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盛大に泣いた後、目が腫れて頭痛が酷くなり、起き上がれなくなってしまった。
アオイが買い物に出かけて誰も居ない家に一人きりにされ、不安になったが、ほどなくして一人が恋しくなる羽目になる。
「うーす! おわ、いい家じゃん!」
「ルベルカ、新居祝いだけど。どうして目が真っ赤なんだい?」
そういえばアオイがシグマに連絡を入れたのだ。休暇だというのになんだかんだラボにいたらしいアホトリオが揃って新居を見物に来たらしい。
「で、もうヤった?」
イイ笑顔でゲスなことを聞く妖精の顔を平手でぶん殴った。
「いってぇ!! なんだよ淫魔のくせに!」
「お前も妖精族のくせにその下世話さはなんなんだ……」
「研究者になろうなんて奴は大抵変わり者だよね」
ヴィルトレンが達観したように言うが、そう言う彼も吸血鬼らしくはない。
そういえば、ルベルカはアオイ以外の夢魔を知らなかった。あまり数の多くない種族だが、その能力が有用だと知れて支配階級に重用され、基本的に良い家柄の者が多いとは聞く。
そんな中、生まれ持った能力とは無関係な分野で所長にまで上り詰めた夢魔など、それこそ淫魔の研究者より珍しいのではなかろうか?
「あれ、部屋別なんだ?」
二階を見たヴィルトレンが首を傾げる。
「客室とかじゃないよね。ベッドシングルだし……」
「えー、所長何考えてんだ? ここはキングだろキング!」
「いや、もともと中古の家で、ベッドも元々あったやつだ」
それに、いかにもなベッドがあれば、ルベルカはあらぬ事を想像して憤死していただろう。
アオイと裸で睦み合うなど……アオイの裸だと。無理。死ぬ。見た瞬間溶けて消える。爆裂四散する。
というようなことを考えて思考が宇宙へ飛び真っ赤になってグラつくルベルカへ、ヴィルトレンは溜息つく。
「種族の習性には逆らえないものだから、気持ちはわかるけど、さ。でも引き伸ばすと一生どうにもならないよ。早いうちに思い切らないと」
「うう……ううう」
「とはいえ、ルベルカがこんな調子じゃ心筋梗塞とか洒落にならないぜ? 特にセックスは心臓に負担かかるからさ」
「そうだね……ちょっと洒落にならないね。そういえば、夢魔の術に半睡状態になるやつがあるはずだよ。政略結婚の初夜に重宝されたとか。最近は王室も恋愛結婚だけどね」
半睡。それは知らなかった。
ルベルカも、このままではいけないと思っていた。心の準備はいつまでも整いそうにない。だが、十年だ。夢魔で精気を受け取れるとはいえ、十年もルベルカの我儘でお預けさせていたのだ。
アオイのことが、好きだ。大好きだ。もちろん、肌を重ねたいと思う。何もかも捧げたいと思う。
しかし、もう、しっかりと「そういう仲」になったことを自覚した後でアオイの顔を見ると、もうダメなのだ。アオイは待つことに慣れているから、ルベルカの羞恥も理解して、微笑んで見守ってくれる。
「……なんで、アオイは俺を好きになってくれたんだろう」
ぽつと呟くと、貨物ゴーレムで黙々と荷物を運び入れていた小人のシグマが首を傾げる。
「所長が、先に好きになったんだと思ってた」
「だって俺らとルベルカの対応、最初から全然違ったもん。エスコート状態でお披露目させたし、にこやかでキラリンスマイルをルベルカにだけ見せるし、顔採用かと思ったぜ」
「あるいは愛人採用……?」
淫魔の研究員ならそう思われても仕方がなかったろう。ただ、アオイは……
『君、面白いね。ちょっとこの術式読んでくれる?』
何処の面接官も相手にしなかったルベルカを、アオイだけが興味深そうに身を乗り出して聞いてくれた。
