栄光の十一月七日橋 ~義勇婦人部隊の防空戦記~

相沢 竜一

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断章01

帝国空軍第一〇四戦略打撃大隊第二中隊の場合

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 マティアス・アルベール大尉は、帝国空軍第一〇四戦略打撃大隊第二中隊の中隊長だ。三十路後半に片足を突っ込んだ、見た目のさえない男だが、こう見えても、帝国貴族としては最下位となる騎士という爵位を持つ。つまり、本物の貴族様だ。
 第一〇四戦略打撃大隊は、帝国でも数少ない戦略爆撃が可能な航空機を装備している。エンジンが四発搭載された重爆撃機だ。彼らの任務は、敵に戦略上の損害や脅威を与えることである。
 今回与えられた任務は、連邦国内の奥深くにあるプリレチェンスキー市の爆撃だ。このプリレチェンスキー市が爆撃目標として選ばれたのには、次のような理由がある。
 連邦がその渡河の困難さから、わざわざ国防河川と呼んでいるブラーバ河が、街の中心を貫くように流れていて、その河にわずか三本しか架けられていない橋のひとつである、栄光の十一月七日橋が存在する。その戦略的な価値については、連邦の国土の東西をつなぐ鉄道は、この三つの橋のいずれかを通らなければならないと言えば、簡単に理解してもらえるだろう。
 我々はそのために、三時間以上をかけて、ここまで飛行してきた。

 実に苦労の連続であった。
 まず、片道一〇〇〇キロを超える飛行は機体の性能の限界に近い値であり、何かトラブルが発生した場合、航続距離が足りなくなることが懸念された。そのため、機体は可能な限りの軽量化を行った。防御用の機銃に銃弾、それを操作する人員も、大半を基地に置いてきた。残されたのは、残された唯一の自衛火器となる後部銃座の連装機銃と弾薬に、その操作を担当する尾部機関銃手だけだ。
 搭載する爆弾だって、本来であれば五〇〇キロ爆弾を四発、合計二トンまで搭載可能であるにもかかわらず、わざわざ二五〇キロを二発の合計五〇〇キロに減らしている。そのかわり、胴体内に設けられた爆弾倉に燃料タンクを増設して、合計で二五〇〇キロほどを飛行可能な状態にしてある。これだけの努力をしたにもかかわらず、航続距離はわずかに二五パーセント増加しただけだ。
 苦労はそれだけではない。この機にはゲストが搭乗している。もっとも、ゲストと称しはしたが、実際には副操縦士という役割を担っているので、正式なクルーの一員ということになる。
 彼の名前はクルト・ウィーバー。国土の七割近くを占領されながらも、帝国と同等かそれ以上に連邦との血みどろの戦いを続けている王国の、帝国内に避難した亡命政府が組織した軍に所属する中尉だ。もともと軍人でパイロットだったうえに、過去にはプリレチェンスキー市への爆撃にも参加したということで、水先案内人を買って出てくれた。ということになっている。
 それに、彼が参加してくれたことで、航続距離についての問題については、かなりの改善がなされている。
 まず、帝国本土の基地からの直接出撃ではなく、王国内でいまだ抵抗を続ける王国軍の基地を経由しての出撃が可能となったことが、その一つだ。距離にして、およそ三五〇キロ程度の短縮になる。
 もう一つは、帰路に深く関連することとなるので、それはまた、その時に伝えよう。
 その代わりと言っては何だが、機体には少し残念な加工が施されている。航空機の国籍を示すラウンデルが、帝国のものである黒、白、赤から、王国の右白、左赤に塗り替えられているのだ。これは、航続距離の短縮に協力してくれている王国軍への配慮であった。実際には帝国の剣でありながら、王国の剣として振るわれることになる。
 あまり気分のいい話ではないが、アルベールはそれを受け入れていた。
 それに、無礼にも帝国に挑戦してきた連邦に対する鉄槌を下せるのだ。名誉もたしかに大事だが、実利に目を向けた方がいいだろう。

