君に捧ぐ花

ancco

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第十二章 Beyond the Truth

第百一話 涙を呑んで

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「私、ずっと宮部さんにお礼が言いたかったの!真奈美ちゃんのメールアドレス、教えてくれて本当にありがとう!あの時、私に渡すかどうか、迷ったんでしょう?私が変なこと書いて、真奈美ちゃんの病状に障るといけないものね。でも、宮部さんの決断に本当に感謝してるの。やっぱり私、ナツキ時代からそうだったんだけど、真奈美ちゃんとはすごく気が合うみたい。正直に言うとね、この町に来たときは、最初は凄く寂しかったの。宮部さんが恋しくて、悲しくて、辛かった。でもね、真奈美ちゃんといっぱいメールの遣り取りするうちにね、だんだん気持ちの整理もついて、あの日逃げるみたいに町を去ったときよりも、ここに来てからの方が宮部さんの気持ちが理解できたと思う。宮部さんのこと、忘れられたのかどうかは、自分ではよくわからなかったんだけど、でも今日思いがけず顔を見れて、ほんと良かった。前みたいに、顔を見るだけで辛くて苦しくなるような、そんな気持ちはもうなかった。ただ、じんわり暖かくなるような、そんな気持ちなの。それにね、宮部さんの事だけじゃ無くて、母とのことも、真奈美ちゃんのお陰で良い方向に行きそうなのよ。プヤを取りに来てくれたって事は、宮部さんも聞いてるんでしょう?私と母の不仲のこと。まだどう転ぶかわからないけど、とりあえず、ボストンについて行って、やるだけのことはやってみようと思って。前の私なら、そんなこと絶対にしなかったと思うけど、背中を押してくれた真奈美ちゃんのお陰なのよ。だから、真奈美ちゃん自身にも感謝してるし、何より、あんなにナツキとのこと怒っていたのに真奈美ちゃんのアドレスをくれた宮部さんにも、心の底から感謝してるの。ありがとう。」
「…そうか、うん。真奈美から全部聞いてるよ。よかったな。」
長々と喋り続けた杏子の言葉に黙って耳を傾けていた宮部は、言葉少なに、そう相槌を打った。それはどこか躊躇うような言い方だったが、宮部の表情が、以前のように杏子を軽蔑したり嫌悪しているような嫌な感情を湛えては居なかったことに、杏子はほっと安堵した。

「宮部さん、スペインから帰ってきた所なんじゃ無い?わざわざこんな所まで来てくれてありがとうね。でも、もうそろそろ港に向かわないと、今日の最終便が出ちゃうわよ。平日は、本土行きは夕方の便で終わりなの。港まで送っていきたいんだけど、渡航の関係で急ぎで仕上げないといけない書類があって…。」
杏子は、久々に会った宮部と、内心もっとゆっくり話していたかったが、最終便を逃すと今夜島に滞在せざるを得なくなる宮部の都合を思うと、それ以上、自分の長話で引き留めることは躊躇われた。
「そうか。仕事、頑張ってるんだな。よかった。」
宮部は漸く、杏子の大好きだった優しげな笑みを見せた。以前は、いつもどこか超然としたストイックさを漂わせていた宮部だったが、今日は、帰国後の時差ぼけによるものか、少し憔悴したような表情が、微笑みの向こうに見え隠れしていた。

「そうだ!宮部さん、来月お誕生日でしょう?その頃にはもう日本に居ないから、フライングで言わせて?30才おめでとう。それから、あの…、お見合いのほうも、頑張ってね。良い人とご縁がありますように。」
さすがに、他の誰かとの良縁を願うにはまだ時期尚早なのか、杏子は胸の痛みを感じつつ、どうにか笑顔でそう言うことができた。
それでも、見合いについて宮部からあれこれと聞く気にはなれず、宮部が何かを言う前に背中を押して、杏子は宮部に帰路を促した。
「さぁ、ほんとに船が出ちゃうから急いで!真奈美ちゃんによろしく伝えてね!メールのお返事待ってるって言っておいて!」
困惑した表情で、何度も振り返りつつ歩き出した宮部を見送り、杏子は、満面の笑みで手を振って、大好きだった男の姿がまだそこにあるうちに、自ら視界を遮った。扉を閉めて、潤みかけた瞼を閉じても、まだそこには、男らしい頑健な背中を、色鮮やかに有り有りと描くことができた。

遠路遙々、杏子の元にプヤを引き取りに来たというのに、一人でべらべらと捲し立てられ、追い立てるように帰されて、宮部は理不尽に思っただろうか。杏子に背中を押されて歩き出したものの、何度もこちらを振り返っては、何か言いたそうにしていた。おい、それは無いだろうと、本当は一言、杏子に物申したかったのかも知れない。
でも、杏子は、あれ以上宮部を見ていることができなかった。もう宮部への恋心に整理を付けたのだと、そう強がりを言ったのに、その舌の根も乾かぬうちに、杏子は宮部へのやるせないほどの未練を自覚してしまったのだ。
もうこれでしばらく会えないのだと、ひょっとすると二度と会えないのかも知れないと、そう思い、最後にとびきりの笑顔を記憶に留めてもらうべく、自分史上最高の笑みを顔に貼り付けてみたのだが、果たしてそれは成功したのだろうか。
杏子には、自信をもって是ということはできないのだった。
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