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七章 店長の過去
5.店長の過去、店名の意味
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店長のベーコン作りも初めて見た。
塩漬けにした豚バラのブロックを、燻製機に吊り下げる。「桜と炭のチップを使うといい香りがついて美味しいんですよ」と店長が嬉しそうに話している。
キッチンに戻ってきて、パンを作っていく店長に、「料理は得意なんですか」と仙崎さんが訊ねた。
「得意というほどではなかったですけど、それなりに自炊していました。仕事柄外食が多かったので、体のために」
三角形に切った生地を丸めると、クロワッサンの形になった。店長がオーブンに入れる。
「パン屋さんの前に、別のお仕事をなさってたんですか」
「百貨店のバイヤーをしてたので、全国の美味しい物を探して飛びまわっていました」
「全国を。舌が肥えていそうですね」
オーブンがブザーを鳴らし、焼き上がりを知らせた。鉄板が取り出され、今にも香りが鼻に届きそうなクロワッサンが焼き上がる。
「どうでしょうかね? 舌が肥えていたとしても、自分で作るとなると、また違いますよ。所詮素人が作るものですからね。ですから、脱サラしてパン屋を開こうと思ったときに、修業に行かせてもらったんですよ」
細長い生地に、剃刀のようなもので斜めに切り込みを入れていく。
「修業ですか」
「そうです。十歳ほど年下の師匠です。フランスで修業してこられた方でね。味に惚れて、頭を下げて教えていただいたんです」
オーブンの中をカメラが写す。生地に火が入り、こんがりと膨らんでいく。
「年下に教えを乞うことに、抵抗はなかったんですか」
「美味しい物を作るのに、年齢は関係ないですよ。とはいえ恐縮されて、一度断られていますけど。自分で作ったパンを持って行って食べてもらって、考え直してもらえて、弟子にしてくれました」
焼き上がったパンは、バゲット。それを半分に切って、明太子やガーリックバターが塗られていく。
「そこまでして、パン屋を開こうと思ったきっかけは、あるんですか」
「家内の夢だったんですよ」
「奥様の夢、だったんですか?」
「僕が作った物を美味しいって喜んでくれたんです。褒めてもらえたら、調子に乗るじゃないですか。カレーをスパイスから作ってみたり、自家製ベーコンに挑戦してみたり。パン作りを始めたのは、家内がパン好きだったからです。近くにパン屋さんがなくてね、それなら自分で作ってみようと思い立って、仕事帰りに教室に通ったのが始まりですね」
お鍋でカレーを煮ている。出来上がったカレーをパン生地に包み込む。
油に投入されたカレーパンは、さくさくと美味しそうな音を立てながら、こんがりキツネ色に揚がっていった。
カレーパンも美味しいんだよね。思い出して、私は唾を飲み込んだ。
「そのうち、定年退職したらパン屋さんを始めましょうよ、なんて家内に言われるようになって。まあ、冗談だろうと思っていたら、家内は以外と本気だったみたいで。一階を改装して、焼きあがったばかりのパンを食べてもらえるスペースにしよう、なんて絵まで描いて、楽しみにしてくれてたんです。その矢先に、病気が見つかって。一年ほどで逝ってしまいました」
食パンの型に生地を入れ、オーブンに。
「奥様の夢を叶えたんですね」
「生きてるうちに叶えたかったですね」
「店名も奥様が考えておられたんですか」
オーブンから食パンを取り出すと、市川さんが一本買っていく食パンに、香ばしい色がついていた。
「お店の名前はね、なかなか思いつかなかったみたいで。僕が考えました。ここで休憩してもらって、元気になってもらえたらな。という思いで〈とまり木〉にしたんです」
店名の意味を聞いて、私ははっと息を呑んだ。
私が採用してもらえたのは、店名のお陰でもあったんだ。
休憩して、元気になってもらえたら。
なりました、店長!
