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第495章『先任の女』
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第495章『先任の女』
課外となった時間帯の大和海兵隊の曹長大部屋、そこでは部屋の住人達が雑談半分残業半分といった按配でダラダラと居残っており、何とも言えず間延びした空気が流れている。独身者達は復活した花街や飲み屋街についてあれこれ情報交換をし、既婚者や離婚経験者は子供の学費が養育費がと何とも世知辛い話題でどんよりと重くなる中、その空気を一瞬にして壊したのは、荒々しく扉を開けて駆け込んで来た軍曹の放った一言だった。
「先任が!先任が中洲に女連れで来てるらしいっす!!」
先任――、敦賀が誰をどれだけ愛し大切にしていたのかという事は、大部屋の住人であれば全員が知っている事で、そして、その人物が姿を消してしまってからの一年以上もの間、彼が相手を待ち続けている事もまた同じ。花街に誘われようが以前よりもずっと数が増えた女性海兵に想いを寄せられようが眉一つ動かさず流して無視する敦賀を見て、相手が帰って来ない以上、彼はこのまま静かに独り枯れて逝くのだろうと、誰もがそう思っていた。
そんな人物が女連れとは穏やかではない話で、曹長達は仕事を放り出して立ち上がり、駆け込んで来た軍曹を取り囲み尋問の気配すら漂う程の勢いで次々と質問をぶつける。
「どんな女だ!」
「いや、自分も直接見たわけじゃないんですが、新兵共が見たって言ってて。髪は上に上げて纏めてて、それで、ぶかぶかの男物の服着て、シャツもズボンも袖と裾捲って着てたらしいっす。それで手ぇ繋いでぴったりくっついて飲み屋街歩いてたとか」
「はぁぁぁ!?何じゃそりゃ!!」
「男物捲って着てたって、先任のか?」
「女の服汚したか破いたかで着られなくなったから先任が貸したとか」
「破くとか汚すとかどんなアレコレしてやがんだあのムッツリ!!」
「しかも手ぇ繋いでぴったりくっついてとか!!」
「うらやまけしからん!!」
「顔はどんななんだ!!別嬪か!?」
「いや、だから、自分は見てないんすよ」
「よし!確かめに行くぞ!!」
博多事変を経て『女性関係に恵まれていない率』が更に上がった曹長達、鬼の最先任とは言えど他の男が女と睦まじく過ごしているという事態が許せないのか羨ましいのか、何とも穏やかではない様子。とにかく、『あの』敦賀が女と仲良く寄り添って歩いていたとは一大事だと仕事を放り出し、着替えに営舎や自宅に戻るでもなくそのまま正門を出て中洲へと向かって走り出した。
目撃したのは軍曹一人だけではなかったのだろう、同僚が伝えたのか女性海兵達も後から追い掛けて来たり、合流した一団で中洲へと入ればあちこちで
「いたか!?」
「こっちにはいねぇ!!」
「探せ!草の根分けても探し出せ!!」
という声が飛び交っていたりと、山狩りの様相すら呈している。
経験が浅い海兵は単なる興味なのかも知れないが、四年前の今日、第一防壁の向こうで何が有ったのか、自分達が誰と出会ったのかを知っている者達にとっては、敦賀が女連れでいたという話は、或る種の裏切りにも近いものが有った。あの日出会った人物がどれ程自分達と共に在り力を合わせて戦ってくれていたのか、自分達がどれ程その人物と親しくしていたのか、そして、何よりも敦賀がどれ程その人物を愛していたのかを、当事者たる敦賀が理解していない筈は無い。他人の気持ちの押し付けなのだろうが、あの日から別れ迄を知る人間にとっては敦賀が他の女に心を許す等、有ってはならない禁忌だった。
「先任……タカコという女がありながら……!!」
「そのタカコって、誰なんスか?何回か名前聞いた事は有りますけど、確か去年の末から年明け位だったかに総司令から口外するなって命令が出てたって聞きましたけど」
「あー……先任の女。色々と事情が有って今はもういないんだけど、去年迄海兵隊にいたんだよ」
「先任の方がえらいベタ惚れでな、いつ結婚するかとか、賭けてたんだけどなぁ」
「はぁ……それで、何でまたいなくなったんですか」
「まぁそこいらは色々と事情がな……あんまり聞くな、言える事でもねぇんだ」
「はい……分かりました」