未完成ゴーレムの……確かあれはツグミの作だったか。方向性は分かるが本人も途中で分からなくなってしまった術式線を解いて繋ぎ直すと、アオイは拍手をして「採用」と微笑んだのだ。
あの笑顔に恋をした。だから先に好きになったのは、絶対にルベルカのほうだ。
「いっつも誰にでも『俺の自慢のルベルカ』みたいな顔してたよな」
「引き抜きの話をしに来た人見かけたけど、凄い笑顔の圧で『絶対に渡しません』て断言してたし」
「ルベルカがアトリエに来たり、ルベルカの様子を見に出る時はあからさまに機嫌よくなるし」
自分の知らない場所でのアオイの様子を聞かされて、ますます顔に熱が集まる。
何時からだとか、どうしてだとか。
気になりはするが、きっと切欠なんて些細なものに違いない。
慈しむように恋してくれた。十年。長命種にとってもそれなりの時間だ。種族ごとに感覚は違えど、時代は進んでいく。
「ああ、お前たち、来ていたのか」
荷物を抱えて帰ったアオイが紙袋を置いて家具の増えた室内を見回る。
「さすがにシグマは手際がいいな」
「小人族だし……」
ぽそぽそ言いながら、こまこま働くシグマ。小人は働くのが好きなのだ。
かつては奴隷として扱われていた種族だが、今は自分の意志で働けるようになった。シグマは靴屋で大成した裕福な家の出身だ。
それでもまだ、小人に対して家畜のように接する者がいる。この国で最も差別されている種族と言っていいだろう。
シグマはそれこそ町工場や、様々な場所を巡り、このラボに行き着いたという。所長に対する敬意はルベルカより強いのかもしれない。現に、こうして何を要求するでもなく引っ越しの手伝いをしてくれている。
どうもシグマなりに段取りがあるようなので、残りのメンバーは食材に向き合うことになった。
「えー、誰か料理したことある奴いるのー?」
「僕はないかな」
「俺も寮暮らしで……その前は母さんが作ってた」
ルベルカは母の作ったシチューの味を思い出し、切なくなった。彼女が失踪した時には考えなかったのに、二度とあのシチューを食べられないのだと思うと、目の奥が痛くなる。
「うーん、誰も経験がないのか。一応、レシピ本は用意したんだけどな」
確かに荷物の中に薄い本が入っていた。それをぺらぺら捲ると、ホワイトシチューのレシピと写真が目に飛び込んでくる。
それほど難しいもののようではない。同僚たちのクセの強い術式線を読むほうがずっと難解だ。
溶かしたバターで小麦粉を炒め混ぜながらミルクを少量ずつ入れ、溶かしていく。具材はレシピにある大きさだと火が通るのに時間がかかると思われるので、全て刻んでしまおう。幸い、フードプロセッサーもあるようだ。シグマが設置し終えている。
初めての割にテキパキと動き始めたルベルカに、周囲が目を丸くした。
「ルベルカ、料理はしたことがないんじゃないのか」
「ない」
「随分手際がいいじゃん。俺、包丁の持ち方も知らないぜ」
「それは母さんが……」
おぼろげに覚えている。粗末なキッチンで母が食材を切る姿。鍋に具材を入れて蓋をする姿。今日は寒いからこれを食べてさっさと寝なさい、と素っ気なく湯気のたつ器を渡した手。
何を思い出しても細やかな母の気遣いがあった。あまりに淡々と物事をこなすので、分からなかった。優しい、優しい人だった。
ホワイトソースはもっと焦げたりダマになったり難航するかと思ったが、想像と違って難しくはない。溶かしていき、ソース状になったところへミルクを注いで具材を放り込む。
本当は下拵やらアク抜きが必要らしい。巻末に野菜の処理の仕方が書いてあった。
コトコト煮込んで三十分。細かくなった野菜は柔らかくなり、良い匂いが立ち込めた。とろりとした白い液体を器に流し込んで、皆でパンを浸して食べる。
あっさりした風味だった。母が作ったシチューはもっとドロリと濃くて、水が欲しくなるような味で。
「美味い! けどもうちょっと塩気がほしいぜ」