私、とまり木のお陰で味覚が戻ったし、食に興味を持ちました。元気になりました。
伝えたかったけれど、言葉を飲み込んだ。動画がまもなく終わりに差し掛かろうしていた。
「今の夢ですか? 今は地域の活性化。年寄りが多くなってきてるから、若い人に来てもらいたいですね。田舎ですけど、良い所ですよ。それとグルテンフリーのパンを作りたいと思って、試行錯誤中なんです。小麦アレルギーの方でも安心して食べられるパンを作りたいですね」
店長が夢を語り、動画は終わった。
とまり木が奥さんの夢だったなんて。
途中から、私の涙腺は崩壊していた。
奥さんとのエピソードに、心を打たれた。
とまり木にそんな熱い想いがあると、思っていなかった。
奥さんのお陰で、私は救われていたのだと知った。
写真でしか知らない、レッサーパンダ好きの奥さん、弘美さんに感謝だ。
動画に修正をしてもらいたい箇所はなく、このままアップロードしてもらおうということになった。
帰り際、私は弘美さんの写真に手を合わせ、心から「ありがとうございます」と伝えた。
次回⇒八章 動画の反響
1.増えたお客さん
塩漬けにした豚バラのブロックを、燻製機に吊り下げる。「桜と炭のチップを使うといい香りがついて美味しいんですよ」と店長が嬉しそうに話している。
キッチンに戻ってきて、パンを作っていく店長に、「料理は得意なんですか」と仙崎さんが訊ねた。
「得意というほどではなかったですけど、それなりに自炊していました。仕事柄外食が多かったので、体のために」
三角形に切った生地を丸めると、クロワッサンの形になった。店長がオーブンに入れる。
「パン屋さんの前に、別のお仕事をなさってたんですか」
「百貨店のバイヤーをしてたので、全国の美味しい物を探して飛びまわっていました」
「全国を。舌が肥えていそうですね」
オーブンがブザーを鳴らし、焼き上がりを知らせた。鉄板が取り出され、今にも香りが鼻に届きそうなクロワッサンが焼き上がる。
「どうでしょうかね? 舌が肥えていたとしても、自分で作るとなると、また違いますよ。所詮素人が作るものですからね。ですから、脱サラしてパン屋を開こうと思ったときに、修業に行かせてもらったんですよ」
細長い生地に、剃刀のようなもので斜めに切り込みを入れていく。
「修業ですか」
「そうです。十歳ほど年下の師匠です。フランスで修業してこられた方でね。味に惚れて、頭を下げて教えていただいたんです」
オーブンの中をカメラが写す。生地に火が入り、こんがりと膨らんでいく。
「年下に教えを乞うことに、抵抗はなかったんですか」
「美味しい物を作るのに、年齢は関係ないですよ。とはいえ恐縮されて、一度断られていますけど。自分で作ったパンを持って行って食べてもらって、考え直してもらえて、弟子にしてくれました」
焼き上がったパンは、バゲット。それを半分に切って、明太子やガーリックバターが塗られていく。
「そこまでして、パン屋を開こうと思ったきっかけは、あるんですか」
「家内の夢だったんですよ」
「奥様の夢、だったんですか?」
「僕が作った物を美味しいって喜んでくれたんです。褒めてもらえたら、調子に乗るじゃないですか。カレーをスパイスから作ってみたり、自家製ベーコンに挑戦してみたり。パン作りを始めたのは、家内がパン好きだったからです。近くにパン屋さんがなくてね、それなら自分で作ってみようと思い立って、仕事帰りに教室に通ったのが始まりですね」
お鍋でカレーを煮ている。出来上がったカレーをパン生地に包み込む。
油に投入されたカレーパンは、さくさくと美味しそうな音を立てながら、こんがりキツネ色に揚がっていった。
カレーパンも美味しいんだよね。思い出して、私は唾を飲み込んだ。
「そのうち、定年退職したらパン屋さんを始めましょうよ、なんて家内に言われるようになって。まあ、冗談だろうと思っていたら、家内は以外と本気だったみたいで。一階を改装して、焼きあがったばかりのパンを食べてもらえるスペースにしよう、なんて絵まで描いて、楽しみにしてくれてたんです。その矢先に、病気が見つかって。一年ほどで逝ってしまいました」
食パンの型に生地を入れ、オーブンに。
「奥様の夢を叶えたんですね」
「生きてるうちに叶えたかったですね」
「店名も奥様が考えておられたんですか」
オーブンから食パンを取り出すと、市川さんが一本買っていく食パンに、香ばしい色がついていた。
「お店の名前はね、なかなか思いつかなかったみたいで。僕が考えました。ここで休憩してもらって、元気になってもらえたらな。という思いで〈とまり木〉にしたんです」
店名の意味を聞いて、私ははっと息を呑んだ。
私が採用してもらえたのは、店名のお陰でもあったんだ。
休憩して、元気になってもらえたら。
なりました、店長!
私、とまり木のお陰で味覚が戻ったし、食に興味を持ちました。元気になりました。
伝えたかったけれど、言葉を飲み込んだ。動画がまもなく終わりに差し掛かろうしていた。
「今の夢ですか? 今は地域の活性化。年寄りが多くなってきてるから、若い人に来てもらいたいですね。田舎ですけど、良い所ですよ。それとグルテンフリーのパンを作りたいと思って、試行錯誤中なんです。小麦アレルギーの方でも安心して食べられるパンを作りたいですね」
店長が夢を語り、動画は終わった。
とまり木が奥さんの夢だったなんて。
途中から、私の涙腺は崩壊していた。
奥さんとのエピソードに、心を打たれた。
とまり木にそんな熱い想いがあると、思っていなかった。
奥さんのお陰で、私は救われていたのだと知った。
写真でしか知らない、レッサーパンダ好きの奥さん、弘美さんに感謝だ。
動画に修正をしてもらいたい箇所はなく、このままアップロードしてもらおうということになった。
帰り際、私は弘美さんの写真に手を合わせ、心から「ありがとうございます」と伝えた。
次回⇒八章 動画の反響
1.増えたお客さん
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