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第二章
新指揮官着任
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ブラーバ河に架かる栄光の十一月七日橋を、西へと向かう軍用列車が通過していく。
機関車に牽引されている無蓋貨車には、どれも物資が満載されている。これらはすべて前線への補給に使われるのだろう。側面を囲う板の無い平らな貨車には、大砲や戦車のような大掛かりな兵器も搭載されていて、こちらは、貨車とともに接続されている客車に乗り込んだ部隊の装備品なのか、それとも、前線への補充品として使用されるのかはわからない。そんな客車の窓はすべて封鎖されているので、外からは中に誰が乗っているのかはまったく見えないが、おそらく、この客車も将兵で満たされているのだろう。
そんな光景を、自分の手で巻いた煙草をふかしながら見ていた、高射砲第一分隊のタチヤナ・サマリナ義勇戦士は、一台のサイドカー付きバイクが近くで停車したのを、視界の端でとらえた。
訓練後の休憩時間ということもあり、特にすることもないタチヤナとしては、いつものように周囲の同志たちのように世間話に興じたり、これまで幾度も見てきた橋を通過する列車を観察するよりも、もの珍しいサイドカーに乗った人物をこっそり観察してみようと考えた。
近場で止まったサイドカーからは、一人の男が降りてきた。彼が着ている制服を見る限りでは、どうやら陸軍の士官のようだ。その背後には、サイドカー付きのバイクを運転していた男が続く。革のツナギの肩に付いた階級章は、彼が陸軍の下士官であることを示している。
先頭を歩く陸軍の士官は、いかにも気難しそうな表情を浮かべていて、どこか人を寄せつけない雰囲気を漂わせており、できれば、積極的には係わり合いたくないと思わせる何かがある。
そんな印象を抱かせる理由のひとつに、彼の外見があげられるのかもしれない。顔の右側には痛々しい傷痕が残されており、右目は眼帯で覆われているのだ。さらに、右腕は失われれているのか、袖がヒジのあたりで折り返されて、肩のあたりにピンで止められている。
正直に言えば、軍の勲章には詳しくないので、彼が制服の左胸に着けているそれらが何を意味するのかを、正しく理解できていない。理解できていないのだが、わざわざ身に着けているくらいだから、きっと、凄いものに違いない。
下士官の方はといえば、こちらは絵にかいたような典型的な下士官というべき男だった。鍛えられた肉体と、軍と士官への絶対的な忠誠。そして、あらゆることは事もないという不遜な態度。きっと、戦場では実に頼りになる男なのだろう。
そんな男たちが、まっすぐこちらへと向かって来るのを見たタチヤナは、傍らで同じように景色を眺めることで時間を潰していた分隊長のクララ・セミョーノヴァをヒジでつついた。
どうやら、あの連中は、あたしらを訪ねて来たお客さんらしい。
立ち上がったクララとタチヤナの敬礼に、いかにも士官らしいあっさりとした答礼を、唯一残された左手で返した陸軍士官は、クララに向かって静かに問う。
「ここの指揮官は君か?」
声量はおさえているが、実に高圧的な態度と声だった。面と向かっているクララはどうか知らないが、側でやり取りを見ているタチヤナは、その陸軍士官に対する第一印象として「いけ好かない奴」というイメージを抱いた。
「はい、大尉殿。高射砲第一分隊の分隊長を務めております。クララ・セミョーノヴァ下級班指導者であります!」
直立不動で答えるクララに対し、陸軍士官の方は、無表情というよりは怒りに近いような表情を浮かべながら、さらに問う。
「よろしい、セミョーノヴァ君。君たちの中隊の指揮官は、どこにいる?」
そう問われたクララとしては、推測で答えるしかなかった。中隊長代理のマリヤ・ロマーシュキナ下級街区指導者は、訓練中は間違いなく中隊本部にいたであろうが、休憩時間となった今もそこにいるかは、確認しなければわからない。
だが、目の前にいるピリピリとした空気を漂わせた陸軍士官には、そんな時間を与えてくれそうな雰囲気がない。