 これにさらなる苦労を重ねているが、それは、夜間飛行を選択したという点にある。
 メリットは単純明快。夜間に飛行すれば、敵機の迎撃はもちろん、高射砲の射撃だってままならない。上空を飛行する敵機を目視で確認するのが困難というより、不可能に近いからだ。
 航空機が産声を上げた当初から、雲や霧の中を飛行するのは可能な限り避けようとする文化があった。当然だ。視界がない状態での飛行は、操縦者たちの感覚を容易に混乱させる。水平に飛行しているのかすら疑わしくなるのだ。 自分の感覚では、たしかに座席に腰が落ち着いているから、地面は確実に自分の尻の下にあると確信していても、実際には、軽い旋回を行っていることで操縦席に押し付けられるような力がかかり、通常通り地面から引き寄せられているように感じているだけかもしれないのだ。
 当然、そんな感覚の誤差を正す方法はある。計器だ。姿勢指示器を見れば、機体が地面に対して水平なのか、それとも傾いているのかがわかるし、方位計、高度計、速度計といった計器を読み解くことで、自分が操縦する機体がどうなっているのかを把握することが可能になる。
 むしろ、視界が確保できない状況であれば、自分の感覚よりも計器を信じた方が正しい。
 そう頭で理解していたとしても、やはり、計器を信じ切って飛行するというのは、なかなか難しいことなのだ。
 それゆえに、操縦者たちは、自分の感覚を目視によって正すことができる有視界飛行の方を好みがちだった。
 過去に大きな戦争でもあって、夜間爆撃を敢行せざるを得ないような状況が発生し、全面的に計器を信じて飛行する方式について、より真剣な研究がなされていれば、話は違っていたかもしれないが、現実は、視界を確保できない状況での飛行は避けるべき。というのが、一般的な常識だ。
 無論、夜間に敵機からの爆撃を受ける可能性を考慮し、様々な対策が取られているのも事実だ。軍艦が夜間に撃ちあうことを想定して装備した探照灯を、上空に向けて照らすことで、敵機を探そうというのもその一つだし、あくまでも噂にすぎないが、海の向こうの島国では、電波を使って上空の敵機を探す仕組みを考案し、現実に探知が可能なところまで来ているらしい。
 だが、いずれにせよ、飛行機乗りたちは、夜間に飛行するという事象に対し、あまり真剣に取り組んでこなかった。
 だからこそ、夜間に飛行するということにメリットが生じる。
 たまたま、うちの大隊長が奇特な人間で、夜間や雲、霧の中のような計器に頼らざるを得ない飛行について、実に熱心な研究を続けている人物だったことが幸いした。大隊全体が、計器飛行に関する知識と技術を習得していたからだ。
 我々にはできる。
 だが、奴らにはできないかもしれない。
 それが、夜間飛行を選択した理由だった。

 たしかに、夜間飛行を選択したことで、道中の安全はある程度確保された。計器飛行に失敗しないかぎり、迎撃を受ける可能性はほぼないだろう。
 だが、同時に、それだからこそ発生する問題がある。
 標的の確認だ。
 大変残念なことだが、流石に、完全な闇の中で標的を確認する技術までは確立されていない。
 そこで、ある意味妥協点となる選択をすることにした。
 黎明にあたる時間に、プリレチェンスキー市に到達するように調整したのだ。完全に日が昇った状態ではなくても、多少の明かりが確保されるのであれば、標的を確認して爆撃することはできる。
 当然、爆撃時に敵の迎撃を受ける可能性はその分上がるし、帰路は完全な日中の飛行となるため、迎撃される可能性はさらに上がる。行きよりも、帰りの方が危険なのだ。
 しかし、爆撃を成功させるためには、そのリスクは受容せざるを得ない。完全な闇の中、不完全な爆撃をするわけにはいかないからだ。

「機長。東の空が」
 副操縦士を務める王国義勇軍のウィーバー中尉がつぶやく。ただ、その声の感じは、機長にというよりは、クルーの全員に対して注意を促すためのもののように聞こえた。
 彼の言う通り、東の空は徐々に赤みを増しており、地上の形もはっきりとではないが、なんとなく把握できる明るさに近づいている。このまま予定通り進めば、爆撃に必要な最低限の明るさを得られるだろう。