「僕にはちょうどいいかな」
「ふむ、今度つくるときはチーズでも入れてみようか。なあ、ルベルカ」
「えっ」
シチューを匙で口に運ぶアオイに微笑みかけられ、パンを取り落しそうになる。
次、の話に顔が熱くなった。
「今の何処に照れポイントあった?」
「イチャつくなら部屋でやっておくれよ」
アホ二人に野次られて俯く。
アホトリオは散々シチューを堪能して鍋をカラにし、手を振って帰っていった。
シグマが粗方配置してくれたと言っても、細かい道具の収納などは終わっていなかった。それらを片付けていると、すぐに夕方になり、ルベルカは慌てて食事の準備を始めた。次は、ハンバーグを作った。
こちらは思ったように上手く作れず、崩れてしまったので、煮込みハンバーグにした。初めて作ったソースだが、意外に悪くない味で、アオイが嬉しそうに食べてくれた。
「………」
自然とルベルカの口元に笑みが浮かぶ。自分の作った料理を美味しそうに食べてくれる人がいる。一緒にそれを食べる。あたたかい、あたたかい気持ちだ。
そう物は多くなかったので、夕食後に少し動けば片付けも終わってしまった。
「あ、風呂……」
「先に入ってきなさい、ルベルカ」
お言葉に甘えてバスルームへ入る。猫脚のバスタブだ。中で体を洗うタイプの。浴槽のある風呂は見たことがないので、四苦八苦する羽目になる。というのも、シャワーの出が悪いのだ。水漏れ対策だろうか、術式線がぐるぐると張り巡らされて水流を阻害している。これは修繕しなくてはなるまい。
ということを報告すると、アオイは笑って「ちゃんと水回りも確認すればよかった」とバスルームへ消えていった。まあ、一流のゴーレム研究員が二人もいるのだから、水回りも空調もなんだって造れるし、なんだって直せる。
「………」
ルベルカはそわそわとバスローブを整えながら二階へ上がり、手前にある自分の部屋を通過してアオイの部屋へ入る。
すると、暫くして隣の部屋の扉を開ける音がした。ルベルカ、と呼びかけている声がする。
「お、俺はこっちだ!」
声を上げると、驚いた顔のアオイがひょいと覗き込んでくる。
「どうした、間違えたのかルベルカ。こっちは俺の部屋だったろう?」
「まっちがえて、な、いっ」
ベッドの上で正座。握りしめた拳。振り絞る思いで叫ぶ。
「今のままじゃ、いつまでもっ、出来ない、からっ」
「待つよ。待つのには慣れている」
「待ってたら、いつまでも、無理っだから!」
居た堪れなくなり、ガバとベッドの上で頭を下げる。
「半睡の術を使って、抱いてくれ!!」
頭の上からアオイのいつになく間抜けな「へ?」という声が聞こえた。
***
アオイは静かに状況を整理していた。
冷静だったからではない。寧ろ混乱の極みにあって思考が体と分離したので状況を飲み込めなかった。
眼下には愛しい子のまるい頭がある。震えているらしく毛先がぱらぱらと肩から散っていた。
半睡の術を使って抱いてくれ。一世一代の覚悟だろう。
しかし、アオイは毎晩この子に淫夢を見せてその痴態を見せつけられてきた。十年耐えた。落とした暁には、それはもう溶けるほどかわいがってやろうと思っていた。
その最初がまさかの睡姦。
(いや、落ち着け。非常に建設的な意見だ。そしてこれ以上黙ってルベルカを不安にさせてはいけない。これは大いなる進歩だ、分かるだろう)
(これが落ち着いていられるか。この十年、何百回、夢の中の自分に嫉妬してきた? アオイ、と呼びながら善がる姿を見せつけられて何もさせてくれない。貞操観念をへその緒と一緒に切って生まれる淫魔にだぞ。恥ずかしい恥ずかしい怖い怖い大好きと全身で訴えて煽ってくれるこの子を、それこそ何百回オカズにしてきた?)
(何百どころじゃないな)
(それにしてもルベルカは可愛いな?)
