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第二章
再編成
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中隊本部に出頭した士官級の中隊員は、労農党義勇軍の隊員であるマリヤ、オリガ、エレオノーラの各下級街区指導者に、陸軍のマルコフ大尉を足した四人だ。
マリヤはマルコフの着任までは中隊長代理を務めていたし、オリガは高射機関砲小隊の小隊長として、これまで任務に精励してきた。エレオノーラは中隊の管理事務系を任されていて、補給の手配や物品の管理に給与の支払いといった後方の雑務を一手に引き受けている。ちなみに、彼女は中隊の最年長で、女性の年齢の話をするのは少々あれだが、四十は超えている。
そんな四人は、マルコフを中心に机を囲むようにして集まっていた。それに、これまで中隊の最先任下士官であったアレクサンドラ上級班指導者と、これから中隊の最先任下士官となるイヴァノフ曹長と、中隊長代理となったマリヤの代わりに高射砲小隊の小隊長代理を務めるユリヤ上級班指導者の三人が、下士官でありながら当然のように加わっている。
この七人が、第四七三独立防空中隊の頭脳となるメンバーだ。
中隊の現状を把握したいというマルコフの要請に始まった彼らの議題は、中隊の人員から中隊の装備品へと移りつつある。
中隊の人員については、彼女たちの報告を大人しく聞いていたマルコフだったが、装備品についての説明が始まると、さほど間を置かずに切り出した。
「これは今、どこにある?」
マルコフが書類をつついて示した内容を見たエレオノーラが、彼の質問に答える。
「資材置き場にて、厳重に梱包し、格納してあります。大尉殿」
柔和な表情と落ち着いた口調で行われた彼女の返答を聞いた大尉は、明らかに不満げだ。
「資材置き場? なぜ、こいつをそんな所で眠らせているのかね?」
刺々しい声で発せられた質問に、思わずたじろぐエレオノーラを見たマリヤが、彼女を援護すべく横から口をはさむ。
「本機材を使用するために人員を配置するより、各砲に人員を厚く配置する方が、戦力の強化につながるという判断から、使用を見送っております。大尉殿」
簡単な話だった。
我が第四三七独立防空中隊は、労農党義勇軍の婦人部隊から抽出された婦人兵のみで編成されているため、弾薬庫から砲まで弾薬を運搬したり、高い仰角を与えられた高射砲に砲弾を装填したりといった力仕事は、男性兵士に比べると、やはり見劣りするというか、想定通りには行かないのが現実だ。
もともと、高射砲兵中隊の正規の編制を実現するには人員が不足していたこともあり、その機材に人員を割いた結果、どの部署も定数割れを起こすくらいなら、いっそ各砲に編制で決められた定数となる人員を配置するほうが、円滑な運用が可能になるだろうという判断の結果、現在の編成となっている。
だが、マルコフはその判断が気に入らないらしい。
「誰だ? そんな阿呆な決定を下したのは」
平然と言い放たれたその言葉に、マリヤは絶句した。だが、中隊の名誉のためにも、ここで黙るわけにはいかない。
「ぜ、前任の中隊長と、防空軍の指導担当官ですが……」
そう。各砲に人員を割り当てた方が戦力化に繋がると進言したのは、防空戦闘に対する指導と助言のために防空軍から派遣されてきた士官で、編成について最終的に決断したのは前任の中隊長だ。どちらも防空を専門にしており、少なくとも、マルコフのような砲兵出身の素人が判断したわけではない。
だが、当のマルコフは、そうは考えていないようだった。
「そうか。呆れるほどの無能者だな。処断されても仕方がない」
腕を組みつつ、何の迷いもなく言われてしまうと、マリヤとしては、それ以上付け加えられることはない。防空戦の経験もない素人のくせに。という反感だけがつのっていく。
そんなマリヤの反感をよそに、マルコフはやけに自信たっぷりな態度で続ける。
「私としては、こいつの戦力化こそが、我が中隊の戦力を劇的に向上させる唯一の手段だと確信している。各砲から一人ずつ人員を抽出してでも、絶対にこいつを戦力化したまえ。これは命令だ。わかったか? ロマーシュキナ少尉」
新任ではあるが、中隊のトップからそう命令されてしまっては、もはや打つ手はない。
「はい、大尉殿」
