでしょうか。


 7の日(曇り)
 今日は昼ご飯の後に、アカツキ准将と話しました。捕虜になってから四度目の聴取です。部屋にいるのは、わたくしとアカツキ准将に奥さんのリイナ中佐。それと、あの召喚武器の一種らしいエイジスという自動人形。外見だけなら可愛らしい人形ですが、わたくしは肌でその凄まじいさを感じました。けれど、戦闘の時と違って、エイジスはふよふよと浮かんでいるだけです。
 聴取は妖魔帝国の内情についてです。軍については他の捕虜に聞いているんだとか。たぶん、モロドフ大佐の事でしょう。
 今日、私が聞かれたのは意外なことに教育についてでした。妖魔帝国では教育制度はどうなっているのか。と。軍とはあまり関係無いのにどうして聞いてきたのか分かりませんが、嘘はつけませんから正直に話しました。
 妖魔帝国の教育は、貴族や富裕層は家庭教師や帝立学校がありますから受けられますが、庶民はそうは行きません。庶民向けの学校もあるにはあるのですが、圧倒的に数が足りていないのです。レオニード陛下の治世になってからようやく庶民向けの学校が増えましたが、それでも不足しています。しかも、教育を受けられるのは魔人だけ。魔人至上主義に基づいた教育で、内容も皇帝賛美などが多いです。
 識字率についても聞かれました。上流階級はほぼ百パルラ――人類諸国ではパルセントと言うらしいです――ですが、中流程度の庶民だと二十パルラ。下流ともなれば五パルラあればいい方です。先代までの庶民共には教育など不要。限られた者だけで良いという方針のせいです。
 アカツキ准将は私が答えた数字にビックリしていました。そんなに識字率が低いのか、と。
 わたくしは妖魔帝国の貴族として育った身です。なぜそんなに驚かれるのかが理解出来ませんでした。
 だからわたくしは聞いたのです。連合王国では識字率はどれくらいと。
 アカツキ准将は言いました。

「貴族や富裕層などは当然百パルセント。僕みたいに士官学校に進む貴族も多いし、優秀なら貴族じゃなくても士官学校に入学出来る枠がある。市民層の識字率は中流程度で七十五パルセント、貧困層でも教育の普及がなされているから四十五パルセントまで上昇したよ。先代の国王の頃から産業革命に伴って知識層が必要になるからと義務教育が制定されたんだ。だから今の若い世代はかなり字が読めるようになっているはず」

 わたくしは衝撃を受けました。下流まで含めれば市民層の平均識字率は六十パルラなのです。世代交代が進めば、十年後二十年後には八十パルラは越えるでしょう。妖魔帝国とは段違いに教育が普及しているのです。
 それでもアカツキ准将はまだまだと言うのです。戦時中でなければもっと義務教育を普及させたいと。
 わたくしは戸惑いながら聞きました。連合王国は王政なのに、庶民に教育を施してもいいのですか? 不都合ではないのですか? って。
 そうしたら、アカツキ准将は苦笑いしながら言います。

「王政と言っても、陛下の政治を補助するために議会が存在しているし、その議会は一定以上の納税者が投票権を持つ選挙で選ばれているんだ。陛下曰く、自分や重臣達のみでの政治は視野狭窄になりかねない。歴史が語っている。それに、臣民達でも賢い者がいる。稀に天才だっている。その賢い者によってよりこの国が良くなるのならば、未来の開拓に教育は必要である。ってね。教育は、栄光ある連合王国をより隆盛を誇らせる為に必要なんだよ。近代化した軍にも、教育は必要だしさ」

 わたくしの中で、魔人こそが最優秀であり他は下等だなんてのたまう魔人至上主義の考えは完全に崩壊していきました。
 人間の方が、余程進んでいるではありませんか。


 9の日(晴れ)
 わたくしが捕虜になって一週間が経ちました。ここまでベッドを組み立てた意外は労働をしていません。
 だからでしょう、兵の中から身体が鈍ってしまうと声が上がりました。なので、その事をあの士官に伝えたところ、昼過ぎにアカツキ准将が来ました。

「流石にそろそろ何もしない訳にもいかないよね。だから、君達が作ったけれど壊れた防衛ラインあたりの土地を元に戻して畑にするように変える為の労働をするように。あと、自由時間に身体を動かせるように運動場も作るからその労働もかな。もし君達がここを離れても、我が軍の兵士の練兵場に転用できるからさ。もちろん道具は用意してあるよ」

