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第一章
懐かしの戦友
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互いに葉巻の紫煙を楽しんでいると、扉がノックされる音が室内に響いた。
「入れ!」
コンドラチェンコの許可を得て室内へと入ってきたのは、先ほど部屋を飛び出していったブガーリン中尉であった。その後に続く男の姿を見た瞬間、マルコフは驚きの表情を浮かべる。
「イヴァン・イリイチ・イヴァノフ軍曹。出頭いたしました」
教本にそのまま載せたいほど見事な敬礼を准将に捧げる、肩に軍曹の階級章を付けたその男は、岩や鋼鉄といった風格を漂わせている。鍛えに鍛えぬいた身体が、その原因だ。
短く刈り込んだ黒い髪を略帽の下におさめ、口を真一文字に結んでいる。表情は険しいと無表情との間といったところか。
「ヴァーニャ!」
思わず叫んだマルコフに対し、ちらりと視線を送ったその男は、マルコフと視線が重なった瞬間、口の端をわずかに吊り上げ、目元を緩ませた。だが、それもごくわずかな時間で、すぐにもとの表情へと戻る。
イヴァノフ軍曹は、マルコフが軍事アカデミー在学中に、助教として辣腕をふるっていた男だ。実に様々な形で教育されたことを、マルコフは生涯忘れないだろう。
その後は、マルコフの指揮する小隊に先任下士官として配属され、彼が退役せざるを得なくなる傷を負った戦いにも、すぐ側で参加していた。
マルコフの退役にともない、別の少尉に小隊をまるごと引き渡したとき、彼が小隊をしっかりまとめてくれていたことで、実にスムーズな引き継ぎができた記憶がある。
その彼が、なぜ、ここに?
マルコフの疑問をよそに、イヴァノフへの答礼を返したコンドラチェンコは、マルコフに対して語りかける。
「感動の再会はもう少し後にしてくれ。マルコフ大尉」
一瞬、耳を疑ったマルコフだが、コンドラチェンコがニヤニヤ笑っているのを見ると、どうやら確信犯的にそういったらしい。
コンドラチェンコは続ける。
「貴様は現役に復帰と同時に、大尉に昇進だ。今後も励めよ」
思いがけぬ昇進を言い渡されたマルコフは、少々複雑な気分だった。何しろ彼は、軍事アカデミー卒業後、通常ならば半年ほどを少尉候補生として部隊で過ごし、実務経験を重ねてから少尉に任官するところを、王国との戦争が近いこともあって、即日少尉に任官している。もっとも、この措置は、彼の同窓生たちにも適用されているため、マルコフだけが特別待遇を受けているわけではない。
さらに、少尉となってから七日目には、王国との開戦という事態をむかえ、配属された小隊のことも満足に把握できぬまま最前線へと送り込まている。そして、開戦からわずか二週間で片目と片腕を失う重傷を負って退役しているため、一ヶ月にすら満たぬ短い少尉生活であった。
負傷にともなう退役時には、特例として一階級を昇進させるという慣例により、中尉へと昇進していたから、これまでの生活の中で、本当に士官として過ごしていた時期というのは、ごくごくわずかな期間に過ぎない。
もっとも、退役後は民兵の訓練教官として過ごしていたから、部隊指揮の経験がまったくないわけではない。だが、それでも、現役として同じ時間を過ごしてきた同志たちに比べると、やはり見劣りするというのがマルコフの見立てであった。
マルコフは、その思いを素直に述べる。
「はい、閣下。嬉しくないわけではありませんが、自分が昇進するには、まだまだ実績が足りないように思います……」
控えめにそう言うマルコフに対し、昇進を言い渡したコンドラチェンコは納得がいかないようだ。
「貴様よりも教育を受けていない連中が、大勢、大尉を務めとるんだ。貴様にできないはずがないだろう」
そこまで言われてしまっては、引き受けなければ男が廃る。マルコフは、背筋を伸ばして胸を張ると、よく通る声で宣言した。
「はい、閣下。ご期待に添えるよう、努力いたします」
「よろしい」