脳内会議が踊って何も結論が出ない。
「……アオイ?」
涙目でおずおず上目遣いで此方を窺うルベルカ。可愛いかよ。そうかよ。十年前から知ってたわ。
「や、やっぱりだめ、」
「そんな事はないよ」
優しい笑顔を貼り付け、ルベルカの柔らかい髪に手を伸ばす。小動物のようにびくっと震える頭を優しく撫で、ベッドに腰を下ろす。ゆっくりと。脅かさないように。
「か、考えたんだけど。このままじゃ俺のせいで先に進めないというか……」
「うん」
「だけど目の前にアオイの顔があるだけで心臓止まりそうになるからっ」
「ゆっくり話していいぞ」
「だから……慣れるまで半睡で……それからちゃんと向き合えたらなって、おもう」
バスローブを掻き合わせながら、はにかんで訴えるルベルカ。
そろそろ本能の噴火が起きそうだったが、そこはアオイ。十年耐えた信頼と実績の理性がある。あくまで優しい笑顔で、ルベルカのこめかみにキスをした。
「ひゃ」
「ルベルカのほうから提案してくれるの、すごく嬉しいぞ」
「………」
まだ濡れている髪を撫でると、ルベルカはぎゅっと目を瞑り、黙って撫でられている。口元はわずかに微笑んでいた。なんだその顔は可愛いの極みか何時までも俺が羊の皮を被っていられると思うなよ。
「……っ」
ルベルカは意を決したように、アオイの懐にぽすんと飛び込んできた。
ア゛――――――!!
理性の城壁が新型攻城兵器によって深刻なダメージを受けた。だが、まだ破壊されてはいない。我が軍は最後の一人となるまで戦い続ける所存である。
「ぁぉぃ…」
その震える小さな掠れ声。
(優しく、優しくだ)
これは大切な大切な、そして重要な儀式だ。初めてのセックスであり、ルベルカの記憶に残る。万が一にもトラウマを植え付ける訳にはいかない。
ああ、なんと面倒くさくて愛おしい。
「あの……あのな?」
「なんだ」
「俺は淫魔だから、ちょっとくらい乱暴にされても大丈夫……寧ろそのほうがすき……」
だからァアアアアア!!
火砲対策に特化した星形要塞に上空からの爆撃を食らう。要塞は粉々だが、まだ兵は生きている。まだ戦える。まだ、終わらんよ……まだ……
「乱暴になんてしない。ルベルカ」
「ん」
目元にリップ音をたてて軽いキスをすると、くすぐったそうに、そして恥ずかしそうにアオイの肩口に顔を埋めてしまうルベルカ。
その時、アオイの脳裏に父の姿が浮かんだ。
『アオイ。こう考えるんだ。半睡だっていいじゃないか。反応がなくてもいいじゃないか。ルベルカを本人の願いでいいと言っているんだぞ。ならば望み通りに甘やかしの限りを尽くしてやればいい』
ありがとう父さん。顔もうろ覚えで親戚の叔父さんかもしれないが、とにかく有難う。
そう、これは好機。あくまで好機なのだ。待ちに待った好機であり、寧ろ何故いままでこの方法を十年間思いつかなかったのかというほどの好機―――本当に何故そうしなかった過去の己。
アオイは、これからさあやるぞ、と宣言してルベルカを怯えさせなかった。そっと抱き寄せて背を撫で、ルベルカの体から緊張が抜ける頃合いを見計らい、本人が分からないうちに術をかけた。
とは言っても、急に体の動かない状態であるから、脅かさないようにベッドに横たえ、胸元や頬を撫でて時間を作った。いま、アオイが術をかけ、自分が半睡状態にあることを自覚させ、安心するまで待った。
瞼をとろんとさせたルベルカは、精巧な人形のようだ。
しかし、心臓はとくとくと柔らかに血を流しているし、胸は上下する。風邪を引いてはいけないから体に毛布をかけ、まず髪を拭ってやり、ボディクリームを塗って―――
「あっ」
途中で眠ってしまった。
はからずもエステになってしまい、風呂上がりのルベルカは心地よくなってしまったのだろう。ただでさえ半睡状態だったのだ。
本日もお預けを食らった形だが、アオイは苦笑して、その隣に横になり、ルベルカを抱いて眠る。
その温かな細い体が腕にあると、なにやら涙が出てきた―――もちろんお預けを食らったことへの悔しさではない。
(凄いことじゃないか。キスをしただけで怖い、助けてと怯えていたルベルカが。やっとこの手にある……)
何より、触れることに怯えなくなった。恐慌状態に陥り泣くこともない。
明日は今より進める。
それが、何よりも大切なことなのだ。
安心しきった幼い寝顔にキスをして、アオイも眠りにつく。
因みに翌日の低血圧によるのたうちは、ルベルカを大いに困惑させた。
アオイが買い物に出かけて誰も居ない家に一人きりにされ、不安になったが、ほどなくして一人が恋しくなる羽目になる。
「うーす! おわ、いい家じゃん!」
「ルベルカ、新居祝いだけど。どうして目が真っ赤なんだい?」
そういえばアオイがシグマに連絡を入れたのだ。休暇だというのになんだかんだラボにいたらしいアホトリオが揃って新居を見物に来たらしい。
「で、もうヤった?」
イイ笑顔でゲスなことを聞く妖精の顔を平手でぶん殴った。
「いってぇ!! なんだよ淫魔のくせに!」
「お前も妖精族のくせにその下世話さはなんなんだ……」
「研究者になろうなんて奴は大抵変わり者だよね」
ヴィルトレンが達観したように言うが、そう言う彼も吸血鬼らしくはない。
そういえば、ルベルカはアオイ以外の夢魔を知らなかった。あまり数の多くない種族だが、その能力が有用だと知れて支配階級に重用され、基本的に良い家柄の者が多いとは聞く。
そんな中、生まれ持った能力とは無関係な分野で所長にまで上り詰めた夢魔など、それこそ淫魔の研究者より珍しいのではなかろうか?
