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第15章『酒場』
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第15章『酒場』
「あ、もしもし、凛ちゃん?高根です。今日はどうだった?何も変わった事無かったかい?うん、うん、そうか。あ、それだったら――」
前回京都へ来た時と同じ様に夕食後楽な格好に着替え、宿である宇治駐屯地を出て黒川と二人連れ立って店へ入った。博多にいる時に飲むのは焼酎や日本酒が殆どだが、こちらへと来た時にはウイスキーを出すこの店に来るのが定石だ。今日もいつもの様に店を訪れ、暫くしてから時計を見て立ち上がり、店の電話を借りて自宅へと電話を掛けた。
受話器の向こうの凛の声は普段と変わらず穏やかで、その優しい声音に何とも言えず安堵を覚えながら、数分遣り取りをしてからまた明日と告げて受話器を置き、席へと戻る。
「基地にか」
「ああ、ちょっと確認しときたかったんでな」
電話迄は距離が有ったから、遣り取りの内容は黒川には聞こえていない。後はもう寝るだけとなった状態でこれ以上仕事絡みの話をしたくないのは黒川も同じなのか、それ以上何か言われる事も無く、二人は黙ってグラスを傾け、束の間の静けさを感じていた。
「そういや、タカコ、敦賀の実家に泊まる事になったらしいぞ」
「は?何だそれ意味が分からん。おい、つーか、副長帰宅したよな、まずいんじゃないのか」
「鉢合わせる事になったとしても、まぁ何とか誤魔化せると思いたいがな……敦賀も一緒にいるだろうし、そうそう変な事にはならねぇと思うけど」
駐屯地に戻った時に居合わせた海兵から聞いた話、それを黒川へと伝えれば彼の機嫌は瞬時に悪くなり、高根はそれを見て肩を揺らせ喉を鳴らして笑いながら
「おかわり」
と、グラスを指でつい、と押しながらそう告げた。
敦賀と黒川、そのどちらがタカコを手に入れようがどちらでも構わない、その考えは最初から変わっていない。親友二人の幸せを願う気持ちに嘘偽りは無いものの、第一の目的はタカコをこの国に縛り付けておく事。黒川も最初はその目論見に乗り気ではあったが、彼の場合は途中から自らの参戦を決めた。そうなってしまえば高根にとっては黒川もまた駒の一つとなり、事態の推移を俯瞰から眺める事を決め込んでいる。
恐ろしく扱い辛い、それと同時に恐ろしく有能な兵士であり指揮官でもあるタカコ。彼女をこの国に繋ぎ止めておけるかどうか、大和の未来はその一点に掛かっている。本来であれば個人的な事に拘泥せず自国の交渉力と軍事力に頼るべきである事は理解しているが、大和のそれ等がワシントンには遠く及ばない事もまた痛感している事であり、現状では正攻法は全くの下策であるのは明らかだ。タカコがワシントン軍への忠誠を放棄したとも、帰国を諦めたとも思えない今、敦賀と黒川のどちらでも構わないからタカコを孕ませ、そしてこの国へと繋ぎ止めておく楔の役目を果たして貰わなければというのは、高根の偽らざる心境だ。
公人としてはそんな風にあれこれと考えなければならない事が山積している中、半月程前に自分の前に現れ、そして共に暮らす様になった凛。飾らず繕わず、そして何とも庇護心を刺激される彼女との時間は高根にとって手放し難いものとなりつつある。身を立て直す迄、最初はそんな約束だったし、高根自身もそう思っていた。けれど、彼女が纏う柔らかで穏やかな空気、出勤時の見送り、帰宅時の出迎え、まだ少し硬さと緊張が残る笑顔、その全てが少しずつ少しずつ高根の中へと入って来て、それが何とも心地良い。本音を言ってしまえばこのままずっと家にいて欲しいと思わないでもないのだが、それでも何とも形容し様の無い関係の年嵩の自分が、まだまだ年若い彼女を縛り付けておいて良いものでもない事も分かっている。
自分の話していた通り、彼女はいつか身を立て直しこれから先の人生を幸せに生きて行く為に家を出て行くだろう。それを止める権利は高根には無い事は理解している。