棒でも飲み込んだかのような直立不動を維持したまま、クララは答えた。
「中隊本部にいるかと思われます。大尉殿」
「では、案内してもらえるか?」
いくら士官とはいえ、ここまで高圧的かつ即座に自分の要求だけを押し通してくる人も珍しい。要注意人物だという印象を抱いたクララは、横に並んでいるタチヤナに顔を向ける。
「サマリナ義勇戦士!」
クララはあえて姓と階級でタチヤナを呼んだ。中隊の仲間内では階級など気にせずに、名前や相性で呼び合っていて、階級など付けることは珍しいのだが、階級にうるさい頭の固い軍隊の士官の前では、中隊全員がそうすることにしていた。余計な波風を立てないためだ。
それを察したタチヤナも、姿勢を正して返答する。
「はっ!」
軍人らしい振る舞いをと心がけながら、クララは続ける。
「こちらの大尉殿を、中隊本部までお連れして」
そう命じたクララは、タチヤナの案内のもと、中隊本部へと向かう大尉の姿がそれなりに離れたことを確認してから、電話を取ってマリヤに一報を入れようとした。
そんなクララと、ちらりと振り返った大尉との視線が重なったが、困惑したクララはともかく、例の大尉は特に気にした様子もなく、そのまま中隊本部へと向かっていった。
中隊本部とされている建物は、ブラーバ河沿いに建つ三階建てのビルにあった。ビルの三階の一室を借りていて、いざという時は屋上に上がり、防空の指揮が取れるようになっている。
タチヤナに案内された陸軍士官が中隊本部に現れたのは、クララからの一報があってから、さほど時間は経たぬ頃だった。
「傾注!」
アレクサンドラの掛け声のもと、中隊本部にいた婦人兵の全員が立ち上がり、陸軍士官に正対する。
「大尉殿に、敬礼!」
再びかかった号令に合わせ、婦人兵たちは教本通りの敬礼を大尉に送った。
それを受ける大尉のほうも、左腕で行う以外は、すべて教本に則った敬礼で答える。
婦人兵の全員を素早く見渡した大尉は、実に自然に腕を下ろした。大尉の答礼を受けた婦人兵たちの腕も下りる。
一瞥した際に階級章をチェックしていたのか、大尉はマリヤへと歩み寄ると、彼女の真正面に立って問う。
「君が中隊の指揮官か?」
「はい、いいえ。大尉殿。中隊長代理を務めております、マリヤ・ロマーシュキナ下級街区指導者と申します」
直立不動で胸を張って答えるマリヤに対し、大尉は言葉を投げつけるようにして告げる。
「私はアレクセイ・マルコフ。陸軍砲兵大尉だ。この中隊の指揮を命じられた」
中隊本部にいた婦人兵のうち、マリヤとアレクサンドラを除いた全員が、驚きの表情を浮かべる。彼女たちにとっては、青天の霹靂とでも言うべき事態だった。
だが、マリヤとアレクサンドラは、これを事前に相談しあっていたこともあり、当然のように受け入れていた。
事の発端は、先日の防空戦闘であった。
中隊長代理として、初めて指揮を取ったマリヤだったが、その重圧に耐えかねていたのだ。無論、一機撃墜、一機撃破という戦果は誇るべきものであったし、類い稀なる功績であることは間違いない。だが、それが行幸に過ぎないことを、マリヤ自身が一番理解していた。
旧型の爆撃機だったせいか、敵機は狙いやすい高度を飛行していたし、速度だって、最新の爆撃機に比べたらかなり遅かった。それでも、敵機の爆撃そのものは防げなかった。
このままこの任務にあたっていたら、いつか、さらに酷い状況に陥ることになるだろう。
そんな不安が、中隊の正式な指揮官の派遣を要請するという事態に追い込んでしまっていた。
ところがだ。
派遣されてきた人物は陸軍の砲兵で、防空軍にすら所属していない。一応、陸軍にも防空を担う部署があり、そこは砲兵の管轄であるから、防空戦の専門家である可能性はまだある。
だが、そんなマリヤたちの希望は、その陸軍士官によってあっさり打ち砕かれる。
「私は防空が本分ではないが、軍より与えられた任務である以上、一切の妥協を許さずに精励するつもりだ。よろしく頼む」
言葉だけを捉えれば、随分な決意表明ではあったが、二つの面で不安が生じる挨拶だった。