「あれ、部屋別なんだ?」
二階を見たヴィルトレンが首を傾げる。
「客室とかじゃないよね。ベッドシングルだし……」
「えー、所長何考えてんだ? ここはキングだろキング!」
「いや、もともと中古の家で、ベッドも元々あったやつだ」
それに、いかにもなベッドがあれば、ルベルカはあらぬ事を想像して憤死していただろう。
アオイと裸で睦み合うなど……アオイの裸だと。無理。死ぬ。見た瞬間溶けて消える。爆裂四散する。
というようなことを考えて思考が宇宙へ飛び真っ赤になってグラつくルベルカへ、ヴィルトレンは溜息つく。
「種族の習性には逆らえないものだから、気持ちはわかるけど、さ。でも引き伸ばすと一生どうにもならないよ。早いうちに思い切らないと」
「うう……ううう」
「とはいえ、ルベルカがこんな調子じゃ心筋梗塞とか洒落にならないぜ? 特にセックスは心臓に負担かかるからさ」
「そうだね……ちょっと洒落にならないね。そういえば、夢魔の術に半睡状態になるやつがあるはずだよ。政略結婚の初夜に重宝されたとか。最近は王室も恋愛結婚だけどね」
半睡。それは知らなかった。
ルベルカも、このままではいけないと思っていた。心の準備はいつまでも整いそうにない。だが、十年だ。夢魔で精気を受け取れるとはいえ、十年もルベルカの我儘でお預けさせていたのだ。
アオイのことが、好きだ。大好きだ。もちろん、肌を重ねたいと思う。何もかも捧げたいと思う。
しかし、もう、しっかりと「そういう仲」になったことを自覚した後でアオイの顔を見ると、もうダメなのだ。アオイは待つことに慣れているから、ルベルカの羞恥も理解して、微笑んで見守ってくれる。
「……なんで、アオイは俺を好きになってくれたんだろう」
ぽつと呟くと、貨物ゴーレムで黙々と荷物を運び入れていた小人のシグマが首を傾げる。
「所長が、先に好きになったんだと思ってた」
「だって俺らとルベルカの対応、最初から全然違ったもん。エスコート状態でお披露目させたし、にこやかでキラリンスマイルをルベルカにだけ見せるし、顔採用かと思ったぜ」
「あるいは愛人採用……?」
淫魔の研究員ならそう思われても仕方がなかったろう。ただ、アオイは……
『君、面白いね。ちょっとこの術式読んでくれる?』
何処の面接官も相手にしなかったルベルカを、アオイだけが興味深そうに身を乗り出して聞いてくれた。
未完成ゴーレムの……確かあれはツグミの作だったか。方向性は分かるが本人も途中で分からなくなってしまった術式線を解いて繋ぎ直すと、アオイは拍手をして「採用」と微笑んだのだ。
あの笑顔に恋をした。だから先に好きになったのは、絶対にルベルカのほうだ。
「いっつも誰にでも『俺の自慢のルベルカ』みたいな顔してたよな」
「引き抜きの話をしに来た人見かけたけど、凄い笑顔の圧で『絶対に渡しません』て断言してたし」
「ルベルカがアトリエに来たり、ルベルカの様子を見に出る時はあからさまに機嫌よくなるし」
自分の知らない場所でのアオイの様子を聞かされて、ますます顔に熱が集まる。
何時からだとか、どうしてだとか。
気になりはするが、きっと切欠なんて些細なものに違いない。
慈しむように恋してくれた。十年。長命種にとってもそれなりの時間だ。種族ごとに感覚は違えど、時代は進んでいく。
「ああ、お前たち、来ていたのか」