マリヤはため息をつきたい気分を必死に押し殺しながら、理不尽な命令を受領した。
中隊の資材置き場として使わせてもらっている倉庫に、エレオノーラの案内で訪れたマルコフは、目当ての物がたしかに安置されていることを確認した。
埃をかぶらないようにとかけられていたシートを外すと、乗用車とまではいかないが、かなりのサイズの機械が現れた。
かなり大掛かりな装置で、横に寝かされた巨大な筒と、それを支える土台部分からなっている。
成人男性の身長の倍近い長さと、両腕で抱える太さとを誇る筒の両端には、人の顔に近いサイズのレンズが装着されていて、パッと見た感じは、砲兵が使う測距儀に見えなくもない。レンズの反対側にあたる筒の中央付近には、望遠鏡の接眼部分に似た構造が等間隔に三つ並んでいて、その下にはそれぞれ小さなハンドルが二つずつ並んでいる。
測距儀に似た筒を支える台座の部分には、まるでタイプライターのように見えるほど多数のボタンにダイヤルにスイッチの類がついており、各所に取り回されたケーブルや、装置を支える脚の構造を見るだけでも、相当に複雑な機構が備えられているのだろうという想像がつく。
この複雑極まる機械の正式名称は、M1837射撃管制装置という。
これは、先ほど外見の例としてあげた測距儀のお化けと考えればよい。仕組みもまったく同様で、主担当者が足元のペダルで方位角を決定する操作を行うことが追加された以外は、測距儀の仕組みとその目的とに対し、ほぼ変わらない内容となっている。
簡単にではあるが、その構造や操作方法を説明しておこう。
接眼部分の下にあるハンドルを使って、俯仰角を調整する操作と、目標の像が鮮明化されるように焦点距離を合わせる操作とを行うことで、固定されたレンズと稼動するレンズとが作る角度が算出されると、後は三角測量の要領で、目標との距離を求めることが可能となる。
この装置のすごいところは、ただ距離を測るだけではない。という点だ。相手が三次元を機動する航空機ということもあり、水平線と目標を指向しているレンズとの角度に、測定した目標との距離を合わせることで、敵機の飛行高度も算定できる。
さらに、観測結果の変化量を蓄積することにより、指定秒時が経過した後の想定位置を演算することまでも可能としているのだ。
これに、当日の気温や湿度、気圧や風向に風力といった、砲弾に作用する様々な要素について、キーをタイプすることで装置に入力したものと、射撃を行う砲の射程や最大仰角、使用する砲弾の標準弾道といった情報を、金属板に穴を開けることで登録した記録板からの入力とを組み合わせることで、目標の迎撃に最適な仰角、方向角、信管測合秒時といった、砲撃に必要な情報を計算するのだが、これらの計算は、土台部分に仕込まれた機械式の演算機によって即座に算出される。それは、人が計算を行うよりもはるかに早く、そして正確だ。
射撃管制装置と各砲との距離は、砲撃時の爆風と衝撃が、精密機械である本装置に与える影響を考慮し、最低でも五〇メートルは離すようにとマニュアルに記載されている。そのため、測定結果をそのまま適用することはできないのだが、それも、射撃管制装置から見た砲の設置位置を入力することで、観測位置と砲との誤差を埋め合わせてくれる。
こうして算出された測定結果は、電気信号としてケーブルに乗せ、各砲へと伝達することができる。
つまり、各砲での個別の照準は必要なく、ただ射撃管制装置から伝達された情報に合わせて、俯仰角と旋回角とを砲に与えればよい。
また、信管の測合に関しても、電気信号で与えられた数値をもとに、ただ測合を行うだけでよいのだ。
中隊が装備しているM1832高射砲には、自動で信管を測合する装置が装填補助装置に備わっており、射撃管制装置から受け取った情報をもとに、装填の直前まで測合してくれるので、砲弾に対して個別に行う必要はまったくない。
結果として、射撃管制装置による敵機の観測が正しく行われている限り、その情報に従って砲撃すれば、命中の公算は各個に照準するよりも高くなる。ということになる。
それに、信管測合の自動化というのも見逃せない。作業は早いし、人の手が介在する機会が減ることで、ミスの発生も減らせる。無論、射撃管制装置との接続が切断された場合は、各砲が個別に照準、信管測合を行わねばならないが、それはそれだ。
