栄光の十一月七日橋 ~義勇婦人部隊の防空戦記~

相沢 竜一

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第二章

迎撃戦闘

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 扉をノックする音で目が覚めたマルコフは、枕元のボードに置いてあった時計に目をやった。
 周囲がまだ暗くて、針を確認するのが困難であったが、まだ夜中と言っていい時間だ。
 軍事アカデミーで士官としての心構えを叩き込まれていたマルコフは、睡眠中でも軍服のズボンを着込んでいた。さすがに、寝心地を考えて多少くたびれた服を選んではいるが、ぱっと見た目は、訓練などで使い込まれた感じが目立つ程度で、そのまま戦場に出たとしても、それほど違和感はない。
 これに、ハンガーにぶら下げていたジャケットを着れば、通常の勤務服そのものとなる。
 上着の袖に手早く腕を通しながら、マルコフは声をはった。
「入れ!」
 開いた扉の向こうから現れたのは、マルコフが想像していたとおりの人物だった。先任下士官のイヴァノフ曹長だ。
 敬礼もそこそこに、こんな時間に訪ねてきた理由を述べる。
「大尉殿。ごく少数ながら、敵機がこちらに向かっているとのことです。あと三〇分もしないうちに、プリレチェンスキー市上空に到達するとのことです」
 にわかには信じがたい報告だった。周囲はまだ暗く、飛行機が飛べるような明るさにはなっていない。あと一時間もしないうちに日が昇り始めるが、空はまだ暗闇に覆われている。そんな中を飛行できるのか?
 マルコフはイヴァノフの顔を見た。彼も夜中にたたき起こされた一人のはずなのだが、その口元やあごのあたりはさっぱりしていて、無精髭は見当たらない。
 ということは、彼はヒゲを剃れるだけの時間を確保していたことになる。そして、イヴァノフ曹長は優秀な下士官であるから、ただヒゲをそるだけの時間を過ごしたはずがない。関係各所に連絡を取るために電話の受話器を持ちながら、もう片方の手でヒゲを剃るくらいのことはやってのける男だ。
「確かな情報だな?」
 マルコフは、念を押すように聞く。
「はい。大尉殿。防空軍と、複数の哨所からの情報です。ほぼ、間違いないかと」
 ならば、そうなのだろう。
 マルコフの決断は速かった。
「よろしい。総員を配置につけろ。それから、市内全域に空襲警報を発令するようにと、市当局に依頼しておいてくれ」
「了解であります、大尉殿」
 命令を受領したイヴァノフは、訪ねてきたときと変わらぬ素早さで部屋を後にする。中隊全員を叩き起こさねばならないからだ。
 一人部屋に残されたマルコフは、ほんのわずかな時間ではあるが、くだらない考えを楽しんでいた。
 さて、お客様を迎えるにあたり、身だしなみを整える時間はあるだろうか。と。