荷物を抱えて帰ったアオイが紙袋を置いて家具の増えた室内を見回る。
「さすがにシグマは手際がいいな」
「小人族だし……」
ぽそぽそ言いながら、こまこま働くシグマ。小人は働くのが好きなのだ。
かつては奴隷として扱われていた種族だが、今は自分の意志で働けるようになった。シグマは靴屋で大成した裕福な家の出身だ。
それでもまだ、小人に対して家畜のように接する者がいる。この国で最も差別されている種族と言っていいだろう。
シグマはそれこそ町工場や、様々な場所を巡り、このラボに行き着いたという。所長に対する敬意はルベルカより強いのかもしれない。現に、こうして何を要求するでもなく引っ越しの手伝いをしてくれている。
どうもシグマなりに段取りがあるようなので、残りのメンバーは食材に向き合うことになった。
「えー、誰か料理したことある奴いるのー?」
「僕はないかな」
「俺も寮暮らしで……その前は母さんが作ってた」
ルベルカは母の作ったシチューの味を思い出し、切なくなった。彼女が失踪した時には考えなかったのに、二度とあのシチューを食べられないのだと思うと、目の奥が痛くなる。
「うーん、誰も経験がないのか。一応、レシピ本は用意したんだけどな」
確かに荷物の中に薄い本が入っていた。それをぺらぺら捲ると、ホワイトシチューのレシピと写真が目に飛び込んでくる。
それほど難しいもののようではない。同僚たちのクセの強い術式線を読むほうがずっと難解だ。
溶かしたバターで小麦粉を炒め混ぜながらミルクを少量ずつ入れ、溶かしていく。具材はレシピにある大きさだと火が通るのに時間がかかると思われるので、全て刻んでしまおう。幸い、フードプロセッサーもあるようだ。シグマが設置し終えている。
初めての割にテキパキと動き始めたルベルカに、周囲が目を丸くした。
「ルベルカ、料理はしたことがないんじゃないのか」
「ない」
「随分手際がいいじゃん。俺、包丁の持ち方も知らないぜ」
「それは母さんが……」
おぼろげに覚えている。粗末なキッチンで母が食材を切る姿。鍋に具材を入れて蓋をする姿。今日は寒いからこれを食べてさっさと寝なさい、と素っ気なく湯気のたつ器を渡した手。
何を思い出しても細やかな母の気遣いがあった。あまりに淡々と物事をこなすので、分からなかった。優しい、優しい人だった。
ホワイトソースはもっと焦げたりダマになったり難航するかと思ったが、想像と違って難しくはない。溶かしていき、ソース状になったところへミルクを注いで具材を放り込む。
本当は下拵やらアク抜きが必要らしい。巻末に野菜の処理の仕方が書いてあった。
コトコト煮込んで三十分。細かくなった野菜は柔らかくなり、良い匂いが立ち込めた。とろりとした白い液体を器に流し込んで、皆でパンを浸して食べる。
あっさりした風味だった。母が作ったシチューはもっとドロリと濃くて、水が欲しくなるような味で。
「美味い! けどもうちょっと塩気がほしいぜ」
「僕にはちょうどいいかな」
「ふむ、今度つくるときはチーズでも入れてみようか。なあ、ルベルカ」
「えっ」
シチューを匙で口に運ぶアオイに微笑みかけられ、パンを取り落しそうになる。
次、の話に顔が熱くなった。
「今の何処に照れポイントあった?」
「イチャつくなら部屋でやっておくれよ」
アホ二人に野次られて俯く。
