兄嫁〜あなたがくれた世界で〜

SAKU

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一章

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春先の夕方。
世那は新しいアパートの階段を上がりながら、
胸の奥が不思議と落ち着かないのを感じていた。

(大我の受験もあるし……俺がしっかりしないとな。)

荷物を部屋に置いたそのとき――
隣の部屋のドアが、ばたん、と乱暴に閉まった。

「……またかよ!!」
「勝手にしろ!!」

大人の怒鳴り声。
続いて、何かが床に叩きつけられる音。

そして、ちいさな足音が廊下を走っていく。
すれ違いざまに、世那の腕に軽い衝撃。

振り向くと――
髪を結んだ小学生くらいの女の子がううっと唇を噛んでいた。

「……ごめんなさい。」

「いや、大丈夫だけど……」

女の子はぺこりと頭を下げて、
そのまま階段を一段飛ばしで駆け下りていった。

(隣の子……?)

嫌な予感が胸に残る。

夜。
カップ麺にお湯をそそいでいると、
また隣の壁から争う声が聞こえてきた。

「やめろよ!!」
「お前のせいだろ!!」

突然、子どもの泣き声。

世那は箸を置いた。

(……大我なら、なんて言うだろう。)

大我の声が脳内で勝手に答える。

<兄ちゃん、気になるなら見に行けば?
 でも踏み込みすぎんなよ?>

まるで電話してきたみたいに聞こえて、思わず笑った。

結局、世那は玄関に向かった。

階段下には、さっきの女の子が体育座りしていた。

「……ここで何してるの?」

声をかけると、彼女はびっくりしたように顔をあげた。

「……ママ、彼氏さんと喧嘩してて……
 帰ってくるな、って言われたから……」

ぽつりと言った声が、あまりにも軽かった。
“慣れてる子の声”だった。

世那は胸を締めつけられる。

「……寒いだろ。うち来る?」

「……いいの?」

「俺、隣の兄ちゃんだから。名前は?」

「……冴夢さゆ

「冴夢……か。
 いい名前だな。俺は世那。よろしくな。」

冴夢がこくっと頷く。
その小さな動きが、なぜか重かった。

その夜、世那は大我に電話しようとして――やめた。
大我は受験生だ。
こんな話を聞かせたら絶対気を揉む。

代わりに、便箋を取り出した。
約束の紙だ。

「……大我になら、言える。」

そして、夜の静けさの中で、世那はペンを走らせた。

──────────────────────────
✦手紙
◆世那 → 大我

大我へ。

新しい部屋に越したよ。
母さんの家より狭いけど、思ったより落ち着く。
机も置けたし、原稿も書けそうだ。

……大我、心配するなって言われそうだけど
隣の部屋、ちょっと気になる家庭でさ。

さっき、小学生くらいの子が階段下で一人でいた。
冴夢って名前。
家の中に入れないみたいで……寒いのに外で座ってて。

どうしたらいいのか分からないけど、
放っておけない。

俺、昔からこうだよな。
大我にはよく「兄ちゃん優しすぎ」って言われたな。

……あの子、笑うとすごく可愛いんだ。
でも、心の底から笑ってない気がする。

お前だったらどうする?

世那



◆大我 → 世那

兄ちゃんへ。
新しい家、住みやすそうでよかった。
受験のことは気にしなくていいよ。
兄ちゃんの手紙を見ると安心する。

で、隣の子の話だけど……

兄ちゃん、やっぱ踏み込みすぎだよ(笑)
でも兄ちゃんが放っとけないのも知ってる。

冴夢ちゃん?
名前かわいいね。

危ないことだけは絶対するなよ。
兄ちゃんはすぐ“人の痛み”に肩まで浸かるから。

……でも。

兄ちゃんが気になるなら、
その子、きっと助けが必要なんだと思う。

俺なら……多分、兄ちゃんと同じことする。

大我
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