 中隊は、まだ夜といっても違和感のない時間にたたき起こされたことで、不機嫌さをあらわにしていた。
 常識から考えてもありえないことだった。
 周囲はまだ暗く、東の空がわずかに朱に染まりかけているくらいでは、地形を頼りにした航空機の飛行は不可能だ。
 ということは、これはあくまでも訓練で、敵機の襲撃が想定されないような時間を選んだ中隊長は、相当なサディストか性悪男ということになる。
 隊員たちは不満そうな表情なのだが、下士官や士官の面々の表情が、彼女らと同じどころか、むしろ自らを厳しく律するものだということに気付くと、不満そうな表情は少しずつ不安へと変わっていく。
 そんな頃だった。
 プリレチェンスキー市街に、空襲を知らせるサイレンが響いた。
 あくまでも訓練だと思っていた中隊の隊員たちに、衝撃が走った。たかが中隊の訓練で、ここまでするだろうか。もしかして、もしかすると――。
 中隊が装備する高射砲を収めた各掩体壕には、中隊本部からの命令が直接聞こえるようにと、スピーカーが据え付けられている。
 実を言えば、ラジオを流すようなこともできるので、命令伝達のためだけのものではないのだが、今は、本来設置された目的通りに使われようとしていた。
 中隊本部の通信係であるマルガリータから、中隊長からの訓示があるので、各員傾注するようにとの注意のあと、スピーカーからは、緊張感をまるで感じさせない男の声が響いた。
 マルコフだ。
『さて、中隊の戦士諸君。防空軍をはじめとする複数からの報告で、こちらに敵機が向かっているとの情報があった。その確度は非常に高い。つまり、これは実戦であり、訓練ではない』
 そこで一度言葉を区切ったマルコフは、落ち着いた口調のまま続ける。
『我が軍はもとより、世界中のどこを探しても、黎明よりは夜間と言った方が相応しいようなこの時間帯に、敵機による空襲を受けたという事例は、これまで一切ない。つまり、これから始まる数分間は、世界初の夜間迎撃戦闘ということになる。当然、世界中の軍事関係者の注目を集めることになるだろう』
 中隊の隊員が、これまでの彼の言葉を理解するのに必要な時間を考えて、わずかな間を開けてから。マルコフは、自信に満ちた声で告げた。
『諸君らの実力を世界に示す良い機会だ。存分に戦え。以上』
 中隊の空気は一変した。
 嫌がらせに近い訓練だと思っていたら、久しぶりの実戦だという。
 しかも、世界初の事例として、軍事関係者から注目される戦闘になりそうだ。
 女性であるが、同時に武人でもある彼女たちにとって、これほど励みになることもない。何しろ、同じ軍事にかかわる職務に従事しているというのに、女性というだけで低く見られがちなのだ。それに、戦争は男のものだという価値観に支配された連中からすれば、婦人部隊ということだけでも、嫌悪感を抱くには十分な理由になる。
 そういった連中に対し、自分たちの実力を示す絶好の機会ということで、中隊はかつてないほどの士気の高揚が見られた。

 そんな中隊の様子は、丘の上に陣取っている射撃管制分隊と、それに同居する形を取っている中隊本部からは、よく見えた。
 素早く動き回る中隊員の姿だ。
 右往左往しているのではない。
 明確な目的と確かな意思のもと、規律をもった行動がなされている。
 射撃管制分隊の分隊長となったマリヤも、気分が若干高揚している点については否めない。
 そういう意味では、マルコフのあの演説は絶妙だった。
 祖国への愛や、党への忠誠心ではなく、彼女たちの自負心にうったえたのだ。確かに、前者も社会的な欲求という面では重要な要素ではあるが、自己承認欲求のように、自分が他者によくやったと認められ、褒められるというのは、さらに高い喜びをもたらすものだからだ。

