犬と子猫

良治堂 馬琴

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第33章『欲情』

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第33章『欲情』

 自分の前に跪き、潤んだ眼差しをこちらへと向ける凛。高根はその様子を見て薄く笑い、彼女の首筋へと手を伸ばす。
「……ほら、教えた通りにやってみな?」
 細く頼り無いそこへと指先を這わせれば、その感触に凛は戦慄き、小さく声を漏らし身体を捩る。しかしそれを許さず緩く顎を掴み再度顔をこちらへと向け、高根は低く熱を持った声音で言葉を吐き出した。
「だから、顔逸らしちゃ駄目。俺の顔見て、目線合わせて。ほら、ちゃんと見ててやるから、やってみな?」
 真っ赤な顔、更に潤む眼差し。そんな風に可愛い顔をして見せても許さない、そう低く囁けば、やがて諦めたのか覚悟したのか、凛は視線は高根に向けつつも顔をそっと下げて行く。そして、昂りに触れた濡れた生暖かい感触に、ぶるり、腰を震わせた。

「……はい、今日も下着が一枚駄目になりました……と」

 目を開ければいつもの自分の寝室、下腹部に感じる湿った感触に盛大に溜息を吐き、高根はゆっくりと起き上がる。年甲斐の無いこの不始末はここ最近頻繁に有り、その度に穿いていた下着を捨てる羽目になっている。自宅でそんな状態になった場合は箪笥から新しいものを出して穿き替え、汚れたものは隠し持って家を出て基地の焼却炉に突っ込んでいる。執務室へと泊まった時には泊まり込みが続いた時用に置いてある予備に穿き替え、汚れはやはり焼却炉へ。最近は遂にその予備が底を突き、酒保で売っているものを大量に買い込む羽目になった。
 凛は性的な事には疎いのかそれとも高根の下着の柄迄は覚えていないのか、どちらにせよ気付いていないのだろう、何も言って来る事は無い。それは今の表向きは平穏な生活に要らぬ波風が立たずに済むから有り難い事ではあるものの、それでも、と、自らの性欲丸出しの状態に高根はまた一つ大きく息を吐く。
 今迄は有ったとしても直ぐに収まっていた起床時の『男性特有の現象』は今では毎度の事でその勢いも強く持続時間も長く、寝ていたのが自宅にしろ執務室にしろ、目を覚ましてから直ぐに便所へと籠り収まるのを待つのが日課となっている。夢を見ればそれは決まって凛を抱く夢で、最初の内は彼女を組み敷いて貫き突き上げているだけだったものが、最近はあれやこれやが伴い始め随分と過激になりつつある。その後目を覚ませば時既に遅し、勝手に一人で吐き出した後という惨状の頻度も上がり、これでは下着を幾ら買い足しても追い付かないと、入浴時に自己処理に勤しむ様になった。
 しかし、これで安心かと思いきや、吐き出した後は湯で洗い流すだけだった所為か風呂場の排水が滞り始め、まさか凛に対処させるわけにもいかず詰まりを溶かして排水を円滑にする為の薬剤を自ら薬局で買って来る事になり、我ながら情けないと頭を抱える事態が続いている。
「……いかん……これ、その内糸が切れて手を出しそうだ……タカコの気持ちが今更ながら理解出来たわ……」
 以前、タカコが黒川と敦賀の二人と関係を持ち始める前、欲求不満を解消したいから身体だけの付き合いをしないかと持ち掛けて来た事を思い出す。あの時は彼女にお灸を据える為に多少の手出しはしたものの面倒は御免だとばかりに跳ね付けたが、今ならあの時のタカコの気持ちがよく分かる。事態をややこしくしない為にも、適切な処理は必要だったのだとがっくりと肩を落とした。
 今の自分は凛にしか欲情も反応もしない様になっているし、そもそも彼女以外と関係を持ちたいとも思わないから、タカコの様に誰か適当且つ後腐れの無い相手を見繕う気は更々無い。従来通り自己処理で完結させるしか無いのだが、それなら排水の詰まりだけは気を付けるか、そんな風にぼやきつつ、高根はゆっくりと寝台から降り、箪笥の中から替えの下着を取り出した。

「…………」
 島津凛、年齢二十三歳、独身、職業、高根家の住み込み家政婦。
 普段であれば目を覚まして直ぐに布団から出て着替え朝食の支度に取り掛かる彼女が、今日は珍しく布団の上で俯せになったまま一人悶えていた。
 原因は、目を覚ます直前に見ていた夢。高根の寝室兼書斎で寝台の上で高根に組み敷かれ、貫かれ突き上げられていて、じぶんはその行為に酔い、ずっと喘ぎ高根を求めていた。目を覚ましてからもその光景は脳裏に焼き付いていて、一体あれは何なのかと真っ赤になって頭を抱え布団へと顔を埋め何とも言えない呻きを小さく漏らす。
 性交での快感等自分は知らない、なのに何故あんな夢を見たのか、そうなれば良いという願望にしろ身の程を知れと内心で己を罵り、そこで漸く普段の生活を思い出し身体を起こす。時計を見れば普段よりも随分と遅い時間、もう高根も起きて来る筈だと慌てて立ち上がれば、身体の中心が疼く様な感覚に布団へとへたり込んだ。
「や、だ……何、これ」
 下半身に感じた違和感、ぬめる感触に月のものか、一瞬そう思いはするものの、胎の奥が疼く感覚は経験が無く、何が、そう思いつつ恐る恐る、寝間着、そしてその下の下着の中へと手を這わせる。指先に感じるぬるりとした感触、そして指先が触れた衝撃に大きく震えつつそっと手を出してみれば、指先は赤く染まる事は無く、透明の粘液がそこに絡み付いていた。
 性の知識が無いわけではない、『これ』が何なのか、どんな時に女性の身体から分泌されるのか、それ位は知っている。けれど、自分には今迄には縁の無かった現象であり、凛は自分の身体に起きた事の意味を理解しきれず、呆然と自らの指先を見詰めていた。
(私……高根さんに、抱かれたいって……思って、るんだ)
 暫しの混乱の時間を経て、漸く自分に起きている事の意味を把握する。高根を男として見て、そして惹かれているのだという自覚は有ったにせよ、身体にこんな反応が起きるとは思わなかった。けれど自分の本心は高根を心でも身体でも男として求め、それに対して欲情しているのだとはっきりと自覚し、そこでまた真っ赤になる。
 何度夫に抱かれてもそれに快感を感じる事は無く、ただただ身を固くし行為が終わるのを待っていた自分、夫には鈍感でつまらない抱き人形と罵られ、そう言われても仕方が無いのだと思っていた。そんな自分がこんな事になるとは、無意識の事とは言えどなんと図々しいのかと自己嫌悪に陥りつつ凛は立ち上がり、朝の支度をしようと襖へと手を掛ける。

「……おはよう……あの、起きて来ないから、具合でも悪いのかと……思って」
「いえっ!寝坊してすみませんでした!今すぐご飯の支度しますから!!」

 そこにいたのは襖へと手を掛けようとしていた高根の姿、彼の顔を見た瞬間脳裏には夢の光景と自らの身体の事が駆け巡り、凛は顔を赤くし涙目になってそう言い、手を洗おうと洗面所へと駆け込んで行く。
 高根もまた凛の顔を見た途端に夢の中で彼女に強いていた行為を思い出し、何ともばつの悪い面持ちになりつつ、小走りで去って行った彼女の背中を見詰めていた。
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