アホトリオは散々シチューを堪能して鍋をカラにし、手を振って帰っていった。
シグマが粗方配置してくれたと言っても、細かい道具の収納などは終わっていなかった。それらを片付けていると、すぐに夕方になり、ルベルカは慌てて食事の準備を始めた。次は、ハンバーグを作った。
こちらは思ったように上手く作れず、崩れてしまったので、煮込みハンバーグにした。初めて作ったソースだが、意外に悪くない味で、アオイが嬉しそうに食べてくれた。
「………」
自然とルベルカの口元に笑みが浮かぶ。自分の作った料理を美味しそうに食べてくれる人がいる。一緒にそれを食べる。あたたかい、あたたかい気持ちだ。
そう物は多くなかったので、夕食後に少し動けば片付けも終わってしまった。
「あ、風呂……」
「先に入ってきなさい、ルベルカ」
お言葉に甘えてバスルームへ入る。猫脚のバスタブだ。中で体を洗うタイプの。浴槽のある風呂は見たことがないので、四苦八苦する羽目になる。というのも、シャワーの出が悪いのだ。水漏れ対策だろうか、術式線がぐるぐると張り巡らされて水流を阻害している。これは修繕しなくてはなるまい。
ということを報告すると、アオイは笑って「ちゃんと水回りも確認すればよかった」とバスルームへ消えていった。まあ、一流のゴーレム研究員が二人もいるのだから、水回りも空調もなんだって造れるし、なんだって直せる。
「………」
ルベルカはそわそわとバスローブを整えながら二階へ上がり、手前にある自分の部屋を通過してアオイの部屋へ入る。
すると、暫くして隣の部屋の扉を開ける音がした。ルベルカ、と呼びかけている声がする。
「お、俺はこっちだ!」
声を上げると、驚いた顔のアオイがひょいと覗き込んでくる。
「どうした、間違えたのかルベルカ。こっちは俺の部屋だったろう?」
「まっちがえて、な、いっ」
ベッドの上で正座。握りしめた拳。振り絞る思いで叫ぶ。
「今のままじゃ、いつまでもっ、出来ない、からっ」
「待つよ。待つのには慣れている」
「待ってたら、いつまでも、無理っだから!」
居た堪れなくなり、ガバとベッドの上で頭を下げる。
「半睡の術を使って、抱いてくれ!!」
頭の上からアオイのいつになく間抜けな「へ?」という声が聞こえた。
***
アオイは静かに状況を整理していた。
冷静だったからではない。寧ろ混乱の極みにあって思考が体と分離したので状況を飲み込めなかった。
眼下には愛しい子のまるい頭がある。震えているらしく毛先がぱらぱらと肩から散っていた。
半睡の術を使って抱いてくれ。一世一代の覚悟だろう。
しかし、アオイは毎晩この子に淫夢を見せてその痴態を見せつけられてきた。十年耐えた。落とした暁には、それはもう溶けるほどかわいがってやろうと思っていた。
その最初がまさかの睡姦。
(いや、落ち着け。非常に建設的な意見だ。そしてこれ以上黙ってルベルカを不安にさせてはいけない。これは大いなる進歩だ、分かるだろう)
(これが落ち着いていられるか。この十年、何百回、夢の中の自分に嫉妬してきた? アオイ、と呼びながら善がる姿を見せつけられて何もさせてくれない。貞操観念をへその緒と一緒に切って生まれる淫魔にだぞ。恥ずかしい恥ずかしい怖い怖い大好きと全身で訴えて煽ってくれるこの子を、それこそ何百回オカズにしてきた?)
(何百どころじゃないな)
(それにしてもルベルカは可愛いな?)