まず一つ目は、彼が防空戦は素人に等しいということだ。かえって、これまで高射砲小隊の小隊長であったマリヤが、そのまま中隊の指揮を取っていたほうがマシだったかもしれない。
二つ目は、彼の口調がかなり高圧的で、協調性が疑われるものだったことだ。確かに、彼は上官であるから、一方的に命令を下す立場にいるかも知れない。だが、部隊の円滑な運用には、トップダウンの命令だけではなく、部下からの意見具申というボトムアップを受け入れる余地を残す必要がある。採用するかしないかは上官の判断になるのは当然として、意見すら許されないという環境は、組織の柔軟性を欠くことに繋がってしまうからだ。
正規の中隊指揮官を派遣して欲しいという要請は、もしかして失敗だったか? という思いに駆られつつあるマリヤに対し、例の大尉は不機嫌そうな態度を隠すことなく問いかけてくる。
「ええと、マリヤ・ロマーシュキナ……。何だったか?」
どうやら、この大尉殿は、義勇部隊で使用されている階級について、基本的な知識が欠けているようだ。
「下級街区指導者です。大尉殿」
マリヤがそう付け足したのを受けた大尉は、マリヤの肩に視線を動かした。その上で、さらにマリヤに質問を投げかける。
「君が着けているその階級章は、陸軍の物と同等と考えてよいのかね?」
労農党義勇軍が着ける階級章は、陸軍の主兵たる歩兵とまったく同一のものだ。つまり、地ないしパイピングの色が赤で、銀糸(実物の銀ではなく、アルミ等の金属によるものだが)による装飾がなされる。マリヤは軍では少尉に相当する下級街区指導者なので、地全体を銀糸で覆い、サイドに赤のパイピングが施される。そして、階級章の中央に星をひとつつければ、陸軍歩兵少尉と同じ今の階級章となる。
「はい、大尉殿」
うなづいて肯定の返事を返したマリヤに、大尉は さも当然のように言い放った。
「よろしい。ロマーシュキナ少尉。君の部下全員を集めてくれ」
義勇軍の階級呼称をあっさり無視した大尉に対し、室内にいた隊員の大半が軽い反感を覚えた。義勇軍は党が設けた自衛組織であり、防空という重要な任務の一端を担っている。それに、隊員のほとんどは労農党の党員で構成されており、それだけに、組織への愛着と忠誠心はかなりのものだから、それを軽んじた相手に対し、素直に好意を抱けるはずがない。その意味では、マリヤも例外ではない。
だが、ここ波風を立てるのはまずい。そう判断したマリヤは、感情を押し殺して返答する。
「はい、了解であります。大尉殿」
高射第一分隊が扱う一号砲のもとに集合させられた中隊員は、一人壇上に立つ男を見上げていた。
「傾注!」
マリヤの合図に合わせ、中隊の全員が気をつけの姿勢を取る。
「敬礼!」
労農党義勇軍は、名称に軍の文字が入ってはいるものの、あくまでも準軍事組織であり、正規の軍とはことなる。いわば民兵として扱われる立場の存在だ。だが、今、壇上の指揮官に向けられた統一された敬礼は、正規の軍隊のそれに近い、実に規律と統制のとれたものであった。
新任の中隊長について、若干の注意事項が事前に中隊員に伝達されたことが、このような現象を招いていた。それについてどのように考えているかは、彼の表情を見ても理解できそうにない。
左手での答礼を返した大尉が手をおろすのに合わせ、中隊の全員が手をおろす。
姿勢を正した壇上の大尉は、力の入ったよく通る声で言った。
「アレクセイ・アレクサンドロヴィッチ・マルコフ陸軍砲兵大尉だ。本日付で、諸君ら第四七三独立防空中隊の中隊長に任ぜられた」
一度、中隊全部を見渡すかのように視線を動かした大尉は、再び姿勢を正し、声を張り上げる。
「今後ともよろしく頼む。では、解散して各自任務に戻れ。なお、士官は残れ」
実にあっさりとした着任の挨拶だった。拍子抜けした中隊の隊員たちは半ば呆然とした表情でその場に立ち尽くしていたが、大尉の鋭い視線に促され、足早に立ち去っていく。
残れと命じられた士官クラスに該当するマリヤ、オリガ、エレオノーラの三人は、大尉が何を命じるのかと緊張しながら待っていた。そんな三人に対し、壇上から降りてきた大尉は、怒りを含んだような口調で鋭く言い放つ。