 兵達はその言葉を聞いて俄然やる気が出ていました。アカツキ准将は目を丸くします。まさか捕虜が自発的に労働したがるなんて思わなかったよ。って。
 兵達はこう返します。いつまでも人間からタダ飯を貰ってるなんて、魔人のプライドに関わると。
 アカツキ准将は、そういうことね。と苦笑いしていました。
 兵達どころかわたくし達士官クラスに至るまで共通の心境を抱いていました。
 妖魔にいるより、捕虜でいるここの方がよっぽどいい生活が出来ている、と。


 10の日(晴れ)
 この日は、人類諸国の一つ、連邦軍がやってきたらしいです。散々殺し合いをして、モロドフ大佐の提案でチェーホフが街や川を糞尿塗れにして進軍を遅らせた相手です。さぞかし恨まれていると思っていましたが、やはりその通りでした。
 連邦軍の指揮官は少将で、会うのはモロドフ大佐とわたくしにそれぞれ個別でです。アカツキ准将も同席していました。
 連邦軍の指揮官はわたくしを見下した目で見てきます。いいザマだ。とか、天罰が下ったのだ。と言われました。わたくしは妖魔軍の軍人で、魔人です。罵詈雑言を飛ばされても当然でしょう。
 ところがです。夕方にまた顔を合わせる機会がありました。アカツキ准将も一緒です。
 連邦軍の指揮官は午前中に会った時と表情が違いました。複雑な顔つきです。
 ぽつりと、彼は言いました。

「とある理由でアカツキ准将から貴様等の扱いを聞いた。貴様等もまた、忌まわしき皇帝の被害者だったのか。部下を殺した事、恨みは当然ある。許しはしない。だが、貴様等の皇帝はもっと許せない。それだけだ」

 許されはしないでしょう。わたくしはずっと罪を背負っていくのです。
 しかし、何故でしょう。ああ言われて、今更にふつふつと祖国に対して怒りも湧いてきました。
 粛清さえなければ。原因の……。
 いえ、やめましょう。きっとわたくしはどうかしているのです。


 12の日(雨のちくもり)
 午前中が雨だったので、兵達も労働はありませんでした。それでもご飯はちゃんと出ます。昼に出たスープは野菜も入っていて美味しかったです。捕虜にまでこれだけの食糧を出せる連合王国軍の兵站は余程しっかりしているのでしょう。
 昼過ぎ、六度目の聴取です。モロドフ大佐がとうとう妖魔軍について語ったそうです。本領たる山脈東側の軍の配置まで。ただ、わたくし達が知っているのは半年以上前のものなのであまり役に立つとは思いませんが……。
 わたくしが聞かれたのは、軍に関する事でしたがかなり絞られた範囲でした。
 アカツキ准将はいつもと違う雰囲気です。可愛らしいお顔なのに、目付きが鋭く怖かったんです。
 彼は、いつもより低い声で言いました。

「ダロノワ大佐はチャイカ姉妹とブライフマンを知ってるかな? 奴らは妖魔帝国の何なのかな?」

 チャイカ姉妹とブライフマン。実のところ、軍にいた頃でも彼女等の事はほとんど知りません。分かっているのは、皇帝直属の機関に所属していること。ブライフマンはそこの長で、掴み所が無くて謎が多いこと。チャイカ姉妹は残忍で、粛清にあたり数々の拷問をしていることくらいです。
 それらを話すと、やっぱりと言いつつ彼は左腕を捲りました。まるで女の子みたいに白くて細い腕には、うっすらとですが肘に傷跡があります。よく見ると手のひらにもありました。

「僕はチャイカ姉妹と二度交戦している。これは二度目の交戦で受けた傷だ。悔しいけれど、あの時の僕は負けた。そして、姉のラケルにお遊びと称して拷問をされた。幸い、味方の救援が間に合ったから命は助かったし傷もこの程度で済んだけれど、殺されていたかもしれない」

 彼は捲った軍服を元に戻すと、鋭利な目付きからは殺気が溢れ出ていました。瞳だけではありません。全身からです。私は悲鳴を上げかけてしまいました。それくらいの、触れたらバラバラに切られそうなくらいに。
 そして、アカツキ准将は口を開きます。