士官学校を卒業し任官してから十八年ずっと一人きりの生活で、それで満足していたし特定の女と長期に渡り関係を持つ気も無かったし実際そうして来た。人類、大和人の悲願である活骸の殲滅と世界を大陸側へと広げる事、それは高根にとっても悲願であり人生の目標で、その為に生活の全てを懸ける事に何の疑問も無かったし、邪魔になるものは徹底的に斬り捨て、それに躊躇を感じた事は一度も無い。
けれど、ここ半月ばかりの間、そんな自分の中に変化が起き始めている事には気付いている。全ては凛と出会ってから、彼女との出会いが何等かの変化を自分へと齎した。小さく弱々しく儚く、護ってやりたいと庇護心を擽る凛、彼女の存在と自分の中の変化に戸惑いは覚えるものの、それは決して不快なものではなく、何とも言えない心地良さが自分の中に満ち始めているのを感じている。
今回の出張も、凛を残して来る事が忍びなく、言い出す事自体気が重かった。凛が然して気にしている風でもない事に安心はしたものの、それと同時に何とも言えない落胆と不快感を感じ、一度はこちらに連れて来る事もちらりと考えた。
今迄に経験の無い心理状態、相手に対しての執着にも似た感情、その正体を何と無く感じつつも高根は苦笑して緩く頭を振りそれを振り払い、差し出された新しいグラスを手に無言でそれを呷る。これから先まだまだ長い人生が待っている凛、それを幸せに生きる権利が彼女には有り、自分の存在と執着はその邪魔にしかならないだろう。女として愛し全てを引っ包めて受け止め共に生きるだけの覚悟が有るのならまだ話しは違うのかも知れないが、生憎と自分にはそんな気は更々無い。だとすれば、名残惜しくは思いつつも、時期が来たら手放して送り出してやり、その先の彼女の幸せを祈ってやるのが一番なのに違い無い。
「ま……俺はお前でも敦賀でもどっちでも良いんだけどさ、タカコに惚れてるってなら、頑張れや」
不機嫌を露わにしてつまみの豆を黙々と食べ続ける黒川、彼のそんな様子を見て薄く笑ってそう言い、空けたグラスをつい、と、指でまた押し出した。
「おかわり」
「あ、もしもし、凛ちゃん?高根です。今日はどうだった?何も変わった事無かったかい?うん、うん、そうか。あ、それだったら――」
前回京都へ来た時と同じ様に夕食後楽な格好に着替え、宿である宇治駐屯地を出て黒川と二人連れ立って店へ入った。博多にいる時に飲むのは焼酎や日本酒が殆どだが、こちらへと来た時にはウイスキーを出すこの店に来るのが定石だ。今日もいつもの様に店を訪れ、暫くしてから時計を見て立ち上がり、店の電話を借りて自宅へと電話を掛けた。
受話器の向こうの凛の声は普段と変わらず穏やかで、その優しい声音に何とも言えず安堵を覚えながら、数分遣り取りをしてからまた明日と告げて受話器を置き、席へと戻る。
「基地にか」
「ああ、ちょっと確認しときたかったんでな」
電話迄は距離が有ったから、遣り取りの内容は黒川には聞こえていない。後はもう寝るだけとなった状態でこれ以上仕事絡みの話をしたくないのは黒川も同じなのか、それ以上何か言われる事も無く、二人は黙ってグラスを傾け、束の間の静けさを感じていた。
「そういや、タカコ、敦賀の実家に泊まる事になったらしいぞ」
「は?何だそれ意味が分からん。おい、つーか、副長帰宅したよな、まずいんじゃないのか」
「鉢合わせる事になったとしても、まぁ何とか誤魔化せると思いたいがな……敦賀も一緒にいるだろうし、そうそう変な事にはならねぇと思うけど」
駐屯地に戻った時に居合わせた海兵から聞いた話、それを黒川へと伝えれば彼の機嫌は瞬時に悪くなり、高根はそれを見て肩を揺らせ喉を鳴らして笑いながら
「おかわり」
と、グラスを指でつい、と押しながらそう告げた。
敦賀と黒川、そのどちらがタカコを手に入れようがどちらでも構わない、その考えは最初から変わっていない。親友二人の幸せを願う気持ちに嘘偽りは無いものの、第一の目的はタカコをこの国に縛り付けておく事。黒川も最初はその目論見に乗り気ではあったが、彼の場合は途中から自らの参戦を決めた。そうなってしまえば高根にとっては黒川もまた駒の一つとなり、事態の推移を俯瞰から眺める事を決め込んでいる。
