犬と子猫

良治堂 馬琴

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第77章『腕の中の温度』

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第77章『腕の中の温度』

 深夜の海兵隊総司令執務室、部屋の主である高根はここ最近の一連の事件についてぼんやりと考えつつ肩と首の鈍い痛みと凝りに僅かに眉根を寄せつつ顔を上げた。視線の先には応接セットのソファに身体を埋め、こくり、こくりと舟を漕ぐタカコの姿。
 京都から戻った後、黒川の腹案が発端となり、廃墟となった鳥栖は国有化され陸軍管轄の市街地演習場へと姿を変えた。そして、そこを舞台とした演習が三度度行われた。その訓練については、最初の二回については非正規兵役を一手に引き受けたタカコの働きにより予想以上に予算を消費してしまったという事は有ったにせよ、中央から監視と管理の為にやって来た副長や他の面々にじっとりと甚振られた以外には特に大きな問題は無かった。
 しかし、今後の訓練の目的が『対人、対非正規戦』という事が内外共に明確になるにつれ、それに連動する様にして世間の空気がきな臭さを増し続けている。三回目の演習では幼い子供を囮にした対人地雷の罠が仕掛けられ、それにより陸軍に三名の殉職者を出す事となった。そしてそれと同時に軍の非道を告発するアジビラが全国規模で撒かれ陸軍の施設や車両が火炎瓶等で襲撃される事件が何件も起き、盟友である黒川はその対応に奔走しっ放しなのは海兵隊にも聞こえて来ていたし、恐らくはこうなる事を予見していたであろう、そして、対処に関しても経験と知識の豊富なタカコにも実際に助言を求めもした。尤も、その彼女ですら

『正攻法では無いと言った方が良いな、相手が非正規の手法で仕掛けて来ているのなら、こちらも非正規の動きで対応するしか無い。本来であれば耳と目の役目をする草を育てて放ち情報を集めつつ捕まえるか隠密裏に処分するのが妥当だが、その時間は無いだろう。だから、起きた事態にどれだけ早く対応出来るか、その即応力を身に付けられるかが鍵になる』

 と、そう言うに留まったのだから、実際のところ自分達が置かれている、そして対応しなければならない現状というのは控えめに言っても悪いものなのだろう。
 そして、そう言い切ったタカコは変わらずに献身的な協力を続けてくれており、流石に限界が来たのか今は緩々と眠りへと落ちている。大和軍、否、大和という国体と全ての大和人にとって正に天佑神助そのものであるタカコ、本来であれば真綿で包む様に大切にすべき筈の彼女にここ迄の負担を強いているというのは心苦しいとしか言い様が無い。しかしそれでも今は他に頼る者も無く自分達の力も及ばず、胸中で詫びる事しか出来ない自分達を、ひどく不甲斐無いと思う。
「タカコ」
 呼び掛けても返事は無く目を覚ます事も無く、舟を漕ぎ続けるタカコを見て大きく溜息を吐いて立ち上がり、彼女へと歩み寄り小さな体をそっとソファへと横たえさせ、上着を脱いで身体へと掛けてやった。
「……悪ぃなぁ、面倒見てもらってばっかりでよ」
 自分達に知識と技術が有れば彼女一人にこんな負担を掛けずに済むのだが、現実はそうもいかず、活骸の脅威を除けば国内は概ね平和な時代が長く続いた事も有り、こんな非正規戦に活かせるものは何も持っていない。急拵えでタカコから与えられる知識と技術を吸収している自分達も大変には違い無いが、自分達の国の事なのだからそれも任務の内だろう。しかし彼女は本来であれば無関係な筈の外国人、ここ迄一方的に負担を負わせるのは本当に心苦しい。
「真吾――、って、寝てるのか、タカコ」
「ああ……これだけ酷使してりゃ疲れるのも当然だ」
 突然響いた扉を叩く音、この叩き方は敦賀だなと思いつつ入室を許可すれば、想像通りの人物が扉を開いて室内へと入って来る。その敦賀は入って直ぐにソファで眠るタカコに気が付いて、声量を落としながら高根の脇迄歩いて来て並んで立ち、タカコの寝顔を見下ろした。
「……どうにか負担を減らしてやりてぇんだがな」
「あー……それは俺も思ってるんだけどな、この状況じゃどうにも、なぁ……」
「まだまだ続くんだ、今日はもう休ませてやれ」
「……だな。おい、タカコ、起き――」
「いい、俺が部屋に連れて行く」
 まだまだ先は長い、そう思った高根がタカコへと声を掛けようとすれば、敦賀がそれを制しタカコを抱き起し、高根の上着をソファへと置いた後にどうにか彼女を背負って歩き出す。
「……タカコの部屋に泊まったりすんなよ?」
「…………」
 返事は無い、恐らくは図星なのだろう。本来であれば叱責しなければならないのだろうが、最近はお互いに大変な思いをさせてしまっているし、今晩位は見逃してやるか、高根はそんな事を考えつつ上着を拾い上げ、踵を返して執務机へと向かう。
 不器用で晩熟な親友、その彼がタカコに対して見せる執着と愛情は、立場や年齢を考えれば多少の問題も無いとは言わないが、それでもそれが真摯なものなのだという事はよく分かっている。元々あの二人をくっつけようと嗾け始めたのは目的が有っての事ではあるものの、それでも、それと同時に二人に幸せになって欲しいというのも、高根の本心だった。
「他の部屋の連中が起き出して来る前に部屋に戻れよ。見つかるんじゃねぇぞ、示しがつかねぇからな」
「……有難う、御座います」
「さっさと行けっつーの、俺も今日はもう帰る」
 新妻である凛の顔をもう随分見ていない、軍の告発記事が一面に載った新聞を見た日から帰宅していないから、いい加減帰りたくなって来た。敦賀がタカコと宜しく同じ布団で眠るなら、自分も今日こそは帰宅して凛と共に眠ろう。その前に残り数枚の書類を片付けて、そんな事を考えつつ椅子へと身を埋めて机上の書類に手を伸ばした。
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