大和―YAMATO― 第五部

良治堂 馬琴

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第490章『夢十夜』

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第490章『夢十夜』

 こんな夢を、見た。

 開け放した窓の外から蝉の声がやかましく響いてくる。空は青く、それを覆い隠さんばかりの入道雲が聳え立ち、飽きる位に繰り返して来た実に平凡な博多の夏。基地の営舎や本部棟には申し訳程度とは言え冷房設備が入っていたから日中はそう不快でもなかったが、この家へと引っ越して来てからは全ての窓を網戸にして開け放ち扇風機を回して凌ぐしかない。今日も暑いな、敦賀はそんな風に思いながら冷蔵庫から麦茶の容器を取り出して中身をコップに開けながら、頬を伝う汗に小さく舌打ちをした。
 こうしてじっとしているだけでも身体中から噴き出す汗、外に出るのも億劫だし何よりも日差しがきつ過ぎる。夕飯は陽が落ちて涼しくなってから中洲へと出て食べる事にして、今は水浴びでもして扇風機に当たりながら昼寝を決め込むかと思い立ち、風呂に入ろうと立ち上がった。
 風呂場へと入り蛇口を捻ってみるが、この猛暑の熱は地中の水道管にもしっかりと伝わっているのか、最初二十秒程は何とも不快に感じるぬるま湯が流れ出る。その後に漸く快適に感じる冷たさになり、それを洗面器に溜めて何度も頭から被り、昨日の入浴時から水を抜かないままで放置していた湯船へと、大きな身体を沈め込む。
 そうやってどうにか身体を冷やす事三十分、これだけ冷やせば数時間は扇風機の風だけで快適に眠れそうだと風呂を出て身体を拭く。一瞬このまま全裸で寝ようかとも考えたが、流石にそれはと思い直し脱ぎ捨てた服の中から下着だけを取り上げて穿き直し、脱衣所を出た。
 と、二階へと上がろうと思った敦賀の視界へと飛び込んで来たのは、二頭の大きな軍用犬。大きな体躯、太い四肢と尻尾、大きな耳はピンと立ち、目付きは逆に垂れ気味だが、全体的に精悍さと俊敏さを窺わせる二頭の風貌に、暫し思考が停止する。玄関を開け放していたのかと思ってそちらの方向を見てみるも、引き戸は開けてあるものの網戸は引かれ施錠されたままになっており、誰かが開けた形跡は無い。制御役の訓練士がいなければ軍用犬は制御が難しい事は、敦賀自身も管理下に軍用犬を持つ身としてよく分かっているから、その二頭の体躯の大きさに、一瞬、身構えた。
 しかし、二頭は座れの姿勢を崩さず、前脚は身体の前で揃え尻尾は床に流す様にして放ったまま、暑いのか半開きになった口から大きな舌が覗きはあはあという呼吸音が耳朶を打つ、それだけ。その上、自分をじっと見詰める眼差しがあまりにも穏やかで、その様子に何とも拍子抜けした様な心持ちになりながら、敦賀は二頭へと向かって一歩、踏み出した。
「……お前等、何処から来た」
 返事は、当然無い。返されるのは体温を下げようとする荒い息だけ、とても丁寧に手入れされている様子で、被毛は艶やかで汚れは少しも見当たらない。ほぼ純血種の様子だし野犬という事も無いだろう、風貌を気に入ったり番犬として飼っている家庭も有るから、何処か他所の家から逃げて来た迷い犬なのかも知れない。保健所や警察への届け出は明日以降にする事にして、飼い主が見つかる迄は基地の空いている犬舎に預かっていてもらおうか、と、敦賀がそんな事を考えた時、突然二頭の身体を割る様にして、小さな頭がひょこりと顔を出した。

 にゃあ。

 それは小さな黒猫、金色をした双眸が敦賀を見据え、もう一度、にゃあ、と、鳴く。
「……今度は猫かよ……これは……どうしたら良いんだ」
 猫を保管しておける様な設備は基地には無い、家の中に入れておくべきか、それとも、自分の飼い猫でもないのだから外に出してしまうべきか。どうしたものかと思案に耽りそうになった敦賀の意識を惹いたのは、犬も猫も、お互いを全く警戒していない事だった。犬は身体の大きさからして猫を警戒したり攻撃したりする事は無いだろうが、猫の方は自分よりも何十倍もの体重差の有りそうな大型犬二頭を前にしても怯える事も無く、寧ろ懐いているかの様に頻りに二頭の前脚に自分の身体を擦り付け、気持ち良さそうに目を細めている。何がどうなっているのか皆目分からん、敦賀がそんな風に思いながら濡れた髪をがしがしと掻き上げた時、動いたのは、二頭の内幾分穏やかな眼差しをした方の犬だった。
 座れの姿勢を崩し立ち上がり、喉を鳴らしながら頭を擦り付けている猫を、べろり、と、大きな舌で一舐めする。その後はそのまま猫の首根っこを優しく咥え、軽々と持ち上げると数歩歩き、敦賀の前へと歩み寄り、そして、立ち止まった。何をしたいのかと敦賀がそれを見下ろせば、犬は咥えた猫の身体を敦賀の手へと数度押し付け、それを見た敦賀が掌を上へと向けて差し出せば、そこにそっと小さな黒猫の身体を置き、口を放す。
 その後はもといた場所へと戻って行き、先程迄と同じ姿勢をとり、敦賀を見上げるだけ。先程迄と違うのは、座ったままでいたもう一頭も含めて、ふぁさ、ふぁさ、と、緩やかに尻尾を左右に振っている事だった。口元も先程迄と同じ様に開けられ舌が覗いてはいるが、その仕草が何とも言えず微笑んでいる様に見えて、一体何を自分に伝えたいのか、そう思いながら、彼等が自分の手へと託した黒猫へと視線を向けてみる。
 漆黒の艶やかな毛並み、真っ直ぐ長い尻尾、ごろごろと鳴る喉。金色の双眸は真っ直ぐに自分へと向けられていて、目が合った、そう思った直後、また、にゃあ、と鳴いた。
 それを見た瞬間、何故か、涙が溢れていた。

「……何なんだ今のは……猫も犬も飼う気は無ぇぞ俺は」
 目覚めれば広い寝台に独り、天井が今迄と違う事に一瞬混乱はしたものの、直ぐに自分が何処にいるのかを思い出し、敦賀は頭を掻きながら起き上がる。顔へと触れてみれば両の眦には涙が一筋、意味が分からないと呟きながら枕元の時計を見てみれば、時刻は朝の五時半を指していた。
 今日は初顔合わせが控えているとは言えど早く目が覚めてしまった、蔵書を本棚へと収納する程度の時間は有るかと考えながら立ち上がり、肌着を着た後は書斎へと入り、置いたままになっていた段ボール箱の中身を、本棚へと移し替えた。
 その作業が終わった後は階下へと降りて洗面所で顔を洗い髭を剃り、再び寝室へと戻り戦闘服ではなく制服に袖を通し、段ボール箱の中から短靴を出すとそれを持って玄関へと向かう。玄関に放った靴を履いて立ち上がり、細々とした物の持ち忘れが無いかを確認した後は玄関を出て鍵を掛け、一度昨日から我が物となった家を見上げ、先ずは墓参りに向かおうと、静かに歩き出した。

 タカコと出会ってから、今日で、四年。
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