即答したマルコフを見て、こくりとうなずいたコンドラチェンコは、自分の机の引き出しから一枚の紙と小さな包みを取り出した。机上にあったペンを取って、取り出した書類に手早くサインをすると、マルコフとイヴァノフを呼び寄せる。
「アレクセイ・アレクサンドロヴィッチ・マルコフ。貴官を現役に復帰させるとともに、陸軍工兵大尉に任ずる。その胸に着けた勲章に恥じぬ働きを期待している」
そう述べながら、小さな包みをイヴァノフに渡した。
イヴァノフが開けようとしている包みの中身が何であるか、マルコフには想像ができた。そして、彼が開いた包みの中身が、自分の想像通りであったことを確認する。陸軍工兵大尉の階級章だ。階級章の縁に施されたパイピングの黒色が工兵を示しているし、三つの銀に輝く星が大尉を示している。
「イヴァノフ軍曹。悪いが、マルコフ大尉の階級章を、彼の制服に着けてやってくれ」
「はい、閣下!」
コンドラチェンコの要請によく通る声で応じたイヴァノフは、本来ならば階級章が付いているはずのマルコフの肩に、実に手際よく階級章を着けていく。
両方の肩に陸軍工兵大尉の階級章を着けてもらったマルコフは、さらに雄々しく胸を張った。自ら望んで進んだものの、心ならずも道を断たれてしまった陸軍士官としての人生が、今、再び再開されたのだ。嬉しくないはずがない。
生気を取り戻したおかげで、まるで若返ったかのように見えるマルコフを見て、こちらも満足げな笑顔を浮かべたコンドラチェンコは、嬉しくてたまらないという声色で続ける。
「さて、察しのよい貴様のことだから、俺が用意した手土産がなにかは、もう、理解できているな?」
コンドラチェンコから改めて言われずとも、彼が用意してくれた手土産が何かは、今、マルコフの視界の中に入っている。
「はい、閣下。最高かつ最良のプレゼントであります」
イヴァノフ軍曹は叩き上げの下士官だ。兵として徴兵され、周囲からの推薦を受けて下士官となり、軍で長い年月をかけて実務と経験とを積み上げてきた男が、無能なわけがない。実際、彼がマルコフの小隊の先任下士官を務めていたときは、小隊は完璧に調律されたピアノのように常に整っていた。小隊をマルコフの思うとおりに動かすことができたのは、彼のサポートがあったからといっても過言ではない。そんな男を再び部下としてつけてもらえるのだ。これを最高のプレゼントと称したマルコフの喜びは、筆舌に尽くしがたい。
助教と生徒であり、上官と部下であった二人は、二年というブランクを経て再会した。これまで沈黙を守り続けていたイヴァノフ軍曹は、久しぶりに対面したマルコフに対し、敬礼を捧げる前に、左手を差し出してきた。
「お久しぶりです。アリョーシャ」
「ああ、久しいな。ヴァーニャ」
まるで握力を比べるかのように力強い握手を交わした両者は、二年の歳月によって変わった点がないかを探るかのように、互いの視線を動かす。
お互い、外見上は大きく変わったところは無いようだったが、マルコフにはひっかかる点がひとつだけある。マルコフは、その点について、遠慮なく質問を投げかけた。
「しかしまあ、お前、まだ軍曹なのか? 俺は、お前ほどの能力の持ち主なら、とっくに曹長あたりに昇進しているものと思っていたぞ」
マルコフの指摘に対し、イヴァノフはぴくりと身体を振るわせた。そして、しばらく考えてから、搾り出すようにいう。
「こればかりは……」
鋼鉄のような印象を受ける歴戦の下士官も、思わず表情を崩してしまっていた。
「自分の意思で、どうこうできるものではありませんからね」
そう言いながら、照れ隠しに微笑するイヴァノフを見て、マルコフは思う点があった。単純な思いつきではあったが、我ながら、上出来な内容だ。
マルコフは、その思いつきを即座に行動に移した。
「閣下。可能でしたら、手土産ついでに、彼を昇進させてはもらえませんか?」
コンドラチェンコに対し、まったく悪びれることなくねだってみせる。
「彼には、それだけの価値があると、自分は確信しています」
マルコフからそう言われたコンドラチェンコは、少し渋い表情だ。
「そうか……」