マルコフは、実物としては初めて対面するこの射撃管制装置を、まるで愛しいものでも撫でるかのように手を添えた。
彼が着任までの間に詰め込んだ対空戦闘に関する知識の中で、防空軍が編纂した防空戦闘基礎教範なるものに、この装置の重要性について特に留意するようにという記述を見つけていた。
それに、防空の任務についている軍事アカデミーの同期から仕入れた戦場での経験談でも、射撃管制装置の有効活用により、高射砲弾の命中率はかなり高まるという声があった。
実戦で得られた戦訓ほど貴重なものはない。極端な話をすれば、戦場で倒れた誰かの命と引き換えにして獲得した経験とすら言えるからだ。そして、その経験は、命を危険にさらして得たものだけに、現実的で切実だ。
防空戦闘については素人でしかないマルコフからすれば、先人たちの経験にすがる以外に、この困難な任務を確実に遂行し、ついには完遂できる方法は思いつかなかった。だからこその射撃管制装置である。中隊にすでに配備済みで、あとは人員をやりくりすれば使える状態であったことは、まさに僥倖であった。
あとは、こいつを使える状態にするだけだ。
「ロマーシュキナ少尉!」
同行していたマリヤを呼び寄せたマルコフは、小走りで駆け寄ってきた彼女に対し、言い含めるようにして告げる。
「中隊が定数割れしていることは十分に承知しているが、何とかしてこいつに割く人員を割り当ててくれ。くれぐれも言っておくが、こいつを戦力化できるか否かが、中隊の今後を左右することになる。可能なかぎり優秀な人員を厳選してくれたまえ。それから……」
マルコフは、そこで少し間を置いてから。
「射撃管制装置を扱う分隊の指揮を君に任せる。中隊長代理から分隊長では降格だと感じるかもしれんが、決してそうではない。中隊で最も適性があると判断しての決定だ。この分隊の指揮統制は、我が中隊の中核となる非常に重要な任務だから、心してかかるように」
きわめて重要な決定をさらりと告げられたマリヤは、どう反応すればいか戸惑っていた。中隊の編成をどうするかの決断を聞いていなかったが、自分はもとの高射砲小隊に戻るものだと思っていた。
だが、現実に起きたのは、これまでに扱ったことのない射撃管制装置とやらの指揮を任されるというものだった。中隊長代理から分隊長への異動というのは、たしかに降格に等しいものだが、マルコフ言葉を素直に捉えるならば、むしろ、中隊の戦力を決定する重要な役割を担うことになるようだが、それもにわかには信じがたい。
そんな思いが顔に出てしまっていたのだろう。不安そうな表情を浮かべるマリヤに対し、マルコフはこれまで決して見せなかった、少しだけ口元に柔らかな角度をつけた姿となった。
「なお、中隊の問題についての責任はすべて私が取る。君はただ、分隊が最高の能力を発揮できる環境を整えてくれればよい。頼んだぞ」
親しい間であれば、ぽんと肩にでも手を置かれそうな雰囲気だった。
だが、マルコフがそんな柔和そうな態度になったのはほんのわずかな時間だけだった。すぐに元の仏頂面に戻ると、今度はエレオノーラに対して言う。
「エレオノーラ少尉。こいつを動かせるか?」
急に話をふられたエレオノーラは、その点についてはぬかりなく準備していたようで、胸をはって答える。
「はい、大尉殿。電源さえ確保できれば、すぐにでも動かせます」
その答えを聞いて、少し驚きか戸惑いといった表情を見せたマルコフは、いつもの高圧的な声のトーンを、わずかに柔らかくして続ける。
「ああ、すまない。言葉が足りなかった。ここから移動させられるかという意味だった」
「ええと……」
あきらかに言葉の足りないマルコフが悪かったが、それでも、期待していた回答を出せなかった自分を恥じているのか、続いての質問に対する答えを言いよどんだエレオノーラを見たマルコフは、中隊で一番頼りになる男を見た。
「わかった。それはこちらで手配する。先任!」
「了解であります。大尉殿」
いきなり指名されたイヴァノフだったが、躊躇う様子など少しも見せず、即座に了解とだけ返答した。相当大きな装置なので、ただ運ぶだけでも大変な苦労をしそうなものだが、彼には何らかのあてがあるのだろう。
これで問題はすべて解決したと言わんばかりのマルコフは、この場をイヴァノフに任せると、中隊の主要メンバーを引き連れて、中隊本部へと戻っていく。
だが、そんな流れに逆らう者がいた。