「中隊の状態を確認したい。書類を持って、五分後に中隊本部に集合だ。行け!」
そう命じられた三人は、全力で己の部署へと駆け出していった。
機関車に牽引されている無蓋貨車には、どれも物資が満載されている。これらはすべて前線への補給に使われるのだろう。側面を囲う板の無い平らな貨車には、大砲や戦車のような大掛かりな兵器も搭載されていて、こちらは、貨車とともに接続されている客車に乗り込んだ部隊の装備品なのか、それとも、前線への補充品として使用されるのかはわからない。そんな客車の窓はすべて封鎖されているので、外からは中に誰が乗っているのかはまったく見えないが、おそらく、この客車も将兵で満たされているのだろう。
そんな光景を、自分の手で巻いた煙草をふかしながら見ていた、高射砲第一分隊のタチヤナ・サマリナ義勇戦士は、一台のサイドカー付きバイクが近くで停車したのを、視界の端でとらえた。
訓練後の休憩時間ということもあり、特にすることもないタチヤナとしては、いつものように周囲の同志たちのように世間話に興じたり、これまで幾度も見てきた橋を通過する列車を観察するよりも、もの珍しいサイドカーに乗った人物をこっそり観察してみようと考えた。
近場で止まったサイドカーからは、一人の男が降りてきた。彼が着ている制服を見る限りでは、どうやら陸軍の士官のようだ。その背後には、サイドカー付きのバイクを運転していた男が続く。革のツナギの肩に付いた階級章は、彼が陸軍の下士官であることを示している。
先頭を歩く陸軍の士官は、いかにも気難しそうな表情を浮かべていて、どこか人を寄せつけない雰囲気を漂わせており、できれば、積極的には係わり合いたくないと思わせる何かがある。
そんな印象を抱かせる理由のひとつに、彼の外見があげられるのかもしれない。顔の右側には痛々しい傷痕が残されており、右目は眼帯で覆われているのだ。さらに、右腕は失われれているのか、袖がヒジのあたりで折り返されて、肩のあたりにピンで止められている。
正直に言えば、軍の勲章には詳しくないので、彼が制服の左胸に着けているそれらが何を意味するのかを、正しく理解できていない。理解できていないのだが、わざわざ身に着けているくらいだから、きっと、凄いものに違いない。
下士官の方はといえば、こちらは絵にかいたような典型的な下士官というべき男だった。鍛えられた肉体と、軍と士官への絶対的な忠誠。そして、あらゆることは事もないという不遜な態度。きっと、戦場では実に頼りになる男なのだろう。
そんな男たちが、まっすぐこちらへと向かって来るのを見たタチヤナは、傍らで同じように景色を眺めることで時間を潰していた分隊長のクララ・セミョーノヴァをヒジでつついた。
どうやら、あの連中は、あたしらを訪ねて来たお客さんらしい。
立ち上がったクララとタチヤナの敬礼に、いかにも士官らしいあっさりとした答礼を、唯一残された左手で返した陸軍士官は、クララに向かって静かに問う。
「ここの指揮官は君か?」
声量はおさえているが、実に高圧的な態度と声だった。面と向かっているクララはどうか知らないが、側でやり取りを見ているタチヤナは、その陸軍士官に対する第一印象として「いけ好かない奴」というイメージを抱いた。
「はい、大尉殿。高射砲第一分隊の分隊長を務めております。クララ・セミョーノヴァ下級班指導者であります!」
直立不動で答えるクララに対し、陸軍士官の方は、無表情というよりは怒りに近いような表情を浮かべながら、さらに問う。
「よろしい、セミョーノヴァ君。君たちの中隊の指揮官は、どこにいる?」
そう問われたクララとしては、推測で答えるしかなかった。中隊長代理のマリヤ・ロマーシュキナ下級街区指導者は、訓練中は間違いなく中隊本部にいたであろうが、休憩時間となった今もそこにいるかは、確認しなければわからない。
だが、目の前にいるピリピリとした空気を漂わせた陸軍士官には、そんな時間を与えてくれそうな雰囲気がない。
棒でも飲み込んだかのような直立不動を維持したまま、クララは答えた。
「中隊本部にいるかと思われます。大尉殿」
