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第43章『帰宅』
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第43章『帰宅』
鳥栖に活骸が出現したらしい、そう言っていたのは商店街の八百屋の店主、朝一番に第一陣が出撃し、先程自分が見たのは第三陣だとも言っていた。陸軍の博多駐屯地からも沢山のトラックが出て行ったらしい、鳥栖に一番近い太宰府駐屯地だけでは到底追いつかない規模なのだろう。
家族を全て失った博多曝露、その惨状を実際にこの目で見たわけではないが復興は完了したわけではなく、当時の爪痕は未だに市街地のあちこちに残されている。そこから窺い知る事の出来る惨劇、それが今鳥栖で繰り広げられ、多くの兵士が掃討の為に身命を賭して戦っているのか、それを考えただけで胸が痛くなった。
それでも自分には戦いに身を投じるだけの力も無く、出来る事は高根の無事を祈りこの家を守り帰りを待つだけ。祖母や兄嫁はこんな気持ちをどれだけ抱えていたのだろう、そして今も同じ想いを抱えている妻や恋人が大勢いるのに違い無い。
夜になりやがてそれが明けても海兵隊のトラックが戻って来る様子は無く、居間のソファでうとうとしながらトラックの音が聞こえる度に外へと走り出た。しかしそれは戻って来たものではなく資材や物資の追加なのか海兵隊基地から鳥栖の方角へと向かって出て行くものばかり、それを見送りながら不安を抱え続ける中、海兵隊のトラック数十台が漸く帰還して来たのは日付も変わり出撃から三日目に入った深夜の事だった。
静まり返った夜の空気の中、遠くからトラックの音が聞こえて来る。その音にソファでの浅い眠りから跳ね起き、外へと走り出て基地へと続く表通り迄出てみれば、街燈の光にぼんやりと照らされる中を海兵隊の車列がゆっくりと走って来るのが見えた。
先頭を走る指揮車両である事を示す旗を車体前面に掲げたトラックの助手席に高根が座っているのが一瞬だけ見える。怪我の有無は不明だが生きていた、良かった、と、ぶわりと涙を溢れさせる凛の前を、車列はゆっくりと基地へと向かい走って行く。その荷台には活骸の体液に塗れ自らも傷を負いぼろぼろになった多くの兵士が乗り、出撃の時とは違いぐったりとした様子であおりへと身体を預けている。きっと激しい戦いだったのだろう、戦死者を出さずに済んだわけが無い、きっと彼等の足元には戦友の遺体が横たわっているのだろう、そんな事を思いながら凛は車列に向かって小さく手を合わせて頭を下げ、踵を返して歩き出し家へと戻った。
帰還したとは言っても事後処理も戦死者の葬儀も有る、きっと高根の帰宅はもう少し先になるだろう。いつになるかは分からないが、それでもいつ帰宅しても良い様に、そう思いつつ家を整え待ち続けた凛の許に高根が姿を現したのは、鳥栖の活骸発生から一週間が経った夜の事。
日中に国立墓地で葬儀が行われていたからそろそろ帰って来るだろう、そう判断した凛が夕食を作っている時に玄関の扉が開く音がして、それに弾かれる様にして走り出し廊下へと飛び出した彼女の目に映ったものは、頭に包帯を巻きあちこちに小さな傷を負った高根の姿。
「よう、ただいま。ちょっと緊急で仕事が入ってよ、その対応に出てたんだわ。連絡出来なくて悪かったな」
いつもの優しい笑顔と口調、怪我をしていても無事で、生きていてくれて良かった、溢れる涙を拭う事も出来ずに再度走り出し、高根の胸へと飛び込んで背中へと腕を回ししっかりとしがみ付く。
「凛?どうした?」
「怪我……してるじゃないですか」
「ああ、これか?ちょいとばかし失敗しちまってな、えらい赤っ恥掻いちまったわ。大した傷じゃないから、心配すんな、な?」
