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剣士の章

143.瞳を閉じて

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 アルトが扉を開けると、部屋着に身を包んだリティアが何処か緊張気味に微笑みながら立っていた。


「こんばんわアルト。えっと……起きてた?」
「あ、うん………」
「そっか……そうなんだ………」
「うん………」


 何故か会話が続かない二人。アルトにしてみれば、今から会いに行こうかと思っていた少女が自分から来てくれて、少し混乱している。
 リティアに会って、顔を見て、話をして、セリナを斬る覚悟を決めようと思っていたのだが、何故かリティアの顔を見た瞬間全て吹き飛んでしまった。
 今アルトの心を支配しているのは、リティアに会えた喜びと、リティアの事がこんなにも好きなのだという想い。

 一方のリティアは、本当はアルトの部屋に入って話がしたいのに、それが恥ずかしくて言い出せないでいた。だがこのままでは何も始まらないと思い、必死に言葉を紡ぐ。


「えっと……疲れとか……どう?」
「あ、うん………あれ、そう言えばだいぶ楽になったかも」


 先ほどまではあんなに身体が痛かったのに、今はそれほどでも無い。リティアに会えた喜びで吹き飛んでしまったらしい。


「そうなんだ……あの、ミミリがね、アルトの事が心配だから様子見て来ればって………」
「そ、そっか……ミミリはどうしてるの?」
「あ、エルマーの所に行ってるの。エルマーはまだ結構辛そうだから、今日はずっとエルマーの傍に居るみたい」
「そ、そっか………」
「うん…………」


 またしても二人の間に沈黙が流れる。お互いが心の中で「しっかりしろ」と自分を叱咤する。せっかくこうして会えたのに、これではこのままお別れになってしまうではないか。


「あ……良かったら……中で少し話でもする……?」
「え…………いいの………?」


 ちらりと上目遣いでアルトを見上げるリティア。そんな仕草もたまらなく可愛くて、更に愛しさが込み上げる。


「も、もちろん。さあ入って」
「あ、うん。じゃあ……お邪魔します……」


 リティアを部屋に招き入れるアルト。とは言え、自分もこの部屋を案内されたのはつい先ほどの事で、未だに勝手が良く分かっていない。
 部屋の中央の壁際には巨大なベッドが置いてあり、その向こう側の窓際には書斎用なのか机が備え付けられている。机には椅子が一脚しか無いので、二人で椅子に座る訳にもいかない。
 他にはクローゼットとドレッサーらしき物しか置いてないので、部屋の広さの割には閑散とした雰囲気である。せめてソファでも置いてあれば良かったのにと思わずにはいられないアルト。
 

「えっと……じゃあ俺は椅子に座るから、リティアはベッドに」
「え?ううん、わたしが椅子に座るからアルトがベッドに座って?」


 椅子もそれなりに座り心地は良さそうだが、どうしたって柔らかいベッドの方が座り心地は良いだろう。お互いがベッドを譲り合うのだが、そのやり取りが何だか可笑しくなって来た二人は、どちらともなく笑い出す。


「ふふ………ふふふ」
「ははは……何やってんだろう俺達」
「だよね。ベッド、こんなに大きいのに譲り合いなんかして」


 結局は並んでベッドに腰掛けるアルトとリティア。最初からこうすれば良かったのだが、やはりそこは恥ずかしかったのだ。
 しかしいざ並んで座ると、心地の良い緊張感がお互いを包んだ。恥ずかしい、それでいて心の奥が温かくなるような喜びが溢れて来る。


「こうして二人きりになるのって、色欲の試練以来だよね」
「そう言えばそうだっけ。あの時は参ったよ、俺の恥ずかしい過去をその日初めて会ったリティアに全部見られたんだから」


 セリナと肌を重ねていた時の光景。幼馴染の男女の行為を覗きながら、自分のモノを慰めていた光景。
 
 あの時は何故か恥ずかしさなど込み上げて来なかったが、今振り返ると恥ずかしくて仕方ない。リティアはあの光景を見て、自分にどんな感情を抱いたのだろうと気が気ではないのだ。
 軽蔑しただろうか?がっかりしただろうか?それとも、気持ち悪いと思われただろうか?


