兄嫁〜あなたがくれた世界で〜

SAKU

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四十二章

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 ──一月末、午後。

リビングはエアコンの音だけが響き、
冴夢は大学の課題を黙々と進めていた。

(……あと少しで終わる……)

そう思った瞬間。

──ゴトッ。

明らかに“人が崩れた音”。

冴夢はびくっと顔を上げて振り向く。

玄関のところに——
この時間にいるはずのない男が立っていた。

「……大我!?」

壁にもたれ、呼吸は荒く、
顔は異常なほど赤い。

「……ん……」

返事にならない声。

冴夢は駆け寄ろうとした。

「え、大我!?大丈夫!?どうしたの……」

大我は片手を上げて制する。

「……平気……来んな……
 たぶん風邪……移ると……いけねぇから……離れとけ……」

ふらつく足取りのまま、
なんとか靴を脱いで寝室へ向かう。

(そんな身体で……無理だよ……!)

「ちょっと、本当に無理しないでってば!」

その一歩を踏み出した直後、大我が振り返らずに言った。

「……冴夢……ダメだ……寄るな……頼むから……」

必死の拒絶。
その声が痛いほど弱くて、冴夢は足を止めるしかなかった。

大我は寝室へ入り——

──ガチャッ。

内鍵を閉めた。

「……え!?ちょ、大我!?開けて!!」

ノブを揺らしても、鍵は固く閉まったまま。

「ねぇ……大我!!返事して……!」

しばらくは中から弱い声が返ってきた。

「……大丈夫……だって……」

でも、その声はだんだん細くなり……
やがて、完全に途切れた。

「……っ……大我……?」

扉に耳を当てても、静寂しか返らない。

(やだ……倒れてる……)

震える指で冴夢はスマホを掴んだ。

誰にかけるべきかなんて迷わない。

──“笹本 聖”。

コールが繋がった瞬間、涙が溢れそうになる。

『冴夢ちゃん?珍しいな、どうし——』

「聖さん……大我が……帰ってきて……っ
 熱があって……鍵閉めて……返事がもう……!」

声色が一瞬で変わる。

『冴夢ちゃん、落ち着け。
 大我どうした?倒れたか?』

「……うん……たぶん……」

沈黙が一秒。

そして鋭い声。

『すぐ行く。玄関開けとけ。絶対な。』

「は、はい……!」

通話が切れる。

冴夢は震える手で玄関を開け、
ただ祈るように立ち尽くした。

──────────────────────────

──20分後。

「冴夢ちゃん!!」

聖が駆け込んでくる。

「聖さん……大我が……」

聖は靴を脱ぎ捨てて寝室の扉へ走る。

ガチャッ——
鍵は当然開かない。

「……バカが……!」

ドンッ!!

肩で扉に体当たり。

「っ!?」

二度、三度。

「おい!!大我!!生きてるかッ!?」

「……え……聖……?」

中からかすれた声。

(よかった……声がした……!)

「救急車呼ぶか!?」

「……いや……大丈夫……っ……」

“大丈夫な声”では全くない。

聖は低く吐き捨てる。

「よし、壊す。」

「えっ!?聖さん!?」

ガンッ!!