昨年度の後期や今年度の上期入隊の新兵達はタカコと時期が被っていた事は無く、昨年度の上期入隊の者に関しても、五月にタカコが離脱した事も有り、名前は聞いた事は有るが顔は知らない、若しくはその逆程度の認識しか無い。更には一昨年の下期入隊の者もタカコが教導隊の業務に深く関わり経験の浅い海兵との接触が極端に減っていた事も有り、印象は随分と薄くなってしまっているらしい。先任の時間は止まってしまっているというのに他は刻々と流れているのだなと曹長達が顔を見合わせて小さく溜息を吐いた時、曲がり角の向こうから顔を出した海兵が
「いました!こっちです!!」
と、曹長達へと向かって声を放った。
これから先ずっとタカコ以外には心が向く事は無いだろうと思っていた敦賀、その彼がどんな女を連れているのか、何故タカコ以外の女と寄り添い睦まじくしているのか、一刻も早くそれを確かめたいと走り出し、
「あれです!ほら!!」
そう言って新兵が指し示す方向へと一斉に視線を向ける。
上げて纏めていたという髪は下ろされており、捩じって纏めていたからなのか臀部迄届く程の長い黒髪は緩く波打ち、歩く度にふわりふわりと揺れている。服装は軍曹が言っていた通りに敦賀の物であろう男物の上下を袖と裾を捲って纏い、足元は自分達が支給されている物と同じ半長靴、こちらの方は大きさからして女物。敦賀との身長差は三十cm程で、お互いに見下ろし見上げて視線を絡ませ、穏やかな表情で言葉を交わしていた。
敦賀を見上げて柔らかな表情で微笑むその横顔は、自分達の前から一年以上前に姿を消した時の険しさや鋭さ、力強さこそ感じられないものの顔立ちは見間違える筈も無く、その人物が誰であるのかを理解した面々は、隠れる事も忘れ彼女の名前を叫びながら走り出していた。
「タカコ!!」
「お前何処に行ってやがった!帰って来たのか!!」
「姐さぁぁぁん!会いたかったぁぁぁ!!」
名前を呼ばれて弾かれる様に振り返る人物は紛れも無くタカコで、最初は反射的に振り返ったのか無表情だったが呼んだ相手が誰だか認識した途端に表情は驚きに、そして次に笑みに染まり、親しく付き合っていた曹長達や、彼女を姐さんと呼んで慕っていた女性海兵達は敦賀を押し退け彼女へと飛び付く。そうして再会の喜びを全身で表して大声で口々に何やら叫び、中洲の一角は突如として更に賑やかになった。
課外となった時間帯の大和海兵隊の曹長大部屋、そこでは部屋の住人達が雑談半分残業半分といった按配でダラダラと居残っており、何とも言えず間延びした空気が流れている。独身者達は復活した花街や飲み屋街についてあれこれ情報交換をし、既婚者や離婚経験者は子供の学費が養育費がと何とも世知辛い話題でどんよりと重くなる中、その空気を一瞬にして壊したのは、荒々しく扉を開けて駆け込んで来た軍曹の放った一言だった。
「先任が!先任が中洲に女連れで来てるらしいっす!!」
先任――、敦賀が誰をどれだけ愛し大切にしていたのかという事は、大部屋の住人であれば全員が知っている事で、そして、その人物が姿を消してしまってからの一年以上もの間、彼が相手を待ち続けている事もまた同じ。花街に誘われようが以前よりもずっと数が増えた女性海兵に想いを寄せられようが眉一つ動かさず流して無視する敦賀を見て、相手が帰って来ない以上、彼はこのまま静かに独り枯れて逝くのだろうと、誰もがそう思っていた。
そんな人物が女連れとは穏やかではない話で、曹長達は仕事を放り出して立ち上がり、駆け込んで来た軍曹を取り囲み尋問の気配すら漂う程の勢いで次々と質問をぶつける。
「どんな女だ!」
「いや、自分も直接見たわけじゃないんですが、新兵共が見たって言ってて。髪は上に上げて纏めてて、それで、ぶかぶかの男物の服着て、シャツもズボンも袖と裾捲って着てたらしいっす。それで手ぇ繋いでぴったりくっついて飲み屋街歩いてたとか」
「はぁぁぁ!?何じゃそりゃ!!」
「男物捲って着てたって、先任のか?」
「女の服汚したか破いたかで着られなくなったから先任が貸したとか」
「破くとか汚すとかどんなアレコレしてやがんだあのムッツリ!!」
「しかも手ぇ繋いでぴったりくっついてとか!!」
「うらやまけしからん!!」
「顔はどんななんだ!!別嬪か!?」
「いや、だから、自分は見てないんすよ」
「よし!確かめに行くぞ!!」