 実戦準備を整えた中隊は、その瞬間をじっと待った。
 獲物が間合いに入るのを、息を殺して待つ肉食獣にも似ている。

 待機時間は、それほど長くはならなかった。
 射撃管制装置に張り付いた正観測員のソフィヤが、あらかじめ伝えられていた方角の上空に、きらりと光るものを見たのだ。
「目標視認。観測を継続します!」
 ソフィヤの報告を受け、マリヤは、傍らに待機しているマルガリータに対し、中隊への通信回線を開くようにと告げる。
 中隊のスピーカーから、マリヤの声が響いた。
『観測を開始した。各砲に対し、諸元の送信を開始する』
 マルコフの声が続く。
『これまでの訓練どおり、最大射程から射撃を開始するように。敵の目の前に、デカい花火を撃ちあげてやれ』
 この命令も、中隊が射撃管制装置を使うようになってから変更された戦術のひとつだった。
 装置に慣熟するための初期の訓練時から、マルコフは何かあるたび、お決まりの口癖のように言うのだ。
「最大射程から射撃を開始するように。敵の進路を塞ぐように、砲弾を撃ちあげてくれ」
 だが、中隊がこれまで行ってきた戦術とはあきらかに違う命令に、マリヤも戸惑いを隠せない。
「それでは、命中の公算は低くなりますが……」
 恐る恐る意見を具申したマリヤに対し、防空戦闘の専門家ではないマルコフは、まるで軍事アカデミーの生徒に対して教鞭をとるかのような口調で言うのだ。
「命中させることが重要なのではない。敵に、これ以上接近しては危険だと思わせることが重要なのだ」
 今も、その態度を崩すことはない。
 マリヤは、今一度確認すべく、マルコフに対して問いかける。
「最大射程から射撃開始ですね?」
「ああ、そうだ」
 即答といっても過言ではない返答だった。
「とにかく、最初から全力射撃だ。義勇兵ボランティアたちにも、そう伝えてくれ。あと、指定された空域に砲弾を撃ちあげるだけでいい。とな」
 我々もその義勇兵なのだが、政権政党たる労農党が組織した軍事組織だけに、純粋な義勇兵とは若干ながら異なる面もある。
 一方、マルコフが義勇兵と呼んでいるのは、プリレチェンスキー市にある鉄工所と化学工場がそれぞれ組織した自衛組織のことだ。前者は鉄と鋼を作り、校舎は主に農業用の肥料を作っている。どちらも、国家の経済に深く寄与する産業だ。
 こういった工場は、敵機の空襲による損害を避けるべく、自主的に防空装備を調達し、その操作要員を従業員から割り当てるようにと、労農党からの指導がされており、その規模に応じた防空部隊を組織している。
 もっとも、我々のように、四六時中常に防空に従事する義勇部隊と違い、彼らはあくまでも本業の片手間に行うパートタイマーでしかない。当然、その技量はたかが知れている。だが、そんな彼らに頼らなければ、プリレチェンスキー市にある防空火器は、中隊が装備する高射砲二門と高射機関砲二基だけになってしまう。つまり、彼らはもはや、市の防空には必要不可欠な戦力なのだ。
 マリヤは、傍らに立つマルコフをちらりと見た。
 双眼鏡を残された左手でつかみ、おそらく、こちらも残された左目だけで敵機を視認しようとしている彼は、まるで彫像であるかのように、微動だにせず、敵機が迫る上空を見ている。ちらりと見たその顔は、この短い準備時間の中で、いつ行ったのかを問いたくなるほど、さっぱりとヒゲを落としていた。
 同じ方向に双眼鏡を向けたマリヤの耳に、ソフィヤからの報告が入る。
「敵機、間もなく最大射程に入ります」
 それを同時に聞いていたマルコフは、マルガリータから渡されていたマイクに向けて、静かに命じた。
「中隊自由戦闘。各個に判断し、射撃を開始せよ」
 マルコフの命令に対する返答は、ほぼ同時に放たれた二門の高射砲の砲声だった。