──ついに鍵の金具が外れ、扉が開く。

「ちょ……!」

「あとで大我に払わせりゃいい!」

冴夢の制止も無視してなだれ込む。

部屋の中——
大我は床に座り込んでいた。

壁にもたれ、
額に汗、
呼吸は浅く、
焦点が合っていない。

「大我!!」

冴夢が駆け寄りかける。

「来んな冴夢」

弱い声なのに必死。

聖が肩で冴夢を止める。

「冴夢ちゃん待て!うつる可能性あんだろ!」

そして大我の腕を肩に回し、
彼をなんとか立たせる。

「お前……重いんだよ……!」

「……るせぇ……
 勝手に……ふらつくんだよ……」

「勝手じゃねぇ!!
 そんな倒れ方したら冴夢ちゃんが余計心配すんだろ!!
 考えて行動しろ、大の大人が!!」

「……悪い……」

弱々しい声。

その声に冴夢は胸が痛む。

「冴夢ちゃん!水とスポドリ!急ぎ!」

「う、うん!!」

走っていく冴夢を見送りつつ、
聖は大我をベッドに寝かせた。

──────────────────────────

「……熱っ。
 インフルの可能性は…?」

「……わかんね……寒……」

「まぁいい。とりあえずベッド行け。」

聖は容赦なく大我を抱きかかえる。

「お、おい……」

「黙れ。冴夢ちゃんが見てる前で倒れたやつに発言権はねぇ!」

冴夢が戻ると、
大我は毛布にくるまれ、ぐったり横になっていた。

「聖さん……ありがとうございます……!」

「いいって。大型犬が倒れると救助大変なんだよ。
 ダメそうなら救急車呼べ。
 まぁコイツ頑丈だから大丈夫だろ。」

玄関に向かいながら聖は振り返る。

「冴夢ちゃん。あと頼んだ。」

「……はい。」

扉が閉まり、
部屋は静けさに包まれた。

冴夢はベッドの隣に座る。

「……大我……」

その声に反応して、大我は薄く目を開ける。

「……来んなって……言ったろ……」

「……言ってたけど、無理だよ。」

冴夢はそっと手を取る。

「大我が苦しそうなのに……
 離れていられないよ。」

大我の喉がかすかに揺れる。

「……冴夢……
 お前………」

「泣いてたよ……」

大我の目が見開いた。

「……ごめ……ん……」

「守ろうとしてくれたの、嬉しかったよ。
 でも……鍵閉めて倒れるのはやめてね……怖かった……」

その言葉に、
大我は深く目を伏せた。

「……ごめん……
 次は……ちゃんと呼ぶ……」

「うん。」

冴夢は濡れタオルを手に取り、
大我の額にそっと置いた。

「……気持ちいい……?」

「……ん……」

手は熱くて、弱々しいのに——
冴夢の手を離そうとしない。

冴夢はその指をそっと握り返す。

「……大我の手が……淋しいって言ってるみたい。」

返事はない…。

「大丈夫だよ。ここにいるから。」

熱で荒くなる息に寄り添いながら、
冴夢はタオルを替え、
スポドリを飲ませた。

そのたびに大我は少しだけ呼吸を楽にして、
手だけは離さなかった。

──────────────────────────


──深夜。

熱はさらに上がり、
大我の額は触れた指が驚くほど熱い。

「……冴夢……?」

「起きてるよ……大我。」

「……側……にいんのか……」

「うん。いるよ。」

冴夢は手を握ったまま、
もう片方の手で大我の髪をゆっくり撫でる。

「……大我……
 大丈夫……大丈夫だからね……」

弱った呼吸が少しずつ落ちついていく。

(……早く、良くなりますように……)

朝が来るまで、
冴夢はずっと大我の手を握っていた。

──────────────────────────

──翌朝。再び訪れた聖に連れられて病院へ。

病院から帰ってきた大我は、
点滴の効果で少し顔色が戻っていた。

「……冴夢……」

「起きた?」

「……昨日……
 ごめんな……」

眉をしゅんと下げたその顔が可愛すぎて、
冴夢は思わず笑ってしまう。

「いいよ。
 守ろうとしてくれたの嬉しかったから。」

「……でも……怖がらせた……」

「うん、怖かった。
 だから次はやめてね。
 倒れそうなら……ちゃんと呼んで。」

大我は小さく頷いた。

「……うん……
 ありがとう……冴夢……」

その声は弱いけれど、
昨日よりずっとしっかりしていた。

冴夢はキッチンから買い込んだ袋を持ってきて、

「大我、なんか食べる?
 色々買ってきたよ。」

「……少し……」

「おかゆ作る?」

「……食べる……」

熱で弱った大我が、
素直に答える姿が愛しくて。

冴夢は微笑んでキッチンへ立った。

(……かわいい……
 大我……すき……)

大我はベッドの上で
その小さな背中を眺めながら、

「……冴夢……」

ぽつりと呟く。

「……ほんと……
 お前がいてよかった……」

その言葉は、
昨日の扉よりもずっと強く
冴夢の心を開いた。
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