DEEP BLOOD

SAKU

文字の大きさ
6 / 43

第六話

しおりを挟む
──玄関先。

戸惑いを隠せないまま、凪はサクを見上げていた。

「……なんで、サクが……わたしなんかの護衛に?」

サクは肩をすくめ、淡々と答える。

「適任だっただけだよ。
 魔女の血筋に、ディープブラッド。
 余計な説明をしなくて済む。」

それだけ言うと、ふっと息をついた。

「それに……“わたしなんか”じゃない。」

凪が目を丸くする。

サクは庭のほうへ視線を移した。
そこには、エンジンをかけたまま停められた車。

「私はここでいい。車で待機する。」

「えっ!? だ、だめですよサク!休めないじゃないですか!」

慌てて手を振る凪に、サクは軽く笑う。

「凪、こないだ言っただろ?
 一応、私は“男”なんだ。それはダメだろう?」

凪は勢いのまま言い返す。

「……わ、わかってます。でも……何もしませんから!」

サクの表情がぴたりと止まった。

次の瞬間、喉の奥で小さく笑う。

「いやいや……それは私の台詞なんだが。」

「へ……? あ……う……」

意味に気づいた凪の頬が、一気に赤く染まる。
サクは、その反応に目を細めた。

(……かわいいな。)

だが言葉にはしない。
胸の奥に生まれた熱を、ゆっくり押し戻した。

凪は気を取り直すように手を打つ。

「で、でも、やっぱりダメです! あ、あの……そうだ!
 “離れ”なら……どうですか?」

「離れ?」

「来てください!」

凪が小走りで案内した先。
古い木戸を開けると、下へ続く狭い階段が現れた。

サクは眉を上げる。

「これは……?」

階段を降り、凪は鍵を開けて扉を押し開く。
ふわっとほこりが舞った。

「不本意ですけど……サク、頑固ですから。
 ここ、物置なんですけど……片付ければ住めます。暖炉もあって……」

サクは静かに周囲を見渡した。

薄暗いが日差しは入らず、湿度が低い。
吸血鬼には悪くない環境。

「地下……いや、半地下か?」

「魔女の資料が山ほどあって……埃だらけですけど……車よりは良いと思って。
 それに、ここから家にも上がれます。何かあればすぐ……」

凪の視線の先に、古い木の扉。

「……ここから、家に?」

こくん、と凪は頷く。

「はい。でも鍵は私しか持ってません。
 だから……安心ですよ。」

その一言が、思いのほか胸に触れた。

(……私を、信じているのか)

自然と視線が凪へと向く。

怯えていない。避けてもいない。
ただ、まっすぐ受け入れていた。

サクは小さく息を吐いた。

「……分かった。ここを使わせてもらう」

静かな声。
しかし胸の奥で、本能がわずかに軋む。

“この距離で、耐えられるのか?”

凪はほっと笑みを浮かべ、
その表情がまたサクの胸を熱くした。

(……やれやれ。困ったことになったな)

半地下の扉が閉まり、
新しい同居生活が始まった。

 

ほこりが舞い上がり、凪は咳き込む。

「ごほっ……! すみません、サク……その……放置してて……」

サクは天井を見上げながら軽く眉を動かす。

木箱、古文書、布を被った棚、ガラス瓶。
どう見ても人が住むには遠い惨状。

「凪。これは……なるほど。物置だな」

「だから言いましたよ……不本意だって……」

凪は袖をまくり、ほうきを握った。

「とにかく片付ければなんとか……今日はサクの寝る場所だけでも……!」

その瞬間、床板が“ギシッ”と沈んだ。

「うわっ……!」

よろめいた凪の腕を、サクが反射的に取る。

「危ない。」

温度のある掌に包まれ、
凪は吸い込まれるようにサクを見つめた。

サクも赤黒い瞳の揺れを悟られぬよう、そっと手を離す。

「……気をつけろ。足場が悪い。」

「は、はい……」

胸が跳ねたまま落ち着かない。

サクは木箱を抱えながら言う。

「これは……魔女の書類か?」

「ですです。それ触ると崩れるので……気をつけてくださいね」

「凪、危ない物だらけだな。……お前がここを使わなくてよかった。」

気づかれないふりをしているが、心はざわついている。

(……少し、かっこいい……)

凪の視線に気づいても、サクは淡々と作業を続けた。

「暖炉は使える。煤を払えば暖は取れる。」

「よかったぁ……寒かったらどうしようかと……」

「吸血鬼は寒さに強い。むしろ——」

言いかけて黙る。
“凪のそばの方が落ち着く”など言えるわけがない。

「……まあ、問題ない。」

凪は掃除機をかけながらちらっと見た。

「サク……嫌じゃなかったですか?ここ。
 本当は、もっとちゃんとした部屋の方が……」

サクは埃を払う手を止める。

「凪。私は……場所にはこだわらない。
 ここなら、お前をすぐ守れる。」

どくん、と凪の心臓が跳ねた。

「……はい……」

サクはそれ以上言わず作業に戻る。
横顔が、少し柔らかい。

 

片付けが終わり、
凪の足音が階段を上へと消えていく。

残された温度だけが、胸にざらつきを落とす。

(……この距離で、ディープブラッドの持ち主と暮らすか。)

本来なら落ち着く空間なのに——
凪が消えた階段の影が妙に気になった。

(……私は、何を試されている?)