マルコフとイヴァノフをそれぞれ一度ずつ見回してから、念を押すような口調で問う。
「では、貴様の現役復帰後の最初の仕事は、そいつを昇進させることでよいのだな?」
睨むようなコンドラチェンコの視線を受けながらも、マルコフは怯むことなく、胸を張って答えた。
「はい、是非!」
よどみなく答えるマルコフの硬い意思を確認したコンドラチェンコは、軽くため息をついてから、再び机の引き出しを開けると、中から一枚の書類と小さな包みを取り出した。それは、先ほどマルコフ相手に取り出したものとほぼ変わらないものであった。
「ならば、こいつにサインをしろ。それで、貴様の思い通りになる」
そう言って差し出されたのは、イヴァノフを曹長に昇進させるように推薦する書類であった。彼のこれまでの経歴と功績について細かくつづられていて、曹長に任ずるに足ると記載されている。あとは、推薦者たる人物のサインと、それを承認する人物のサインがあれば、彼を曹長へと昇進させることができる。
マルコフは、こうなることを事前に予測して事前に準備を整えていた、コンドラチェンコの先を見通す力に対し、驚嘆の念をさらに強くしながらも、少々茶番めいた劇に登場している役者のような思いも抱かざるを得なかった。まるで、自分がコンドラチェンコの手のひらの上で踊らされているかのようにも思える。
コンドラチェンコから渡されたペンで、ようやく左手でも不自由なく書けるようになった自分の署名を、イヴァノフの曹長昇進への推薦書類に書き込んでから、准将へと返したマルコフは、承認者の欄に彼が迷わずサインするのを見つめていた。
マルコフから手渡された書類にサインをしながら、コンドラチェンコはイヴァノフに声をかける。
「よかったな、軍曹。貴様の上官は、貴様をずいぶんと評価しているぞ。その期待を裏切らぬよう、これまで以上に軍務に励め」
「はい、閣下。誓ってそういたします」
直立不動の姿勢でそう答えるイヴァノフに、コンドラチェンコはようやく笑顔を見せた。
「では、貴様も本日付けで曹長に昇進だ。おめでとう、イヴァノフ曹長」
コンドラチェンコから渡された階級章を、イヴァノフの肩に着けてやりたいマルコフであったが、片腕を失った悲しさで、それは少々難しい。
結局、新しい階級章は握りしめたままとしたイヴァノフと、彼の隣に立つマルコフに、コンドラチェンコはわざわざ起立してから話し始める。
「貴様らに与えられた任務は実に重要である。自分の役割は何であるかを常に意識し、職務に忠実たらんことを期待する」
「はっ!」
敬礼する曹長と、深々とお辞儀をする大尉を前に、准将は期待を込めた答礼を送るのであった。
「入れ!」
コンドラチェンコの許可を得て室内へと入ってきたのは、先ほど部屋を飛び出していったブガーリン中尉であった。その後に続く男の姿を見た瞬間、マルコフは驚きの表情を浮かべる。
「イヴァン・イリイチ・イヴァノフ軍曹。出頭いたしました」
教本にそのまま載せたいほど見事な敬礼を准将に捧げる、肩に軍曹の階級章を付けたその男は、岩や鋼鉄といった風格を漂わせている。鍛えに鍛えぬいた身体が、その原因だ。
短く刈り込んだ黒い髪を略帽の下におさめ、口を真一文字に結んでいる。表情は険しいと無表情との間といったところか。
「ヴァーニャ!」
思わず叫んだマルコフに対し、ちらりと視線を送ったその男は、マルコフと視線が重なった瞬間、口の端をわずかに吊り上げ、目元を緩ませた。だが、それもごくわずかな時間で、すぐにもとの表情へと戻る。
イヴァノフ軍曹は、マルコフが軍事アカデミー在学中に、助教として辣腕をふるっていた男だ。実に様々な形で教育されたことを、マルコフは生涯忘れないだろう。
その後は、マルコフの指揮する小隊に先任下士官として配属され、彼が退役せざるを得なくなる傷を負った戦いにも、すぐ側で参加していた。
マルコフの退役にともない、別の少尉に小隊をまるごと引き渡したとき、彼が小隊をしっかりまとめてくれていたことで、実にスムーズな引き継ぎができた記憶がある。
その彼が、なぜ、ここに?