博多事変を経て『女性関係に恵まれていない率』が更に上がった曹長達、鬼の最先任とは言えど他の男が女と睦まじく過ごしているという事態が許せないのか羨ましいのか、何とも穏やかではない様子。とにかく、『あの』敦賀が女と仲良く寄り添って歩いていたとは一大事だと仕事を放り出し、着替えに営舎や自宅に戻るでもなくそのまま正門を出て中洲へと向かって走り出した。
目撃したのは軍曹一人だけではなかったのだろう、同僚が伝えたのか女性海兵達も後から追い掛けて来たり、合流した一団で中洲へと入ればあちこちで
「いたか!?」
「こっちにはいねぇ!!」
「探せ!草の根分けても探し出せ!!」
という声が飛び交っていたりと、山狩りの様相すら呈している。
経験が浅い海兵は単なる興味なのかも知れないが、四年前の今日、第一防壁の向こうで何が有ったのか、自分達が誰と出会ったのかを知っている者達にとっては、敦賀が女連れでいたという話は、或る種の裏切りにも近いものが有った。あの日出会った人物がどれ程自分達と共に在り力を合わせて戦ってくれていたのか、自分達がどれ程その人物と親しくしていたのか、そして、何よりも敦賀がどれ程その人物を愛していたのかを、当事者たる敦賀が理解していない筈は無い。他人の気持ちの押し付けなのだろうが、あの日から別れ迄を知る人間にとっては敦賀が他の女に心を許す等、有ってはならない禁忌だった。
「先任……タカコという女がありながら……!!」
「そのタカコって、誰なんスか?何回か名前聞いた事は有りますけど、確か去年の末から年明け位だったかに総司令から口外するなって命令が出てたって聞きましたけど」
「あー……先任の女。色々と事情が有って今はもういないんだけど、去年迄海兵隊にいたんだよ」
「先任の方がえらいベタ惚れでな、いつ結婚するかとか、賭けてたんだけどなぁ」
「はぁ……それで、何でまたいなくなったんですか」
「まぁそこいらは色々と事情がな……あんまり聞くな、言える事でもねぇんだ」
「はい……分かりました」
昨年度の後期や今年度の上期入隊の新兵達はタカコと時期が被っていた事は無く、昨年度の上期入隊の者に関しても、五月にタカコが離脱した事も有り、名前は聞いた事は有るが顔は知らない、若しくはその逆程度の認識しか無い。更には一昨年の下期入隊の者もタカコが教導隊の業務に深く関わり経験の浅い海兵との接触が極端に減っていた事も有り、印象は随分と薄くなってしまっているらしい。先任の時間は止まってしまっているというのに他は刻々と流れているのだなと曹長達が顔を見合わせて小さく溜息を吐いた時、曲がり角の向こうから顔を出した海兵が
「いました!こっちです!!」
と、曹長達へと向かって声を放った。
これから先ずっとタカコ以外には心が向く事は無いだろうと思っていた敦賀、その彼がどんな女を連れているのか、何故タカコ以外の女と寄り添い睦まじくしているのか、一刻も早くそれを確かめたいと走り出し、
「あれです!ほら!!」
そう言って新兵が指し示す方向へと一斉に視線を向ける。
上げて纏めていたという髪は下ろされており、捩じって纏めていたからなのか臀部迄届く程の長い黒髪は緩く波打ち、歩く度にふわりふわりと揺れている。服装は軍曹が言っていた通りに敦賀の物であろう男物の上下を袖と裾を捲って纏い、足元は自分達が支給されている物と同じ半長靴、こちらの方は大きさからして女物。敦賀との身長差は三十cm程で、お互いに見下ろし見上げて視線を絡ませ、穏やかな表情で言葉を交わしていた。
敦賀を見上げて柔らかな表情で微笑むその横顔は、自分達の前から一年以上前に姿を消した時の険しさや鋭さ、力強さこそ感じられないものの顔立ちは見間違える筈も無く、その人物が誰であるのかを理解した面々は、隠れる事も忘れ彼女の名前を叫びながら走り出していた。
「タカコ!!」
「お前何処に行ってやがった!帰って来たのか!!」
「姐さぁぁぁん!会いたかったぁぁぁ!!」
名前を呼ばれて弾かれる様に振り返る人物は紛れも無くタカコで、最初は反射的に振り返ったのか無表情だったが呼んだ相手が誰だか認識した途端に表情は驚きに、そして次に笑みに染まり、親しく付き合っていた曹長達や、彼女を姐さんと呼んで慕っていた女性海兵達は敦賀を押し退け彼女へと飛び付く。そうして再会の喜びを全身で表して大声で口々に何やら叫び、中洲の一角は突如として更に賑やかになった。
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