脳内会議が踊って何も結論が出ない。
「……アオイ?」
涙目でおずおず上目遣いで此方を窺うルベルカ。可愛いかよ。そうかよ。十年前から知ってたわ。
「や、やっぱりだめ、」
「そんな事はないよ」
優しい笑顔を貼り付け、ルベルカの柔らかい髪に手を伸ばす。小動物のようにびくっと震える頭を優しく撫で、ベッドに腰を下ろす。ゆっくりと。脅かさないように。
「か、考えたんだけど。このままじゃ俺のせいで先に進めないというか……」
「うん」
「だけど目の前にアオイの顔があるだけで心臓止まりそうになるからっ」
「ゆっくり話していいぞ」
「だから……慣れるまで半睡で……それからちゃんと向き合えたらなって、おもう」
バスローブを掻き合わせながら、はにかんで訴えるルベルカ。
そろそろ本能の噴火が起きそうだったが、そこはアオイ。十年耐えた信頼と実績の理性がある。あくまで優しい笑顔で、ルベルカのこめかみにキスをした。
「ひゃ」
「ルベルカのほうから提案してくれるの、すごく嬉しいぞ」
「………」
まだ濡れている髪を撫でると、ルベルカはぎゅっと目を瞑り、黙って撫でられている。口元はわずかに微笑んでいた。なんだその顔は可愛いの極みか何時までも俺が羊の皮を被っていられると思うなよ。
「……っ」
ルベルカは意を決したように、アオイの懐にぽすんと飛び込んできた。
ア゛――――――!!
理性の城壁が新型攻城兵器によって深刻なダメージを受けた。だが、まだ破壊されてはいない。我が軍は最後の一人となるまで戦い続ける所存である。
「ぁぉぃ…」
その震える小さな掠れ声。
(優しく、優しくだ)
これは大切な大切な、そして重要な儀式だ。初めてのセックスであり、ルベルカの記憶に残る。万が一にもトラウマを植え付ける訳にはいかない。
ああ、なんと面倒くさくて愛おしい。
「あの……あのな?」
「なんだ」
「俺は淫魔だから、ちょっとくらい乱暴にされても大丈夫……寧ろそのほうがすき……」
だからァアアアアア!!
火砲対策に特化した星形要塞に上空からの爆撃を食らう。要塞は粉々だが、まだ兵は生きている。まだ戦える。まだ、終わらんよ……まだ……
「乱暴になんてしない。ルベルカ」
「ん」
目元にリップ音をたてて軽いキスをすると、くすぐったそうに、そして恥ずかしそうにアオイの肩口に顔を埋めてしまうルベルカ。
その時、アオイの脳裏に父の姿が浮かんだ。
『アオイ。こう考えるんだ。半睡だっていいじゃないか。反応がなくてもいいじゃないか。ルベルカを本人の願いでいいと言っているんだぞ。ならば望み通りに甘やかしの限りを尽くしてやればいい』
ありがとう父さん。顔もうろ覚えで親戚の叔父さんかもしれないが、とにかく有難う。
そう、これは好機。あくまで好機なのだ。待ちに待った好機であり、寧ろ何故いままでこの方法を十年間思いつかなかったのかというほどの好機―――本当に何故そうしなかった過去の己。
アオイは、これからさあやるぞ、と宣言してルベルカを怯えさせなかった。そっと抱き寄せて背を撫で、ルベルカの体から緊張が抜ける頃合いを見計らい、本人が分からないうちに術をかけた。
とは言っても、急に体の動かない状態であるから、脅かさないようにベッドに横たえ、胸元や頬を撫でて時間を作った。いま、アオイが術をかけ、自分が半睡状態にあることを自覚させ、安心するまで待った。
瞼をとろんとさせたルベルカは、精巧な人形のようだ。
しかし、心臓はとくとくと柔らかに血を流しているし、胸は上下する。風邪を引いてはいけないから体に毛布をかけ、まず髪を拭ってやり、ボディクリームを塗って―――
「あっ」
途中で眠ってしまった。
はからずもエステになってしまい、風呂上がりのルベルカは心地よくなってしまったのだろう。ただでさえ半睡状態だったのだ。
本日もお預けを食らった形だが、アオイは苦笑して、その隣に横になり、ルベルカを抱いて眠る。
その温かな細い体が腕にあると、なにやら涙が出てきた―――もちろんお預けを食らったことへの悔しさではない。
(凄いことじゃないか。キスをしただけで怖い、助けてと怯えていたルベルカが。やっとこの手にある……)
何より、触れることに怯えなくなった。恐慌状態に陥り泣くこともない。
明日は今より進める。
それが、何よりも大切なことなのだ。
安心しきった幼い寝顔にキスをして、アオイも眠りにつく。
因みに翌日の低血圧によるのたうちは、ルベルカを大いに困惑させた。
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