先の先任下士官であったアレクサンドラだ。
「ちょっと、いいかい?」
そう切り出したアレクサンドラに、イヴァノフは了解の応答であるかのように、片方の眉を吊り上げて見せた。
マリヤはマルコフの着任までは中隊長代理を務めていたし、オリガは高射機関砲小隊の小隊長として、これまで任務に精励してきた。エレオノーラは中隊の管理事務系を任されていて、補給の手配や物品の管理に給与の支払いといった後方の雑務を一手に引き受けている。ちなみに、彼女は中隊の最年長で、女性の年齢の話をするのは少々あれだが、四十は超えている。
そんな四人は、マルコフを中心に机を囲むようにして集まっていた。それに、これまで中隊の最先任下士官であったアレクサンドラ上級班指導者と、これから中隊の最先任下士官となるイヴァノフ曹長と、中隊長代理となったマリヤの代わりに高射砲小隊の小隊長代理を務めるユリヤ上級班指導者の三人が、下士官でありながら当然のように加わっている。
この七人が、第四七三独立防空中隊の頭脳となるメンバーだ。
中隊の現状を把握したいというマルコフの要請に始まった彼らの議題は、中隊の人員から中隊の装備品へと移りつつある。
中隊の人員については、彼女たちの報告を大人しく聞いていたマルコフだったが、装備品についての説明が始まると、さほど間を置かずに切り出した。
「これは今、どこにある?」
マルコフが書類をつついて示した内容を見たエレオノーラが、彼の質問に答える。
「資材置き場にて、厳重に梱包し、格納してあります。大尉殿」
柔和な表情と落ち着いた口調で行われた彼女の返答を聞いた大尉は、明らかに不満げだ。
「資材置き場? なぜ、こいつをそんな所で眠らせているのかね?」
刺々しい声で発せられた質問に、思わずたじろぐエレオノーラを見たマリヤが、彼女を援護すべく横から口をはさむ。
「本機材を使用するために人員を配置するより、各砲に人員を厚く配置する方が、戦力の強化につながるという判断から、使用を見送っております。大尉殿」
簡単な話だった。
我が第四三七独立防空中隊は、労農党義勇軍の婦人部隊から抽出された婦人兵のみで編成されているため、弾薬庫から砲まで弾薬を運搬したり、高い仰角を与えられた高射砲に砲弾を装填したりといった力仕事は、男性兵士に比べると、やはり見劣りするというか、想定通りには行かないのが現実だ。
もともと、高射砲兵中隊の正規の編制を実現するには人員が不足していたこともあり、その機材に人員を割いた結果、どの部署も定数割れを起こすくらいなら、いっそ各砲に編制で決められた定数となる人員を配置するほうが、円滑な運用が可能になるだろうという判断の結果、現在の編成となっている。
だが、マルコフはその判断が気に入らないらしい。
「誰だ? そんな阿呆な決定を下したのは」
平然と言い放たれたその言葉に、マリヤは絶句した。だが、中隊の名誉のためにも、ここで黙るわけにはいかない。
「ぜ、前任の中隊長と、防空軍の指導担当官ですが……」
そう。各砲に人員を割り当てた方が戦力化に繋がると進言したのは、防空戦闘に対する指導と助言のために防空軍から派遣されてきた士官で、編成について最終的に決断したのは前任の中隊長だ。どちらも防空を専門にしており、少なくとも、マルコフのような砲兵出身の素人が判断したわけではない。
だが、当のマルコフは、そうは考えていないようだった。
「そうか。呆れるほどの無能者だな。処断されても仕方がない」
腕を組みつつ、何の迷いもなく言われてしまうと、マリヤとしては、それ以上付け加えられることはない。防空戦の経験もない素人のくせに。という反感だけがつのっていく。
そんなマリヤの反感をよそに、マルコフはやけに自信たっぷりな態度で続ける。
「私としては、こいつの戦力化こそが、我が中隊の戦力を劇的に向上させる唯一の手段だと確信している。各砲から一人ずつ人員を抽出してでも、絶対にこいつを戦力化したまえ。これは命令だ。わかったか? ロマーシュキナ少尉」
新任ではあるが、中隊のトップからそう命令されてしまっては、もはや打つ手はない。
「はい、大尉殿」
マリヤはため息をつきたい気分を必死に押し殺しながら、理不尽な命令を受領した。
中隊の資材置き場として使わせてもらっている倉庫に、エレオノーラの案内で訪れたマルコフは、目当ての物がたしかに安置されていることを確認した。