「では、案内してもらえるか?」
いくら士官とはいえ、ここまで高圧的かつ即座に自分の要求だけを押し通してくる人も珍しい。要注意人物だという印象を抱いたクララは、横に並んでいるタチヤナに顔を向ける。
「サマリナ義勇戦士!」
クララはあえて姓と階級でタチヤナを呼んだ。中隊の仲間内では階級など気にせずに、名前や相性で呼び合っていて、階級など付けることは珍しいのだが、階級にうるさい頭の固い軍隊の士官の前では、中隊全員がそうすることにしていた。余計な波風を立てないためだ。
それを察したタチヤナも、姿勢を正して返答する。
「はっ!」
軍人らしい振る舞いをと心がけながら、クララは続ける。
「こちらの大尉殿を、中隊本部までお連れして」
そう命じたクララは、タチヤナの案内のもと、中隊本部へと向かう大尉の姿がそれなりに離れたことを確認してから、電話を取ってマリヤに一報を入れようとした。
そんなクララと、ちらりと振り返った大尉との視線が重なったが、困惑したクララはともかく、例の大尉は特に気にした様子もなく、そのまま中隊本部へと向かっていった。
中隊本部とされている建物は、ブラーバ河沿いに建つ三階建てのビルにあった。ビルの三階の一室を借りていて、いざという時は屋上に上がり、防空の指揮が取れるようになっている。
タチヤナに案内された陸軍士官が中隊本部に現れたのは、クララからの一報があってから、さほど時間は経たぬ頃だった。
「傾注!」
アレクサンドラの掛け声のもと、中隊本部にいた婦人兵の全員が立ち上がり、陸軍士官に正対する。
「大尉殿に、敬礼!」
再びかかった号令に合わせ、婦人兵たちは教本通りの敬礼を大尉に送った。
それを受ける大尉のほうも、左腕で行う以外は、すべて教本に則った敬礼で答える。
婦人兵の全員を素早く見渡した大尉は、実に自然に腕を下ろした。大尉の答礼を受けた婦人兵たちの腕も下りる。
一瞥した際に階級章をチェックしていたのか、大尉はマリヤへと歩み寄ると、彼女の真正面に立って問う。
「君が中隊の指揮官か?」
「はい、いいえ。大尉殿。中隊長代理を務めております、マリヤ・ロマーシュキナ下級街区指導者と申します」
直立不動で胸を張って答えるマリヤに対し、大尉は言葉を投げつけるようにして告げる。
「私はアレクセイ・マルコフ。陸軍砲兵大尉だ。この中隊の指揮を命じられた」
中隊本部にいた婦人兵のうち、マリヤとアレクサンドラを除いた全員が、驚きの表情を浮かべる。彼女たちにとっては、青天の霹靂とでも言うべき事態だった。
だが、マリヤとアレクサンドラは、これを事前に相談しあっていたこともあり、当然のように受け入れていた。
事の発端は、先日の防空戦闘であった。
中隊長代理として、初めて指揮を取ったマリヤだったが、その重圧に耐えかねていたのだ。無論、一機撃墜、一機撃破という戦果は誇るべきものであったし、類い稀なる功績であることは間違いない。だが、それが行幸に過ぎないことを、マリヤ自身が一番理解していた。
旧型の爆撃機だったせいか、敵機は狙いやすい高度を飛行していたし、速度だって、最新の爆撃機に比べたらかなり遅かった。それでも、敵機の爆撃そのものは防げなかった。
このままこの任務にあたっていたら、いつか、さらに酷い状況に陥ることになるだろう。
そんな不安が、中隊の正式な指揮官の派遣を要請するという事態に追い込んでしまっていた。
ところがだ。
派遣されてきた人物は陸軍の砲兵で、防空軍にすら所属していない。一応、陸軍にも防空を担う部署があり、そこは砲兵の管轄であるから、防空戦の専門家である可能性はまだある。
だが、そんなマリヤたちの希望は、その陸軍士官によってあっさり打ち砕かれる。
「私は防空が本分ではないが、軍より与えられた任務である以上、一切の妥協を許さずに精励するつもりだ。よろしく頼む」
言葉だけを捉えれば、随分な決意表明ではあったが、二つの面で不安が生じる挨拶だった。
まず一つ目は、彼が防空戦は素人に等しいということだ。かえって、これまで高射砲小隊の小隊長であったマリヤが、そのまま中隊の指揮を取っていたほうがマシだったかもしれない。