 目標であるプリレチェンスキー市の上空には、さほど時間がかからずに到達できそうだ。地平線に近い位置とはいえ、すでにブラーバ河が目視できている。街の輪郭は明瞭ではないが、不明確でもない。これなら、問題なく照準器で標的をとらえることができるだろう。
 そのときだった。
 進路上に、小さな黒煙があがる。
 見間違えるはずがない。あれは、高射砲弾が炸裂した痕跡だ。
 その一発だけかとおもったが、数秒の間隔で黒煙が発生していく。
 どうやら、敵にも勤勉な奴がいるようだ。
 だが、あまり照準は得意ではないらしい。進行方向にぽつり、ぽつりと黒煙が生まれるが、これまでに至近距離で炸裂したものはない。
 これなら、問題なく任務が遂行できそうだと、アルベール大尉は判断した。
 次の瞬間。
 機体が激しく揺れる。
 機内通話用のヘッドホンから、尾部銃手の悲鳴が聞こえた。
「どうした? 無事か?」
 アルベールの質問に対する尾部銃手からの返答は、間をおかずに戻ってきた。
『すみません。今のはかなり近かったです。機体に破片が当たる音が聞こえました』
 その返答を受け、操縦桿やフットペダルを軽く動かし、機体がきちんと反応することを再確認する。
「照準手。操縦を委ねる。プレゼントを正確に届けてやってくれ」
 手元のスイッチを操作して、爆弾の照準を担う照準手が操縦できるように変更した。これで機体は、照準手がのぞいている照準器に備え付けられたレバーにより、操縦されることになる。上昇、下降や旋回といった操縦はできないが、標的に照準するために左右に機体を振ることはできる。当然、機体は水平を維持することが前提だ。
 アルベール大尉は、この瞬間だけはどうしても慣れなかった。それまでは自分か副操縦士が明確な意思で機体をコントロールしているのに、今は照準手がふらふらと左右に機種を振ることしかできない。もっとも、照準手も訓練を重ねており、明確な意思をもって標的を目指しているのだから、余計な動作などしてはいないのだが。
 そろそろ照準器でもプリレチェンスキー市を捕えられるといった頃合いだった。
 無線から落ち着いた声が聞こえてくる。
『二番機被弾。第三エンジンが煙を引いている』
 アルベールは舌打ちした。
 先ほどの至近弾といい、どうやら、えらく腕のいい奴がいるらしい。
 アルベールは状況を冷静に確認していく。
 今回の爆撃で達成すべき目標は、三つある。
 まずひとつは、敵の物流のネックとなっているブラーバ河の橋に対し、帝国は攻撃が可能であることをアピールすることだ。この意味は、前線から一〇〇〇キロ以上も離れていて、安全な後方だとおもって放置していたら、いつか手痛い打撃をこうむるかもしれないと、連邦の首脳陣に想像させる機会を与えることにある。国防河川などと銘打って、橋をわざわざ三本しか架橋していないような場所であれば、その脅威はなおさらだろう。
 次に、この攻撃を行った部隊が、戦力を維持したまま帰還することで、同様の攻撃が再び可能なことを示す必要がある。この事実に対応するために、敵は、ブラーバ河の橋の周辺に対して、さらに防空部隊を配置する必要に迫られるだろう。そうなれば、前線に張り付いている制空戦闘機や高射砲が、たとえ一部であったとしても、後方に下げられる可能性が高まるので、最前線で戦っている部隊に対する負担が、その分減ることになる。
 最後に、橋に爆弾を命中させて破壊することができれば、敵の物流を混乱させることができる。この意味については、さらなる追加説明は不要だろう。
 この三つの目標のうち、先のふたつが達成すべき目標であり、最後のひとつは副次的な目標であるということが、出撃前のブリーフィングで、搭乗員の全員に徹底的に叩き込まれている。
 つまり、今回の攻撃は、我々の剣はここまで届くのだと示すことと、再び殴りに来ることができるのだと理解させることが主要な目的であり、それが達成されれば満点となり、そのうえ、敵の物流を停滞させることができるのならば、それは満点を超えた最良の結果だ。ということになる。
 この目標について、より単純な言い方をするならば、次のようになる。
 無理はするな。ブラーバ河に架かる橋を爆撃するのがベストだが、最悪、プリレチェンスキー市のどこかに爆弾が落ちればよい。我々にそこを攻撃する能力があると敵に理解させることこそが、本作戦の主任務である。今回の完全成功よりも、反復攻撃の可能性を示唆できる方が望ましい。可能な限り生きて戻れ。
 というものだ。
 つまり、照準器の中にプリレチェンスキー市が収まりつつある今の状態であれば、爆弾を投下しても問題はないのだ。
 二番機の三番エンジンが煙を噴いている以上、さらなる無理をする必要はない。
 中隊長であるアルベール大尉は、そう判断した。
「中隊。各自自由に目標を選定し、投下せよ。プリレチェンスキー市外でも、価値がありそうなものであればかまわん」
 直ちに無線で爆弾の投下命令を下す。
 二番機は即座に投下し、離脱を始めた。
 後に続く三番機も、プリレチェンスキー市に向けて爆弾を投下する。
 だが、アルベールとその部下は、あくまでも突進を続ける。
 照準手が照準器をじっと睨みつけ、最善の目標である橋を捕えるように微調整したうえで、爆弾の投下レバーを操作した。
 爆弾の投下と同時に、軽くなった機体がふわりと宙に浮く感じを受ける。
 僚機すべてが爆弾を投下したことを確認したアルベール大尉は、照準手から機体の操作を受け取ると、進路を直ちに西へと向けた。
 生きて帰るためには、さらにあと三時間以上は飛行しなければならない。
 無茶ではあるが、やるしかない。