埃をかぶらないようにとかけられていたシートを外すと、乗用車とまではいかないが、かなりのサイズの機械が現れた。
かなり大掛かりな装置で、横に寝かされた巨大な筒と、それを支える土台部分からなっている。
成人男性の身長の倍近い長さと、両腕で抱える太さとを誇る筒の両端には、人の顔に近いサイズのレンズが装着されていて、パッと見た感じは、砲兵が使う測距儀に見えなくもない。レンズの反対側にあたる筒の中央付近には、望遠鏡の接眼部分に似た構造が等間隔に三つ並んでいて、その下にはそれぞれ小さなハンドルが二つずつ並んでいる。
測距儀に似た筒を支える台座の部分には、まるでタイプライターのように見えるほど多数のボタンにダイヤルにスイッチの類がついており、各所に取り回されたケーブルや、装置を支える脚の構造を見るだけでも、相当に複雑な機構が備えられているのだろうという想像がつく。
この複雑極まる機械の正式名称は、M1837射撃管制装置という。
これは、先ほど外見の例としてあげた測距儀のお化けと考えればよい。仕組みもまったく同様で、主担当者が足元のペダルで方位角を決定する操作を行うことが追加された以外は、測距儀の仕組みとその目的とに対し、ほぼ変わらない内容となっている。
簡単にではあるが、その構造や操作方法を説明しておこう。
接眼部分の下にあるハンドルを使って、俯仰角を調整する操作と、目標の像が鮮明化されるように焦点距離を合わせる操作とを行うことで、固定されたレンズと稼動するレンズとが作る角度が算出されると、後は三角測量の要領で、目標との距離を求めることが可能となる。
この装置のすごいところは、ただ距離を測るだけではない。という点だ。相手が三次元を機動する航空機ということもあり、水平線と目標を指向しているレンズとの角度に、測定した目標との距離を合わせることで、敵機の飛行高度も算定できる。
さらに、観測結果の変化量を蓄積することにより、指定秒時が経過した後の想定位置を演算することまでも可能としているのだ。
これに、当日の気温や湿度、気圧や風向に風力といった、砲弾に作用する様々な要素について、キーをタイプすることで装置に入力したものと、射撃を行う砲の射程や最大仰角、使用する砲弾の標準弾道といった情報を、金属板に穴を開けることで登録した記録板からの入力とを組み合わせることで、目標の迎撃に最適な仰角、方向角、信管測合秒時といった、砲撃に必要な情報を計算するのだが、これらの計算は、土台部分に仕込まれた機械式の演算機によって即座に算出される。それは、人が計算を行うよりもはるかに早く、そして正確だ。
射撃管制装置と各砲との距離は、砲撃時の爆風と衝撃が、精密機械である本装置に与える影響を考慮し、最低でも五〇メートルは離すようにとマニュアルに記載されている。そのため、測定結果をそのまま適用することはできないのだが、それも、射撃管制装置から見た砲の設置位置を入力することで、観測位置と砲との誤差を埋め合わせてくれる。
こうして算出された測定結果は、電気信号としてケーブルに乗せ、各砲へと伝達することができる。
つまり、各砲での個別の照準は必要なく、ただ射撃管制装置から伝達された情報に合わせて、俯仰角と旋回角とを砲に与えればよい。
また、信管の測合に関しても、電気信号で与えられた数値をもとに、ただ測合を行うだけでよいのだ。
中隊が装備しているM1832高射砲には、自動で信管を測合する装置が装填補助装置に備わっており、射撃管制装置から受け取った情報をもとに、装填の直前まで測合してくれるので、砲弾に対して個別に行う必要はまったくない。
結果として、射撃管制装置による敵機の観測が正しく行われている限り、その情報に従って砲撃すれば、命中の公算は各個に照準するよりも高くなる。ということになる。
それに、信管測合の自動化というのも見逃せない。作業は早いし、人の手が介在する機会が減ることで、ミスの発生も減らせる。無論、射撃管制装置との接続が切断された場合は、各砲が個別に照準、信管測合を行わねばならないが、それはそれだ。
マルコフは、実物としては初めて対面するこの射撃管制装置を、まるで愛しいものでも撫でるかのように手を添えた。
彼が着任までの間に詰め込んだ対空戦闘に関する知識の中で、防空軍が編纂した防空戦闘基礎教範なるものに、この装置の重要性について特に留意するようにという記述を見つけていた。
