大和―YAMATO― 第一部

良治堂 馬琴

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第36章『足りない言葉、間違った選択』

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第36章『足りない言葉、間違った選択』

 背後に扉の閉まる音を聞きながら、否、自らの身体を押し付けられけて扉が閉まる音を聞きながら顎を掴まれ上を向かされた。与えられたのはぶつかる様な噛み付く様な強い口付け、拒む間も無く唇を割って入って来た舌に大きく身体を震わせる。
 後頭部を掌で押さえられ身体はもう片方の腕に強く抱かれ身じろぐ事もままならない、抗議の声を上げようとしても鼻から声が抜けて行くだけ。それが更に敦賀を煽るのか激しくなる口付けと抱き締める腕の強さに、タカコはただ身体を震わせる事しか出来ない。
 やがて漸く離れた唇、お互いの荒い息が相手の唇へと掛かる中、タカコはぼんやりと敦賀の双眸を見詰めていた。いつも鋭い目付きが普段のそれとは違い熱を帯び、真っ直ぐに自分へと向けられている。欲している、痛い程にそれが伝わって来る視線を受け止めきれずに自らのそれを逸らせば、それを合図にする様に今度は唇が頬へと降って来た。
 少しずつ少しずつ下に降りて来る敦賀の唇、その感触に肩を竦ませて震えれば宥める様に抱き締められる。三十cmの身長差は立ったままでの行為には難渋しがちで大柄な体躯を屈めて首筋に顔を埋める敦賀の様子に、可愛らしいなと場違いな事を考えた。
 けれど首筋を吸い上げられ、大きな掌が服の上から乳房に触れそっと揉みしだいて来た時、タカコはその感触に弾かれる様にして唐突に自らの役目とすべき事を思い出す。駄目だ、このまま流されてはいけない、この男に身を任せてはいけない、心の中で自らに言い聞かせ、敦賀の腕の中に収まった両腕に力を込め、突き飛ばす勢いで彼との間に距離を取る。
「な――」
 突然の事に動きを失う敦賀、タカコは薄暗い中で表情がはっきりとは窺えない事に感謝しつつ吐き捨てる様にして口を開いた。
「盛ってんじゃねぇよ、処理してぇってのなら花街行きやがれ」
 分かっている、彼がそんな風に考えて行為に及ぼうとしたのではない事は。切っ掛けは三宅と福井の情事に居合わせた事だが、その前から彼が自分を欲していた事には気付いていた、そして、それが純粋で真っ直ぐである事にも。
 けれど、だからこそ敦賀を受け入れる事は出来ない、拒まなければならない。
 きっと自分は彼に対してとても残酷な事を言っている、それでもどうにかしてこの場を切り抜けなければと歯を軋らせるタカコに向かって、敦賀は思いの外静かに言葉を返して来る。
「……処理?てめぇ、処理って言ったか今」
「言ったがそれがどうかしたか、寛和と誠ちゃんのやってるの聞いて収まりつかなくなったんだろ?それを鎮めるのを処理って言わずに――」
 言葉は耳元で響いた音に遮られた。顔の直ぐ脇、扉に叩き付けられた敦賀の腕、一旦は離れた顔が再び近付いて来て、低く静かな、そして怒りに満ちた言葉をゆっくりと吐き出した。
「それなら態々花街迄行って金使わなくても、丁度良い相手がここにいるじゃねぇか……なぁ?」
 自分が吐いた言葉を返されただけ、それなのに敦賀の言葉は思いの外胸に深く突き刺さり鋭い痛みをタカコへと齎す。それでも自分は傷付く立場ではないだろう、彼がそう言うのであればそれに乗ってやっても構わない、タカコは小さく一つ息を吐き、敦賀の身体を押し退けて寝台の方へと向かって歩き出した。
「ああそうかい、そういう事なら相手してやるよ」
 そう言いながら寝台の前で立ち止まりシャツに手を掛け脱ぎ捨て、下着も外して放り投げ敦賀の方へと向き直る。室内とへと入ったタカコを追い掛けて来た敦賀の戸惑いと苛立ちは彼女のその振る舞いと言葉によって完全な怒りへと姿を変え、ぶつけられたのは空気が震える程の怒声。
「そういう事を言ってんじゃねぇだろう!」
「てめぇがそう言ったんだろうが!今その口で!」
 思わず反射的に怒鳴り返してしまい、後はもう売り言葉に買い言葉。
「そもそも花街だの処理だの言い出したのはてめぇだろうが!」
「私に盛ってるからそう言ったんだろうが!お前みてぇな女に誰が欲情するかってほざいてたのは何処のどいつだ!」
「もういい!とっとと部屋に戻れ!」
「引き摺り込んだのはてめぇだろうが!自分でやっといて――」
「早く出て行け!」
「何なんだよお前!」
 下着を掴みシャツに袖を通して小走りで部屋を出て行くタカコ、凄まじい勢いで閉められた扉の音を聞きながら、敦賀は大きく舌打ちをし再度壁へと拳を打ち付けた。
 違う、言いたかったのはあんな事じゃない、はっきりと自覚してから間も無いとは言え本気で惚れた女、その相手に処理だの花街だの、そんな事を言われたのが嫌だっただけだ。彼女を欲しいと、抱きたいと思っただけなのに、それを伝えたかっただけなのに全く思ってもいない事を口にしてしまった自分の馬鹿さ加減には怒りしか無い。
 自分が器用ではない事は知っているし口数も言葉もそう多くはない自覚も有る、それでも何故
『そうじゃない、処理したいんじゃなくお前を抱きたいんだ』
 と、たったそれだけの事を言えなかったのか、我が事ながら殴りたくなる程の阿呆だとしか思えなかった。
 きっと彼女を傷付けた、売女扱いとは真っ当な感性を持った女性からすれば耐え難い屈辱だろう。本来であれば今直ぐ彼女の部屋の扉を叩き謝罪すべきであるというのは分かっているが、それでも今は自分が何を口走るか制御出来る自信が無い。
 出撃してその間に自分の中で整理を付けて、帰還してからきちんとタカコに謝罪しよう、敦賀のその判断は敦賀自身とタカコの性格を考えれば、最も無難な選択である事に間違いは無かった。しかし結果としてお互いの関係も感情も最悪な状態のまま出撃の朝を迎える事となり、二人は喧嘩別れ以降一言も言葉を交わさず視線すら合わせず、対馬区と本土を隔てる防壁によって隔絶される事になった。
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