【遺稿】ティッシュの花

牧村燈

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第1章 ティッシュの花

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4月1日 

 もし会社に通勤していたならば、今日は年度始めという特別な日だ。前職の会社では、この日に組織変更やら人事異動があり、社員総会とか入社式などのイベントも行われとても忙しい一日だった。定職を持たない私にとって、今年の4/1は仕事にもあぶれてしまい本当に何にもないただの一日だが、それでも一生の中の大切な一日には違いない。大切に力いっぱい生きようと思う。

 仕事を押さえる為の電話をかけるのが遅くなってしまい、一時は明日もフリーか?という危機だったが、何とか間に合って仕事を確保することが出来た。3/10以来の通販倉庫だ。出荷ということでまた気を使うのは難点だが、ペットボトルの体力勝負よりはいいかなと思う。あれは正直やっぱりきつい。出荷は久々なので忘れてしまっていることが多そうだが、ゆっくり確実にやれば大丈夫。わからないことは聞けばいいのだ。何はなくとも仕事があるということは本当に素晴らしいことだ。

 4/5の夕方に面接が入った。実に8回目の面接という記録的なことになったあの会社である。まあもうここまできたらとことん付き合うしかあるまい。面接前に免許の更新に行くことにした。今週の仕事は明日だけということになってしまうが、生活は大丈夫だろうか。とにかく倹約しないといけない。


4月2日

 派遣会社の社員から、イザワ君が仕事を辞めたという話を聞いた。正社員の口が見つかったのかと尋ねたが、詳しくは分からないと言われた。フルネームも連絡先も知らなかったが、名前を持たない一労働力の派遣社員生活の中で、イザワ君とは唯一個体認識をしあった仲だった。もう会えないと思うと寂しかった。せめてサヨナラくらい出来たら良かったのにな。


4月4日 

 人材銀行の紹介で履歴書を送った4社の内2件から連絡が入り、両方共面接をしたいとのことだった。民間の直接応募ではことごとくNGを食らい、人材紹介会社経由でも面接までたどり着く確率はかなり低くなっていたが、今回はヒットした。1件は来週水曜日に、もう1件もその前後には面接が入りそうなので改めて気を引き締め直して頑張って来よう。ひとつは事務所が家から近く短距離通勤のビッグチャンスで、気合が入る。その前に明日は8回目の面接だ。こちらも白黒つけるべく頑張ろう。


4月5日

 面接に行って来た。今回は8回目にしてついに前向きな話になった。今日の感触であれば来週には結論が出るかも知れない。どうなるか分からないが、ここに関しては間違いなくやり切ったので、結果を真摯に受け止めよう。人材銀行の案件も折角なので決着をつけたいが、間に合うかどうか難しくなってきた。間に合わないのが一番いいことなのだが、長く就活をやってくる内に、面接や試験を受けることにやりがいのようなものを感じるようになったのかも知れない。

 面接の帰り、急に思い立って九段下で桜見物をした。坂から見えるお堀に花筏が出来ていた。三艘ほど浮かんだ手漕ぎボートがとても気持よさそうだ。

 その時。あ、これ、この前見た夢の風景だと感じた。例えるならば、花筏は敷き詰められたティッシュの花、ボートはフォークリフト、そして散りゆく桜の花びらは風船だ。神様も占いも信じているわけではないが、こんな私にも春が近くにあるような、そんな予感がした。


4月8日

 大安。ついについに、8度の面接をした会社から待ちに待った内定をもらうことが出来た。内定が出たらきっと涙が出ると思ったが、そんなことはなかった。でも良かった。本当に良かった。

 就活をはじめてから応募した会社の数は実に130社にのぼった。面接に行った回数は通算で丁度50回。超氷河期の学生でも、ここまではやらなかったんじゃないだろうか。これをもって長かった就活と日雇い派遣の生活に終止符を打つことにした。この縁を大切にしよう。


4月10日

 お世話になった派遣会社に挨拶に行ってきた。いつも車で迎えに来てくれていた社員さんは何日か前に急に辞めてしまったのだそうだ。二人になると、

「派遣さんのお世話をする仕事も、これが結構大変なんですよ」

 などと話してくれた気のいい青年だった。仕方がないので菓子折りを置いて帰ろうとしたところに、丁度入社の時に面接をしてくれた所長が帰ってきたので少し話をした。

 迎えの社員は体調を悪くして退職されたそうだ。はっきりとは言わなかったがメンタルの不調だったのだろうと所長は話した。そして、

「あ、メンタルと言えば」

 と派遣社員の一人が3月の終わりに亡くなったという話をした。自殺だったそうだ。随分長く働いてくれた真面目な若者だったのでとても残念だったと言って、寂しそうな顔をした。

「若い者が長く派遣で働いているとニートとか何とか言われるんでしょうけど、それでも頑張ってるいい子は沢山いますよ」

 所長の言葉に黙ってうなずいた。

 「ああ、申し訳ない、ハナサキさんの門出にこんな話で」

 所長は席を立って、私に向かって右手を伸ばした。

 「頑張ってください。いつ戻ってきても歓迎ですから。いやそういうわけにはいかんですね」

 そう笑って握手をして別れた。亡くなった派遣社員の名前は聞かなかった。派遣社員は一労働力。元々名前なんてないんだからと言い聞かせて。

 家に帰ると、私は末娘に頼んでティッシュの花の作り方を教わった。

「不器用だよね」

 と笑われながら作った確かに不器用な花と、娘の作った形の良い花の二つを持って、近所の公園の池に行った。桜はもう殆ど葉桜に近かったが、花びらがまだ池の水面にまだらに広がっていて、水面を淡いピンクに染めていた。

  その水面にティッシュの花を二輪浮かべる。

「これって何のおまじない?」

 何か面白いことでもやると思ったのか、池までついてきた娘が聞いた。

「レクイエムだよ」

 と教える。

「へえ」

 分かったような、分からないような返事をして、娘はそのまま遊びに行ってしまった。まだらなピンク色水面に、

「また、そんな、殺さないでくださいよ」

 と言う、イザワ君の華やかな笑顔が見えた気がした。


 そして5月。

 GWが明けた。明日から新しい会社での仕事が始まる。よし「頑張ろう」と書いてはたと思う。この日記を書き始めてから一体何回「頑張ろう」と書いただろうか。

 仕事がなくても、仕事があっても、苦しくても、楽しくても、いつも頑張る、頑張る、か。つまりこれが生きるということなんだろうなと、一人で納得し、そして絶望した。きっとこれからも終わりなくずっと頑張るしか、生き抜くことは出来ないのだろう。

 だけど。その絶望は、決して悪いものじゃない。

 私は明日、扉を開ける。またきっと大いなる困難の待つ道を、ありったけの力を振り絞って歩き出そう。

(「ティッシュの花」完)
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