二つ目は、彼の口調がかなり高圧的で、協調性が疑われるものだったことだ。確かに、彼は上官であるから、一方的に命令を下す立場にいるかも知れない。だが、部隊の円滑な運用には、トップダウンの命令だけではなく、部下からの意見具申というボトムアップを受け入れる余地を残す必要がある。採用するかしないかは上官の判断になるのは当然として、意見すら許されないという環境は、組織の柔軟性を欠くことに繋がってしまうからだ。
正規の中隊指揮官を派遣して欲しいという要請は、もしかして失敗だったか? という思いに駆られつつあるマリヤに対し、例の大尉は不機嫌そうな態度を隠すことなく問いかけてくる。
「ええと、マリヤ・ロマーシュキナ……。何だったか?」
どうやら、この大尉殿は、義勇部隊で使用されている階級について、基本的な知識が欠けているようだ。
「下級街区指導者です。大尉殿」
マリヤがそう付け足したのを受けた大尉は、マリヤの肩に視線を動かした。その上で、さらにマリヤに質問を投げかける。
「君が着けているその階級章は、陸軍の物と同等と考えてよいのかね?」
労農党義勇軍が着ける階級章は、陸軍の主兵たる歩兵とまったく同一のものだ。つまり、地ないしパイピングの色が赤で、銀糸(実物の銀ではなく、アルミ等の金属によるものだが)による装飾がなされる。マリヤは軍では少尉に相当する下級街区指導者なので、地全体を銀糸で覆い、サイドに赤のパイピングが施される。そして、階級章の中央に星をひとつつければ、陸軍歩兵少尉と同じ今の階級章となる。
「はい、大尉殿」
うなづいて肯定の返事を返したマリヤに、大尉は さも当然のように言い放った。
「よろしい。ロマーシュキナ少尉。君の部下全員を集めてくれ」
義勇軍の階級呼称をあっさり無視した大尉に対し、室内にいた隊員の大半が軽い反感を覚えた。義勇軍は党が設けた自衛組織であり、防空という重要な任務の一端を担っている。それに、隊員のほとんどは労農党の党員で構成されており、それだけに、組織への愛着と忠誠心はかなりのものだから、それを軽んじた相手に対し、素直に好意を抱けるはずがない。その意味では、マリヤも例外ではない。
だが、ここ波風を立てるのはまずい。そう判断したマリヤは、感情を押し殺して返答する。
「はい、了解であります。大尉殿」
高射第一分隊が扱う一号砲のもとに集合させられた中隊員は、一人壇上に立つ男を見上げていた。
「傾注!」
マリヤの合図に合わせ、中隊の全員が気をつけの姿勢を取る。
「敬礼!」
労農党義勇軍は、名称に軍の文字が入ってはいるものの、あくまでも準軍事組織であり、正規の軍とはことなる。いわば民兵として扱われる立場の存在だ。だが、今、壇上の指揮官に向けられた統一された敬礼は、正規の軍隊のそれに近い、実に規律と統制のとれたものであった。
新任の中隊長について、若干の注意事項が事前に中隊員に伝達されたことが、このような現象を招いていた。それについてどのように考えているかは、彼の表情を見ても理解できそうにない。
左手での答礼を返した大尉が手をおろすのに合わせ、中隊の全員が手をおろす。
姿勢を正した壇上の大尉は、力の入ったよく通る声で言った。
「アレクセイ・アレクサンドロヴィッチ・マルコフ陸軍砲兵大尉だ。本日付で、諸君ら第四七三独立防空中隊の中隊長に任ぜられた」
一度、中隊全部を見渡すかのように視線を動かした大尉は、再び姿勢を正し、声を張り上げる。
「今後ともよろしく頼む。では、解散して各自任務に戻れ。なお、士官は残れ」
実にあっさりとした着任の挨拶だった。拍子抜けした中隊の隊員たちは半ば呆然とした表情でその場に立ち尽くしていたが、大尉の鋭い視線に促され、足早に立ち去っていく。
残れと命じられた士官クラスに該当するマリヤ、オリガ、エレオノーラの三人は、大尉が何を命じるのかと緊張しながら待っていた。そんな三人に対し、壇上から降りてきた大尉は、怒りを含んだような口調で鋭く言い放つ。
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