君に捧ぐ花

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第八章 すれ違う心

第六十一話 宮部の過去

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満腹になって鈍った頭で、杏子がぼんやりとそんな事を考えていると、そう言えば、と保が杏子に話しかけた。
「岡田さんは、宮部くんの伯母さんの家にお住まいだそうですね。佑も隣人としてお世話になっているとは、岡田さんには我々三兄弟は頭が上がらないなぁ。」
志乃が注いだ何杯目かのビールを煽って少し酔ったのか、保が愉しげに言って笑った。隣の健も、ジュースの入ったグラス片手に、熱心に相槌を打っていた。
あまり酒に強くない杏子は、一杯目のビールを飲み干しそうなところで、すでに頬が火照ってくるのを感じた。
「とんでもないです。佑さんには、先週朝市で初めてお会いしたばかりなんですよ。でも、宮部さんと言えば、佑さんとは随分仲が良いみたいですね。朝市で佑さんから、宮部さんが苦労されてきた方だと伺って驚きました。」
杏子は、保から宮部の話が出たのを幸いに、佑が言っていたことについて、少し探りをいれてみようと思った。
杏子の言葉に、保は顔を歪めて憂いを見せ、宮部くんは本当にね、と語り出した。
上手く話に乗ってくれたと、杏子は保に期待を込めた視線を送り、その隣では、健が感情の読み取れない表情をして、保が何をいうのかを見守っていた。

「五年ほど前にご両親が亡くなってから、良く頑張ってきたんだよ。東京の方で勤めてたのにこっちに戻ってきて、ご両親が始めようとしてた今の商売を引き継いだんだ。歳の離れた妹さんがまだ小さくてね、仕事を始めたばかりの宮部くんには任せられないって、遠くのご親戚が引き取っていったらしい。当時は宮部くんだってまだ若かったんだよ。確か、大学出て数年だったんじゃないかな。外国から突然訃報を受けて、現地まで遺体を引き取りに行って。辛かっただろうになぁ。がむしゃらに頑張ってた感じだった。だけど妹さんも辛かったと思うよ。小さい頃のイメージが強いけど、うちの佑と宮部くんが遊んでるとね、人形みたいに可愛らしい子がよちよち付いて回って、お兄ちゃん、お兄ちゃんって。あれは良くなついてたなぁ。両親が亡くなって辛いところに、お兄さんとも引き離されて、仕方ないとはいえ気の毒な話だよ。」
酒のせいもあるのか感傷的に語る保のせいで、全くの赤の他人の話であるというのに、場には湿っぽい空気が立ち込めていた。それを打ち破るように、だけど、と志乃が、保の話に補足を加えた。
「お義母さんがずいぶん前に曽我さんの奥さんに聞いた話らしいんだけど。あ、曽我さんって、岡田さんが今お住まいのおうちね。どうも、その妹さん、その後に宮部さんが呼び戻して、一度こっちに帰って来たらしいのよ。だけど、そのあと近所で一度だって妹さんの姿を見なかったから、またご親戚のところに戻ったんでしょうねってお義母さんと話してたの。そりゃ歳の離れた兄と二人きりじゃあ、年頃の女の子だもん、上手くいかなかったんじゃないかしら。」
宮部に離れて暮らす妹がいることにも驚いたが、妹を呼び戻すために必死に仕事に打ち込んでいたのかもしれないと知って、杏子は切なさに胸が締め付けられる思いだった。一度は呼び戻したのに、また離れてしまったのはどういう事情だったのだろう。志乃がいうように、小さい頃は仲の良い兄妹も、年頃になって一旦離れて暮らしてしまえば、もう折り合いをつけることは難しいのだろうかと、杏子は思案してみたが、一人っ子の杏子にはわかりようもなかった。

「さあなぁ。宮部くんはプライベートのことは話さない男だからなぁ。当初から、仕事のことではちょくちょく相談なんかも持ちかけられて、フォークとか噴霧器とか、使えるものは何でもうちのもん使うように言ってるけど、少なくとも僕には家の事なんかは相談してこないからなぁ。仕事の面から言えば、ここ三年くらいは充分軌道に乗ってるし、妹の一人や二人養うのに問題はないはずだけどな。どういう事情で妹さんと離れて暮らしてるのか、多分、幼馴染みの佑には、そういうところも話してるんだろうな。」

(佑さんは、宮部さんの事情や辛い思いを聞いているから、更に苦しめる私のことが許せなかったんだわ。だけど…苦しめられたのは私の方なのに…。)

両親の死や妹との離別のことで、いかに宮部の心労が絶えなかったのだとしても、杏子と宮部の間のことに関しては、佑から受けた非難はやはり理不尽なのだと、杏子は憤った。
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