それに、防空の任務についている軍事アカデミーの同期から仕入れた戦場での経験談でも、射撃管制装置の有効活用により、高射砲弾の命中率はかなり高まるという声があった。
実戦で得られた戦訓ほど貴重なものはない。極端な話をすれば、戦場で倒れた誰かの命と引き換えにして獲得した経験とすら言えるからだ。そして、その経験は、命を危険にさらして得たものだけに、現実的で切実だ。
防空戦闘については素人でしかないマルコフからすれば、先人たちの経験にすがる以外に、この困難な任務を確実に遂行し、ついには完遂できる方法は思いつかなかった。だからこその射撃管制装置である。中隊にすでに配備済みで、あとは人員をやりくりすれば使える状態であったことは、まさに僥倖であった。
あとは、こいつを使える状態にするだけだ。
「ロマーシュキナ少尉!」
同行していたマリヤを呼び寄せたマルコフは、小走りで駆け寄ってきた彼女に対し、言い含めるようにして告げる。
「中隊が定数割れしていることは十分に承知しているが、何とかしてこいつに割く人員を割り当ててくれ。くれぐれも言っておくが、こいつを戦力化できるか否かが、中隊の今後を左右することになる。可能なかぎり優秀な人員を厳選してくれたまえ。それから……」
マルコフは、そこで少し間を置いてから。
「射撃管制装置を扱う分隊の指揮を君に任せる。中隊長代理から分隊長では降格だと感じるかもしれんが、決してそうではない。中隊で最も適性があると判断しての決定だ。この分隊の指揮統制は、我が中隊の中核となる非常に重要な任務だから、心してかかるように」
きわめて重要な決定をさらりと告げられたマリヤは、どう反応すればいか戸惑っていた。中隊の編成をどうするかの決断を聞いていなかったが、自分はもとの高射砲小隊に戻るものだと思っていた。
だが、現実に起きたのは、これまでに扱ったことのない射撃管制装置とやらの指揮を任されるというものだった。中隊長代理から分隊長への異動というのは、たしかに降格に等しいものだが、マルコフ言葉を素直に捉えるならば、むしろ、中隊の戦力を決定する重要な役割を担うことになるようだが、それもにわかには信じがたい。
そんな思いが顔に出てしまっていたのだろう。不安そうな表情を浮かべるマリヤに対し、マルコフはこれまで決して見せなかった、少しだけ口元に柔らかな角度をつけた姿となった。
「なお、中隊の問題についての責任はすべて私が取る。君はただ、分隊が最高の能力を発揮できる環境を整えてくれればよい。頼んだぞ」
親しい間であれば、ぽんと肩にでも手を置かれそうな雰囲気だった。
だが、マルコフがそんな柔和そうな態度になったのはほんのわずかな時間だけだった。すぐに元の仏頂面に戻ると、今度はエレオノーラに対して言う。
「エレオノーラ少尉。こいつを動かせるか?」
急に話をふられたエレオノーラは、その点についてはぬかりなく準備していたようで、胸をはって答える。
「はい、大尉殿。電源さえ確保できれば、すぐにでも動かせます」
その答えを聞いて、少し驚きか戸惑いといった表情を見せたマルコフは、いつもの高圧的な声のトーンを、わずかに柔らかくして続ける。
「ああ、すまない。言葉が足りなかった。ここから移動させられるかという意味だった」
「ええと……」
あきらかに言葉の足りないマルコフが悪かったが、それでも、期待していた回答を出せなかった自分を恥じているのか、続いての質問に対する答えを言いよどんだエレオノーラを見たマルコフは、中隊で一番頼りになる男を見た。
「わかった。それはこちらで手配する。先任!」
「了解であります。大尉殿」
いきなり指名されたイヴァノフだったが、躊躇う様子など少しも見せず、即座に了解とだけ返答した。相当大きな装置なので、ただ運ぶだけでも大変な苦労をしそうなものだが、彼には何らかのあてがあるのだろう。
これで問題はすべて解決したと言わんばかりのマルコフは、この場をイヴァノフに任せると、中隊の主要メンバーを引き連れて、中隊本部へと戻っていく。
だが、そんな流れに逆らう者がいた。
先の先任下士官であったアレクサンドラだ。
「ちょっと、いいかい?」
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