大和―YAMATO― 第一部

良治堂 馬琴

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第29章『気付き』

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第29章『気付き』

 その後、タカコは戦線の離脱を余儀無くされた。戦闘の続行は厳しい、無理をさせれば次回以降の出撃にも支障が出る、その判断の専門家である医療班と現場医官にそう言われれば敦賀も高根も、そして当のタカコも反論する事は出来ず、彼女は本隊の撤収を待たずに他の負傷者と共に博多の海兵隊本部へと送り返された。
 脳裏に焼き付いた肩が真っ赤に濡れた様、その所々に皮膚の裂け目なのか白い筋が覗き、怪我の状態が気になった敦賀は帰還前の小休止時に医官を捕まえて聞いてみる。
「先生、あの馬鹿女の怪我の程度は?」
「ああ、捕虜ですもんね、万が一本国と接触する事が有れば色々と拙いですよね」
「ああ……、で、どうなんだ?」
「命に別状の有る様なものではないんでそれは心配しなくて良いです、感染症にだけ注意すれば。ただ、傷は結構深いです、すっぱり切れたわけじゃなく活骸に食い千切られてますから塞がるのも時間が掛かるし、痕は確実に残りますよ」
「神経や筋は?傷が塞がればまた戦えるのか?」
「それは大丈夫。筋肉を結構持って行かれてるので暫くは引き攣りや違和感が残るでしょうけど、普段からあれだけ鍛えてるならそれもいずれ無くなります。いや、女性の肩じゃないですねあれは」
「そうか、分かった、有り難う」
「あ、次の出撃は無理ですね、次回はしっかりと静養させてその次を目標にして下さい」
「ああ」
 次回の出撃は無理でも今後の全てが絶たれる事に比べれば何でもない、とにかく良かったと敦賀は小さく溜息を吐く。死者を除けば今回はタカコが一番の重傷を負った事になる、色々と事情の絡み合う彼女、その身体に取り返しの付かない事態が齎されずに良かったと、心底そう思った。

「――よし、撤収!」
 やがて出撃から三十二時間が経過した翌日の夕方、漸く掛かった高根による帰還の号令、敦賀はトラックの荷台でそれを聞きながら先に戻っているタカコの事を思い浮かべていた。
 彼女は大和人ではなく海兵隊員でもない、仲間ではない。高根にはそのつもりは毛頭無い様子だがいずれ母国に戻る人間、それを忘れかけていた。本来であれば収容所を設置してそこで管理すべき存在、それなのに海兵隊員と同じ扱いをして戦場へと出る事を許可したのは、タカコ自身の申し出という事も有るが大部分は彼女をここに留めておく為の海兵隊側からの便宜供与、自分達の都合なのだ。
 その中で彼女を失う事にならなくて本当に良かった、安堵の溜息を深く吐きながら、そこでふと敦賀は自分の思考回路に疑問を感じて我に返る。
 タカコは重要な存在であり何の危害も与えられる事の無い様に保護されるべき存在、それは間違いは無い、自分もそう認識している。それはそれで問題は見当たらないが、だとしたらその対象に対して持つべき感情を自分は今抱いているのか、それに思い当たった時、敦賀は珍しくがっくりと肩を落とし右手で頭を些か乱暴に数度掻いた。
「先任?どうかしたんですか?」
「……いや……、何でもねぇ、放っておいてくれ」
「はあ……分かりました」
 良くない、この状況はどうも良くないと胸中で繰り返す。海兵隊の最先任、その名誉と責任の有る立場の自分が、捕虜に、しかも口と態度の悪いあの下品な馬鹿女に対して何を考えているのか。
 気の所為という事にしておこうかと思うもののそれは何か違う気もして、帰還して今回の処理を終えたら今日の内に顔を見に行ってみようと、無難とも先延ばしとも判別し難い結論に落ち着いた。

「……何でてめぇがここにいるんだ、仕事はどうした総司令」
「俺?今日やらないと拙いのはもう片付けた。ほら、真吾君超有能だから」
「死ね。で、何なんだ、何か用なんじゃねぇのか?」
 帰還後、夜の敦賀の執務室。書類を片付けている敦賀の前で応接セットのソファに踏ん反り返り、部屋の主の了解もとらずに勝手に淹れた茶を啜る高根、敦賀の分も入れればまだ良いものを自分の分だけを淹れて飲む姿に、敦賀は右手に持ったペンを苛立ちに任せて握り締める。
「うん?何が?」
「……だから……てめぇが態々ここに来るって事は何か用事が有るんだろうが……しかもその気持ちの悪ぃニヤケ面、どう考えても碌な事じゃねぇ、何が言いたい、はっきり言え」
「タカコには今日これから手ぇ出すんか?俺は反対はしねぇぞ。どんどんやれ、その方が面白ぇ」
 突然ぶつけられたとんでもない内容の言葉、それに内心動揺し思わず動きを止めて高根の方を見れば、返されたのは実に楽しそうないやらしい笑顔。
「医官の大和田にタカコの事あれこれ聞いてたらしいな?他に死者も負傷者も大勢出てるのに真っ先にタカコの事聞いたって聞いてよ、おじさん気付いちゃった」
「……そりゃあいつが捕虜――」
「――敦賀よ」
 言い訳は少しだけ低くなった高根の声音に遮られた。
「前に言ったよな?正直になる事も時には必要だってよ。今も言った様におめぇが本気なら俺は反対はしねぇよ。国の事も仕事の事も全て捨てさせて、それでもあいつが後悔しねぇ位に愛してやるのも……男としての甲斐性なんじゃねぇのか?」
 視線は打って変わって鋭く敦賀を射抜き、
「……おめぇはこの大和海兵隊の最先任だがそれだけじゃねぇだろう、男としてのおめぇと最先任としての立場、それを両立出来る位の器量はあんだろ?ま、よーく考えな……それじゃ夜更しはお肌に悪いんで、お休み」
 そう言って湯呑を机に置いて立ち上がり、高根は静かに部屋を出て行った。
 何も言葉を返せなかった、人を見る目に優れた、深く鋭い洞察力を持つ上官である高根、その彼にああもずばずばと言い当てられ、返す言葉は一つも見つからない。
 けれど、彼は知らないのだ、あの墜落の時タカコの傍には夫がいて、手の施し様が無い致命傷を負った彼を彼女が楽にしてやったのだと、それからまだ一年も経っていないのだと。
 そして何よりも自分自身に躊躇が残る、疑問が残る、彼女に対して抱いているこの感情の正体を図りかねている。
「……顔見て考えてみるか」
 どうにも答えの出ない袋小路、それを解決するにはやはり本人を見てみるのが一番か、敦賀はそう考え立ち上がり、タカコの部屋へと向かって歩き出した。
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