高根は未だに自分の職業をはっきりとは言わず、凛もまた心理的な負担を掛ける事になりそうで彼の素性を知っているという事は伝えていない。お互いに何も言わず触れないまま曖昧にしている所為でもどかしく、何が有ったのか尋ねる事も出来ないが、それでも、無事で良かった、と、高根の胸に顔を埋めてそう言えば、
「だから、心配しなくて良いって、な?」
という言葉と共に強く抱き締められ深く口付けられた。
「……腹減った、飯、有るか?」
「今、作ってる途中で……もう少しで出来上がりますよ」
唇から離れたと思った高根のそれが今度は頬へと降って来て、耳元で囁かれて思わず身体を震わせつつ答えれば小さく笑ったのが伝わって来る。抱き締めていた腕が離れ頭を優しく撫でられながら
「飯にしようか」
と、そう言って優しく微笑まれ、それを見て漸く凛もいつもの笑顔を浮かべる事が出来た。
「今日はこの間話してた豚の角煮を冷凍してとって有るのでそれと、後は蓮根のきんぴらです」
「おお、食い損ねたかと思ってた、味噌汁は?」
「じゃが芋と玉葱です、嫌いじゃないですか?」
「全部好物だよ、有り難うな。あ、鯖の味噌煮も美味かったぜ?」
廊下を歩きながらそんな会話を交わし、鯖の味噌煮という言葉であの交わりを思い出した凛が赤面すれば、彼女のその赤面の理由を察した高根が少し悪そうな笑みを浮かべ、
「鯖よりもお前の方が美味かったけどな……今日も美味しく頂かせてもらうからな?」
そう言いながら後ろから抱き竦め、身体を屈めて首筋へと口付けてそこを緩く吸い上げる。びくりと強張り震える凛の身体、小さく漏れる声、高根はそれにまた笑い、
「でも、今日は流石に腹減ったわ、先ずは飯と、あと風呂な」
そう言って小さな身体を離し真っ赤になっている凛を見て笑みを深くし、早く飯にしようと彼女の肩に手を添えて歩き出す。凛は高根のそんな振る舞いに翻弄されつつも、無事良かった、と、胸中でもう一度繰り返し、台所へと戻って行った。
鳥栖に活骸が出現したらしい、そう言っていたのは商店街の八百屋の店主、朝一番に第一陣が出撃し、先程自分が見たのは第三陣だとも言っていた。陸軍の博多駐屯地からも沢山のトラックが出て行ったらしい、鳥栖に一番近い太宰府駐屯地だけでは到底追いつかない規模なのだろう。
家族を全て失った博多曝露、その惨状を実際にこの目で見たわけではないが復興は完了したわけではなく、当時の爪痕は未だに市街地のあちこちに残されている。そこから窺い知る事の出来る惨劇、それが今鳥栖で繰り広げられ、多くの兵士が掃討の為に身命を賭して戦っているのか、それを考えただけで胸が痛くなった。
それでも自分には戦いに身を投じるだけの力も無く、出来る事は高根の無事を祈りこの家を守り帰りを待つだけ。祖母や兄嫁はこんな気持ちをどれだけ抱えていたのだろう、そして今も同じ想いを抱えている妻や恋人が大勢いるのに違い無い。
夜になりやがてそれが明けても海兵隊のトラックが戻って来る様子は無く、居間のソファでうとうとしながらトラックの音が聞こえる度に外へと走り出た。しかしそれは戻って来たものではなく資材や物資の追加なのか海兵隊基地から鳥栖の方角へと向かって出て行くものばかり、それを見送りながら不安を抱え続ける中、海兵隊のトラック数十台が漸く帰還して来たのは日付も変わり出撃から三日目に入った深夜の事だった。
静まり返った夜の空気の中、遠くからトラックの音が聞こえて来る。その音にソファでの浅い眠りから跳ね起き、外へと走り出て基地へと続く表通り迄出てみれば、街燈の光にぼんやりと照らされる中を海兵隊の車列がゆっくりと走って来るのが見えた。