マルコフの疑問をよそに、イヴァノフへの答礼を返したコンドラチェンコは、マルコフに対して語りかける。
「感動の再会はもう少し後にしてくれ。マルコフ大尉」
一瞬、耳を疑ったマルコフだが、コンドラチェンコがニヤニヤ笑っているのを見ると、どうやら確信犯的にそういったらしい。
コンドラチェンコは続ける。
「貴様は現役に復帰と同時に、大尉に昇進だ。今後も励めよ」
思いがけぬ昇進を言い渡されたマルコフは、少々複雑な気分だった。何しろ彼は、軍事アカデミー卒業後、通常ならば半年ほどを少尉候補生として部隊で過ごし、実務経験を重ねてから少尉に任官するところを、王国との戦争が近いこともあって、即日少尉に任官している。もっとも、この措置は、彼の同窓生たちにも適用されているため、マルコフだけが特別待遇を受けているわけではない。
さらに、少尉となってから七日目には、王国との開戦という事態をむかえ、配属された小隊のことも満足に把握できぬまま最前線へと送り込まている。そして、開戦からわずか二週間で片目と片腕を失う重傷を負って退役しているため、一ヶ月にすら満たぬ短い少尉生活であった。
負傷にともなう退役時には、特例として一階級を昇進させるという慣例により、中尉へと昇進していたから、これまでの生活の中で、本当に士官として過ごしていた時期というのは、ごくごくわずかな期間に過ぎない。
もっとも、退役後は民兵の訓練教官として過ごしていたから、部隊指揮の経験がまったくないわけではない。だが、それでも、現役として同じ時間を過ごしてきた同志たちに比べると、やはり見劣りするというのがマルコフの見立てであった。
マルコフは、その思いを素直に述べる。
「はい、閣下。嬉しくないわけではありませんが、自分が昇進するには、まだまだ実績が足りないように思います……」
控えめにそう言うマルコフに対し、昇進を言い渡したコンドラチェンコは納得がいかないようだ。
「貴様よりも教育を受けていない連中が、大勢、大尉を務めとるんだ。貴様にできないはずがないだろう」
そこまで言われてしまっては、引き受けなければ男が廃る。マルコフは、背筋を伸ばして胸を張ると、よく通る声で宣言した。
「はい、閣下。ご期待に添えるよう、努力いたします」
「よろしい」
即答したマルコフを見て、こくりとうなずいたコンドラチェンコは、自分の机の引き出しから一枚の紙と小さな包みを取り出した。机上にあったペンを取って、取り出した書類に手早くサインをすると、マルコフとイヴァノフを呼び寄せる。
「アレクセイ・アレクサンドロヴィッチ・マルコフ。貴官を現役に復帰させるとともに、陸軍工兵大尉に任ずる。その胸に着けた勲章に恥じぬ働きを期待している」
そう述べながら、小さな包みをイヴァノフに渡した。
イヴァノフが開けようとしている包みの中身が何であるか、マルコフには想像ができた。そして、彼が開いた包みの中身が、自分の想像通りであったことを確認する。陸軍工兵大尉の階級章だ。階級章の縁に施されたパイピングの黒色が工兵を示しているし、三つの銀に輝く星が大尉を示している。
「イヴァノフ軍曹。悪いが、マルコフ大尉の階級章を、彼の制服に着けてやってくれ」
「はい、閣下!」
コンドラチェンコの要請によく通る声で応じたイヴァノフは、本来ならば階級章が付いているはずのマルコフの肩に、実に手際よく階級章を着けていく。
両方の肩に陸軍工兵大尉の階級章を着けてもらったマルコフは、さらに雄々しく胸を張った。自ら望んで進んだものの、心ならずも道を断たれてしまった陸軍士官としての人生が、今、再び再開されたのだ。嬉しくないはずがない。
生気を取り戻したおかげで、まるで若返ったかのように見えるマルコフを見て、こちらも満足げな笑顔を浮かべたコンドラチェンコは、嬉しくてたまらないという声色で続ける。
「さて、察しのよい貴様のことだから、俺が用意した手土産がなにかは、もう、理解できているな?」
コンドラチェンコから改めて言われずとも、彼が用意してくれた手土産が何かは、今、マルコフの視界の中に入っている。
「はい、閣下。最高かつ最良のプレゼントであります」
イヴァノフ軍曹は叩き上げの下士官だ。兵として徴兵され、周囲からの推薦を受けて下士官となり、軍で長い年月をかけて実務と経験とを積み上げてきた男が、無能なわけがない。実際、彼がマルコフの小隊の先任下士官を務めていたときは、小隊は完璧に調律されたピアノのように常に整っていた。小隊をマルコフの思うとおりに動かすことができたのは、彼のサポートがあったからといっても過言ではない。そんな男を再び部下としてつけてもらえるのだ。これを最高のプレゼントと称したマルコフの喜びは、筆舌に尽くしがたい。
