兄嫁〜あなたがくれた世界で〜

SAKU

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十三章

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弁当屋のバックヤードは、揚げ物の香りと炊き立てご飯の匂いで満ちていた。
高校生の頃からここで働いてきた冴夢にとって、
この場所は“逃げ場”であり“居場所”だった。

今日も同じ大学の子たちとシフトが重なっている。

休憩室で水を飲んでいた冴夢に、
同じ大学の女の子・鏑木美琴かぶらぎみことが近づいてきた。

「ねぇねぇ冴夢。
 前から聞きたかったんだけどさ……」

冴夢は紙コップを両手で持ちながら首をかしげる。

「なに?」

美琴はにやっと笑って、
背後でスマホを小さく振る。

「この前、送り迎えしてた人いたでしょ?
 あれ……枢木くるるぎさん? だっけ? 彼氏?」

冴夢は盛大にむせた。

「け、けほっ……! 違うから!」

「えー~? だって呼び捨てしてたじゃん?」
「あの距離感、ぜったいそうでしょ~?」

美琴は完全に冷やかしモード。

冴夢は頬を赤くして両手をぶんぶん振る。

「あれは……っ
 大我は、なんていうか……その……」

言葉が詰まる。
“兄嫁と義弟”なんて説明、簡単じゃない。

美琴は意地悪く笑いながらも、
冴夢の反応が面白くてしょうがなさそうだ。

「ふ~ん?
 じゃあ“幼なじみ以上、恋人未満”とか?」

「ち、違うっ! そういうんじゃ……!」

そのとき店長の声が飛んだ。

「おーい冴夢! レジ戻ってきていいぞー!」

「は、はいっ!」

逃げるように休憩室を出る冴夢。

美琴は「ふっふ~ん」とにやにや。

──────────────────────────

レジに駆け戻っていく冴夢の背中を見送ってから、
美琴は腕を組んで店長へじりじり近寄った。

「店長~……ねぇ、教えてよ。
 冴夢って、あの人となに?
 やっぱ彼氏だよね? あの空気さぁ……」

店長はぐっと眉間を押さえる。

「……お前なぁ。冴夢がいないから言うけど、ちょっと落ち着け。」

美琴は椅子へストンと座り、身を乗り出す。

「だって気になるじゃん! イケメンじゃん! 名前なんだっけ、枢木……」

「枢木大我くるるぎたいがな。」

店長は揚げ場の方へ視線を向け、懐かしそうに目を細めた。

「美琴。
 冴夢はな、高一の春からここで働いてるんだ。」

「……え、そんな前から?」

「そうだ。いろいろあった子でな……。
 で——冴夢には“旦那さん”がいた。」

美琴の目が一瞬でまん丸になる。

「……え、結婚? 冴夢が!? そんな話……」

「いちいち言って回る子じゃねぇよ。
 その旦那さんが、冴夢の進学や生活をごっそり支えてたんだ。
 ……でも三年前の事故で亡くなっちまった。」

美琴は思わず口元を押さえる。

店長は淡々と続ける。

「さっきの大我は、その旦那さんの“弟”。
 兄貴に頼まれてたんだよ。
 『何かあったら冴夢を頼む』ってな。」

「……弟……」

「そうだ。
 冴夢があいつを呼び捨てにするのは、もう“家族”だったからだよ。
 姻戚ってのは血より濃くなるときがある。
 あのふたりはな——
 “恋人”とか“男女の関係”って言葉だけじゃ説明できねぇ。」

美琴は長い沈黙のあと、ぽつりとこぼす。

「……そっか……
 冴夢、そんな過去が……。
 私……軽い気持ちでからかってた……」

店長は肩をすくめた。

「まぁからかうくらいはいいさ。
 大我の“あれ”見りゃ、誰だって誤解する。」

そして少し声を落とす。

「けどな……冴夢って子は、まだ半分くらい“旦那さんの時間”で生きてる。
 大我もそれ、わかってる。
 だからお前も……余計な詮索はしないでやれ。」

美琴は静かに頷いた。

「……うん。わかった。
 私、ちゃんと距離考える。」

店長はふっと優しい顔になる。

「それでいい。
 冴夢は、ゆっくりでいい子だからな。」

──────────────────────────
駅前に向かって並んで歩くふたり。
美琴は横で笑いながら、ポケットに手を入れていた。

「冴夢さ、友達少ないでしょ?」

「……わ、わるい?」

「悪くない。
 ただ……私がその中に入りたかっただけ。」

美琴はあっけらかんとしている。
恋の匂いも、特別な思惑も、なにもない。

ただ——
冴夢という子が、
いつも誰かの“影”みたいに生きてるのが気になった。

「冴夢ってさ。
 なんか……守られてるようで、閉じ込められてるみたいな感じするのよ。」

冴夢は足を止める。

(……閉じ込められてる……?)

美琴は冴夢の横顔を見て、ほんの少しだけ笑いを弱めた。

「だから、外に連れ出したかったの。
 ただそれだけ。
 ……友達って、そういうもんでしょ。」

冴夢は胸を押さえた。
“痛い”のか“あったかい”のか、わからなかった。

そのときだった。
心のどこかで、世那の声がふっと揺れた気がした。

──さゆ。
  自由に、生きろ。

あの人がずっと願ってくれた未来。
冴夢自身が触れてこなかった“19歳の女の子の世界”。

美琴の“ただ友達になりたい”は——
世那の願いの、その続きにあった。

冴夢は小さく笑う。

「……美琴。
 なんか、ありがと。」

美琴は照れ隠しのように手を振る。

「ありがとじゃなくてさ。
 一緒に遊ぼって言ってんの! ほら行くよ!」

ふたりの歩幅がそろう。

その瞬間、冴夢は気づいていなかった。

世那の願った「自由」を、美琴が確かに担い始めていること。
そして——
大我の背負ってきた“責務”が、ひとつ静かにほどけたこと。

──────────────────────────

冴夢から
「今日は友達とカフェ寄ってから帰るね」
と短いメッセージが届いたとき。

大我は一度だけ目を丸くして、
次の瞬間、胸の奥で何かが——すうっと軽くなった。

「……そっか。
 良かった、冴夢ちゃん……」

ソファに座り、天井を見上げる。
いつからだろう。
冴夢が“普通の19歳”みたいに誰かと外に出るなんて。

その光景は、大我がどれだけ頑張っても与えられなかったものだ。

(兄貴……
 冴夢ちゃん、ちゃんと“外”に出たよ。)

大我は、
手放しではないけれど——
初めて“責任じゃない安心”を味わった。

冴夢が、誰かと笑って、歩いて、未来の話をする。
胸の奥に張りついていた重さが、静かに溶けていった。

「……美琴さん、ありがとう。」

小さくつぶやく声は、
三年前の喪失で止まっていた時間を、ゆっくり前へ押し出していた。
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