「次に相見える機会があったら必ず殺す。エイジスの前の召喚武器を破壊し、僕の部下を殺そうとした。だから殺す。絶対に、殺すよ」

 奥さんのリイナさんも、旦那様を傷付けた罪は死を持って味合わせるわ。と。召喚武器のエイジスも、ものすごく冷たい瞳で、アレらは最優先抹殺対象です。
 そう言いました。
 わたくしはなんにも言えませんでした。ただ、自身が改めて敵国の軍人なのだとしか。
 そんなわたくし達に捕虜として真っ当な扱いをしてくれる理由が、さっぱり分かりませんでした。


 14の日(晴れ)
 午後から七度目の聴取がありました。そこでアカツキ准将から二つ告げられます。

「一つは君らについて。この地に雪が降る前の下旬に仮では無くちゃんとした捕虜収容所が設置されることになった。場所はシュペティウ。ここから西にある所だ。ジトゥーミラは今後最前線の基地になるからいつまでも君等を置いていけないでしょ? ああ、安心して。魔物に対する配慮もあるから隔離されるけど、彼等のもちゃんと用意されるから。ちなみに、現在の待遇は維持するように本国に掛け合って許可が下りたから今と変わらないはずだよ。ただ、シュペティウに移されてから君らの処分がどう下るかまではまだ分からない。本国送還したいんだけど、国交が無いからどうしようも無くてね……。第一、返したところで君らがどうなるか目に見えてるし……。とりあえず、当面はシュペティウで収容されて労役にあたると思ってて」

 一つ目は新しい収容所の話でした。同じような待遇になると聞いて、安心しました。少なくとも、悪い待遇にはならないんだと。労役も一日に決められた時間らしいです。妖魔の強制収容所のそれに比べればずっと短いです。兵達もきっとホッとするでしょう。

「二つ目だけど、そろそろ君ともお別れだ。僕は本国に戻ることになった。作戦は完了したからね。だから、こうやって聴取をするのも今日で最後になるかな」

 二つ目は軍人であれば良くあることです。ただの兵士ならばともかく、アカツキ准将は将官ですし軍の頭脳の参謀長。本国に帰還は当たり前であるでしょう。報告とかもあるでしょうから。
 わたくしはそれを聞いて、ついこんな事を言ってしまったんです。

 寂しくなりますね。

 って。自分でもビックリです。相手は敵国の軍人で、これまで数十万の味方を、魔物や魔人を殺したんですよ? 目の前で部下が殺されたんですよ?
 戦争とはいえ、憎むべき相手なのです。なのに、何故か憎めませんでした。
 それはきっと、何度も何度も聴取されている内にわたくしはほだされてしまったんでしょう。粛清されてからの扱いは酷いものでしたし。
 そんな後にですよ? 捕虜になってから真っ当に扱われて、拷問もせずに聴取して、時には話まで聞いてくれて。
 人間にも心があるように、魔人にだって心はあります。こんな、こんな、優しくされちゃったら、ぽっきりと折れた心が持つわけないじゃないですか。
 ちなみにアカツキ准将はわたくしの発言を聞いて、よしてくれよ。君と僕は敵同士なんだぞ?
 って、苦い顔して言いました。リイナさんも、旦那様を盗ろうとするなら殺すわよ。って凄く睨んできました。すごく怖かったです。
 もちろんアカツキ准将を盗るだなんてしませんよ!! ただ、この人みたいのが皇帝だったら良かったのにって思っただけです。
 そうそう。聴取の最後に手紙を渡されました。後で読めって。
 ええ、読みましたよ。そこには、アカツキ准将の綺麗な字でこう書いてありました。

『フィルソヴァの旗を再び妖魔の地にはためかせたくば、僕はそれに応えよう。妖魔に自由をもたらせたくば、きっと力になろう。来たるその時に君自身が立ち上がりたくば、アカツキ・ノースロードが手を貸そう』

 わたくしは戦慄しました。そして、してやられた。と思いました。彼のこれまでの意図が分かってしまったんです。
 ああ、そういう事でしたか。あの優しさも、そういう事でしたか。って。
 人間って、本っっ当に狡賢いですよね。こんな卑怯な手を使うだなんて。
 でも、悪い気はしませんでした。人間の手に乗るのも、悪くないかもって。
 けれど、まだわたくしには力がありません。行動を起こす勇気もありません。
 ごめんなさい、アカツキ准将。いえ、アカツキさん。
 今しばらく、時間を下さい。
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