 上空に、高射砲が撃ちあげた砲弾が炸裂した黒煙が、ぽつり、ぽつりと発生していく。
 マルコフの期待には程遠いが、プリレチェンスキー市の義勇兵たちも射撃に加わった結果、その黒煙の数も徐々に増していく。
 防空戦闘のピークは、あっという間に訪れる。
 今回の敵機は、マリヤが前回見た敵機とはまるで違う外見だった。
 空気抵抗を考慮して、各部に流線形を取るように設計された外見と、片翼に二発づつ搭載しているエンジンが特徴だ。軍用機に対してこのような表現を取るのが正しいかはわからないが、美しいといっても大げさではない。あえて控えめに言うのであれば、洗練された外見。といったところだろうか。
 敵機を観測し続けているソフィヤがつぶやくようにして告げる報告から、敵機が高度四五〇〇メートルを、時速五〇〇キロメートルで進んでいることがわかっている。その高度では、高射機関砲の出番はないだろう。そういった意味からも、あの上空を飛行する爆撃機は、前回の敵機とは比べ物にならない性能を誇る航空機のようだ。
 それがたったの三機だけで、敵からすれば奥地というのが相応しいプリレチェンスキー市を目指してきたのだ。一体、どんな心境なのだろう。
 戦闘開始から四〇秒が経過した頃だった。次々に撃ちあげられる砲弾のひとつが、有効弾となったらしい。三角形の編隊を組んだ敵機のうち、向かって右側、編隊の左翼を行く敵機が、右翼の付け根に近いあたりから白煙を引くのが見えた。
 それから間もなく、白煙を引き始めた敵機は、二発の爆弾を投下すると、ゆっくり旋回して編隊から離れていく。
 橋への爆撃をあきらめたのだろう。
 だが、残った二機は、離脱した僚機のことなど気にする様子もないかのように、ただひたすらに直進を続ける。
 そう見えたのも、わずか数秒だった。
 先に離脱した左翼側の敵機に続き、先頭機の右翼側後方に続いていた敵機も、二発の爆弾を投下した。そして、同じように旋回をしてプリレチェンスキー市から離れるような進路を取る。あの位置で爆弾を投下したということは、プリレチェンスキー市内に落下する可能性は否定できないが、栄光の十一月七日橋に命中する公算は低そうだ。
 だが、先頭を行く隊長機は、あくまでも橋を爆撃する気のように見える。
 それはまるで、中世の騎士の突撃にも似た姿を感じさせるような突進だった。
 隊長機が爆弾を投下したのは、砲撃を始めてから一分にも満たぬ頃だった。目標達成と自身の危険とを比較し、危険よりも目標達成を選んだその機体は、自らが放った爆弾が命中したかの戦果を確認することもせず、いっそ小気味よいくらいにバンクを取って離脱を始めている。
 敵機が爆弾を投下して離脱を始めたが、中隊はあくまでも砲撃を継続した。プリレチェンスキー市への爆撃など、二度と行いたくないと思わせるには、可能な限りの打撃を与える必要がある。
 だが、結局、中隊を含めたプリレチェンスキー市の防空部隊があげた戦果は、あの有効弾一発だけだったようだ。
 悠々と西へと飛び去って行く敵機を睨みつけるようにしていたマルコフは、あらためて「撃ち方やめ」の命令を伝えた。敵機はすでに射程外で、中隊をはじめとする防空部隊のほとんどが、射撃は停止している。
「ロマーシュキナ少尉!」
 いきなり名前を呼ばれたマリヤは、驚いた表情を隠すのに失敗したが、努めて平静な態度をよそおった。
 マルコフは告げる。
「可及的速やかに爆撃の被害状況を確認してくれ。特に、市民に犠牲者が出ていないかを」
 実に、この男らしからぬ命令だった。特に、後で付け足した犠牲者の有無など、普段はまったく気にも留めぬような態度をしているのに。
「はい、大尉殿。すぐに確認します」
 そう答えながら、マリヤは今回の迎撃戦闘が成功だったかを自問自答していた。結果として、まるで手ごたえがなかったからだ。たしかに、敵機に対して有効弾を与えたのは確実だろうが、撃墜も撃破もできていない。
 もっとも、防空戦闘で敵機に砲弾が命中する確率は、万にひとつかそれ以下である。これまでの迎撃で戦果があった方が珍しいのだ。
 それも、被害状況を確認すればはっきりするだろう。

 プリレチェンスキー市に落とされた爆弾は六発。そのうち二発は、街の西にある線路に至近弾となった。そのままでは鉄道の通行に支障をきたすため、修復を急ぐこととなった。復旧には半日程度が必要との見込みだった。
 次の二発は、市の外縁である住宅街に落ちた。事前に空襲警報があったこともあり、頑丈な建物へと非難していた市民に被害は出なかった。
 直接の被害は、という意味でだ。
 爆弾の直撃を受けて発生した住宅の火災により、市民と消火にあたった消防隊に負傷者が発生した。いずれも軽症で命に別状はないとのことだったが、爆撃による影響で負傷者が出たことは間違いない。
 最後の二発は、もっとも橋に近い位置に落ちた。ブラーバ河の西岸側の河原だ。堤防よりは河川に近い位置に落ちて炸裂した爆弾は、栄光の十一月七日橋には目立った損傷を与えなかった。

 この報告をマリヤがマルコフに伝えたとき、また思わぬ表情の変化を見た。橋への損傷はないと報告したときは、表情はほとんど変わらなかったのに、直接ではないが、火災によって市民に負傷者が出たという話をしたとき、確かに彼は、少しだけ苦しそうな表情を浮かべたのだ。
 だが、それも一瞬だった。
 すぐにいつもの仏頂面に戻ったマルコフに、被害状況の報告を終えたマリヤは、不思議な感覚に襲われていた。
 たしかに、橋への損害はなかった。それは、彼の取った戦術が正解だったからかもしれない。
 だが、敵機はたったの三機。前回のように、二〇機やそれ以上の敵機が襲来したときも、同様に撃退できるのだろうか。
 不安に近い思いを抱きながらも、マリヤは中隊の労をねぎらおうと、彼女たちのもとへと歩みを進めるのだった。
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