恐ろしく扱い辛い、それと同時に恐ろしく有能な兵士であり指揮官でもあるタカコ。彼女をこの国に繋ぎ止めておけるかどうか、大和の未来はその一点に掛かっている。本来であれば個人的な事に拘泥せず自国の交渉力と軍事力に頼るべきである事は理解しているが、大和のそれ等がワシントンには遠く及ばない事もまた痛感している事であり、現状では正攻法は全くの下策であるのは明らかだ。タカコがワシントン軍への忠誠を放棄したとも、帰国を諦めたとも思えない今、敦賀と黒川のどちらでも構わないからタカコを孕ませ、そしてこの国へと繋ぎ止めておく楔の役目を果たして貰わなければというのは、高根の偽らざる心境だ。
公人としてはそんな風にあれこれと考えなければならない事が山積している中、半月程前に自分の前に現れ、そして共に暮らす様になった凛。飾らず繕わず、そして何とも庇護心を刺激される彼女との時間は高根にとって手放し難いものとなりつつある。身を立て直す迄、最初はそんな約束だったし、高根自身もそう思っていた。けれど、彼女が纏う柔らかで穏やかな空気、出勤時の見送り、帰宅時の出迎え、まだ少し硬さと緊張が残る笑顔、その全てが少しずつ少しずつ高根の中へと入って来て、それが何とも心地良い。本音を言ってしまえばこのままずっと家にいて欲しいと思わないでもないのだが、それでも何とも形容し様の無い関係の年嵩の自分が、まだまだ年若い彼女を縛り付けておいて良いものでもない事も分かっている。
自分の話していた通り、彼女はいつか身を立て直しこれから先の人生を幸せに生きて行く為に家を出て行くだろう。それを止める権利は高根には無い事は理解している。
士官学校を卒業し任官してから十八年ずっと一人きりの生活で、それで満足していたし特定の女と長期に渡り関係を持つ気も無かったし実際そうして来た。人類、大和人の悲願である活骸の殲滅と世界を大陸側へと広げる事、それは高根にとっても悲願であり人生の目標で、その為に生活の全てを懸ける事に何の疑問も無かったし、邪魔になるものは徹底的に斬り捨て、それに躊躇を感じた事は一度も無い。
けれど、ここ半月ばかりの間、そんな自分の中に変化が起き始めている事には気付いている。全ては凛と出会ってから、彼女との出会いが何等かの変化を自分へと齎した。小さく弱々しく儚く、護ってやりたいと庇護心を擽る凛、彼女の存在と自分の中の変化に戸惑いは覚えるものの、それは決して不快なものではなく、何とも言えない心地良さが自分の中に満ち始めているのを感じている。
今回の出張も、凛を残して来る事が忍びなく、言い出す事自体気が重かった。凛が然して気にしている風でもない事に安心はしたものの、それと同時に何とも言えない落胆と不快感を感じ、一度はこちらに連れて来る事もちらりと考えた。
今迄に経験の無い心理状態、相手に対しての執着にも似た感情、その正体を何と無く感じつつも高根は苦笑して緩く頭を振りそれを振り払い、差し出された新しいグラスを手に無言でそれを呷る。これから先まだまだ長い人生が待っている凛、それを幸せに生きる権利が彼女には有り、自分の存在と執着はその邪魔にしかならないだろう。女として愛し全てを引っ包めて受け止め共に生きるだけの覚悟が有るのならまだ話しは違うのかも知れないが、生憎と自分にはそんな気は更々無い。だとすれば、名残惜しくは思いつつも、時期が来たら手放して送り出してやり、その先の彼女の幸せを祈ってやるのが一番なのに違い無い。
「ま……俺はお前でも敦賀でもどっちでも良いんだけどさ、タカコに惚れてるってなら、頑張れや」
不機嫌を露わにしてつまみの豆を黙々と食べ続ける黒川、彼のそんな様子を見て薄く笑ってそう言い、空けたグラスをつい、と、指でまた押し出した。
「おかわり」
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