犬と子猫

良治堂 馬琴

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第4章『制服』

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第4章『制服』

 いつもより少し早めの時間に起床した高根が部屋から出て階下へと降りると、何やらごそごそとやっていた凛が台所からひょっこりと顔を出し、おずおずと近寄って来てぺこりと頭を下げた。
「お、おはよう御座います。あの……朝ご飯、作ったんですけど……」
「おはようさん。うん、頂こうかな」
 いつもは少し早めに出て食堂で適当に握り飯でも作ってもらい、執務室でそれを食べながら仕事に取り掛かるのだが、自宅でそれを済ませられるのならそれに越した事は無いと小さく笑いながら凛の頭を撫でれば、当の彼女は高根の格好を見て気まずそうに視線を逸らすと
「……準備、直ぐにしますから」
 と、顔を赤くしてそう言って台所へと戻って行く。
「……おお、この格好は拙いか、流石に」
 最初その意味が分からなかった高根、何か拙かったかと自分の格好を見下ろせば、上も下も身に付けているのは下着だけ。年頃の女に対しての格好としては非常に宜しくないな、今夜からはきちんと服も着て寝るかと頭を掻き、朝食の前に洗顔と髭剃りだと洗面所へと足を向けた。
 それなりの立場に就く前は日中も戦闘服で過ごす事が多かったから髭剃りも適当どころか数日に一回で済ませる事が殆どだったが、総司令の任に就いている今はそうもいかず、出撃や訓練でもなければ丸一日制服で過ごす事も有り、髭は毎日剃るようになった。面倒だと思わないでもないが立場が立場、仕方が無いなと思いつつ髭を剃り終えて食事の前に着替えてしまうかと寝室へと戻り、壁に掛けていた制服一式に手を伸ばした時、その動きが突然に停止する。
 昨年の市街地侵攻で身内を全て亡くしたと言っていた凛、どうしようもない事情も有ったにせよ、海兵隊に対して良くない印象を持っているかも知れない。人類の守護者、活骸との戦いの最前線に立つ防人だと言ってみせたところで、結局あの時に間に合わず、大勢を死なせて締まったというのは誤魔化し様の無い事実なのだ。共に暮らしていれば遠からず海兵隊の人間だという事は露見してしまうのだろうが、今は彼女の心の平穏を取り戻させる方が先決か、そんな風に思い至り、高根は壁に掛けていた制服を手に取り手早く畳んで適当な紙袋の中に入れ、自らは昨夜着ていた私服を身に付けて下へと降りた。
「冷蔵庫の中何も無かったろ、近くに商店街有るからよ、金渡しておくから買い込んでおいてくれねぇかな。後、服とか下着とかも買って来な、俺の着るってわけにもいかねぇしな。金の事は遠慮しなくて良いよ、給料の前払いとでも思っておきな、な?」
 食卓に用意されていたのは白飯と味噌汁と漬物、居候達が綺麗に食い尽くして行った後だというのにこれだけ用意してくれれば充分だ、そう思いつつ味噌汁に口を付ければ出汁の優しい香りが鼻へと抜ける。男共の大雑把でがさつな料理とは大違いだと小さく笑って凛の方を見れば、彼女の分の支度が無い事に気付き、
「凛ちゃんの分は?ほら、早く支度しな」
 と、そう促す。
「あ、えっと……」
「ほら、早くしな」
 妙な言い淀みと戸惑った表情、その意味が分からず再度促せば、凛はそれを見て更に困惑の色を深めつつも、それ以上は何も言わず台所へと消えて行き、暫くしてから自分の分の食器を盆に乗せて戻って来た。そして、
「あの……じゃあ、私も、頂きます」
 と、小さな手を合わせてから箸を手に取り食べ始める。昨夜も見たこの所作、食事の際の動作が綺麗な女等今の生活環境の中で見る事は殆ど無い、一番近くにいる女が生まれて来る性別を間違えたとしか思えないタカコなのだ。そんな中で目にする凛のこの仕草は高根にとっては実に良い印象を与えるもので、タカコも凛を見習えば良いのに、そんな事を考えつつ食事を済ませ、紙袋に入れた制服を手にして玄関へと出る。
「それじゃ、行って来るな。出掛ける時もそうだけど、家にいる時も戸締りしっかりして、鍵は俺も持ってるからそれは心配しなくて良いから。誰か来たとしても出なくて良いぞ」
「はい、分かりました。あの……」
「ん?何だ?」
「い、行ってらっしゃい」
「……ああ、行って来ます」
 凛の言葉に笑みを深くし、彼女の頭を一撫でして家を出る。女に見送られて家を出る等、実家を出る迄母親に見送られていた以来初めての事だと笑い、頭を掻きながら晴れた秋の空を見上げた。
「……悪くねぇな、こういうのも」
 ぽつり、独り言ちる。性的な対象として凛を見ているわけではない、性的な匂いのしない『女性らしさ』がとても好ましい。今迄そういったものに触れる事が殆ど無かったから自覚する事も無かったが、どうやら自分はああいう女性らしさをとても好む性分らしい、家に帰れば常にあれを見ていられるのだと思えば足取りも軽くなり、十分程の道程を歩いて基地の正門を潜る。
「司令、お早う御座います、制服はどうされたんですか?」
「おう、おはようさん。何、ちょっとな、たまには私服での出勤も良いかと思ってな。ほれ、この通り持って来た」
 警衛所にいた士官が敬礼をしつつ、普段とは違い私服で出勤して来た高根に話し掛けて来る。そう言えば私服での出勤なぞ海兵隊生活十八年の中で始めての事、言われて当然かと笑いながら紙袋を軽く掲げて見せつつ答え歩みを進め、本部棟の中の自らの執務室へと入り、持って来た制服をソファの上に広げて着替えを済ませた。
「司令、お早う御座います。私服で出勤なんて始めてじゃないですか?」
「そうなんだよ、考えてみたら海兵隊生活十八年で初めてなんだよな」
「寝坊したって時間でもないですし、何か有ったんですか?」
「ちょっとな、心境の変化ってやつだ。あ、朝飯は食って来たから、今日は食堂行かなくて良いぜ?お茶出してくれたら業務に戻ってくれ」
「朝ご飯もですか?珍しいですね……分かりました、何か有ったら呼んで下さい、失礼します」
 言われる前に茶を持って来た部屋付き士官も私服の高根に驚いた様子で、それでも高根の言葉に従い机の上にいつもの様に湯気の立ち上る湯飲みを置くと敬礼をして下がって行く。
 やがて着替えを終えた高根は制服の代わりに私服を紙袋の中に放り込み、先ずは急ぎの書類を片付けてしまうかと椅子に身体を沈めて茶を一啜りする。いつもの朝のいつもの流れ、その中に加わった穏やかな心地良さを思い出しながら目を細め、高根は仕事へと意識を切り替えて行った。
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