任務か。耐久か。
本能の制御か。
それとも……守ってきた“線”そのものか。

サクは深く息を吐く。

(……危険すぎる。……のに。)

胸の奥が、静かに疼く。

(……凪。
 本当に……困った存在だ。)

吸血鬼の深いため息が落ちた。



木箱を並べて簡易な台を作り、
マットレスと布団を敷くと不思議と落ち着いた空間ができあがった。

「寝心地は、どうですか……?」

そわそわする凪に、サクは少し目を細める。

「悪くない。……十分だよ、凪。」

その声に、凪は胸がぽっと温かくなった。

廊下には呼び出しベル。
紐を引くと、離れで「コロン」と鳴る。

「緊急時に使いなさい。昼間は……寝ているから。」

少し不機嫌そうで、どこか可愛い。

凪は思わず笑った。

夜。
凪が寝落ちした机の横で、サクは香料の瓶を並べていた。
頬に落ちた髪を避け、そっと毛布をかける。

「……徹夜するなと言ったのに。」

その声は、いつもの冷静さとは違った。

食事の時間。

「あの……サクって、ご飯……どうしてるんです?」

スプーンが止まり、サクは少し考えるように言う。

「食べなくても平気だが……食べるよ。
 美味いものは……幸せな気持ちになるだろ?」

その言葉に、胸が静かに熱を灯した。

(……サクも、幸せって思うんだ。)

理由もないのに、それだけで嬉しい。

同居が始まってしばらく。

凪は一日に何度も離れへ向くようになっていた。
調合を見てほしい、飲み物を渡したい、ただ話したい——
気づけばサクを探していた。

ある夕方。
香料を持って行くと、サクは困ったように言う。

「凪。私のことは……そんなに気にしなくていいんだよ。」

胸が刺さった。
なんでこんなに痛いのか分からない。

返事ができず、凪は階段を上がった。

廊下の途中で、ふっと足が止まる。

胸が、きゅっと苦しい。

(……どうして……)

サクの声。仕草。
優しさ。思い出すたび胸が熱くなる。

(……あ……)

心臓が、名前を呼ぶみたいに跳ねた。

(わたし……サクが……
 好き、なんだ。)

気づいた瞬間、痛みが落ちた。

(でも……サクは……
 “この血”のせいで護ってくれてるだけ……だよね。)

血が理由。
そう思った瞬間、胸が痛む。

階段を見下ろす。
暗がりの奥——そこにサクがいる。

(……それでも、そばにいたい。)

誰にも言えない想いを、凪は抱きしめた。

 

凪が来る頻度が減った。
ベルは鳴らず、調合も見せに来ない。

最近は階段の上で生活音が遠く聞こえるだけ。

(……構わなくなった、か。)

胸が静かに沈んだ。

その時、ふと聞こえた凪の声。

「はい、それでは明日の午前に——」

客との会話だ。
落ち着いた、柔らかい、安心させる声。

サクは苦笑する。

(耳がいいのは便利だが……考えものだな。)

とくに最近は——
凪が“自分以外”に向ける声が、妙に胸に引っかかった。

その日。

「すみません、予約していた者ですが。」

低い男の声。

サクの意識が一瞬でそちらを向いた。

(……男?)

凪の店に男は珍しい。
その“珍しさ”が、胸にざらつきを残す。

「お待たせしました。コロンのプレゼントで……」

凪の声はいつも通り。
なのに、今日は胸に引っかかった。

(……仕事だ。分かっている……のに。)

胸の奥で、何かがきゅっと軋んだ。

「香りはおまかせして大丈夫ですか?」

「はい。贈る方の雰囲気を教えていただければ……」

優しい声。
凪の仕事の声。

ただの接客。

ただの客。

ただの会話。

なのに——

(……気にして、どうする。)

目を閉じ、息を吐く。

それでも、胸のざらつきは消えなかった。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

憧れの騎士さまと、お見合いなんです

絹乃
恋愛
年の差で体格差の溺愛話。大好きな騎士、ヴィレムさまとお見合いが決まった令嬢フランカ。その前後の甘い日々のお話です。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

私の願いは貴方の幸せです

mahiro
恋愛
「君、すごくいいね」 滅多に私のことを褒めることがないその人が初めて会った女の子を褒めている姿に、彼の興味が私から彼女に移ったのだと感じた。 私は2人の邪魔にならないよう出来るだけ早く去ることにしたのだが。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

処理中です...