先頭を走る指揮車両である事を示す旗を車体前面に掲げたトラックの助手席に高根が座っているのが一瞬だけ見える。怪我の有無は不明だが生きていた、良かった、と、ぶわりと涙を溢れさせる凛の前を、車列はゆっくりと基地へと向かい走って行く。その荷台には活骸の体液に塗れ自らも傷を負いぼろぼろになった多くの兵士が乗り、出撃の時とは違いぐったりとした様子であおりへと身体を預けている。きっと激しい戦いだったのだろう、戦死者を出さずに済んだわけが無い、きっと彼等の足元には戦友の遺体が横たわっているのだろう、そんな事を思いながら凛は車列に向かって小さく手を合わせて頭を下げ、踵を返して歩き出し家へと戻った。
帰還したとは言っても事後処理も戦死者の葬儀も有る、きっと高根の帰宅はもう少し先になるだろう。いつになるかは分からないが、それでもいつ帰宅しても良い様に、そう思いつつ家を整え待ち続けた凛の許に高根が姿を現したのは、鳥栖の活骸発生から一週間が経った夜の事。
日中に国立墓地で葬儀が行われていたからそろそろ帰って来るだろう、そう判断した凛が夕食を作っている時に玄関の扉が開く音がして、それに弾かれる様にして走り出し廊下へと飛び出した彼女の目に映ったものは、頭に包帯を巻きあちこちに小さな傷を負った高根の姿。
「よう、ただいま。ちょっと緊急で仕事が入ってよ、その対応に出てたんだわ。連絡出来なくて悪かったな」
いつもの優しい笑顔と口調、怪我をしていても無事で、生きていてくれて良かった、溢れる涙を拭う事も出来ずに再度走り出し、高根の胸へと飛び込んで背中へと腕を回ししっかりとしがみ付く。
「凛?どうした?」
「怪我……してるじゃないですか」
「ああ、これか?ちょいとばかし失敗しちまってな、えらい赤っ恥掻いちまったわ。大した傷じゃないから、心配すんな、な?」
高根は未だに自分の職業をはっきりとは言わず、凛もまた心理的な負担を掛ける事になりそうで彼の素性を知っているという事は伝えていない。お互いに何も言わず触れないまま曖昧にしている所為でもどかしく、何が有ったのか尋ねる事も出来ないが、それでも、無事で良かった、と、高根の胸に顔を埋めてそう言えば、
「だから、心配しなくて良いって、な?」
という言葉と共に強く抱き締められ深く口付けられた。
「……腹減った、飯、有るか?」
「今、作ってる途中で……もう少しで出来上がりますよ」
唇から離れたと思った高根のそれが今度は頬へと降って来て、耳元で囁かれて思わず身体を震わせつつ答えれば小さく笑ったのが伝わって来る。抱き締めていた腕が離れ頭を優しく撫でられながら
「飯にしようか」
と、そう言って優しく微笑まれ、それを見て漸く凛もいつもの笑顔を浮かべる事が出来た。
「今日はこの間話してた豚の角煮を冷凍してとって有るのでそれと、後は蓮根のきんぴらです」
「おお、食い損ねたかと思ってた、味噌汁は?」
「じゃが芋と玉葱です、嫌いじゃないですか?」
「全部好物だよ、有り難うな。あ、鯖の味噌煮も美味かったぜ?」
廊下を歩きながらそんな会話を交わし、鯖の味噌煮という言葉であの交わりを思い出した凛が赤面すれば、彼女のその赤面の理由を察した高根が少し悪そうな笑みを浮かべ、
「鯖よりもお前の方が美味かったけどな……今日も美味しく頂かせてもらうからな?」
そう言いながら後ろから抱き竦め、身体を屈めて首筋へと口付けてそこを緩く吸い上げる。びくりと強張り震える凛の身体、小さく漏れる声、高根はそれにまた笑い、
「でも、今日は流石に腹減ったわ、先ずは飯と、あと風呂な」
そう言って小さな身体を離し真っ赤になっている凛を見て笑みを深くし、早く飯にしようと彼女の肩に手を添えて歩き出す。凛は高根のそんな振る舞いに翻弄されつつも、無事良かった、と、胸中でもう一度繰り返し、台所へと戻って行った。
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