助教と生徒であり、上官と部下であった二人は、二年というブランクを経て再会した。これまで沈黙を守り続けていたイヴァノフ軍曹は、久しぶりに対面したマルコフに対し、敬礼を捧げる前に、左手を差し出してきた。
「お久しぶりです。アリョーシャ」
「ああ、久しいな。ヴァーニャ」
まるで握力を比べるかのように力強い握手を交わした両者は、二年の歳月によって変わった点がないかを探るかのように、互いの視線を動かす。
お互い、外見上は大きく変わったところは無いようだったが、マルコフにはひっかかる点がひとつだけある。マルコフは、その点について、遠慮なく質問を投げかけた。
「しかしまあ、お前、まだ軍曹なのか? 俺は、お前ほどの能力の持ち主なら、とっくに曹長あたりに昇進しているものと思っていたぞ」
マルコフの指摘に対し、イヴァノフはぴくりと身体を振るわせた。そして、しばらく考えてから、搾り出すようにいう。
「こればかりは……」
鋼鉄のような印象を受ける歴戦の下士官も、思わず表情を崩してしまっていた。
「自分の意思で、どうこうできるものではありませんからね」
そう言いながら、照れ隠しに微笑するイヴァノフを見て、マルコフは思う点があった。単純な思いつきではあったが、我ながら、上出来な内容だ。
マルコフは、その思いつきを即座に行動に移した。
「閣下。可能でしたら、手土産ついでに、彼を昇進させてはもらえませんか?」
コンドラチェンコに対し、まったく悪びれることなくねだってみせる。
「彼には、それだけの価値があると、自分は確信しています」
マルコフからそう言われたコンドラチェンコは、少し渋い表情だ。
「そうか……」
マルコフとイヴァノフをそれぞれ一度ずつ見回してから、念を押すような口調で問う。
「では、貴様の現役復帰後の最初の仕事は、そいつを昇進させることでよいのだな?」
睨むようなコンドラチェンコの視線を受けながらも、マルコフは怯むことなく、胸を張って答えた。
「はい、是非!」
よどみなく答えるマルコフの硬い意思を確認したコンドラチェンコは、軽くため息をついてから、再び机の引き出しを開けると、中から一枚の書類と小さな包みを取り出した。それは、先ほどマルコフ相手に取り出したものとほぼ変わらないものであった。
「ならば、こいつにサインをしろ。それで、貴様の思い通りになる」
そう言って差し出されたのは、イヴァノフを曹長に昇進させるように推薦する書類であった。彼のこれまでの経歴と功績について細かくつづられていて、曹長に任ずるに足ると記載されている。あとは、推薦者たる人物のサインと、それを承認する人物のサインがあれば、彼を曹長へと昇進させることができる。
マルコフは、こうなることを事前に予測して事前に準備を整えていた、コンドラチェンコの先を見通す力に対し、驚嘆の念をさらに強くしながらも、少々茶番めいた劇に登場している役者のような思いも抱かざるを得なかった。まるで、自分がコンドラチェンコの手のひらの上で踊らされているかのようにも思える。
コンドラチェンコから渡されたペンで、ようやく左手でも不自由なく書けるようになった自分の署名を、イヴァノフの曹長昇進への推薦書類に書き込んでから、准将へと返したマルコフは、承認者の欄に彼が迷わずサインするのを見つめていた。
マルコフから手渡された書類にサインをしながら、コンドラチェンコはイヴァノフに声をかける。
「よかったな、軍曹。貴様の上官は、貴様をずいぶんと評価しているぞ。その期待を裏切らぬよう、これまで以上に軍務に励め」
「はい、閣下。誓ってそういたします」
直立不動の姿勢でそう答えるイヴァノフに、コンドラチェンコはようやく笑顔を見せた。
「では、貴様も本日付けで曹長に昇進だ。おめでとう、イヴァノフ曹長」
コンドラチェンコから渡された階級章を、イヴァノフの肩に着けてやりたいマルコフであったが、片腕を失った悲しさで、それは少々難しい。
結局、新しい階級章は握りしめたままとしたイヴァノフと、彼の隣に立つマルコフに、コンドラチェンコはわざわざ起立してから話し始める。
「貴様らに与えられた任務は実に重要である。自分の役割は何であるかを常に意識し、職務に忠実たらんことを期待する」
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