「うん……わたし……そういうのって全然知識なくて………何となくは知ってたんだけど………」
「ごめん。あんなの見せられて気持ち悪かったよね」
「……………え?」


 一瞬リティアの表情が曇る。それはアルトが、大好きな人が自分自身の事を悪く言ったりしたからだ。
 確かに驚いた。正直とても恥ずかしかった。出来れば目を背けたかった。でも、気持ち悪いなんて感情は浮かばなかった。今でもそんな感情は何処にも無い。


「どうして……そんな事を言うの?」
「え………だって……」
「気持ち悪くなんて無いよ?だって、ああいう行為は……お互い好きだから………とても好きだからするんでしょ?」


 リティアの言っているのはアルトの最初の記憶だ。セリナと最後までしようと身体を重ねていた記憶。


「うん……でもそっちじゃなくて……次の……」


 それはアルトが幼馴染の行為を覗きながらしていた自慰行為の事。あちらに関しては、自分自身でも気持ち悪い奴だと思う。最低な事をした自覚がある。そんな場面をリティアに見られてしまったのだ。


「あれだって……別に気持ち悪いなんて思わない。確かに覗いていたのは良くない事なんだって思うけど………」
「うん………本当にね………」


 お互い顔が真っ赤に染まる。アルトは自慰行為を見られた羞恥心から、リティアはアルトの自慰行為の場面を思い出した恥ずかしさから。


「その……未だにそういうのって良く分からないけど……わたしもあの時ね………」
「………リティア?」


 何やらもじもじと身体を動かすリティア。いつの間にか自分の太ももの間に手を挟んでいた。


「………わたしも……興奮してたの………」
「…………え?」


 今にも消えてしまいそうな程に小さな声で、リティアはあの時の自分の感情を告白した。あまりの恥ずかしさに身体中が熱くなり、今すぐ逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。
 でも、伝えなくてはならないと思った。アルトは自分の事を気持ち悪いなどと言ったが、ではその光景を見て興奮してしまった自分は何なのか。アルトが気持ち悪いのならわたしだって気持ち悪い、そう思ったから。


「わたし……気持ち悪い?アルトの……恥ずかしい記憶を見て……興奮してたんだよ……?」


 気持ち悪い筈など無い。だって、あんなのを見せられたら誰だって…………ああそうかとアルトは思い至る。
 誰だって同じなのだ。年頃の、ましてや経験も無い若い者がそういう場面を見せられれば、もちろん全員とは言わないが大抵の者は僅かにでも興奮するのだ。
 それは当たり前の感情で、決して恥ずかしがったりするようなものでは無い。だってそれは、人族でも魔族でも、全ての者に備わっている感情なのだから。その感情が、欲情があるから子を作り、子を宿す事が出来る。生物とはそういうふう作られ、この広大な世界に産み落とされたのだ。


「気持ち悪くないよ。そっか……そうなんだね」
「うん……あの時フォーゼリア様が教えてくださったよね。男の子はああして自分で鎮めるものだって。そうやって大人になって行くんだって。だからアルトのした事は……気持ち悪くないし恥ずかしくもないよ。でも、もう誰かのを覗いちゃ駄目だよ……?」


 必死に言葉を紡いだリティアは、最後にそう言って微笑んだ。そんなリティアに救われたような気持ちになるアルト。二人はベッドに座り、至近距離で見つめ合う。


「あのねアルト………」
「うん」
「わたしね……アルトの事……」
「うん」
「………好き………みたいなの」
「うん………俺も……」
「………本当に?」
「本当に」
「………セリナさん……よりも?」


 セリナさんよりも?そう訊ねられたアルトは目を閉じた。セリナとリティア、二人の少女をまぶたの裏に思い浮かべる。

 ふと、セリナがこちらをじっと見つめているような気がした。その表情には何の感情も見て取れず、あまりアルトが見た事の無いセリナだった。

 もうこれ以上、セリナの前で立ち止まっている訳にはいかない。セリナと決別したあの日から、ずっと時間が止まったままだ。でもその止まった時間が、最近緩やかに動き出そうとしている。出来れば、その時間の流れに飛び込みたい。同じ時間を共に歩みたい、そう思える存在と出会えたのだ。だからアルトはセリナに告げた。


 ーーセリナ俺さ……そろそろ先に進んでもいいかな?


 ーー本当はずっとセリナと一緒に居たかった。ずっと一緒に同じ未来に向かって歩むんだって思ってた。


 ーーでも俺達の運命の道は、途中で別れていた。同じ道じゃなかったんだ。セリナは賢者として勇者と共に歩む道。そして俺は…………


 ーー好きな女の子がさ……出来たんだ。セリナ以外の誰かを好きになるなんて思わなかったのに……好きになっちゃったんだ。


 ーー俺は、その子と一緒に歩いて行きたい。だからもう………セリナの背中を見ながら立ち止まってる時間は終わりにしたいんだ。



 セリナは何も言わなかった。表情も変えなかった。そしてそのまま、煙のように消えてしまった。そこでアルトは目を開ける。


「好きだ。セリナよりも……リティアが好きだ」


 リティアの瞳から涙が零れ落ちた。そして今度はリティアが目を閉じた。
 いくらアルトでも、それがどういう意味なのかぐらい分かる。アルトはゆっくりとリティアの肩に手を置きーーーーー


「好きだよ、リティア」


 自分の唇をリティアの唇に優しく押し当てたのだったーーーーー





※連日の二話投稿、追いかけて頂きありがとうございました。明日からはまた一話ずつの投稿に戻りますのでご了承くださいませ。
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