 爆撃を終えた中隊は、帰還するべく西へと進路を変えた。
 二番機の第三エンジンは出火しかけたものの、迅速に消火装置を使い、燃料の供給をカットしたことで、致命的な火災の発生は防ぐことができていた。ただ、その結果、第三エンジンは完全に停止し、三発で飛行しなければならなくなってしまっている。
 あとは、なすべくことをなすだけだ。
 アルベール大尉は、手元のスイッチを押して中隊に通話できるように回線を開くと、静かに命じた。
「機体を軽くするため、余計なものは投下しろ。どうせ没収されるんだ。爆撃照準機も規定通り破壊して、投下してしまえ。ただし、機体尾部の機銃はまだだ。安全が確認できるまでは投下するな」
 その命令を受けた中隊の三機は、それぞれ不要なものを捨て始めた。
 とはいえ、もともと軽量化のために不要なものは可能な限り搭載を控えているから、投下できるものはアルベールが述べた照準器くらいしかない。
 国境線を目指すかのように西へと向かっていた三機は、途中で進路を南西に変更し、そこからさらに南へと転じた。これは、そのままでは帝国の支配地域には戻れないことを意味している。
 だが、そのことについて、誰からも文句は出ていない。
 当初からの予定通りの飛行ルートだからだ。

 エンジンの一つが使えない二番機をかばうようにして編隊を組みながら、三機の爆撃機はいつしか洋上を飛行していた。通常の飛行経路であれば、帝国に戻る際に、洋上を飛行する必要はまったくない。
 これまでの飛行は驚くほど問題なく進行していた。連邦の迎撃機に襲われることも、高射砲による砲撃を受けることもなかった。
 ある意味、当然とも言える。
 彼らは、重要な街や軍事施設といったものを避け、リスクの低い場所を選んで飛行しているからだ。
 だが、その結果、目的地はとんでもないところになってしまう。
「機長。三時方向、航空機です」
 副操縦士のウィーバー中尉が報告し、警戒を促す。
 あっという間に接近してきたその航空機は、軽快な運動性を見せつけるかのように、ひらりと宙を舞う。
 連合王国の戦闘機だ。
 こちらの進路を阻むかのように前方を通過した後、ぐるりと旋回して編隊の先頭を行く我が機体の真横につけると、国際的に決められている緊急無線の周波数で警告を伝えてきた。
『貴機は連合王国の領空に接近している。直ちに進路を変更せよ』
 副操縦士のウィーバー中尉が、無線のマイクを取る。
「こちらは王国義勇軍のクルト・ウィーバー中尉だ。当機は損傷のため、長時間の飛行を継続できない。損傷の修理をするための緊急着陸を要請したい。なお、当機は軍用機であるが非武装であり、貴国に対して何らの攻撃手段も持たないことを、あらかじめお伝えする」
 長々とした自己紹介に対する返答は、同じくらい長いものだった。
『こちらは王国義勇軍のハンス・ワイズマン少尉です。連合王国は、貴機の状況に鑑み、人道上の理由から、領空内への侵入と、近隣空港への緊急着陸を許可します。先導しますので、当機に従って飛行してください』
 これが、帝国に亡命した王国の政権が組織した軍の軍人を、わざわざクルーにして乗せているもう一つの理由だった。
 連合王国にも同様に亡命した部隊があり、同じように、連合王国内で王国義勇軍として編成されている。
 戦闘機に乗った彼は、その部隊の一員なのだ。
 よくよく見れば、戦闘機のラウンデルは、こちらの機体と同様に、右が白、左が赤に塗られているのがわかる。
 まさに茶番劇だ。
 だが、このおかげで、航続距離の問題はかなり改善されたし、それに、ここで給油した後で、悠々と自国に戻ることができる。
 武装を失ったのは痛いが、再出撃も不可能ではないだろう。

 帝国空軍第一〇四戦略打撃大隊第二中隊は、連合王国内にある王国義勇軍の基地に不時着し、給油と簡易修理の後、無事、帝国内へと帰還した。
 次も同じようにうまくいくとは限らないが、少なくとも、敵にプリレチェンスキー市の防空に対して、何らかの考慮を払う必要性について、認識させることには成功したはずだ。
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